今回は、「ローマの信徒への手紙10章」の内容について考察したいと思います。

 

但し、充分慎重に考察する必要があることを肝に銘じたいと思います。

 

もし非真理を伝えてしまった時に、神様がお怒りになるのは勿論のこと、RAPTさんや十二弟子の皆さん及び兄弟姉妹の皆さんに、多大な迷惑をおかけすることになります。

 

ここは慎重に、自分の文章を何度も読み直して、できる限り非真理が混じることのないように努めていこうと思います。

 

どうか神様、このブログを書き進める中で、少しでも非真理が入り込んでしまった時は、すぐに気づくことができるように導いてください。

 

もし、非真理が混ざり込んでいたことに気がついた場合には、悔い改めてすぐに訂正します。

 

どうか私の霊魂を真理で充満させて、神様の御心に叶った文章が書けるよう導いてください。

 

神様の恵みと正しい導きがあることを信じて、ここから本題に入っていきたいと思います。

 

前回、このブログで「ローマの信徒への手紙 10章」の本文を掲載しましたので、その本文を傍らに置きながら皆様も、お付き合いの程よろしくお願いします。

 

「ローマの信徒への手紙10章」では、モーセの御言葉を引用しながら「万人の救い」について述べています。

 

(10章5〜13節)・・・

5モーセは、律法による義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と記しています。 

6しかし、信仰による義については、こう述べられています。

「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」

これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。 

7また、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。」

これは、キリストを死者の中から引き上げることになります。 

8では、何と言われているのだろうか。

「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」

これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。 

9口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。 

10実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。 

11聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。 

12ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。 

13「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。

・・・・・・・・・・・・

 

以上の聖句から、モーセは決して律法遵守だけを宣布していたわけではなく、「信仰による義」についても重要視していたことがわかります。

 

「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」(10章8節)

 

これはすなわち、神様と疎通した状態を示しているわけで、神様を愛した者だからこそ語り得る御言葉なのです。

 

逆に言うと、律法だけでは神様を身近に感じることはできず、常に心の中に神様を思い、祈りをとおして神様と会話することもないわけです。

 

つまり、律法だけでは神様を愛するまでに疎通することができないということです。

 

何故なら、律法に従うことができないが故に罪の意識が芽生え、神様を恐れる気持ちの方が増大することで、かえってサタンに支配されてしまう状況に陥ってしまうからです。

 

己の罪に対する後ろめたさが優先し、神様を愛し、神様のお側に寄り添いたいという気持ちから遠のいてしまうのです。

 

それに対して信仰は、神様に縋りつき、神様を常に身近に感じ、神様を心の底から愛することです。

 

信仰があるからこそ神様が私たちのすぐそばにおられることを感じることができ、信仰があるからこそ祈りをとおして神様と疎通することができるのです。

 

新約時代に、死者の中から復活したイエス・キリストこそが神であるとしたのも、神様をより身近な存在として人々の意識に植え付けるための神様による計らいだったと言えるのです。

 

どちらかと言うと旧約時代は、神様と人類の関係が律法という敷居によって近づき難いものになっておりましたが、イエス様の登場によって、神様に一歩近づき、より濃密に愛せるようになったのです。

 

だからパウロは、「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる」と主張するのです。

 

実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。(10章10節)

 

「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。(10章13節)

 

「救われる」とは、神様に祈り求め、神様と愛の関係で結ばれることであり、神様を呼び求めてサタンの誘惑や攻撃に打ち勝つことです。

 

しかし実際のところ、誰でもすぐに「救われる」わけではなく、まずは御言葉を聞くことから始まります。

 

RAPTさんやモーセ、イザヤのような神様から遣わされた方の福音を、まず聞くことから始めなければ「救われる」ことはないのです。

 

(10章14〜17節)・・・

14ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。

聞いたことのない方を、どうして信じられよう。

また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。 

15遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。

「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。 

16しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。

イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。 

17実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。

・・・・・・・・・・・・

 

そして、その福音は全世界に響き渡り、イスラエルだけでなく異邦人にも御言葉が浸透していくことになるわけですが、ここでパウロは、イスラエルに対する神様の心情を下記のように述べ伝えています。

 

(10章18〜21節)・・・

18それでは、尋ねよう。

彼らは聞いたことがなかったのだろうか。

もちろん聞いたのです。

「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。 

19それでは、尋ねよう。

イスラエルは分からなかったのだろうか。

このことについては、まずモーセが、「わたしは、わたしの民でない者のことであなたがたにねたみを起こさせ、愚かな民のことであなたがたを怒らせよう」と言っています。

20イザヤも大胆に、「わたしは、わたしを探さなかった者たちに見いだされ、わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」と言っています。 

21しかし、イスラエルについては、「わたしは、不従順で反抗する民に、一日中手を差し伸べた」と言っています。

・・・・・・・・・・・・

 

以上のように神様は、異邦人よりもイスラエルの方に手を差し伸べようとされていたことがわかります。

 

それだけ神様は、異邦人よりもイスラエルを愛していたということです。

 

にもかかわらず神様は、イスラエルに対してわざと妬みや怒りの感情を呼び起こすようにされたのです。

 

元々、イスラエルは神様の祝福を受けることのできる選ばれた民でありましたが、神様はその特別待遇をやめ、あえてイスラエル以外の異邦人の方にも祝福が与えられ、万人が救われるように方針転換されたのです。

 

何故なら、神様はイスラエルに対して「一日中手を差し伸べた」にもかかわらず、彼らは神様に背き、従順に従おうとしなかったからです。

 

彼らは、神様の愛に気づくことができず、かえって神様を悲しませるだけで、自らの過ちを糺すことができなかったからです。

 

これと同じことが今の日本にも言えるかと思います。

 

せっかく、RAPTさんが人類の救いのために「御言葉」を宣布されたにもかかわらず、日本人の多くは神様に立ち返ろうともせず、かえって「御言葉」を足蹴にするような過ちを犯してしまったのです。

 

神様が、RAPTさんをこの日本という国に遣わされたのも、日本人を特別視されていたからに他なりません。

 

RAPTさんの「御言葉」を日本語で理解できるようにされたのも、ある意味、日本人を特別に愛されていたからとも言えるわけです。

 

なのに肝心の日本人の多くが、その恩恵を感じることもなく、感謝するどころか、むしろ「御言葉」を足蹴にするとは、なんと不届きな態度でしょう。

 

今の悲惨な日本の状況を招いたのも、それが神様による報いであると見るのは穿ち過ぎでしょうか?

 

この悲惨な状況から逃れるには、神様に立ち返るしか方法はありません。

 

それは、私たち一人一人が「御言葉」に従順に従い、神様を愛することです。

 

心と思いと精神を尽くして神様を愛することです。

 

私たちの全ての過ちを悔い改め、人類が救われるよう神様に祈り求めることです。

 

2023年から神様の歴史が大きく動き出しています。

 

これからは、霊肉ともに成長させて、より一層自分の中を真理で充満させた者が幸福になり、逆に、霊肉を堕落させ、非真理の渦に巻き込まれた者は不幸になるということが、はっきりとわかる時代に入ったのです。

 

成約時代は、新約時代では成し得なかった地上天国を、現実のものにする時代です。

 

今こそ「万人の救い」を祈り求め、千年王国への道を一歩一歩、着実に踏み出して行こうではありませんか!

 

ここで、RAPTさんの「御言葉」を紹介させていただきます。

 

○RAPT有料記事721(2023年2月12日)2023年に入ると、人類に対する刑罰の期間が終わり、千年王国の時代に入る。千年王国の祝福に預かることができるように、心から全ての罪を悔い改め、希望をもって神様に近付いていきなさい。

 

 

この「御言葉」の冒頭部分だけを転載させていただきます。

 

ここから転載)**********

 

昨年2022年までは、神様が人類に対する刑罰の期間として定められ、人類全体がサタンの支配に服さなければなりませんでした。
 
しかし、2023年に入ってからは、神様がこの地上の支配権をサタンから奪い取り、直接、人類を治めてくださるようになりました。
 
そのため、2023年に入ってからは、悪を行う者に対する裁きがますます厳しくなり、実際、この世の中では悪人たちの行った悪事が次々と炙り出され、激しいバッシングの嵐に晒されています。
 
神様は、この地上を天国のような世界に作り替えようとされていますので、この地上から全ての悪を排除しようと強力に働いて下さっているのです。
 
今後、この流れはさらに加速し、悪人たちはいずれ肉体も精神も衰えて力を失い、これまでのように悪事を働くことは不可能になっていくでしょう。
 
そして、神様が直接この地を統治して下さっている以上、義を行う者に与えられる祝福はとてつもなく大きなものとなっていきます。
 
これから月日が経つと共に、悪人と義人の運命はますます真っ二つに分かれていくでしょう。
 
この御言葉を聞いている皆さん一人一人が、今この時代に神様の裁きに巻き込まれるのではなく、むしろ全ての罪を悔い改めて、豊かに義の条件を立て、豊かな祝福に満たされた生を生きられますことを心から祈ります。
 

**********(転載ここまで)

 

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聖なる神様。

ありがとうございます。


聖書とRAPTさんの「御言葉」のお陰で、新約時代に、死者の中から復活したイエス・キリストこそが神であるとしたのも、神様をより身近な存在として人々の意識に植え付けるための神様による計らいだったということを悟りました。

 

どちらかと言うと旧約時代は、神様と人類の関係が律法という敷居によって近づき難いものになっておりましたが、イエス様の登場によって、神様に一歩近づき、より濃密に愛せるようになったのです。

 

そして、2023年に入ってからは、神様がこの地上の支配権をサタンから奪い取り、直接、人類を治めてくださっていることも知りました。

 

これからの成約時代は、新約時代では成し得なかった地上天国を、現実のものにする時代です。

 

今こそ「万人の救い」を祈り求め、千年王国への道を一歩一歩、着実に踏み出して行く時です。

 

どうか神様。

 

私たち一人一人が、今この時代に神様の裁きに巻き込まれるのではなく、むしろ全ての罪を悔い改めて、豊かに義の条件を立て、豊かな祝福に満たされた生を生きられますことを心から祈ります。

 

「御言葉」を実践すればするほど、神様の祝福を感じ取ることができ、神様に守っていただいていることを実感し、不安や心配から解放されることを世の人々に伝えることができるように導いてください。


 中心者RAPTさんを信仰の模範とし、「御言葉」に従順となり、24時間絶え間なく神様のことを思い続け、神様を一筋の心で愛する者となれますよう心から祈ります。


私も含め多くの人々が、RAPTさんこそが真の中心者であり、神に遣わされた人であることを心底悟れるようにしてください。


中心者の語る一言一言が宝だと思って学び、深く悟れるようにしてください。

 

全ての罪を悔い改めて「御言葉」に従って実践すれば、霊的にも肉的にも救われることを実感させてください。

 

RAPTさんが聖なる神様を体現し、私たちを導く希望の光となり、永遠に輝き続けられますことを心より祈ります。

 

私たち一人一人がRAPTさんの「御言葉」を通して、より一層自分の中を真理で充満させ、霊肉ともに成長して、神様の栄光を現す者となれますよう導いてください。

 

そして一刻も早く、私たち一人一人の祈りの力によって、悪人とサタンをことごとく滅ぼし、この世に義なる世界を打ち立てて、地上天国が成されますことを心から祈ります。

 

これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。

 

アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 

皆様に祝福がありますように。

 

(2023.10.17)