「鈴の音が花を氷らせる (十四)」
巨大樹氷が散るのに混じって灰になっていく花羅を見つめ、吹雪は空を見上げていた。完全に散り、景色に溶けて消えたのを見届けても吹雪は空を見つめ続けていた。 「――吹雪!」 近付いてくる気配で誰か直ぐに分かる。冨岡だ。……だが今は顔を合わせるのが嫌だった。 吹雪は冨岡を振り返ることもなく、歩き始める。 吹雪の姿を見つけ声を掛けた冨岡だったが、吹雪は振り返ることなく歩き始めた。 (吹雪?……) 聞こえなかったのだろうか。いや、そんなはずはないと思うが……。 疑問に思いつつも、吹雪の後を黙って付いていくのが最善と判断し、冨岡は吹雪の後を付いていく。 * * * * * * 吹雪が向かった先は祖父母の家だった。半壊状態で何とか家の原形を留めてはいるが、いつ崩壊してもおかしくない。吹雪はそんなこと気にもせずに建物に近付いて中へと入っていく。 入って直ぐの土間にはバラバラにされた祖父母の遺体がそのままだった。近くの棚に風呂敷が見え、吹雪はそれをあるだけ引っ張り出して祖父母の遺体を包んでいく。何とか全て包み終え、次の行動に移る。 (床の間……氷弥の部屋かな) 最後に氷弥が言い残した言葉を思い出しながら吹雪は軋む廊下を歩いて奥の部屋へと足を踏み入れる。 天井が落ち木材や瓦や土が散乱しているが、かろうじて床の間は無事だった。そこに漆塗りの黒い箱があり、吹雪はその箱を手に来た廊下を戻る。 土間に戻り風呂敷に手を伸ばした時、横から別の手が風呂敷を全て掻っ攫っていく。顔を上げると、冨岡が居た。 「……何処に行くんだ」 「……町の外れに墓地があります。そこに祖父母達の家代々の墓があるそうなので、そこに」 「分かった」 建物から離れ、町の外れへと向かう。 吹雪の祖父母達は先祖代々の墓に入れ、墓前で手を合わせて冥福を祈った。懐にしまっている氷弥の衣服は生家に戻って家族の側に埋葬するつもりでいる。今でも家が残っていればいいが。 町は戦闘のせいで廃墟のようになってしまった。人一人残らず生存者はゼロ……全て鬼の花羅や氷弥に食い尽くされてしまった。事後処理部隊である隠の作業風景を眺める吹雪は何を思っているのか、それは吹雪にしか分からない。今はただ、傍に立って横顔を眺めることしか冨岡には出来なかった。どう言葉を掛けていいか、分からなかったから――。 夜明けが来る前に事後処理は終わった。隠が撤退した後も吹雪は暫く廃墟と化した町を眺めていて、動くことはなかった。ようやく動き出したのは夜が明けて数分後のことであった。 通りを突き進み橋を渡る。橋の真ん中に差し掛かると夜明けの太陽の日差しが吹雪と冨岡を包み込み、二人は自然と足を止め太陽へ視線を向ける。 「……夜が明けましたね。帰りましょう、義勇さん」 歩き始める吹雪だったが、冨岡が動く気配を感じないので振り返ると、その場に立ち尽くしていた。 「義勇さん?どうしたんですか?」 「…………」 戦いが終わってから吹雪は一度も冨岡に顔を見せない。先程も振り返りはしたが、こちらの姿を確認出来る範囲まで振り返るだけでやはり顔を見せない。 (……何故、顔を見せない……) 冨岡に顔を見られては不味いというのだろうか。それはどうして――いや、それを考えても答えは出ないのだからよそう。今はどうして顔を見せてくれないかを考えるよりも吹雪の精神的負荷を考えるべきだ。 (弟の頸を斬って、平気なはずはない) 過去に父親の頸を斬ったという事実もある。それを打ち明けられる程吹雪にとって受け入れられた現実となったのはいつなのだろう。直ぐに気持ちを切り替えられる程吹雪は器用ではないだろう。平気な素振りで「大丈夫」と言って周りに余計な心配を掛けないようにする……笑顔ではなく、無表情で、そう告げるだろう。本当は大丈夫ではないのに……。 父親の時は弟が居た。例え憎まれたとしても守る為ならそれさえも受け入れ、傍に居られなくても構わない、どんな形でも守ることが出来るならと……それがある意味で支えだっただろう。 ――なら、今はどうだ。 弟は鬼となり、結果的に頸を斬ることでしか救える術がなかった。今こうして冨岡の前に居るのは鬼となった弟の頸を斬ったから。何処かで心の支えでもあった弟の存在を自分自身で消した……そんな今、吹雪は何を支えに立っているのだろう。 悲しんでいる暇はない、誰にもそれを悟らせない、迷惑は掛けたくない、自分は「大丈夫」だから――。 (……そう、言うんだろう) 痛みも、辛さも、悲しみも、虚しさも……全て胸の内に留めたまま周りが諦めるまで言うんだろう。大丈夫と――。 ――冨岡が吹雪に近付きながら左腕を上げる。手が伸び、そっと――吹雪の頭に置かれ、ゆっくりとした動作で撫でる。 「…………よく堪えた。もう、終わったんだ」 吹雪の体が微かに動いた。ゆっくりと顔が上がり、やっと吹雪が冨岡に顔を見せる。冨岡と視線が交わると吹雪は目を見開かせる。 そして、涙が頬を伝う。 * * * * * * 全てが終わった。 戦いが終わり吹雪が感じたのは「無」であった。消えゆく花羅を見つめ、その後の行動も直ぐに起こせた。祖父母を墓に埋葬する時も隠が事後処理をする光景もただ「無」の状態で体が動いて見つめていた。 これが所謂空っぽの状態と言えるのだろう。自分を守る為の自己防衛なのかもしれないが、それに気付ける程の余裕は吹雪にはない。 だから今こうして冨岡に話し掛けていても、自分が何を思って喋っているのか分からない。 「義勇さん?どうしたんですか?」 後ろを歩く冨岡に動く気配がないのを不思議に思い、少し顔を向けるだけで冨岡の姿を確認する。 冨岡と顔を合わせるのが何故か嫌だった。無意識なのかもしれないが、今顔を合わせたら心の均衡が保てなくなる気がした。冨岡はいつの間にか心に入り込んでいて言葉は少ないが優しい。あの見透かされている様に見つめる青い瞳が今は……怖かった。優しく、時に愛おしげに見つめるその瞳に誤魔化しは通じないが、顔を合わせないことが吹雪に出来るせめてもの抵抗だった。 何を言うわけでもなく、ただ無言で近付いてくる冨岡が何をするつもりなのか分からなかったが、頭を優しく撫でながら冨岡が声を掛けてきた。 「…………よく堪えた。もう、終わったんだ」 その言葉にハッとしてゆっくりと冨岡に顔を向けた。冨岡と視線が交わると吹雪は目を疑った。 (あ、兄様……?) 目の前に兄の霜壱の姿があった。優しく微笑みながらよく頭を撫でていたその姿をまたこうして見れるなんて。 ――もういいんだよ、吹雪。我慢しなくていい……。 優しい手に、温もりに、微笑みに、誘われる様に涙がこぼれる。兄の姿が次第に薄まり、冨岡へと戻る。 堰を切った様にボロボロと涙を流す吹雪に、冨岡はずっと優しく頭を撫で続ける。 「…………義勇、さん…………」 自分の頬に触れたら涙が次々と流れていることに気付く。手に付いた雫が表すものは今吹雪の胸を占める感情の表れ――それを目の当たりにしたらもう……抑えられない。 「……義勇さん…………私……一人に、なっちゃいました……」 守りたいものを守れなかった。自分が傍に居なければ辛い想いをさせずにいられると思ってた。だが結果的に氷弥は鬼にされ、たくさんの人を喰い、死なせた。灰になりながら吐露した氷弥の想いを聞くまで、憎まれていると思ってた。 「最後の最後で、わだかまりが消えても……氷弥が生きてないと意味がないですよね……二度と会えないのに仲直り出来ても、家族に戻れないと……意味が、ないですよね……!」 「…………」 「憎まれてると思ってたのに……あんな…………あんな笑顔で――だなんて……いらないって言ってたくせに私が作った御守り大事に持ってて…………謝りたかったって……傷付けてごめんって……俺のこと嫌いにならないでくれって…………――私のこと、大好きだなんて言われたらっ!私が勝手に憎まれてると思ってたと気付いても遅いんですよっ!!」 「…………」 「離れるのが最善だと思ったことも、母様の師匠の元で修行したことも、天狗さんのお陰で自分だけの呼吸を会得したことも、鬼殺隊に入隊して今まで過ごした日々も…………全部、今まで私が選んだことは無意味だったってことですよね……?守るための選択の筈なのに……守れなかった……!!」 吹雪は懐から氷弥の着物とお守りを取り出し、冨岡に見せる。 「……これと漆箱だけですよ?氷弥が残したの……鬼だから骨も肉体も何も残らない……こんな最後望んでなかっただろうな…………私は最低の姉です……弟一人守れなかったっ……!!」 冨岡に見せた氷弥の着物とお守りを胸元に引き寄せて抱き締める。その拍子に手に持っていた漆箱が落ちる。 「――氷弥が嫌がってても、こんなことになる未来なら傍に居れば良かったっ!!戦える力が身に付いても何の意味もない……こんな、こんな結末になるならあの時氷弥と父様に殺されてればよかったっ!!そうだったなら……氷弥が人を喰らって人も殺さなかったっ!!鬼にならずに済んだっ!!私も人のまま永く生きられる体にならずに終われたっ!!……家族に二度も刃を向けることもなかったぁっ……!!」 自分で選んだ事全て逆を選んでいればよかった――今吹雪の胸を占めるのは後悔と自責の念だけ。 外見で何を言われても、石を投げられても、家族が壊れて氷弥と二人になっても、氷弥と一緒にいられなくても辛くて悲しかったけど“死にたい”とは思ったことは一度もなかった。だけど、今胸中を占めているのは“死にたい”という想い。今の自分が死というものを迎えられるか分からないが、迎えられるならそれに越したことはない。 「今すぐ死ねるなら此処で――」 その先は体を包む力強い腕と温もりに遮られた。 「…………俺は、間違っているとは思わない」 冨岡の声が耳元で聞こえる。 「確かに、別の選択肢を選んでいれば……今とは違った答えに辿り着けたのかもしれない。違う結末だったかもしれない。だがそれは今までの事を全て否定してまで……本当にそう思うのか?」 抱き締める冨岡の腕に力が入る。 「俺や……今まで出会った奴等の事も否定するのか?」 「!?」 「俺は……吹雪と出会えて良かったと思っている。吹雪は…………違うのか……?」 冨岡の言葉に吹雪は目を見開かせる。 ――自分を責めるのはよしなさい。終わったことに何を言っても変わらないんだから……。 目の前に再び母の氷柱が姿を見せた。それに氷柱の背後から妹の小雪が顔を見せ、左隣には兄の霜壱がいる。 ――ありがとう、氷弥を助けてくれて。これで鬼舞辻の呪いから解放された……本当にありがとう、吹雪。 (母様……) ――氷兄(ひょうにい)はいつもお姉ちゃんに助けられて……いつもかっこ悪いよね。……でも、お姉ちゃんのこと大好きなのは変わってなくて良かったぁ!わたしもお姉ちゃんのこと大好きだよ! (……小雪……) ――氷弥は意地っ張りで甘えたがりだからな。吹雪には甘えん坊だと思われたくないから隠していたみたいだが……隠しきれてないよな。最後の最後で吹雪に甘えたかったと素直になるなら、最初からそうしていれば良かったんだ。 (……兄様……) ――母さんも言ってるように自分を責めるんじゃない。……守れなかったかもしれない、だけど助けることが出来たんだ。それで十分じゃないか。救われたんだ、最後に吹雪に助けてもらえて。言ってただろう?“ありがとう”って……。 霜壱に言われ、吹雪は氷弥の最後を思い出した。もう残り少ない刹那、最後に氷弥は笑顔を浮かべて言った。 ――ふぶ姉……ありがとう…………大好きだ……!……―― もう何も思い残すことはないといった綺麗な笑顔――吹雪を気遣ったものではなく、心の底から氷弥自身がそう思って出た表情だった。氷弥は吹雪を一言も責めていない、吹雪自身が氷弥を死なせてしまったと責めているだけ……だけど、本当にそれでいいのだろうか?霜壱や氷柱が言うように自分を責めたところで何も変わらないのは分かっていても、悔やまれる。 ――いつまでも自分を責めている姿は見たくないな。俺も母さんも小雪も……父さんや氷弥も、そう思ってるさ。吹雪の傍には大切な仲間や大切な人がいる……そうだろう?その人を……その人達を悲しませることはするんじゃない。 霜壱は再び吹雪の頭に手を伸ばし、撫でる。その手に氷柱や小雪の手が重なる。 ――今はいい。泣いたって、悔やんだって、悲しんだって、苦しんだって……目一杯吐き出した後に笑ってくれるなら。俺達の願いは、吹雪が笑って幸せを感じ生きていく姿を見ること。それだけだ。 ――そうよ。私達は貴女が笑って生きているだけで、その姿を見られるだけで嬉しいの。例え人でなくても、貴女は貴女、私の大切な娘……ずっと見守ってるから。 氷柱の言葉に小雪は笑顔で頷いて見せる。家族からの温かい言葉に止まりかけていた涙が再び湧き上がってきて零れる。 「――あぁ……うっ、ああ……わああぁあああぁぁぁっ!!」 吹雪は声を上げて泣き出し、冨岡の背に手を回してしがみ付き泣きじゃくる。冨岡は吹雪を抱き締め直し、後頭部を優しく撫でる。 ――吹雪が声を上げて泣くのは四年前のあの日以来。 突然消え去った家族とその日常……そして四年後、再び唯一の家族である弟をなくし心の支えを失った。 一人で泣き叫ぶ声を聞く者は誰一人として居なかった四年前のあの日、だが今は吹雪の傍には冨岡が居る。涙も泣き叫ぶ声も聞いて受け止めてくれる者が居る。 ……生きている証である“温かい腕”で、吹雪を抱き締めてくれる者が。 それでも変わらないのは悲しい声であるということだけ――。 * * * * * * 目を覚ました吹雪は見知らぬ天井に瞬きをしながら暫く見入る。 ゆっくりと上体を起こして辺りを見回すと、見知らぬ和室の真ん中に用意された布団に寝かされていた。身に纏う服装も隊服ではなく浴衣。隊服は枕元近くに綺麗に畳まれて置かれていた。 「…………此処は、何処……?」 掛け布団を捲って布団から出て左側の襖を開けると回廊が現れた。なら反対側はと向かいの障子戸を開けると小さな日本庭園が広がっていた。 「誰かの家……?」 障子戸を占めて回廊へと向かい、襖を閉めて回廊を進んでいく。突き当りを左に曲がると、長めの回廊の先に玄関先らしきものが見えた。 (大きな屋敷みたいだけど……一体誰の?) 長い回廊を歩きながら吹雪はそんなことを考えていた。そもそも任務から後の記憶が曖昧で思い出せない。 (……任務が終わって、確か義勇さんに背負われていたような……) そうこう思考いている間に玄関先に着いた。吹雪の一本下駄があるだけで他の履物は見当たらない。屋敷の主は外出中ということか。 「?……あれ、この光景……」 見覚えのある光景に玄関先から右に移動して近くの和室に入る。そして鼻腔に入り込む匂い……この匂い――。 「――目が覚めたのか」 突然背中に掛けられた声に微かに肩を震わせながら吹雪は振り返った。 「……義勇さん……」 和室の出入り口に立っていたのは鬼殺隊水柱の冨岡義勇その人であった。冨岡は和室に足を踏み入れると吹雪に近付いて行き右手を頬に伸ばして触れてきた。 「……体は、大丈夫か?」 「は、はい。何ともありません。……あの、義勇さんが居るということは此処は義勇さんのお屋敷ですか?」 「そうだ」 優しく頬を撫でながらジッと吹雪の顔を見つめる冨岡に吹雪は頬を染める。 「あの!任務からその後、義勇さんに背負われたところまでは覚えているのですが……それからどうなったんでしょうか」 「……そうだな。現状も合わせて話しておこう」 任務の後、暫く泣いていた吹雪が落ち着いたのを見て帰還することにした。だがまだ泣いていた吹雪を気遣い、冨岡が背負って本部に帰還すると言った。吹雪は自分の足で帰れると言ったが、いまだ泣いている状態では心配だと冨岡が押し、吹雪は渋々冨岡の言うことに従った。 「背負って帰還している途中で吹雪は眠ってしまった。途中蝶屋敷で胡蝶に診てもらった。怪我もなく特に問題はない。……浴衣は胡蝶が着せたものだ」 「そうだったんですか」 「……吹雪の家に戻っても良かったが、一人にしたくなかった。だから俺の屋敷に連れてきた」 屋敷に戻ってきて吹雪を寝かせ、本部に赴き報告を済ませて今戻ってきたという。しかも吹雪と冨岡が任務に当たっている同時刻、刀鍛冶の里で炭治郎と禰豆子、玄弥、霞柱の無一郎、恋柱の甘露寺達は上弦の伍・肆と戦闘をしていたという。死闘の末に上弦二体を倒し、禰豆子は太陽を克服し喋れるようになった。 刀鍛冶の里は幾つかある“空里”にすぐさま移り、今現在炭治郎達は静養中で皆眠っているらしい。 「……今現在鬼に動きは見られない。警戒態勢を取りつつも派遣はしていない。ゆっくり休むといい」 「…………」 俯く吹雪との距離を詰め、冨岡はそっと引き寄せて吹雪を抱き締める。驚きつつも吹雪は抵抗せず、冨岡の温もりに身を委ねて目を瞑る。――と、何かが近付いて来る気配を感じた。この気配は……烏天狗だ。 「……義勇さん。天狗さんが屋敷にやってきます」 「……分かった」 吹雪を解放し、右手を取って玄関先へと向かう。 戸を開いて外に出ると、丁度烏天狗が舞い降りてきていた。 「家に居ないと思えば……気配が違う場所にあるのでな。義勇のところに居たか」 「一人にしておけないって心配してくれたの。……天狗さんも心配して来てくれたんでしょ?」 「……ああ」 吹雪は微笑み、烏天狗に近付いて行き抱き着く。 「…………氷弥が鬼にされた。鬼舞辻は家族を二度も鬼にした」 「すまない。弟の事も見守っていたが何もしてやれず……」 「妖の皆は何も悪くない。……私が守り方を間違えた、その結果だから……ありがとう。私の弟だから気にしてくれてたんでしょう?人間なんかと関わりたくないのに私の為だからって」 「…………」 吹雪は烏天狗から離れ、顔を見上げる。 「だから天狗さんが謝る必要なんてないの。やれることをやってくれた、私の為に氷弥を見守ってくれて……ありがとう」 腰を折って頭を下げる吹雪に、烏天狗は何も言わずただ吹雪を見つめていた。 烏天狗――妖に頭を下げる光景は異質に見えるだろう。冨岡は吹雪と烏天狗の関係性を知っているから異質なんて思わないが、鬼と同様恐ろしい対象である妖と親しい上に敬意を持って頭を下げる吹雪は誰よりも優しくて、危うくて、儚くて……冨岡にとって愛しくて守らなければいけない相手。例え人でなくても、それは変わらない。 だからこの光景も目を逸らさず見届けなくてはいけない――そんな気持ちで二人を見守る。 頭を上げ、吹雪は再び烏天狗を見上げる。 「天狗さん律儀だね」 「律儀……かどうかは分からないが、吹雪の弟を見守っていたのは私が判断して動いたことだ。ならそれに対して相応の責任を取らねばならん。結果がどうであれそうするべきだと思っているだけだ」 烏天狗は右腕を上げ吹雪の頭に掌を置いた。そしてゆっくりと撫で優しい声音で話し掛ける。 「……力になると言っておいて大した役にも立てず悪いな。結局は吹雪に負担を掛けるだけになっている」 「そんなことないよ。皆が鬼の情報くれるから先読みして動けるし、対策も立てやすくて柱の人達も鬼殺隊員も助かってるのよ。ありがとう、天狗さん。妖のみんなにも伝えて」 「(……成長しても相変わらず眩しい笑顔だな)」 引きこもる程落ち込んでいると思っていたが、こんな眩しい笑顔を浮かべられるなら大丈夫だろう。一人ではこうならなかっただろうが、やはり傍にいてくれる冨岡の存在が吹雪にとって支えになっているのは見て分かる。まだ信用しているわけではないが吹雪が信頼を寄せるに足る人物だということは分かった。 (鬼の始祖め……関わるつもりはなかったが“企み”の為の愚行に吹雪を巻き込むことは許さん。貴様に賛同するほど吹雪は愚かではないというのが理解出来ないのか……。例え身内や大切な者を鬼にしたり殺しても貴様の手元には行かんぞ) 理解が出来るのは自分だけ――とでも言いたいのか。人でなくなる事を選んだその苦悩・哀しみ・葛藤……周りの人間が先逝くのを見届けることしか出来ぬ辛さは決して理解出来ぬことだ。自分を覚えている者が居なくなる、己の存在意義にすら悩むその人間らしさを理解出来ているなどとどの口が言うのか。 ――鬼舞辻、臆病者であるお前に吹雪を理解など出来やしない。 お前に、この眩しい笑顔の大事さが分かるか?否、永遠に生きていても決して無理だろう。 人と関わることを遠ざけて山奥に住む私はこの先も人と関わることはないと思っていた。おそらく住処に迷い込んできた吹雪は私に「人と関わらない未来」が無いというのを分からせる為の使者だったのだろう。人が怖いのではない、人と分かり合えてしまう人間性を雫一滴でも持ち合わせている私にそれを分からせる為に。 (他の同族がどうかは知らないが、私は少なくとも“それ”を持ち合わせている。でなければ吹雪に愛情にも似た感情など抱く筈がない) ――責任感。それが吹雪を気に掛けてしまう一番の要因ではあるが、あいつに押し付けられた事もある。 ――貴方、結局あの子を気にする羽目になってるじゃない。人を遠ざけていたのに呆れる。 ――…………。 ――何よ。無視する気?面白味のない貴方をからかって遊んであげてるのに。 ――……人のことを言えた口か?お前も楽しそうに相手をしてやっているではないか。 ――しつこいから仕方なくよ。 ――お互い吹雪に絆されている……周りの妖も同じだ。それでもまだからかうつもりなのか。 ――…………だから貴方面白味がないのよ。 つーんとそっぽを向く雪女だったが、機嫌を悪くしたわけではないようだった。 ――……貴方、私より吹雪と“付き合い”長くなりそうなんだからちゃんと最後まで面倒見てやりなさいよ。途中で投げ出すようなことしたら呪ってやるからね。 そう言い捨てフワッと宙に浮いて雪原へと戻っていった。 今思えば、あいつは自分が吹雪の行く末を心配して一緒に居る未来が分かっていたのかもしれない。雪女は覚えていないようだが、あいつが何故大事に鈴を持っているのか――その理由を私は知っている。きっと覚えていなくても直観で分かったのだろう。 何時か自分と同じ様に種を超えた想い人と巡り合う、と――。 吹雪の頭を優しく撫で続ける烏天狗に吹雪が不思議そうな顔で首を傾げる。 「天狗さん……?」 「……いや、今なら雪女の“気持ち”が分かると思っただけだ」 「彼女の気持ち?」 「……ああ」 ――チリ、チリン……。 今吹雪は日輪刀を身に付けていないが鈴の音が聞こえてきた。……ああ、何か感づいて警告しているのだろう。警告などしなくても話しはしないというのに……。吹雪と一つになっていても雪女の本能が鳴らしているのだろう。 「呪われたら堪らんのでな。話はしない」 「……誰に言ってるの?天狗さん」 「独り言だ。気にするな」 この“話”は私の胸の内にしまっておく。意地を張りたい雪女の想いを汲み取って――。 (十四) 終わり