前回は、「エゼキエル書 41〜42章」を紹介しました。
今回は、「エゼキエル書 43〜44章」を紹介したいと思います。
その前に、まず「私の祈り」から入りたいと思います。
そして、「私の祈り」の中に、紹介したい聖書の章に出てくる「5つのキーワード」(マーカーで印)を含ませておきます。
聖書の紹介は、穴埋め問題形式にしますので、正解となる言葉を知りたい時は、「私の祈り」に出てくる「5つのキーワード」の中から探しだしてください。
最初にお祈りの言葉を唱えてから、その後で聖書を読んでいくというスタイルは、これまでと一緒ですので、お付き合いの程よろしくお願いします。
では、今からお祈りします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
聖なる神さま。
今日もこうして神さまにお祈りし、朝を迎えることができることに感謝します。
そして、RAPTさんの「御言葉」から神霊な波長を受けて、神さまの御心に立ち返る機会を与えていただき、本当にありがとうございます。
エゼキエル書40章からは、エゼキエルがイスラエルの地で見た幻を事細かく記されている内容で占められます。
そこには、麻のひもと測りざおを持っている番人?がいて、彼は神殿のあらゆる箇所を計測しながらエゼキエルを案内するのです。
エゼキエルが見た幻は、サタンに勝利した後の繁栄と祝福に満たされた世界を神殿のある情景を通して現しているのだと思います。
そしてエゼキエル43章からは、神様によって人々が救われるための条件(神様との和解を果たすための贖い)を具体的に示す内容になっています。
どんな条件が示されているのか、簡単にまとめると以下のようになります。
① 民も王たちも、もう二度と、淫行や高き所の王たちの死体で、神様の聖なる名を汚さないこと。つまり、淫らな行いをする悪魔崇拝や神様に裁かれた王達のようにもうこれ以上、反きの罪を犯すなということ。(43章7節)
② エゼキエルが示した全ての構造と定めとを守って神殿を造ること。(43章11節)
③ 唯一、神様に近づくことができるツァドクの子孫のレビ人の祭司たちに、罪のためのいけにえ(雄牛、雄やぎ、雄羊)を与え、祭司たちは祭壇の上で、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげること。(43章19〜27節)
④ 心にも肉体にも割礼を受けていない外国人は、神様の聖所に入らないこと。つまり、神様の律法に従おうとしない者は排除するということ。(44章9節)
⑤ 祭司は神様の聖所に入り、祭司としての礼儀作法を遵守し、神様に仕えるための任務を果たすこと。(44章16〜31節)
以上、大きくまとめると①〜⑤の条件が書かれています。
ここで思うことは、旧約聖書と新約聖書との違いについてです。
特に、②〜⑤については、旧約聖書独特の世界観が盛り込まれており、新約聖書では、少し違った捉え方がされています。
ざっくりした言い方ですが、旧約聖書の方は「型」が重視され、信仰者の「霊性」よりも律法という「型」を遵守させることの方に重きをおいています。
それに対して、新約聖書の方は「霊性」が重視され、律法という「型」よりも信仰者の「霊性」を高めて行くことの方に重きをおいていると言って良いでしょう。
例えば、②の神殿については、新約聖書では「信仰者自身が神様が降臨される神殿としてふさわしい器になる」という考え方があり、己の身体こそが神殿になれば良いという思想を持っています。
あくまでも霊魂を清めて行くことが重要であり、物理的に神殿を建設するということには消極的なように感じます。
また、③の生贄を捧げることに関しては、新約聖書では「イエス様が私たち人類救済のために十字架に架けられたことが究極の生贄であり、それによって神様との和解が成立した」とし、旧約聖書に書かれているような儀式的な生贄は必要が無いという考え方です。
つまり、究極の生贄と成られたイエス様を信仰することで神様と和解し、「霊性」を高めて行くことの方にシフトして行ったと言って良いでしょう。
よって新約時代からは、生贄の代わりに「祈り」を捧げることの方が重視されるようになったのです。
④の割礼を受けていない外国人に関しては、新約聖書では「己の罪に対して心から悔い改めた者は救われる」とし、肉的に割礼を受けているかどうかが問題では無く、内的に洗礼を受け、霊魂を清めようとする者であれば、外国人であっても許諾されるという考え方です。
⑤の祭司に関しては、新約聖書では「信仰者一人ひとりがイエス様に祈り求め、イエス様を信仰することで神様との和解に至ることができる」とし、旧約聖書に出て来るような儀式に則って行うような祭司的な存在に頼って、神様との和解を図るというような事はしません。
このように、新約聖書と旧約聖書の捉え方の違いを知った上で、エゼキエル43〜44章
を読み進めて行きたいと思います。
今回、私が興味を持ったのは、次の行です。
(43章27節)ーーー
この期間が終わり、八日目と、その後は、祭司たちが祭壇の上で、あなたがたの全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげなければならない。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れる。—神である主の御告げ—
ーーーーーーーーーー
この行は、ハルマゲドンを終えた後、人類が神様と和解し、千年王国を成すために必要な条件を取り上げています。
「祭司」「いけにえ」という言葉が示すように、先に述べた①〜⑤の条件の内、③と⑤に関係する内容となっています。
つまり、新約聖書では古臭く、あまり重要視されない側面が描かれている箇所です。
だとしたら、キリスト教の信仰者にとって、この箇所は取るに足らない余計な一文とみなして、スルーするだけで良いのでしょうか?
私は、そうは思いません。
27章の末尾に「ー神である主の御告げー」と記されている以上、無視するわけにはいかないのです。
成約時代に入った今、成約時代にふさわしい形でこの箇所を読み解いていく必要があると思うのです。
特に、「全焼のいけにえ」と「和解のいけにえ」については、慎重に読み解く必要があろうかと思います。
先の③の所で述べたように、新約時代からは、生贄の代わりに「祈り」を捧げることの方が重視されるようになったわけですから、「いけにえ」を「祈り」という言葉に置き換えることができます。
では、「全焼」と「和解」の意味にについては、どう捉えたら良いでしょうか?
ここから述べることは、あくまでも私個人の見解ですので、もし間違っていたらお許しください。
「全焼」とは、「全ての罪を焼き尽くす」という意味合いがあると思います。
そして、そこからさらに「全ての悪を滅ぼす」という意味にも繋がってきます。
成約時代に生きる私たちにとって、最も滅ぼしたい悪は、イルミナティの最後の砦である中国共産党です。
彼らこそ悪の権化であり、この世に蔓延る悪の大本と言って良いでしょう。
よって、「全焼のいけにえを捧げる」とは、「悪の権化である中国共産党の滅びを祈り求める」というように言い換えても良いのではないでしょうか?
次に、「和解」の意味についてはどうでしょうか?
これについては、先の③でも触れたように、究極の生贄と成られたイエス様を信仰することを通して神様と和解することができるという考え方があります。
新約時代としては、そこまでが精一杯だったのかもしれませんが、正直、完全なる和解ではなかったと言えるのでは無いでしょうか?
つまり、己の罪を悔い改め、神様と御子であるイエス様を受け入れる信仰だけでは不十分だということです。
成約時代にふさわしい、完全なる和解と完全なる愛を祈り求める必要があると思うのです。
そのためには、聖霊様の存在が不可欠です。
これからの信仰は、聖三位(神様・御子様・聖霊様)を全て受け入れ、完全なる和解と完全なる愛を祈り求めることが重要になって来ると思うのです。
よって、「和解のいけにえを捧げる」とは、「己の罪を悔い改め、聖三位(神様・御子様・聖霊様)を受け入れ、人類救済のために祈り求める」というように言い換えても良いのではないでしょうか?
以上のことを踏まえて、今回取り上げた行について、言葉の置き換えを試みてみます。
「この期間」→「ハルマゲドン」
「八日目とその後は」→「霊魂を清め、御言葉から神霊な波長を受けた後は」
「祭司」→「信仰者一人ひとり」
「祭壇の上」→「祈りの中」
「全焼のいけにえ」→「悪の権化である中国共産党の滅びを祈ること」
「和解のいけにえ」→「己の罪を悔い改め、聖三位(神様・御子様・聖霊様)を受け入れ、人類救済のために祈り求めること」
このように、成約時代にふさわしい言葉に置き換えて(43章27節)を読み解くと、以下のようになります。
(43章27節の読み替え)ーーー
ハルマゲドンが終わり、霊魂を清め、御言葉から神霊な波長を受けた後は、信仰者一人一人が祈りの中で、悪の権化である中国共産党の滅びを祈ると共に、己の罪を悔い改め、聖三位(神様・御子様・聖霊様)を受け入れ、人類救済のために祈り求めることに専念しなければならない。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ祝福する。—神である主の御告げ—
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嗚呼、神様。
有難うございます。
RAPTさんによって、イルミナティの核心が中国共産党であることを解明された今、神様は次の展開へと移行しようとされているのを感じます。
次の展開とは、そうです、中国共産党を滅ぼすことです!
もうこれ以上、中国共産党がこの世にのさばる事がないようにしてください。
もうこれ以上、彼らの世界支配への道を許諾しないでください。
イルミナティの最後の砦である中国共産党を滅ぼしてください。
神様の御力によって、中国共産党に与する者どもを裁いてください。
私たちの祈りが、より強力なものにするためには、多くの人々の祈りが必要です。
どうか神様。
気づかせてください。
世の多くの人々が、世界中で今起こっている騒動や事変の真実に気づくよう導いてください。
中国共産党が裁かれていることを世の人々に知らしめてください。
彼らに、神様の憤りをお示しください。
そして、今起こっている戦争に勝たせてください。
完全なる勝利だと言えるように勝たせてください。
一刻も早く、コロナ茶番とワクチン殺戮とウクライナ騒動が終焉し、世界各国で行われている中国共産党による乗っ取り計画が悉く失敗に終わることを心から願います。
日本だけでなく、世界中の人々が喜びと希望に満ち溢れ、滅びの道ではなく、繁栄の道へと突き進んで行くことができますように、心から祈ります。
地上天国が成就し、神様の憤りの歴史に終止符を打つことができる日が来ることを切に願います。
私たちがこれからも強力に聖三位に守られて、主の御心を最後まで成していけますよう心から祈ります。
そして、どうか神様。
中心者RAPTさんをお守りください。
RAPTさんの活動を妨害する工作員や集団ストーカーたちを裁いてください。
RAPTさんの有料記事や祈りの会、RAPT理論+αのサイトが見られなくなるような言論弾圧を絶対に看過しないでください。
中国共産党がそのような言論弾圧を行なった場合は、徹底的に裁いてください。
RAPTさんが聖なる神様を体現し、私たちを導く希望の光となり、永遠に輝き続けられますことを心より祈ります。
全ての兄弟姉妹が日々、サタンに勝利し、この終わりの時の艱難に最後まで耐え忍ぶことができますように。
そして一人一人が霊肉ともに成長し、主の使命者として立てられ、主の御心を壮大に成していけますように。
また、大バビロンである中国共産党が、主の計画通りに今年中に完全に滅び去り、2023年から本格的に始まる千年王国の歴史が速やかに、より壮大に成されて行きますように。
選ばれるべき十二弟子が全て選び出され、女の基準者もきちんと立てられて、破壊された主の歴史が完全に回復し、人類の救いの歴史が大きく成されて行きますように心から祈ります。
これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。
アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それでは次に、「エゼキエル書」に移りましょう。
43〜44章を紹介します。
(旧約聖書〈新改訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エゼキエル書 43章
1 彼は私を東向きの門に連れて行った。
2 すると、イスラエルの神の栄光が東のほうから現れた。その音は大水のとどろきのようであって、地はその栄光で輝いた。
3 私が見た の様子は、私がかつてこの町を滅ぼすために来たときに見た幻のようであり、またその幻は、かつて私がケバル川のほとりで見た幻のようでもあった。それで、私はひれ伏した。
4 主の栄光が東向きの門を通って宮に入って来た。
5 霊は私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。なんと、主の栄光は に満ちていた。
6 ある人が私のそばに立っているとき、私は、神殿からだれかが私に語りかけておられるのを聞いた。
7 その方は私に言われた。「人の子よ。ここはわたしの玉座のある所、わたしの足の踏む所、わたしがイスラエルの子らの中で住む所である。イスラエルの家は、その民もその王たちも、もう二度と、 や高き所の王たちの死体で、わたしの聖なる名を汚さない。
8 彼らは、自分たちの門口をわたしの門口のそばに設け、自分たちの戸口の柱をわたしの戸口の柱のかたわらに立て、わたしと彼らとの間には、ただ壁があるだけとなり、彼らの忌みきらうべきわざによってわたしの聖なる名を汚した。そこでわたしは怒って、彼らを絶ち滅ぼした。
9 今、彼らにその淫行や王たちの死体をわたしから遠く取り除かせなければならない。わたしは永遠に彼らの中に住もう。
10 人の子よ。イスラエルの家が自分たちの不義を恥じるために、彼らに神殿を示し、彼らにその模型を測らせよ。
11 もし彼らが、自分たちの行ったあらゆることを恥じるなら、あなたは彼らに神殿の構造とその模型、その出口と入口、すなわち、そのすべての構造、すべての定め、すべての構造、すべての を示し、彼らの目の前でそれを書きしるせ。彼らが、そのすべての構造と定めとを守って、これを造るためである。
12 宮に関する律法は次のとおりである。山の頂のその回りの全地域は神聖である。これが宮に関する律法である。
13 キュビトによる祭壇の寸法は次のとおりである。—このキュビトは、普通のキュビトに一手幅足したものである。—その土台の深さは一キュビト、その回りの縁の幅は一キュビト、みぞは一あたりである。祭壇の高さは次のとおりである。
14 この地面の土台から下の台座までは二キュビト、回りの幅は一キュビト。この低い台座から高い台座までは四キュビト、その回りの幅は一キュビト。
15 祭壇の炉は高さ四キュビトであり、祭壇の炉から上のほうへ四本の角が出ていた。
16 祭壇の炉は長さ十二キュビト、幅十二キュビトの正方形である。
17 その台座は長さ十四キュビト、幅十四キュビトの正方形で、その回りのみぞは半キュビト、その縁は一キュビトであり、その階段は東に面している。」
18 彼は私に言った。「人の子よ。神である主はこう仰せられる。祭壇の上で全焼のいけにえをささげ、血をそれに注ぎかけるために祭壇を立てる日には、次のことが祭壇に関する定めとなる。
19 わたしに仕えるために、わたしに近づくツァドクの子孫のレビ人の祭司たちに、あなたは、罪のためのいけにえとして若い雄牛一頭を与えよ。—神である主の御告げ—
20 あなたは、その血をとって、祭壇の四本の角と、台座の四隅と、回りみぞにつけ、祭壇をきよめ、そのための贖いをしなければならない。
21 またあなたは、罪のためのいけにえの雄牛を取り、これを聖所の外の宮の一定の所で焼かなければならない。
22 二日目に、あなたは、傷のない雄やぎを罪のためのいけにえとしてささげ、雄牛できよめたように、祭壇をきよめよ。
23 きよめ終えたら、あなたは、傷のない若い雄牛と群れのうちの傷のない雄羊とをささげよ。
24 あなたは、それらを主の前にささげ、祭司たちがそれらの上に塩をまき、全焼のいけにえとして主にささげなければならない。
25 七日間、あなたは毎日、罪のためのいけにえとして雄やぎをささげ、傷のない若い雄牛と群れのうちの傷のない雄羊とをささげなければならない。
26 七日間にわたって祭壇の贖いをし、それをきよめて使い始めなければならない。
27 この期間が終わり、八日目と、その後は、祭司たちが祭壇の上で、あなたがたの全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげなければならない。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れる。—神である主の御告げ—」
エゼキエル書 44章
1 彼が私を聖所の東向きの外の門に連れ戻ると、門を閉じていた。
2 主は私に仰せられた。「この門は閉じたままにしておけ。あけてはならない。だれもここから入ってはならない。イスラエルの神、主がここから入られたからだ。これを閉じたままにしておかなければならない。
3 ただ、君主だけが、君主として主の前でパンを食べるためにそこにすわることができる。彼は門の玄関の間を通って入り、またそこを通って出て行かなければならない。」
4 彼は私を、北の門を通って神殿の前に連れて行った。私が見ると、なんと、主の栄光が主の神殿に満ちていた。そこで、私はひれ伏した。
5 すると主は私に仰せられた。「人の子よ。主の宮のすべての定めとそのすべての律法について、わたしがあなたに告げていることをことごとく心に留め、それに目を注ぎ、耳を傾けよ。宮に入れる者と、聖所に入れないすべての者を心に留めよ。
6 あなたは、反逆の家、イスラエルの家にこう言え。神である主はこう仰せられる。イスラエルの家よ。あなたがたのあらゆる忌みきらうべきわざは、もうたくさんだ。
7 あなたがたは、心にも肉体にも割礼を受けていない外国人を連れて来て、わたしの聖所におらせ、わたしの宮を汚した。あなたがたは、わたしのパンと脂肪と血とをささげたが、あなたがたのすべての忌みきらうべきわざによって、わたしとの契約を破った。
8 あなたがたは、わたしの聖所での任務も果たさず、かえって、自分たちの代わりにわたしの聖所で任務を果たす者たちを置いた。
9 神である主はこう仰せられる。心にも肉体にも割礼を受けていない外国人は、だれもわたしの聖所に入ってはならない。イスラエル人の中にいる外国人はみなそうだ。
10 レビ人でも、イスラエルが迷って自分たちの偶像を慕って、わたしから迷い出たとき、わたしを捨て去ったので、彼らは自分たちの咎を負わなければならない。
11 彼らは宮の門で番をし、宮で奉仕をして、わたしの聖所で仕えるはずなのだ。彼らは民のために、全焼のいけにえや、ほかのいけにをほふり、民に仕えて彼らに奉仕しなければならない。
12 それなのにレビ人たちは、民の偶像の前で民に仕え、イスラエルの家を不義に引き込んだ。それゆえ、わたしは彼らに誓う。—神である主の御告げ—彼らは自分たちの咎を負わなければならない。
13 彼らは、祭司としてわたしに仕えるために、わたしに近づいてはならない。わたしのあらゆる聖なる物、または最も聖なる物に触れてはならない。彼らは自分たちの恥を自分たちの行った忌みきらうべきわざの責めとを負わなければならない。
14 わたしは彼らに、宮のあらゆる奉仕とそこで行われるすべての宮の任務を果たせる。
15 しかし、イスラエル人が迷ってわたしから離れたときもわたしの聖所の任務を果たした、ツァドクの子孫のレビ人の祭司たちは、わたしに近づいてわたしに仕え、わたしに脂肪と血とをささげてわたしに仕えることができる。—神である主の御告げ—
16 彼らはわたしの聖所に入り、わたしの机に近づいてわたしに仕え、わたしへの任務を果たすことができる。
17 彼らは内庭の門に入るときには、亜麻布の服を着なければならない。内庭の門、および神殿の中で務めをするときは、毛織り物を身に着けてはならない。
18 頭には亜麻布のかぶり物をかぶり、腰には亜麻布のももひきをはかなければならない。汗の出るような物を身に着けてはならない。
19 彼らが外庭に出て、外庭の民のところに出て行くときは、務めのときに着ていた服を脱ぎ、それを聖所の部屋にしまい、ほかの服を着なければならない。その服によって民を聖なるものとしないためである。
20 彼らは頭をそってはならない。髪を長く伸ばしすぎてもいけない。頭は適当に刈らなければならない。
21 祭司はだれも、内庭に入るときには、ぶどう酒を飲んではならない。
22 やもめや、離婚された女を妻にしてはならない。ただ、イスラエルの民のうちの処女をめとらなければならない。しかし、やもめでも、それが祭司のやもめであれば、めとってもよい。
23 彼らは、わたしの民に、聖なるものと俗なるものとの違いを教え、汚れたものときよいものとの区別を教えなければならない。
24 争いがあるときには、彼らは、わたしの定めに従ってさばきの座に着き、これをさばかなければならない。わたしのすべての例祭には、わたしの律法とおきてとを守り、わたしの安息日を聖別しなければならない。
25 彼らは、死人に近づいて身を汚してはならない。ただし、自分の父、母、息子、娘、兄弟、未婚の姉妹のためには汚れてもよい。
26 その場合、その人は、きよめられて後、さらに七日間待たなければならない。
27 聖所で仕えるために聖所の内庭に入る日には、彼は罪のためのいけにえをささげなければならない。—神である主の御告げ—
28 これが彼らの相続地となる。わたしが彼らの相続地である。あなたがたはイスラエルの中で彼らに所有地を与えてはならない。わたしが彼らの所有地である。
29 彼らの食物は、穀物のささげ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえである。イスラエルのうちのすべての献納物は彼らのものである。
30 あらゆる種類の初物、あなたがたのあらゆる奉納物のうちの最上の奉納物は、すべて祭司たちのものであり、あなたがたの麦粉の初物も祭司に与えなければならない。あなたの家に が宿るためである。
31 祭司たちは、死んだものや裂き殺されたものはすべて、鳥であれ獣であれ、食べてはならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(エゼキエル書 43〜44章より)
今日は、ここまで。
(2022.4.19)