前回は、『旧約聖書続編』の最後尾に掲載されている「マナセの祈り」の内容について考察しました。
これまで、このブログで紹介してきたのは、
「箴言」「コレへトの言葉」「雅歌」「イザヤ書」「エレミヤ書」「哀歌」「エゼキエル書」「ダニエル書」「ホセア書」「ヨエル書」「アモス書」「オバディア書」「ヨナ書」「ミカ書」「ナホム書」「ハバクク書」「ゼファニヤ書」「ハガイ書」「ゼカリヤ書」「マラキ書」「知恵の書」「シラ書」「バルク書」「エレミヤの手紙」「マナセの祈り」
といった預言者や悟りを得た人の御言葉を中心に取り上げてきました。
何故なら、彼らの書いた聖句を読むことによって、如何に彼らが神様と疎通し、何を一番大切にしてきたのか、彼らの思考と心情を汲み取りたかったからです。
そして、彼らの思考と心情を汲み取ることによって、私自身の実践に活かし、信仰生活に深みを与えてくれるのではないかと思ったからです。
聖書を読む目的は、御言葉を実践に繋げていくためです。
単に、知識を得るためだけに終わってしまっては、宝の持ち腐れになってしまいます。
聖書を読むことによって、如何に実践に繋げ、如何に自分の信仰に深みを与えていくかが重要になってきます。
まだまだ『旧約聖書』には、紹介すべき宝が眠っているとは思うのですが、ややもすると聖書中の物語や歴史上の出来事をなぞるだけに時間を費やしてしまいかねません。
なので、一旦『旧約聖書』から離れ、今回からは『新約聖書』の紹介に移りたいと思います。
繰り返しになりますが、私は聖書を研究する学者になるために読むわけではないのです。
単に、物語や歴史的事象を読み解くだけに満足してはいけないのです。
如何に己の信仰に活かし、実践していけるかが重要なのです。
そのことを、常日頃から教えてくださっているのがRAPTさんです。
○RAPT有料記事762(2023年7月29日)全てのよこしまな心をなくし、神様をまっすぐに一筋の心で愛してこそ、真理を無限に悟り、吸収し、サタンに完全に勝利し、偉大な大使徒へと成長できる。
そのことを念頭に置きながら、今後も聖書紹介に挑んでいきたいと思いますので、お付き合いの程よろしくお願いします。
このブログで紹介しきれていない『旧約聖書』の読み解きについては、読者諸氏に委ねることにし、さっそく今から『新約聖書』の紹介に移りたいと思います。
そこで、これから取り上げるのは、「ローマの信徒への手紙」です。
Wikipediaによると、「ローマの信徒への手紙」は使徒パウロの手によって書かれたものであるとみなされている七つの手紙の一つです。
書簡中には執筆時期をうかがわせる記述はありませんが、おそらくパウロがエルサレム教会のための募金を行い、「聖なるものたちに仕えるために」エルサレムを訪問しようとしていた頃、すなわち第二回ギリシア訪問の頃で、58年初頭のローマ訪問の直前の冬であろうと考えられています。
当時、ローマには多数のユダヤ人が在住しており、ローマ市民はユダヤ人をとおしてイエス様について知るようになったと考えられます。
そして、ユダヤ人と異邦人からなるローマのキリスト者共同体が生まれ、信徒の数も増え、集会の場所も複数あったとされています。
パウロが本書簡を執筆した動機は15章の後半に書かれています。
それによれば
- 小アジアで集めた募金を渡すためのエルサレム訪問にあたって、ローマの信徒たちの祈りを頼みたい
- エルサレム訪問後はローマ滞在を経てイスパニアに向かうという計画を伝えておきたい
- パウロはローマを訪れたことがないので、偽教師によって信徒たちが混乱しないように、書簡を通して真の教えを伝えておきたい
- パウロがローマの共同体でユダヤ人と異邦人がうまくいっていないことに気づいているので、それを糺しておきたい
というパウロの心情が書簡から読み取れます。
もともとローマの共同体はユダヤ人キリスト教徒によって設立されましたが、49年のクラウディウス帝によるユダヤ人のローマ追放政策により、異邦人キリスト教徒が主導権を握るようになったのが、対立関係を生み出したそもそもの原因です。
54年にクラウディウス帝が死去してユダヤ人がローマに戻ってくると、ユダヤ教の習慣の遵守をめぐっての争いが起きるようになったのです。
本書簡の中心テーマはイエス・キリストへの信仰を通して得られる救いです。
パウロは、ユダヤ人にも異邦人にも己の驕り高ぶりを戒め、イエス様の教えに立ち返るように求め、人が義と決定させられるのは,神様の恩寵のみによることを力説しています。
以下は、「ローマの信徒への手紙 1章」の本文のみを掲載することに留め、1章の内容についての考察は、次回、このブログで触れることにしたいと思います。
(旧約聖書続編〈新共同訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ローマの信徒への手紙 1
挨拶
1キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、
―― 2この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、3御子に関するものです。
御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、4聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。
この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
5わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。
6この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――
7神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。
わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
ローマ訪問の願い
8まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。
あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
9わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。
その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、10何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。
11あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。
12あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。
13兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。
ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。
14わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。
15それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。
福音の力
16わたしは福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
17福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。
「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
人類の罪
18不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
19なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。
神がそれを示されたのです。
20世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。
従って、彼らには弁解の余地がありません。
21なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
22自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、23滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。
24そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
25神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。
造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。
26それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。
女は自然の関係を自然にもとるものに変え、27同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。
28彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。
29あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、30人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、31無知、不誠実、無情、無慈悲です。
32彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ローマの信徒への手紙 1章より)
皆様に祝福がありますように。
(2023.8.2)