前回は、RAPTブログを基に「出雲族」と「大和族」との戦いについて触れました。
「鬼は外、福は内」の「鬼」が出雲族側とするならば、「福」は、その反対側の勢力であると推測することができます。
なので私は当初、その反対側の勢力は「大和族」だから、「福」の正体は大和族側ではないか?と単純に考えておりました。
しかし、そもそも「鬼は外、福は内」と言って豆をまいている当の本人は、一体誰なのか?
節分に、鬼を払う行事を積極的に推進した張本人は誰か?ということです。
そこを先に考えると、「鬼は外」と言って「鬼」を嫌っている側の人間になりますから、それが「大和族」ということにならないでしょうか?
となると、「福」にあたる存在は別にあるということになります。
では、その別の存在とは誰か?
それは「秦氏」ではないか?
「秦氏」こそが、「出雲族」と対立関係にある勢力ではないか?ということです。
その根拠となる記事が、RAPTブログの中にありましたので以下に紹介します。
(RAPT×読者対談〈第38弾〉関ヶ原の戦いも明治維新も第二次世界大戦もすべては源平合戦だった。から転載)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この世で起きる騒動のほとんどすべてが「秦氏=ロスチャイルド」と「出雲族」との戦いに違いありません。
私はこれまでこの世界が「天皇派」と「教皇派」の対立の上に成り立っていると書いてきましたが、これをもっと正確に言うなら、「秦氏=ロスチャイルド」と「出雲族」との対立だった、と言い変えた方がいいのかも知れません。
また、JAL123便の墜落事故についても、この事故の背後に「天皇派」と「教皇派」が争いがあったと記事に書きましたが、これも実は「秦氏=ロスチャイルド」と「出雲族」の戦いだったのかもしれません。
○JAL123便墜落事故からソ連崩壊に至るまでの「天皇派」と「教皇派」の戦いの経緯。歴史は常に彼らの戦いの上に作られてきました。
ただし、この世で起きる争いや騒動が、すべて「秦氏」と「出雲族」との戦いであるとは限らないかも知れません。
中には「出雲族」どうしの内部分裂、「出雲族」と「大和族」との戦い、「出雲族」と「月派」との戦いなど、様々な戦いがあったとも考えられます。
とはいえ、歴史的に有名な戦いのほとんどが「秦氏=ロスチャイルド」と「出雲族」との戦いだったことは間違いなさそうです。
ちなみに、「秦氏」には「大和族」が与し、「出雲族」には「月派」が与してきたことは今さら言うまでもないことです。
一応、念のため、これまで書いてきたことを図にしておきます。これを見れば、これら全ての戦争が「源平合戦」であったということがご理解いただけるはずです。
1.八岐の大蛇とスサノオの対決
■八岐の大蛇=秦氏
(対決)
■スサノオ=出雲族
2.蘇我氏による聖徳太子の暗殺
■聖徳太子=秦氏
(対決)
■蘇我氏=出雲族
3.源平合戦
■平清盛=秦氏
(対決)
■源頼朝=出雲族
4.関ヶ原の戦い
■毛利軍+島津軍+イエズス会=秦氏+大和族
(対決)
■徳川軍+エリザベス一世=出雲族+月派
5.明治維新
■毛利家+島津家+土佐藩+ロスチャイルド=秦氏+大和族
(和解)
■徳川家=出雲族+月派
6.第二次世界大戦
■日本帝国陸軍=毛利家+島津家+イエズス会(ロスチャイルド)=秦氏+大和族
(対決)
■日本帝国海軍=徳川家+アメリカ(ロックフェラー)=出雲族+月派
6.戦後日本
■日本帝国陸軍=毛利家+島津家+イエズス会(ロスチャイルド)=秦氏+大和族
(和解)
■日本帝国海軍=徳川家+アメリカ(ロックフェラー)=出雲族+月派
この第二次世界大戦の後、一時的に「出雲族+月派」の力が強くなり、「秦氏+大和族」の勢力が弱くなったことは確かなことです。
しかし、現在の天皇は「毛利家」と「島津家」の合いの子であるため、「秦氏+大和族」の勢力が再び強くなってきていることは確かでしょう。
で、現在の天皇は「島津家=秦氏」の末裔であるため、「天照大神」ではなく「国常立尊」を最高神として崇めています。
と同時に、彼は「毛利家(大和族でありながら、出雲族であると自覚している)」の末裔でもあるので、「天照大神」のことも崇めているはずです。
実際、伊勢神宮の外宮には「国常立尊」が祀られ、内宮には「天照大神」が祀られているとのことですし、天皇がこの伊勢神宮を参拝する際には、まず外宮(国常立尊)から先に拝み、それから内宮(天照大神)を拝んでいるとのこと。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
○第62回 伊勢神宮式年遷宮 遷御の儀 外宮 10月5日 |大和富士ブログ
こうして今上天皇が「国常立尊」を最高神として拝んでいる以上、「天照大神」が日本の最高神であるという定説はすべて嘘だったということになります。
また、明治維新以降、北朝系から南朝系の天皇へとすり替えられたという「鬼塚説」もこれにて信憑性が突き崩れてしまいました。
もっとも、本当の「北朝」の天皇なら、「国常立尊」の次に「スサノオ」を拝むはずなので、一応は平成(今上)天皇も「南朝」寄りであることは間違いないのかも知れません。
いずれにせよ、こうして今上天皇が、伊勢神宮で「出雲族」と「大和族」の神様をきちんと拝んでいれば、「大和族」と「出雲族」が変にいがみ合うこともないかも知れません。
しかも、今では「秦氏」と「出雲族」も互いに仲良くなりつつあるようで、つい最近、互いに敵対し合っていた「徳川家」と「ロスチャイルド家」が一緒に奇跡のコンサートを開いたとのこと。

我々庶民からしてみれば、「徳川家」と「ロスチャイルド家」が一緒にコンサートを開こうと、大した出来事には思えないわけですが、島津家や毛利家など支配層の人間からすれば、このようなコンサートが開催できたことは奇跡以外の何物でもなかったということなのでしょう。
ちなみに、これまで世界の各地では「源平合戦」と同じく「赤」と「白」の戦いが行われてきました。例えば、以下のように。
1.ロシア内戦
○ロシア軍 (白軍) – Wikipedia
○ロシア軍 (赤軍) – Wikipedia
2.ウェールズの伝承
○白い竜 (ウェールズの伝承) – Wikipedia
○赤い竜 (ウェールズの伝承) – Wikipedia
なお、今回の対談に出てくる「織田信長」は「大和族」で、「武田信玄」は「出雲族」です。
「織田信長」が「大和族」だったという根拠は、以下のリンク記事を御覧ください。
○織田信長と徳川家康とイエズス会の因縁の関係。関ヶ原の戦いは「イエズス会」と「エリザベス一世」との代理戦争でした。
一方の「武田信玄」は自らを「天台座主」だと称していたらしく、「天台宗」は明らかな出雲系の宗教です。そのため、「武田信玄」は明らかに「出雲族」だと考えられます。
また、今回の対談をする前まで、私は「豊臣秀吉」のことを「大和族」だと書いてきましたが、実は彼が「三面大黒天」という神様を拝んでいたということが分かりました。
○第1回 秀吉の出世守り本尊「三面大黒天」の謎
「三面大黒天」とは、「大黒天」「毘沙門天」「弁財天」の3つを合体させた神様なのですが、「大黒天」とは「大国主」のことで、「大国主」とはスサノオの子供。つまり、「出雲族」の神です。
しかも、この「三面大黒天」は天台宗の開祖「最澄」も祀っていたとのこと。「最澄」は法華経を拝んでいたので、明らかな「出雲族」です。
----------------(以下、こちらから転載)
室町時代の文献に、大黒天・毘沙門天・弁才天の三尊が合一した三面大黒天の像を、天台宗の開祖・最澄が祀ったという伝承があり、大黒・恵比寿の並祀と共に、七福神の基になったと見られている。
----------------(転載ここまで)
なので、「豊臣秀吉」が出雲族だったことは間違いなさそうです。
で、この「豊臣秀吉」は、その後、「島津家」も「毛利家」も「徳川家」も自らの家臣として従わせてしまうわけですが、もしかしたらこのとき、「秦氏」の目論んでいた天皇中心のNWOが完成しつつあったのかも知れません。
そのためでしょう。「豊臣秀吉」の家紋だった「桐紋」を、現在の内閣総理大臣が使っています。それだけ彼らが「豊臣秀吉」を崇敬しているという証拠です。
○豊臣家の桐紋と日本政府!黒田家と竹中家!日本のエスタブリッシュメントとは、(改)

しかし、こうして「豊臣秀吉」の下で「秦氏」と「大和族」と「出雲族」と「月派」が一つになりつつあったとき、誰かが「豊臣秀吉」に対して横やりを入れたのでしょう。
「豊臣秀吉」が突如、イエズス会の迫害を始めるようになってしまった。
しかも、彼の死後には、「豊臣秀吉」の家臣たちが二つの勢力に分かれて「関ヶ原の戦い」を始めてしまった。
で、「出雲族」がこの戦いに勝ち、260年もの間、「出雲族」の天下が続いた。
で、明治維新で「秦氏」がこの状況を覆し、「秦氏」の天下にしてしまった。
ところが、第二次大戦で「出雲族」がこの状況を覆し、再び「出雲族」の天下になった。
しかし、ロックフェラーの死によって(?)月派の勢いが弱体化してきたため、「出雲族」はじわじわと勢力を失い、「秦氏」が挽回しつつある。
と同時に、「秦氏」も「出雲族」も一つになろうと必死に努力している……。
日本の歴史の流れはおおよそこんなところではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(RAPTブログからの抜粋、ここまで)
以上は、RAPT理論の中でも、最も核心を突いた内容の一つであると私は思っています。
学校で習う歴史が苦手だった私ですが、このRAPT理論に出逢ってからは、歴史の面白さがわかってきたような気がします。
「出雲族」VS「秦氏」の対立関係がわかりましたので、次回は、「秦氏」=「福」と考える根拠について、もう少し突き詰めて行きたいと思います。
今日は、ここまで。
(2021.1.12)