前回は、「ユディト記 13〜14章」を紹介しました。

 

そして、もうこれ以上「ユディト記」を紹介するのは止めようと決心しました。

 

文学・絵画・音楽・映画などの分野において、様々な芸術家たちが、何故この「ユディト記」を題材にしているのか?

 

それは、ユディトの魔性を伴った清純さに惹かれる所があるからではないでしょうか?

 

彼ら芸術家にとって、善と悪、美と醜、明と暗、聖と俗…といった相矛盾するものが同居しているもの程、恰好な材料はないのです。

 

相矛盾するものがあればある程、混沌とした不条理な世界が生まれます。

 

魔性を背負った聖女という設定ほど、矛盾に満ちた不条理なものはありません。

 

混沌とした不条理な世界とは、秩序の無い世界であり、神のいない世界です。

 

これは、いかにもイルミナティ側の好みそうな設定となっています。

 

彼らは、矛盾に満ちた不条理な世界で人々を混迷に陥れることを好むサタンです。

 

過去から現在に至るまで、世の人々にもてはやされて来た芸術家のほとんどは、イルミナティ・サタンの雇われ職人です。

 

著名な芸術家の多くは、イルミナティ・サタンに魂を売った連中と言っても過言ではないでしょう。

 

そんな彼らが「ユディト記」を好んで取り上げているのですから、やはりここは警戒する必要があるのです。

 

矛盾に満ちた不条理な世界を映し出しているという点で、イルミナティ・サタン側に与することにならないでしょうか?

 

敬虔な信仰者で、善なる人が、悪の中でも最も卑劣な行為である殺人を行なって良いものでしょうか?

 

殺人を行なった段階で、その善なる人は、悪の道へと急降下し、もはや善人ではなく、悪人へと化してしまうのではないでしょうか?

 

殺人を犯したユディトの罪は、裁かれることはないのでしょうか?

 

これらの疑問を払拭しない限り、私はこの「ユディト記」をこれ以上紹介する気が起こらなくなりました。

 

なので、今日からは「知恵の書」の紹介に移りたいと思います。

 

その前に、まず「私の祈り」から入りたいと思います。

 

最初にお祈りの言葉を唱えてから、その後で聖書を読んでいくというスタイルは、これまでと一緒ですので、お付き合いの程よろしくお願いします。

 

 

では、今からお祈りします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

聖なる神さま。

今日もこうして神さまにお祈りし、朝を迎えることができることに感謝します。

 

RAPTさんの「御言葉」から神霊な波長を受けて、神さまの御心に立ち返る機会を与えていただき、本当にありがとうございます。

 

この「終わりの時」に、サタンの悪あがきによる妨害が多少なりともあるかもしれませんが、これからも聖書紹介に果敢に挑み続け、サタンとこの世の悪人を滅ぼし、勝利することができますよう心から祈ります。

 

そこで、まず最初に「知恵の書」の概要について触れておきましょう。

 

Wikipediaによると、『知恵の書』(ちえのしょ)は、カトリック教会と正教会は旧約聖書に含めるが、プロテスタントでは含まず、ユダヤ教でも外典として扱っている書物のうちの一つです。

 

ソロモンの知恵』とも言われ、内容分析からアレキサンドリアで紀元前1世紀ごろ記されたと考えられています。

 

イスラエルの歴史を振り返りながら、知恵が常に存在していたことを、知恵を擬人化しながら述べているのが特徴です。

 

知恵文学の一つとして位置付けられている「知恵の書」を、これからじっくりと味わいながら読み進めて行きたいと思います。

 

そこで、今回私が興味を持ったのは、以下の行です。

 

(1章8〜11節)ーーー

8それゆえ、不義の言葉を口にする者は身を隠すことができず、義の懲罰を逃れることもできない。

9神を信じない者のたくらみは暴かれ、その言葉は主の耳に達し、その不法は懲らしめられる。

10熱情の神はすべてに耳をそばだて、不信のつぶやきを聞き漏らされない。

11だから、無意味な不平を鳴らさず、悪口を慎め。

ひそかなつぶやきもただでは済まされず、偽りを言う口は魂を滅ぼす。

ーーーーーーーーーーー

 

この行は、言葉と霊魂の関係を示す御教えです。

 

「不義の言葉を口にする者は身を隠すことができず、義の懲罰を逃れることもできない」と宣告されています。

 

「不義」とは、神様を信じず、神様の御心に反する言動を指します。

 

そして、「不信のつぶやき」や「無意味な不平」、「悪口」、「偽りを言う口」は、たとえ密かなつぶやきであっても、神様の耳に達し、何んらかの懲罰を受けることになるというのです。

 

つまり、実際に言葉を発しなくても、心の中で「不義の言葉」をつぶやいただけでも罪であり、霊魂を貶めることになるのです。

 

私自身、信仰を持つまでは、そのような言葉と霊魂の関係について、深く考えたこともなく、軽率な言動を繰り返して来たように思います。

 

表向きは、さも善人づらして、紳士的な振る舞いを装っておりますが、心の中は、ドロドロとした汚れた言葉と醜悪な想念で埋め尽くされている状態でした。

 

醜悪な想念とは、神様の心情を逆撫でするような低次元の霊に支配された心の状態を指します。

 

霊には、高次元の霊と低次元の霊があるわけですが、これについてRAPTさんは、「御言葉」で次のように述べられておられます。

 

ここから転載)**********

 

神様はこれまで私たちに対して、常にご自身に意識を向けて生活するようにと仰ってきました。
 
私たちが意識を向ける人のところに、私たちの霊魂が実際に行き、その人から強い影響を受けるようになるからです。
 
つまり、私たちが神様に意識を向けるなら、私たちの霊魂は神様の霊から影響を受けますが、私たちがこの世の人々に意識を向けるなら、私たちの霊魂はこの世の人たちの霊から影響を受けることになるのです。
 
そして、神様の霊から影響を受けるなら、私たちの霊魂はより高い次元に上っていくことができますが、この世の人々の霊から影響を受けるなら、私たちの霊魂はより低い次元に墜ちていきます。
 
そして、もし私たちの霊魂が低い次元に墜ちいていくなら、私たちはいずれ救いも恵みも失って、アダムとエバと同じように地獄のような生を生きることを余儀なくされます。
 
私たちはより高い次元に上って、神様に似た者となり、永遠の救いと祝福を手にすることができるように、常に神様に意識を向け、神様に意識を集中して生きていかなくてはいけません。
 
そのようにして、この世で頭角を現し、神様の栄光をこの地に輝かせ、主の御心を成していく者とならなければなりません。
 

**********(転載ここまで)

 

 

以前の私は、世の法律に引っかかるような悪事を行わなければ、たとえ心の中が汚れた言葉と低次元の霊で埋め尽くされたとしても、それは罪にはならないと思っていました。

 

しかし、神様の御前では、それらは全てお見通しで、罪と見做されます。

 

心の中で想うだけでもいけないのです。

 

神の法においては、心の中が低次元の霊に支配されることも罪なのです。

 

心の中に「不信のつぶやき」や「無意味な不平」、「悪口」、「偽りを言う口」が入り込んだ途端、低次元の霊に支配されてしまいます。

 

だから、そうならないためには、少なくとも心の中に「不信のつぶやき」や「無意味な不平」、「悪口」、「偽りを言う口」が入り込まないようにしなければなりません。

 

一番良い方法は、それとは逆のことをすれば良いのです。

 

「不信のつぶやき」の反対は、神様を信じて祈ることです。

 

「無意味な不平」の反対は、神様に感謝することです。

 

「悪口」の反対は、神様を賛美することです。

 

「偽りを言う口」の反対は、真実を述べることであり、神様の御言葉を伝導することです。

 

つまり、「祈り」「感謝」「賛美」「伝導」を言葉を使って行うのです。

 

しかし、実際に「祈り」「感謝」「賛美」「伝導」を言葉を使って行おうとしても、神様に関する知識がなければ、「祈り」も「感謝」も「賛美」も「伝導」も、できるものではありません。

 

そのためには、神様のことを学び、神様に通じる語彙を増やすことです。

 

神様のことを知り、神様に通じる語彙を知ることによって、「祈り」「感謝」「賛美」「伝導」ができるのです。

 

そこで必要なのが、「聖書」と「御言葉」です。

 

「聖書」と「御言葉」を学ぶことによって、神様のことを知り、神様に通じる語彙を増やしていくのです。

 

以上のことを行えば、低次元の霊に侵されることなく、むしろ、高次元の霊で満たされます。

 

高次元の霊とは、聖霊のことです。

 

心の中が、聖霊で満たされることが、罪から逃れ、神様と疎通し、神様に喜んでいただけることなのです。

 

私は、このことをRAPTさんの「御言葉」から学びました。

 

RAPTさんは、24時間、聖霊で満たされることの重要性を、あらゆる角度から具体的に説いておられますので、直接、ご視聴されることを薦めます。

 

○RAPT有料記事698(2022年11月14日)

毎日24時間、常に聖霊に満たされて生きられる人が、天国に入れるという保証を手に入れた人だ。そのような人がこの地上でも天国のような生を生き、死んだ後も確実に天国に入ることができる。

 

○RAPT有料記事699(2022年11月21日)

どんな組織においても、組織のトップと仲良くなれば、その後の人生が安泰であるように、天と地のトップである神と仲良くなれば、その人はこの世でもあの世でも何ら心配することなく、全てに満たされて生きられる。

 

○RAPT有料記事700(2022年11月26日)

あなたがこの世に生まれてきたのは、あなたの霊魂を成長させて天国に入るためだ。それがあなたの人生の最終ゴールだ。

 

○ RAPT有料記事485(2020年7月27日)

自分自身が聖霊で満たされると、自分の住む地域も聖霊に満たされていく。そのようにしてサタンを滅ぼし、多くの人々が救いに導かれるようにしなさい。

 

 

 

聖なる神様。

RAPTさんの「御言葉」こそが、真の指導者の預言であることを、もっと多くの人々に伝わるよう導いてください。

 

世界中の人々が、RAPTさんの「御言葉」を真摯に受け入れ、真理と愛に目覚め、サタンの呪縛から解き放たれ、救われますことを心から祈ります。

 

この「終わりの時」に、大バビロンである中国共産党が完全に滅び去り、聖書の歴史がしっかりと締めくくられますことを切に願います。


そして、神様の歴史を妨害する者たち全てが裁かれ、滅び去り、千年王国の歴史が壮大に、雄大に成されますことを切に願います。


全ての兄弟姉妹が、神様としっかりと愛を成して結ばれ、中心者・兄弟姉妹とも互いに愛を成して、愛に満たされた地上天国を作り、それによって真の幸福を享受して生きられますよう心から祈ります。


今というこの時が、どれほど重大な時であるかを悟り、よりいっそう気を引き締めて、神様の歴史のために、中心者のために、これまで以上に熱く祈り求めることができますよう導いてください。


中心者の語る一言一言が宝だと思って学び、深く悟れるようにしてください。

 

神様が用意して下さった救いと祝福を余すことなく受けることができるように、「御言葉」を悟らせてください。

 

御言葉」に従って実践すればする程、神様から祝福され、聖霊に満たされることを実感させてください。

 

RAPTさんが聖なる神様を体現し、私たちを導く希望の光となり、永遠に輝き続けられますことを心より祈ります。

 

これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。

 

アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

それでは次に、「知恵の書 1〜2章」を紹介します。

 

(旧約聖書続編〈新共同訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

知恵の書 1章

 

義を愛せよ

1国を治める者たちよ、義を愛せよ、

善良な心で主を思い、

素直な心で主を求めよ。

2主を試すことをしない人は主を見いだし、

不信を抱かない人に主は御自身を示される。

3よこしまな考えは人を神から遠ざけ、

主の力は、試そうとする愚か者の罪深さを暴く。

4知恵は悪を行う魂には入らず、

罪のとりこになっている体には住み着かない。

5人を教え導く聖なる霊は、偽りを避け、

愚かな考えからは遠ざかり、

不正に出会えばそれを嫌う。

 

神は人の言葉を知り尽くしておられる

6知恵は人間を慈しむ霊である。

しかし、神を汚す者を赦さない。

神は人の思いを知り、

心を正しく見抜き、

人の言葉をすべて聞いておられる。

7主の霊は全地に満ち、

すべてをつかさどり、

あらゆる言葉を知っておられる。

8それゆえ、不義の言葉を口にする者は

身を隠すことができず、

義の懲罰を逃れることもできない。

9神を信じない者のたくらみは暴かれ、

その言葉は主の耳に達し、

その不法は懲らしめられる。

10熱情の神はすべてに耳をそばだて、

不信のつぶやきを聞き漏らされない。

11だから、無意味な不平を鳴らさず、

悪口を慎め。

ひそかなつぶやきもただでは済まされず、

偽りを言う口は魂を滅ぼす。

 

死は罪の結果

12道を踏み外して死を招くな。

自分たちの手の業で滅びを引き寄せるな。

13神が死を造られたわけではなく、

命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。

14生かすためにこそ神は万物をお造りになった。

世にある造られた物は価値がある。

滅びをもたらす毒はその中になく、

陰府がこの世を支配することもない。

15義は不滅である。

16神を信じない者は言葉と行いで自らに死を招き、

死を仲間と見なして身を滅ぼす。

すなわち、死と契約を結んだのだ。

死の仲間としてふさわしい者だから。

 

 

知恵の書 2章

 

神を信じない者の人生観

1彼らはこう言い合うが、その考えは誤っている。

「我々の一生は短く、労苦に満ちていて、

人生の終わりには死に打ち勝つすべがない。

我々の知るかぎり、

陰府から戻って来た人はいない。

2我々は偶然に生まれ、

死ねば、まるで存在しなかったかのようになる。

鼻から出る息は煙にすぎず、

人の考えは心臓の鼓動から出る火花にすぎない。

3それが消えると体は灰になり、

魂も軽い空気のように消えうせる。

4我々の名は時とともに忘れられ、

だれも我々の業を思い出してはくれない。

我々の一生は薄れゆく雲のように過ぎ去り、

霧のように散らされてしまう。

太陽の光に押しのけられ、

その熱に解かされてしまう。

5我々の年月は影のように過ぎ行き、

死が迫るときには、手のつけようがない。

死の刻印を押されたら、取り返しがつかない。

6だからこそ目の前にある良いものを楽しみ、

青春の情熱を燃やしこの世のものをむさぼろう。

7高価な酒を味わい、香料を身につけよう。

春の花を心行くまで楽しむのだ。

8咲き初めたばらがしおれぬうちに、

その花の冠をつけよう。

9野外の至るところでばか騒ぎをし、

どこにでも歓楽の跡を残そう。

これこそ我々の本領であり、定めなのだ。

10神に従っているあの貧しい者たちを虐げよう。

寡婦だからといって容赦しない。

白髪をいただく老人も敬いはしない。

11力をこそ、義の尺度とするのだ。

弱さなど、何の役にも立たないから。

12神に従う人は邪魔だから、だまして陥れよう。

我々のすることに反対し、

律法に背くといって我々をとがめ

教訓に反するといって非難するのだから。

13神に従う人は、神を知っていると公言し、

自らを主の僕と呼んでいる。

14彼らの存在は我々の考えをとがめだてる。

だから、見るだけで気が重くなる。

15その生き方が他の者とは異なり、

その行動も変わっているからだ。

16我々を偽り者と見なし、

汚れを避けるかのように我々の道を遠ざかる。

神に従う人の最期は幸せだと言い、

神が自分の父であると豪語する。

17それなら彼の言葉が真実かどうか見てやろう。

生涯の終わりに何が起こるかを確かめよう。

18本当に彼が神の子なら、助けてもらえるはずだ。

敵の手から救い出されるはずだ。

19暴力と責め苦を加えて彼を試してみよう。

その寛容ぶりを知るために、

悪への忍耐ぶりを試みるために。

20彼を不名誉な死に追いやろう。

彼の言葉どおりなら、神の助けがあるはずだ。」

21神を信じない者はこのように考える。

だが、それは間違っている。

悪に目がくらんでいるのだ。

22彼らは神の奥深い御旨を知らず、

清い生活がもたらす報いを期待せず、

汚れない魂の受ける誉れをも認めない。

23神は人間を不滅な者として創造し、

御自分の本性の似姿として造られた。

24悪魔のねたみによって死がこの世に入り、

悪魔の仲間に属する者が死を味わうのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(知恵の書 1〜2章より)

 

皆様に祝福がありますように。

 

(2022.12.26)