前回は、「哀歌 2〜3章」を紹介しました。

          

今回は、「哀歌 4〜5章(最終章)」を紹介したいと思います。

 

その前に、まず「私の祈り」から入りたいと思います。

 

そして、「私の祈り」の中に、紹介したい聖書の章に出てくる「5つのキーワード」(マーカーで印)を含ませておきます。

 

聖書の紹介は、穴埋め問題形式にしますので、正解となる言葉を知りたい時は、「私の祈り」に出てくる「5つのキーワード」の中から探しだしてください。

 

最初にお祈りの言葉を唱えてから、その後で聖書を読んでいくというスタイルは、これまでと一緒ですので、お付き合いの程よろしくお願いします。

 

 

では、今からお祈りします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

聖なる神さま。

今日もこうして神さまにお祈りし、朝を迎えることができることに感謝します。

 

そして、RAPTさんの「御言葉」から神霊な波長を受けて、神さまの御心に立ち返る機会を与えていただき、本当にありがとうございます。

 

「哀歌」は5章で最終章です。

 

何故そのような短い章で終わっているかと言えば、おそらく「エレミヤ書」とセットにして構成されているからだと思います。

 

「エレミヤ書」を読み終えた後感じるのは、少し中途半端な所で終わっているような気がするのは私だけでしょうか?

 

「えっ!これで終わりなの?」といった読後感があるのが「エレミヤ書」の最終章(52章)なのです。

 

最終的にバビロンの王エビル・メロダクは、ユダの王エホヤキンを釈放し、獄屋から出し、彼に優しいことばをかけ、「彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給された。」という所で終わるのです。

 

つまり、バビロンの王が、ユダの王を取り込んだものの、ユダの王は、それほど悲惨な生活を強いられたわけではなく、むしろバビロンで彼とともにいた王たちよりも優遇されたという、どこかハッピーエンド的なお話で終わっているのです。

 

エレミヤの預言を支持する者からすれば、こんな終わり方ではフラストレーションを起こすに違いありません。

 

何故なら、「神様に反逆したユダの民は、悔い改めない限り、敵の餌食となり、悲惨な裁きが待っている。」というのが、エレミヤの忠告だったからです。

 

にも関わらず、ユダの王エホヤキンは、バビロン王の下で優遇されて生涯を終えたとなると、エレミヤの預言を命がけで守り通そうとした他の信仰者に対して、申し訳ないような気がするのです。

 

そんな信仰者のフラストレーションを解消するために、歌われたのが「哀歌」なのだと思います。

 

エレミヤの預言を命がけで守り通そうとした信仰者に対しての、言わば「鎮魂歌」として「哀歌」を捉えるのであれば、短い章で終わっているのも納得できます。

 

いずれにせよ、神様の御心を悟った者が書いた詩ですから、著者の心情を汲み取りながら読み進めて行きたいと思います。

 

今回、私が興味を持ったのは、次の行です。

 

(5章4節)ーーー

私たちは自分たちの水を、金を払って飲み、自分たちのたきぎも、代価を払って手に入れなければなりません。
ーーーーーーーー

 

これは、現代社会に生きる私たちにとっては当たり前のことを嘆いている行です。

 

水もたきぎ(燃料)も代価を払って手に入れなければならなくなったことに対して嘆いているのです。

 

逆に言うと、バビロン捕囚が起こる前までは、水もたきぎ(燃料)も、代価を払う必要もなかったということです。

 

バビロンの捕虜となり、奴隷としての扱いを受けることになったが故に、自由に水を飲み、自由にたきぎ(燃料)を手に入れることができなくなってしまったのです。

 

本来なら、誰もが自由に手に入れることができるはずの物が、お金を払わないと手に入れることができない事態に貶められたということです。

 

お金というものを使わないと必要なものが手に入らないというシステムの中で生きることを、奴隷たちは強いられたわけです。

 

つまり、お金というのは奴隷たちを支配するための道具である、ということを改めて認識する必要があるのです。

 

翻って、現代社会に生きる私たち一般庶民はどうでしょう?

 

私たちの多くの者は、お金を払わないと必要なものが手に入らない、という社会システムの中で生きています。

 

つまり、バビロンに支配されたユダの民と同じ境遇の中で生きていると言っても過言ではありません。

 

そうです!

私たちは、奴隷と同じ境遇の中で生きているのです。

 

私たちは、生まれる前から、この社会システムの中で暮らしてきましたから、本来、誰もが自由に手に入れることができるはずの物でさえ、お金を払うのが当たり前と思い込まされて来たのです。

 

ですから私たち一般庶民は、もういい加減、気づかなければなりません。

私たちは、奴隷であることを…。

 

では、このような社会システムをつくり上げた張本人は誰か?

 

そうです!

今、この社会を牛耳っている支配者層の連中です。

イルミナティ・サタンです!

 

彼らは、長い間、私たち一般庶民が奴隷であることを自覚できないように洗脳し、彼らが支配しやすいように社会システムをつくり上げ、うまく騙し続けて来たのです。

 

しかし、この度のコロナ騒動、ワクチン殺戮、宇宙詐欺によって状況が一変して来たように思われます。

 

それらの悪事を企てたのは、イルミナティ・サタンですが、かえってその悪事によって墓穴を掘っているように見受けられます。

 

特に、去年の年末から今年にかけて、彼らの悪事の数々が露呈され、真実に目覚め、彼らの醜さに辟易する人々が増えて来たように思うのです。

 

いよいよイルミナティの破滅は近いと思うのは、私だけではないと思います。

 

これも偏に、義人たちの祈りが神様に届いた結果だと思います。

 

2022年に入り、神様による義人の救いは、ますます顕著に現れることでしょう。

 

逆に、神様の御心に背き、己のを悔い改めようとしない者に対しては、容赦無く裁かれることになるでしょう。

 

どうか神様。

多くの人々が、イルミナティ・サタンの洗脳から解かれ、真理に目覚め、神様に通じる道、義人への道へと導かれますことを心より祈ります。

 

自分たちの歴史は、イルミナティ・サタンによって支配されて来た歴史であったことを多くの人々が気づき、もうこれ以上、彼らの奴隷にはなりたくないと願う人々が増えて来ているように思います。

 

今こそ、神様の御心に適った新たな価値観を構築する時です。

喜びと感謝に満ち溢れた地上天国を創り上げて行くことができますことを心より祈ります。

 

イルミナティ・サタンが滅びて行く際に、様々なわざわいが起こるかもしれませんが、どんなことがあっても神様に祈り求め、神様に全幅の信頼を寄せて、神様の栄光を現す者となれますよう導いてください。

 

神様と疎通し、直接神様から啓示が受けられるまでに成長させてください。

 

神様の恋人となるために、霊的成長を遂げることができますよう、私たちを導いてください。

 

一刻も早く、コロナ騒動とワクチン殺戮が終焉し、イルミナティがこれまで犯した数々の悪事全てが暴露されますことを強く求めます。

 

そして、どうか神様。

中心者RAPTさんをお守りください。

RAPTさんの活動を妨害する工作員や集団ストーカーたちを裁いてください。

 

中国マフィアである李家、創価学会、群馬人脈、イルミナティ・サタンを滅ぼしてください。

 

そして、十二弟子の皆さんや全国の兄弟姉妹たちが天に富を積み、豊かな聖霊で満たされ、多くの人々を救うことのできる者となれますよう心から祈ります。

 

これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。

 

アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

それでは次に、「哀歌」に移りましょう。

4〜5章を紹介します。

 

(旧約聖書〈新改訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

哀歌 4章

 

1 ああ、金は曇り、美しい黄金は色を変え、聖なる石は、あらゆる道ばたに投げ出されている。

2 純金で値踏みされる高価なシオンの子らは、ああ、陶器師の手で作られた土のつぼのようにみなされている。

3 ジャッカルさえも乳房をあらわし、その子に乳を飲ませるのに、私の民の娘は、荒野のだちょうのように無慈悲になった。

4 乳飲み子の舌は渇いて上あごにつき、幼子たちがパンを求めても、それを裂いて彼らにやる者もない。

5 ごちそうを食べていた者は道ばたでしおれ、紅の衣で育てられた者は、堆肥をかき集めるようになった。

6 私の民の娘の咎は、人手によらず、たちまちくつがえされたソドムの罪より大きい。

7 そのナジル人は雪よりもきよく、乳よりも白かった。そのからだは、紅真珠より赤く、その姿はサファイヤのようであった。

8 しかし、彼らの顔は、すすよりも黒くなり、道ばたでも見分けがつかない。彼らの皮膚は干からびて骨につき、かわいて枯れ木のようになった。

9 剣で殺される者は、飢え死にする者よりも、しあわせであった。彼らは、畑の実りがないので、やせ衰えて死んで行く。

10 私の民の娘は  のとき、あわれみ深い女たちでさえ、自分の手で自分の子どもを煮て、自分たちの食物とした。

11 主は憤りを尽くして燃える怒りを注ぎ出し、シオンに火をつけられたので、火はその礎までも焼き尽くした。

12 地の王たちも、世に住むすべての者も、仇や敵がエルサレムの門に、入って来ようとは信じなかった。

13 これはその預言者たちの罪、祭司たちの咎のためである。彼らがその町のただ中で、正しい人の血を流したからだ。

14 彼らは血に汚れ、盲人のようにちまたをさまよい、だれも彼らの着物に触れようとしなかった。

15 「あっちへ行け。汚れた者」と人々は彼らに叫ぶ。「あっちへ行け。あっちへ行け。さわるな。」彼らは、立ち去って、なおもさまよい歩く。諸国の民の中で人々は言う。「彼らはもう立ち寄ってはならない。」

16 主ご自身も彼らを散らし、もう彼らに目を留めなかった。祭司たちも尊ばれず、長老たちも敬われなかった。

17 それに、私たちの目は、衰え果てた。助けを求めたが、むなしかった。私たちは見張り所で、見張った。  をもたらさない国の来るのを。

18 私たちの歩みはつけねらわれて、私たちは広場を歩くことができなかった。私たちの終わりは近づいた。私たちの日は満ちた。私たちの終わりが来たからだ。

19 私たちを追う者は、大空の鷲よりも速く、山々の上まで追い迫り、荒野で私たちを待ち伏せた。

20 私たちの鼻の息である者、主に油そそがれた者までも、彼らの落とし穴で捕らえられた。「この者のおかげで、諸国の民の中でも私たちは生きのびる」と私たちが言った者なのに。

21 ウツの地に住むエドムの娘よ。楽しみ喜べ。だが、あなたにも杯は巡って来る。あなたも酔って裸になる。

22 シオンの娘。あなたの刑罰は果たされた。主はもう、あなたを捕らえ移さない。エドムの娘。主はあなたの咎を罰する。主はあなたの不義をあばく。

 

 

哀歌 5章

1 主よ。私たちに起こったことを思い出してください。私たちのそしりに目を留めてください。顧みてください。

2 私たちの相続地は他国人の手に渡り、私たちの家もよそ者の手に渡りました。

3 私たちは父親のないみなしごとなり、私たちの母はやもめになりました。

4 私たちは自分たちの水を、金を払って飲み、自分たちのたきぎも、代価を払って手に入れなければなりません。

5 私たちはくびきを負って、追い立てられ、疲れ果てても、休むことができません。

6 私たちは足りるだけの食物を得ようと、エジプトやアッシリヤに手を伸ばしました。

7 私たちの先祖は を犯しました。彼らはもういません。彼らの咎を私たちが背負いました。

8 奴隷たちが私たちを支配し、だれも彼らの手から私たちを救い出してくれません。

9 私たちは、荒野に剣があるために、いのちがけで自分の食物を得なければなりません。

10 私たちの皮膚は、飢えの苦痛のために、かまどのように熱くなりました。

11 女たちはシオンで、おとめたちはユダの町々で、はずかしめられました。

12 首長たちは彼らの手でつるされ、長老たちも尊ばれませんでした。

13 若い男たちはひき臼をひかされ、幼い者たちはたきぎを背負ってよろめき、

14 年寄りたちは、城門に集まるのをやめ、若い男たちは、楽器を鳴らすのをやめました。

15 私たちの心から、  は消え、踊りは喪に変わり、

16 私たちの頭から冠も落ちました。ああ、私たちに    あれ。私たちが罪を犯したからです。

17 私たちの心が病んでいるのはこのためです。私たちの目が暗くなったのもこのためです。

18 シオンの山は荒れ果て、狐がそこを歩き回っているからです。

19 しかし、主よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御座は代々に続きます。

20 なぜ、いつまでも、私たちを忘れておられるのですか。私たちを長い間、捨てられるのですか。

21 主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。私たちの日を昔のように新しくしてください。

22 それとも、あなたはほんとうに、私たちを退けられるのですか。きわみまで私たちを怒られるのですか。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(哀歌 4〜5章より)

 

今日は、ここまで。

 

(2021.1.3)