前回は、『新約聖書』に掲載されている「ローマの信徒への手紙4章」について考察しました。

 

聖書を読む目的は、御言葉を実践に繋げていくためです。

 

単に、知識を得るためだけに終わってしまっては、宝の持ち腐れになってしまいます。

 

聖書を読むことによって、如何に実践に繋げ、如何に自分の信仰に深みを与えていくかが重要になってきます。

 

単に、物語や歴史的事象を読み解くだけに満足してはいけないのです。

 

如何に己の信仰に活かし、実践していけるかが重要なのです。

 

そのことを、常日頃から教えてくださっているのがRAPTさんです。

 

○RAPT有料記事762(2023年7月29日)全てのよこしまな心をなくし、神様をまっすぐに一筋の心で愛してこそ、真理を無限に悟り、吸収し、サタンに完全に勝利し、偉大な大使徒へと成長できる。

 

 

そのことを念頭に置きながら、今後も聖書紹介に挑んでいきたいと思います。


そこで、今回は、「ローマの信徒への手紙5章」の本文を紹介したいと思います。

 

本書簡の中心テーマはイエス・キリストへの信仰を通して得られる救いです。

 

パウロは、ユダヤ人にも異邦人にも己の驕り高ぶりを戒め、イエス様の教えに立ち返るように求め、人が義と決定させられるのは,神様の恩寵のみによることを力説しています。

 

以下は、「ローマの信徒への手紙5章」の本文のみを掲載することに留め、5章の内容についての考察は、次回、このブログで触れることにしたいと思います。

 

(新約聖書〈新共同訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ローマの信徒への手紙 5

信仰によって義とされて

1このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、2このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 

3そればかりでなく、苦難をも誇りとします。

わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、4忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 

5希望はわたしたちを欺くことがありません。

わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。 

6実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。 

7正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。

善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。 

8しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。 

9それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 

10敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。 

11それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。

今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。

 

アダムとキリスト

12このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。

すべての人が罪を犯したからです。 

13律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。 

14しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。

実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。

15しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。

一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。 

16この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。

裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。 

17一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。

18そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。 

19一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。 

20律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。

しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。 

21こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ローマの信徒への手紙5章より)

 

 

皆様に祝福がありますように。

 

(2023.9.5)