前回は、『新約聖書』に掲載されている「ローマの信徒への手紙5章」について考察しました。

 

聖書を読む目的は、御言葉を実践に繋げていくためです。

 

単に、知識を得るためだけに終わってしまっては、宝の持ち腐れになってしまいます。

 

聖書を読むことによって、如何に実践に繋げ、如何に自分の信仰に深みを与えていくかが重要になってきます。

 

単に、物語や歴史的事象を読み解くだけに満足してはいけないのです。

 

如何に己の信仰に活かし、実践していけるかが重要なのです。

 

そのことを、常日頃から教えてくださっているのがRAPTさんです。

 

○RAPT有料記事762(2023年7月29日)全てのよこしまな心をなくし、神様をまっすぐに一筋の心で愛してこそ、真理を無限に悟り、吸収し、サタンに完全に勝利し、偉大な大使徒へと成長できる。

 

 

そのことを念頭に置きながら、今後も聖書紹介に挑んでいきたいと思います。


そこで、今回は、「ローマの信徒への手紙6章」の本文を紹介したいと思います。

 

本書簡の中心テーマはイエス・キリストへの信仰を通して得られる救いです。

 

パウロは、ユダヤ人にも異邦人にも己の驕り高ぶりを戒め、イエス様の教えに立ち返るように求め、人が義と決定させられるのは,神様の恩寵のみによることを力説しています。

 

以下は、「ローマの信徒への手紙6章」の本文のみを掲載することに留め、6章の内容についての考察は、次回、このブログで触れることにしたいと思います。

 

(新約聖書〈新共同訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ローマの信徒への手紙 6

罪に死に、キリストに生きる

1では、どういうことになるのか。

恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。 

2決してそうではない。

罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。 

3それともあなたがたは知らないのですか。

キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。 

4わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。

それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。 

5もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。 

6わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。 

7死んだ者は、罪から解放されています。 

8わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。 

9そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。

死は、もはやキリストを支配しません。 

10キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。 

11このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

12従って、あなたがたの死ぬべき体を罪に支配させて、体の欲望に従うようなことがあってはなりません。 

13また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。

かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。 

14なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。

あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。

 

義の奴隷

15では、どうなのか。わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。

決してそうではない。 

16知らないのですか。

あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。

つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。 

17しかし、神に感謝します。

あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、18罪から解放され、義に仕えるようになりました。 

19あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。

かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。 

20あなたがたは、罪の奴隷であったときは、義に対しては自由の身でした。 

21では、そのころ、どんな実りがありましたか。

あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。

それらの行き着くところは、死にほかならない。 

22あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。

行き着くところは、永遠の命です。 

23罪が支払う報酬は死です。

しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ローマの信徒への手紙6章より)

 

 

皆様に祝福がありますように。

 

(2023.9.13)