今回は、「コリントの信徒への手紙一1章」の内容について考察したいと思います。

 

但し、充分慎重に考察する必要があることを肝に銘じたいと思います。

 

もし非真理を伝えてしまった時に、神様がお怒りになるのは勿論のこと、RAPTさんや十二弟子の皆さん及び兄弟姉妹の皆さんに、多大な迷惑をおかけすることになります。

 

ここは慎重に、自分の文章を何度も読み直して、できる限り非真理が混じることのないように努めていこうと思います。

 

どうか神様、このブログを書き進める中で、少しでも非真理が入り込んでしまった時は、すぐに気づくことができるように導いてください。

 

もし、非真理が混ざり込んでいたことに気がついた場合には、悔い改めてすぐに訂正します。

 

どうか私の霊魂を真理で充満させて、神様の御心に叶った文章が書けるよう導いてください。

 

神様の恵みと正しい導きがあることを信じて、ここから本題に入って行きたいと思います。

 

前回、このブログで「コリントの信徒への手紙一1章」の本文を掲載しましたので、その本文を傍らに置きながら皆様も、お付き合いの程よろしくお願いします。

 

「コリントの信徒への手紙一1章」では、大きく三つのテーマで書かれています。

 

一つ目は「挨拶と感謝」、二つ目は「一致の勧め」、三つ目は「神の力、神の知恵であるキリスト」です。

 

まずパウロは、コリントの信徒たちに「挨拶と感謝」を述べる所から始めています。

 

(1章1〜9節)・・・

1神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、2コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。

イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。 

3わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

4わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。 

5あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。 

6こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、7その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。 

8主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。 

9神は真実な方です。

この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

・・・・・・・・・・

 

このようにパウロは、コリントの人々が主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたことを祝し感謝の言葉を述べる一方で、問題点についても指摘します。

 

その問題点とは、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合って、コリントの信徒たちの間に亀裂が生じてしまっていることです。

 

(1章10〜17節)・・・

10さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。

皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。 

11わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。 

12あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。 

13キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。

パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。

あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。 

14クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。 

15だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。 

16もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。 

17なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。

・・・・・・・・・・・

 

本来なら、イエス様を中心に一致団結して信仰していくべきところを、コリントの信徒たちは、こともあろうかパウロ派・アポロ派・ケファ派といった派閥に分かれてしまい、一致団結することを忘れ、それぞれ自分勝手に間違った方向に進もうとしていたのです。

 

さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。

皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。 (1章10節)

 

人類のために十字架につけられたのは誰か。

 

誰の名によって洗礼を受けたのか。

 

他でもなく主イエス・キリストではないか。

 

パウロは、そのことを今一度思い起こすよう信徒たちに「一致の勧め」を呼びかけるとともに、パウロがキリストから授かった使命について再認識してもらえるよう説明しています。

 

なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。(1章17節)

 

では、上記聖句の末尾に出てくる「言葉の知恵によらないで告げ知らせるため」とは、どのような意味でしょうか?

 

何故、「言葉の知恵」によれば「キリストの十字架」が虚しいものになってしまうのでしょうか?

 

そのヒントとなる話が「神の力、神の知恵であるキリスト」の中で語られています。

 

(1章18〜31節)・・・

18十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。 

19それは、こう書いてあるからです。

「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」

20知恵のある人はどこにいる。

学者はどこにいる。

この世の論客はどこにいる。

神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。 

21世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。

それは神の知恵にかなっています。

そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

22ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、23わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。

すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、24ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。 

25神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

26兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。

人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。 

27ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。 

28また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。 

29それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。 

30神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。 

31「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

・・・・・・・・・・・

 

上記の聖句を理解するには、「義を成す者は栄え、悪を成す者は滅びる」という天の法則を知らなければなりません。

 

(1章18節)「滅んでいく者」とは、悪を成す者のことを指し、サタンに支配された罪人のことを指します。

 

彼ら罪人は、「十字架の言葉」すなわち「神の力」を愚かなものとして、決して受け入れようとはしません。

 

何故、彼らは「十字架の言葉」を受け入れられないかというと、彼らの価値基準が己の利得を優先させることに傾いているからであり、己の肉性を制御できるほどに霊魂が成長していないからです。

 

イエス様のように人類の救いのために己の利得と肉性を捨て、全てを神様に捧げることを愚かな行為とでしか彼らは捉えることができないのです。

 

彼らの霊魂が低次元のまま滞っているが故に、神に至る高次元の霊を理解することができないのです。

 

「十字架の言葉」を受け入れ、それを真摯に学ぼうとしない限り、高次元の霊と遭遇することもできないし、神様の祝福で満たされることもないのです。

 

(1章19節)「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」とは、サタンに支配された罪人の知恵を滅ぼし、利己的で悪賢い者の賢さを意味のないものにするということです。

 

知恵のある人はどこにいる。

学者はどこにいる。

この世の論客はどこにいる。

神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。 

世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。

それは神の知恵にかなっています。

そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。

すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。 (1章20〜24節)

 

真の「知恵のある人」とは、世の知恵に長けた学者でもなく、論客でもありません。

 

世の学者や論客は、世の価値観に基づいた「言葉の知恵」には長けていますが、「神の知恵」を知らず「神の愛」を知る者は少ないということです。

 

だから「言葉の知恵」によれば「キリストの十字架」が虚しいものになってしまうのです。

 

だから「福音を告げ知らせる」という使命は、単に「言葉の知恵」を巧みに操れば良いというものではなく、そこに「神の愛」を語るに相応しい高次元の霊を獲得しているかどうかが重要になってくるのです。

 

このことは、私自身がこのブログで行なっていることにも言えると思います。

 

聖書の紹介と考察を、いくら言葉巧みに書き連ねても、そこに「神の愛」と、それを語るに相応しい高次元の霊を吹き込むことができなければ、それは虚しいもので終わってしまうのです。

 

私自身が、「神の愛」を語るに相応しい高次元の霊を獲得する者にならなければ、ただの「言葉の知恵」をひけらかすだけにしかならないのです。

 

真の「知恵のある人」とは、「神の力、神の知恵であるキリスト」を受け入れ、神様の知恵と愛によって高次元の霊を獲得した人です。

 

神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(1章25節)

 

損得勘定で動く人よりも愛によって動く神様は賢く、力尽くでねじ伏せようとする人よりも愛でもって働きかけをする神様は強いのです。

 

私たち信仰者も、そのような愛を持って行う人になる必要があるのです。

 

それが「神の力、神の知恵」なのです。

 

人間的に見て知恵のある者になるのではなく、神様の次元で知恵ある者になるのです。

 

世の価値観に基づいた知恵ではなく、神様の価値観に基づいた知恵を獲得するのです。

 

兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。

人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。 

ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。 

また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。 

それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。 

神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。 

「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。(1章26〜31節)

 

人間的に見て知恵ある者

能力のある者

家柄のよい者

力ある者

地位のある者

 

それらは全て、サタンが作り上げた虚構と欺瞞の世界にだけ通用する者たちです。

 

私たち人類は神様の前では無力であり、だれ一人、神様の前で誇ることはできないのです。

 

成約時代に生きる私たちは、今こそサタンの作り上げたこれまでの古い世界から抜け出し、神様が用意してくださっている新しい世界、すなわち地上天国への道を歩む必要があるのです。

 

ここで、RAPTさんの「御言葉」を紹介させていただきます。

 

○RAPT有料記事794(2023年12月2日) 神様がこの世を裁いているのは、古い世界(無神論の世界)を叩き壊し、新しい世界(有神論の世界)に作り変えるためだ。

 

 

この「御言葉」の冒頭部分だけを転載させていただきます。

 

ここから転載)**********


神様は今、この地に降臨されて、神様を信じる私たち義人にとって、より理想的な世界をこの世の中に作り上げようとして下さっています。
 
これまでの時代は、悪魔を拝む者たちが大手を振って生きてきたわけですが、これからの時代は、神様を信じる私たちがこの世で大手を振って、楽しく生きることができるようにして下さろうとしています。
 
しかし、そうやってこの地上を新しく作り替えていくためには、一旦、サタンの作り上げたこれまでの古い世界を完全に叩き壊さなければなりません。
 
そのために神様は今、この世の中を厳しく裁いておられるのです。
 
そして、そうやって神様がこの世の中を裁かれている間は、私たち義人も色々と辛い思いをすることがあるかも知れません。
 
しかし、神様が現在の世界を叩き壊した後は、いずれ多くの人々が神様のもとに立ち返り、実際に私たち義人にとって理想的な世界が作り上げられていくでしょう。
 
神様がこの地球を創造し、人類を創造したのですから、神様にはそういったこと全てが可能です。
 
これらのことを信じて祈るなら、神様は必ず私たちのためにこれら全てのことを実現してくださいます。
  
 **********(転載ここまで)

 

この話の続きを知りたい方は、直接、有料記事をご購読ください。

 

 

聖なる神様。

ありがとうございます。


聖書とRAPTさんの「御言葉」のお陰で、このブログを、いくら言葉巧みに書き連ねても、そこに「神の愛」と、それを語るに相応しい高次元の霊を吹き込むことができなければ、それは虚しいもので終わってしまうことを悟りました。

 

私自身が、「神の愛」を語るに相応しい高次元の霊を獲得する者にならなければ、ただの「言葉の知恵」をひけらかすだけにしかならないのです。

 

真の「知恵のある人」にならなければ、神様が喜んでくださる取り組みにはならないのです。

 

どうか神様、愛を持って行う人になれるよう導いてください。

 

人間的に見て知恵のある者になるのではなく、神様の次元で知恵ある者となれますよう心から祈ります。

 

世の価値観に基づいた知恵ではなく、神様の価値観に基づいた知恵を獲得できますよう心から祈ります。

 

もっともっと、霊的レベルを引き上げて、自分の利得を優先させるのではなく、神様の喜ばれることを優先させる生き方を求めていく者となれますよう心から祈ります。

 

この世が、無神論の世界から神様を信じる世界へと変わっていくことを心から願います。
 
神様を信じることが当たり前の世界に変わっていくことを心から願います。

 

少しでも多くの人々が救われ、義人たちはどこまでも喜びに満たされ、感謝と希望に満たされて生きられますことを心から祈ります。

 
多くの人々が、RAPTさんこそが真の中心者であり、神に遣わされた人であることを心底悟れるようにしてください。


中心者の語る一言一言が宝だと思って学び、深く悟れるようにしてください。

 

全ての罪を悔い改めて「御言葉」に従って実践すれば、今この時代における神様の裁きに巻き込まれることなく、霊的にも肉的にも救われることを実感させてください。

 

RAPTさんが聖なる神様を体現し、私たちを導く希望の光となり、永遠に輝き続けられますことを心より祈ります。

 

私たち一人一人がRAPTさんの「御言葉」を通して、より一層自分の中を真理で充満させ、霊肉ともに成長して、神様の栄光を現す者となれますよう導いてください。

 

そして一刻も早く、私たち一人一人の祈りの力によって、悪人とサタンをことごとく滅ぼし、この世に義なる世界を打ち立てて、地上天国が成されますことを心から祈ります。

 

これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。

 

アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 

皆様に祝福がありますように。

 

(2023.12.10)