前回は、日本人への啓示 :漢字に宿る聖書物語 という動画に触れ、漢字には、「聖書由来の意味」が込められており、しかも、そのルーツが、日本にあるというお話でした。

 

動画のの中で様々な漢字を取り上げ、それらが如何に聖書の世界観を基にして作られたものであるかを説明しています。

その説明を聞いていると、どんどん聖書の世界に引きこまれます。

「たまたま聖書に関連しているかのように見える漢字を取り上げただけに過ぎない」と、簡単に切り捨ててしまうことができない程、非常に説得力のある内容でした。

 

ただ、動画の中で、少し引っかかりを感じた箇所が一つだけありました。

それは、「罪」=「四つの非」という組み合わせ方で「罪」という漢字を説明していた所です。

動画では、「四つの非」とは旧約聖書中に出てくる一番最初の「罪」が四つあったことから、その由来を説明しておりますが、むりやりこじつけている感があると思うのは私だけでしょうか?

 

語源辞典で調べると、「罒」は「四」ではなく、「あみがしら」と言って「網」の意味があるそうです。

また、「非」は、二人の人が背中を向けている形からできているようで、互い向け左右に開く」→「背く、過ち」という意味があるそうです。
 

よって、「罪」=「罒」+「非」=「」+「背く過ち

       =過ちのあるにかける、つみする

ということらしいのです。

こちらの説明のほうが、わかりやすいと思うのですがどうでしょう?

もっとも、この説明では、「聖書」と関連付けることができないので、動画の趣旨にそぐわなくなってしまいますが・・・。

もし、これもこじつけて考えるなら、「非」は、「二人の人が背中を向けている形」ではなくて、「神さまから人間が背を向けた形」として捉えれば、神さまの警告に背いた人間の罪という解釈に繋がって来ます。

いずれにせよ、「聖書」から漢字を読み解くというこの手法は、面白い考え方であり、他の場面でも応用できるのではないかと思います。

 

少し前置きが長くなってしまいました。

今日のテーマは、再び「美」についてです。

特に今回は、漢字の由来から「美」について考えてみたいと思います。

 

前回紹介した動画、日本人への啓示 :漢字に宿る聖書物語 によると、「羊」という漢字は、神さまに献上する生贄のことであることがわかりました。

特に、キリスト教において「羊」は、人類全ての罪を贖うために、自ら血の犠牲となられたイエスさまのことを指していることもわかりました。

 

例えば、「義」という漢字は、

「義」=「羊」+「手」+「戈」=子羊を手で殺す=イエス・キリストの磔刑

   =人類全ての罪を贖う神さまの愛

という意味に繋がっています。

 

よって、「美」という漢字も、「羊」という文字があることから、次のような意味に読み取ることができます。

「美」=「羊」+「大」=大きな羊を生贄にすること=血の犠牲を神に捧げること

   =イエスさまが人類救済のために成されたこと

   =大いなる神さまの愛

というように「義」と同様の意味に解釈することもできます。

 

ここで、以前このブログで取りあげたことと繋がって参ります。

「美意識を働かせる」ことについて触れた内容で、以下のように書きました。

 

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○美意識とは、美しいと感じる心であり、神さまと繋がった時の状態に似ている。

 

○「美意識を働かせる」ことは、結局の所、「神さまの基準で意識する」ことと同じである。

 

○「神さまの基準で意識する」とは、「神さまの愛を感じる」ということである。

 

○「美」=「神さまの愛」というふうに捉えても良いのではないか。

 

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以上、その時は思い付きで書いたことなのですが、今、漢字の由来に基づいて考えてみると、より説得力が増して来ます。

 

「美」は「神さまの愛」です!

 

今日も一日、自我を前面に出して物事を考えるのではなく、全て神さまに委ねて、神さまの愛を感じて、美しい心で過ごしたいと思います。

 

(2020.6.1)