本丸の運営が落ち着き始めた頃から藍姫にはある習慣がある。それは――。

 

 

 

  「…………」

 

 

 

 ――現在朝の五時。稽古場には見慣れない格好の藍姫が一人。目を瞑り精神統一をしている真っ最中、傍には普段審神者部屋の壁に掛けられている薙刀が置かれている。

 

 藍姫のある習慣とは、薙刀の朝稽古である。朝稽古の際は普段来ている袴姿とは別に稽古着を用意していたのだが、以前ずぶ濡れになった時に鶴丸国永から渡された内番着を稽古着に使用している。体格の違いで着こなすのは難しいと言った藍姫に、鶴丸は藍姫用に調整した自身の内番着(藍姫に渡したものを調整したらしい)を渡してきた。

 

 気を引き締めるのに白で統一された鶴丸の内番着は稽古着に向いているかもしれないと思い、今は稽古着として使用しているのだ。

 

 

 精神統一を止めて目を開け、一礼して薙刀を手に立ち上がり、構えをし薙刀を振るう。

 

 

 

 朝稽古は一時間。稽古を終え、一礼してから長めに息を吐き、汗で顔に貼り付いた髪をはらう。

 

 

 

 

  「――朝稽古してるってのは間違いなかったな」

 

 

 

 

 いきなり稽古場に響いた自分以外の声。振り返ると和泉守兼定が出入口に立っていた。

 

  「おはようさん、主」

 

  「おはよう、和泉守。貴方こんなに朝早かったっけ?」

 

  「いつもなら寝てる」

 

  「どうしたの?目が覚めたとか?」

 

  「前に主が朝稽古してるって話聞いてよ。確かめに様子見ってわけだ」

 

 様子見にしては内番着姿で手に木刀二本を持ってソワソワしているように見える。その予想は当たりで、和泉守は藍姫に一本木刀を放ってきた。

  「長谷部には止めろっつわれてるが、別に構わねーだろ?」

  「……手合わせしたいってこと?」

  「薙刀をあれだけ振れると分かっちまったら確かめずにはいられねーだろ。主の腕前、見せてくれよ」

  「もしかして手合わせするために態々早起きしたの?」

 

 藍姫の言葉に和泉守は目線を晒す。あ、これはその通りってことだ。

 態度は素直ではないが反応が正直だ。微笑ましくなりクスッと笑うと和泉守は不貞腐れる。

 

  「な、なんだよ!」

 

  「ううん、なんでもない。分かった、手合わせしよう」

 

 そう言うと和泉守は嬉しそうにする。

 

 

 

 程良い距離を空けて藍姫と和泉守は向き合い互いに木刀を構える。開始の合図はどちらかが動き出した瞬間、お互い相手の動きを見逃さまいと集中する。

 

  (……やっぱりその時代を生きたって気迫と緊張感がある。人相手だと感じられない鋭い殺気、手合わせだから無いに等しいけど隠しきれてない)

 

 父親に稽古を付けてもらっていた時を思い出す。父親が他界してからは誰かと打ち合いなんてしてこなかったが、刀剣男士と稽古をするなんて思いもしない。だがこれは良い経験になる。

 

 

 

  『――』

 

 

 

 どちら共なく一歩を踏み出して相手の間合いに入り込み木刀同士がぶつかり乾いた音が稽古場に響く。何度か打ち合いその場を離れ、構えながら双方ゆっくりと動く。

 

  (やっぱり男性の体格相手に力では無理。長期戦は無理だから速攻で終わらせるのが無難ね)

 

 藍姫がそう考えているのと同様、和泉守も同じことを考えてはいるが感心していた。

 

 

 

 

  (薙刀以外はどうかと思ったが、扱いは手慣れてやがる。色んな奴と手合わせはしてるが実力大して変わらねーな)

 

 実力の有無関係なく藍姫のことは敬愛してる。帰還の際の抱擁には戸惑うが嫌というわけではない。触れたら自分よりも小さくて、この身体の何処に強力な霊力が眠っていて、あの映像で観た軽やかな動きで敵を斬り伏せられる術があるというのだろう。

 

 軽く木刀を交えたが、こちらと同じことを考えていたようだ。先ずは相手を知ること、それからどうするべきか考えること……体格差もあるしそこは想定内。

 

  (これから主がどう動くか……力じゃ敵わねーから力押しはねーな)

 

 なら長期戦は避けるはず、となれば速攻あるのみ――。

 

 

 和泉守が先に仕掛け、打ち合いが再開される。時折足技も入るが難なく藍姫は対処する。

  「不意打ち狙ってんだが通用しねーか!」

  「想定内!」

  「じゃあ、これも想定内か?」

 

 和泉守の動きが速くなり間髪入れず仕掛けて来た。僅かな隙を見逃さず、和泉守は藍姫が持つ木刀を上空に弾き上げる。上空で回転しながら木刀は和泉守の越えて後ろに落ちる。

 木刀を飛ばされて藍姫は瞬きをし、先程まで握っていた両手に一瞬視線を向けて和泉守を見やる。

 

 

  「木刀がなけりゃ俺が有利だよな?どうすんだ主?」

 

  「…………」

 

 

 やり直しを申し出るかと思ったが藍姫は和泉守の懐に入り込み投げ技を仕掛けてこようとしてきた。すぐさま距離を取ろうと後ろに下がる和泉守に、藍姫は懐から短刀を模した木刀を取り出して接近戦に切り替えて来た。

 

  (マジかよ!?短刀隠し持ってたのかよ!)

 

 接近戦になれば体格の小さな藍姫が有利になる。体勢を立て直すには距離を取るしか――。

 

 

 すると藍姫の姿が消え、和泉守の股を潜り背後に回られる。近くに弾いた木刀が転がっているのを見逃さずに拾う藍姫が動き出す前に木刀を振るうが交わされて足払いされる。

 和泉守の体勢が崩れて背中から床に倒れ、藍姫に馬乗りにされ、左手の木刀は喉元、右手の短刀は切先が心臓位置を捉えている。

 

 

 

  「――……はい、終わり」

 

 

 

 薄らと笑みを浮かべる藍姫を和泉守は凝視する。至近距離で藍姫の顔をマジマジと見るのが初めてというのもあるが、ただ素直に――綺麗だと思った。

 刀剣男士として肉体を得てから人と手合わせするのは藍姫が初めてだ。彼女が今に至るまでどう生きてきたかは分からない。だがこの本丸で一緒に過ごすようになってから頑張る藍姫の姿はちゃんと見てる。こうして手合わせをしてる時でも懸命に生きていて、その姿勢が美しくて魅せられる。

 

 

 これが、人間ってやつか――。

 

 

 

 人は儚いとしても懸命な姿は眩しくて、“守りたい”と思う。自分より小さなその背中が抱えているものを自分達にも分け与えて欲しい。支えたい、他でもない今ただ一人の主である藍姫を――。

 

 

 

  「和泉守……?」

 

 

 

 首を傾げる藍姫にハッとして和泉守は現実に引き戻される。主の重さを感じるのも悪く――ってちげーだろ!

 

  「あー取られちまったか……俺の負けだ」

 

 身体から藍姫が退き、上体を起こして座った体勢で和泉守は藍姫に手を差し出す。

  「あんがとよ。流石主だな」

  「えーっと……ど、どうも?」

 差し出された手を握手だと思って応じる藍姫に仕返しをする。

 

 手合わせとはいえ藍姫に馬乗りされたなんてかなり嫌だった。藍姫の重さを感じるなら――。

 

  「!?」

 

 握手した手を引き寄せると藍姫は和泉守の膝の上に向き合う形で座ってしまう。驚く藍姫の表情に満足して和泉守は微笑みながら腰に手を回す。

  「ほっせぇーなぁ。ちゃんと食ってるか?主」

  「食べてるよ。食堂で食べてるの見掛けてるでしょ?」

  「執務室に籠ってる時は分からねーだろ。前程じゃねーが、食べずにいて色んな奴から説教食らってたもんな」

 

 可笑しくて笑う和泉守に藍姫はムッとして和泉守の両頬を軽く摘んで引っ張る。

 

  「今は気を付けるようにしてるでしょ!元々三食食べる習慣ないし、一食でも死ぬわけじゃないんだから別に良いでしょ!」

 

  「ひへーな!ふなせって!(イテーな!放せって!)」

 

 

 

 

 手合わせが終わって労わる気持ちで握手を求めてきたと思ったら、いきなり引っ張られて和泉守の膝の上に座らせられた。和泉守がこんなスキンシップをしてくるのは意外だと思ったが、仕事優先にして食事を抜いていた過去を笑う和泉守に苛ついて頬を引っ張る。

 

 変顔を見れて満足して放すと、明らかに不機嫌な表情になる和泉守。

 

 

  「いってぇーなぁ……」

 

  「笑う和泉守が悪い」

 

 

 不貞腐れながらも腰に回した腕を解くつもりはなく、立ち上がろうにもがっしりと腕が回されていて動けない。

  「……それで、いつまで私は和泉守の膝に座ってないといけないの?」

  「俺が満足するまで」

  「帰還した時の抱擁は恥ずかしがるのに自分からするのは平気なの?」

  「まあ、そうだな……」

  「じゃあ和泉守だけ帰還した時の抱擁はなしにするね」

 

 そう発言すると腰に回された腕が緩み、藍姫は和泉守から離れて薙刀を手に稽古場を後にする。その後を和泉守は慌てたように追い掛ける。

 

 

 

  「おい。さっきのはなんだよ」

 

  「言葉の通りだよ。帰還した時の抱擁はしないってこと。自分から行動起こすのは抵抗ないけど、されるのは違うんでしょう?嫌なことはしたくないからそうしようと――」

 

  「――嫌なんて言ってねーだろうが!」

 

 

 声を張る和泉守に立ち止まり、藍姫は振り返る。

 

  「え?違うの?」

  「ちげーよ!な、慣れねーだけだっ…………あんただから、許してんだよ……」

 

 顔を赤らめ言い淀みつつもちゃんと言葉にするが、照れくさいのか目線を泳いでいる。先程まで余裕な態度だったというのに、自分より体の大きな和泉守が気恥ずかしそうにする姿は稀に見ない貴重な姿だ。

 新鮮なその姿に藍姫は笑う。

 

 

  「ふっふふ、はははっ!可愛いね、和泉守」

 

  「はぁあっ!?」

 

 

 可笑しさが抜けなくてクスクス笑いながら歩き出すと、和泉守が大股で後を追い掛けてくる。

  「可愛いってなんだよ!おい、主!」

  「可愛いは可愛いだよ。それ以外なーし♪」

 

 されるのは嫌なんだと思って提案したのだが、あんな必死に追い掛けてきて弁明するとは。

 

 

  (でも、嫌じゃないなら良かった!和泉守の新たな一面が見れて嬉しいな!)

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 朝稽古を終えて審神者部屋に戻り服を着替え、執務室に移動する。机の上を整理しつつ準備していると入電が入って来た。応答すると沖浩宮が映った。

 

  《おはよう、藍姫》

 

  「沖浩宮……おはよう。こんな朝早くにどうしたの?」

 

  《取り急ぎで決まったことだから知らせるのは早目が良いと思ってね。――義母との面会の席が明日設けられた》

 

 

 沖浩宮の言葉に藍姫は目を見開かせる。

 

 

  《神宮寺家から藍姫と面会をさせろとの要望は何度か来ていたけれど、最近は迷惑なくらい煩くてね。私も義母を窘めてはいたけど古参共に急かされているのか暴走寸前でね。これ以上は時の政府に被害が及ぶ事を考慮して急遽設けることにしたんだよ。事前に藍姫と話し合って決めたかったけれど……すまない》

 

 苦笑する沖浩宮に藍姫は首を左右に振る。

 

  「しょうがないよ。近々面会するかもって事は想定してたし、遅かれ早かれそうなってたんだから沖浩宮が謝ることじゃないよ」

 

  《ありがとう。……明日私の部下を迎えに寄こすよ。刀剣を護衛に連れるなら二振りまで、面会は私と義母の二人だ。長時間話すことにはならないだろうから、面会後俊樹さんのお墓参りに行かないかい?明日の四月二十日は俊樹さんの命日だから》

 

  「いいの?父さんのお墓参りとはいえ政府の外に出ても」

 

  《許可は取っているよ。ただし刀剣は連れて行けないから戻るまで政府で待機してもらうことになる。大丈夫、私が一緒に行動するからその他の人間はいない。義兄妹だけで行くお墓参りだよ》

 

 

 義兄妹で行くお墓参り――その言葉にほんのりと表情を緩める藍姫に安心し、沖浩宮も微笑を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

  「――なにかあったの?主」

 

 

 任務を熟していると近侍の大和守安定に顔を覗き込まれる。なんでもないとはぐらかそうとしたのだが、「ちょっと休憩しようよ」と厨にお茶と茶菓子を取りに行かれてしまい、はぐらかすことは出来なかった。

 

 

 

 緑茶と茶菓子が用意され、一服すると大和守に改まって聞かれる。

  「誤魔化そうとしてもダメだよ。普通を装ってても浮かない表情してるの僕見逃してないからね」

  「……よく分かったね」

  「そりゃあ、清光から色々と聞いてるからね。僕だって主のことちゃんと見てるんだから僅かな変化だって見逃さないよ」

 

 何もなくても気に掛けて様子見したり心配してくれたり、義兄と似たような甲斐甲斐しさに藍姫は表情を和らげる。

 

  「……明日、生家の人間と面会するために政府に赴くことになったの」

 

  「明日?また急だね」

 

  「だから明日沖浩宮の部下の人が迎えに来てくれることになってる。面会するのは沖浩宮……今回は当主として、義兄としてね。後は私の母親。面会自体そんなに長くならないと思うから父さんのお墓参りにも行こうと思うの。明日命日だから。夕方までには戻ると思うから」

 

 後は護衛に付けれるのは二振りまで、墓参り自体に刀剣は連れていけないから政府で戻るのを待っていてもらうこと、義兄と二人だけで行く墓参りだと大和守に話す。

 

 

  「護衛の二振りはまだ決めてないけど、今日の内に決めて知らせるね」

 

 

 それ以上大和守は何も聞いて来なかったが、不安そうな表情のままだった。本当は色々と聞きたいことがあるとは思うが、どう言葉にして聞いたらいいか分からないのだろう。

 

 

  (今までみんなには自分のこと話す必要ないって思ってたけど、こんな不安そうな顔させるなら聞かれたら話すようにしようかな。自分から話すっていうのはその時次第かな)

 

 

 縁を切った家と……母親と面会するとなっても不安はない。だけど生家に居た時に受けてきた仕打ちを思い出すと気分は良くない。

 

  (それが顔に出てたのかな……)

 

 一対一じゃないから気持ち的には楽だ。義兄が居ると母親はそっちに構いきりになるから私には目もくれない。物心ついた時から邪険にされてたし、それを悲しいとは思わなかった。私を産んだ人というだけで母親とは言い難い。それなら最早他人と変わりないのだから大丈夫だ。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 厨に食器を持って行く大和守は息を付く。藍姫は「大丈夫」と笑顔で答えていたが、本当に大丈夫なのだろうか。

 

  「沖浩宮が居るならそこまで気にする必要ないのかな」

 

 義兄がいるから多少不安は解消されるのかもしれないし、今考えたところで何か出来るわけでもない。明日藍姫が無事に本丸に帰ってきてくれればそれだけでいい。

 

 

 

 厨に顔を出すと、加州清光が茶菓子を摘んでいた。大和守に気付き手を振ってくる。

 

  「やっほー安定!」

  「摘み食い?」

  「みんなの分用意してくれてるから、これはおれの分。安定は主と食べたんでしょ?」

  「うん、さっきまで休憩してたからその時に」

  「……なにしょげてんの」

 

 食器を片す為に洗い始めると、加州が近くに寄ってくる。

 

 

  「別に?そういうんじゃないよ」

 

  「じゃあなんなのさ。主と喧嘩でもした?」

 

  「喧嘩なんてしないよ。する理由もない」

 

  「じゃあなに?」

 

 

 加州はなんとしてでも聞き出そうと食い下がる姿勢を崩さない。その内皆に知らされる事だし、それが早くなるだけだから良いかな――と、溜め息を付きながら大和守は口を開く。

 

  「…………主、明日生家の人と面会するって」

  「明日?随分急なんだね」

  「沖浩宮と主の母親の二人と面会するだけみたいだけど、主浮かない顔してたから嫌なのかと思って。だけど――」

 

 

 

  ――放置って選択は出来ないよ。時の政府に何かするかもしれないし、今更何の話をするつもりかは知らないけど……イヤはイヤだけど、一対一じゃないだけ気持ちは楽だよ。義兄さんも居るし。

 

 

 

  「それに明日は主の父親の命日でもあるから、面会の後沖浩宮と二人でお墓参りに行くって。夕方までには帰るだろうって主は言ったけど……不安にもなるでしょ。連れ戻されるんじゃないかとか、また何かあるんじゃないかって!」

 

  「安定……」

 

  「一週間……目覚めなかっただけでも不安で堪らなかったのに、会えなくなるとかもっと嫌に決まってるだろ!今の僕達は主の刀で、主はとても大切な人なんだから!」

 

 本当は主の前で言うべきだったのかもしれない。“行ってほしくない”と――だけどそれが困らせる事だと分かってるから言えなかった。拒めば主や僕達刀剣全振り、政府や沖浩宮にも迷惑が掛かるかもしれない、子供みたいな駄々を捏ねて嫌われたくないし、心配する事も良いが信じる事も大切だ。

 

 本当に主を想うのなら信じるのが良いんだと思う。

 

  「……おれも同じこと思うし、考えると思う。間近で見てる分余計に」

 

 

 加州は大和守の肩に手を置く。

  「大丈夫って保証はないし、不安だけど本丸に残るしかないなら信じて待ってるしかおれ達には出来ない。主を大事に想う沖浩宮がいるなら下手な事は起こらないんじゃない」

  「それは、僕もそう思ったけど……」

  「政府の人間だけなら主に抗議するけど、沖浩宮が数日本丸に居て見て思ったのは主を可愛がるのは本当ってこと。面会もお墓参りも沖浩宮が主の近くにいるならそこは信用して任せてみない?」

  「……そうだね。ごめん、いきなり……」

 

 しょげる大和守の肩をポンポンと優しく叩く加州は「主の前で言わずにエラいエラい」と気合いの一発を背中に入れる。

 

 

 厨で騒ぐ大和守と加州の会話を戸の向こうで聞いている影があった。薬研藤四郎だ。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 内番も当番も遠征も合戦場も落ち着いてきて本丸に続々と刀剣達が帰還してくる。藍姫の本丸に顕現している刀剣が皆居るのを確認してから大広間に皆を召集する。

 

 なんだなんだとざわつく刀剣達だったが、藍姫が大広間に姿を見せると皆静まる。皆が静かになったのを確認し、藍姫は口を開く。

 

 

  「素早い召集ありがとう。今日みんなに集まってもらったのは伝えたい事があるからです。――明日生家と面会するために政府に赴いてきます。面会の後は父の命日なこともあり沖浩宮……義兄さんとお墓参りに行ってきます。夕方までには戻ると思うので、留守の間宜しくお願いね」

 

 

 藍姫が話している間も小さく隣同士でコソコソ話をしたりして刀剣達はザワザワしていた。

 

 

  「護衛は二振りまで、面会後のお墓参りには同行出来ないから政府で私が戻るのを待っていてもらいます。沖浩宮の部下が迎えに来てくれるそうだから、何時来てもいいように護衛の二振りは準備をお願いします。護衛の二振りだけど――」

 

 

 

  「――大将。決めてるところ悪いが俺っちに立候補させてくれ」

 

 

 

 護衛の刀剣の名を挙げようとした藍姫を遮って薬研が挙手する。

  「面会の形は知らないが、大将の傍であっても部屋の外だとしても直ぐに行動出来るのが一番だ。なら小回りが効いて機動の速い短刀が良い。……前回といい特殊な場合任せる刀剣は限定する方が俺は良いと思う。完全に油断して無様な姿見せたが、もうそんなヘマはしない――頼む、大将!」

 

 頭を下げる薬研に一期一振が頭を上げるように上体を起こさせようとする。

 

  「薬研、主を困らせるのは止めるんだ。主、弟が申し訳ない」

 

  「悪いいち兄。何を言われても俺は譲るつもりはない」

 

 立候補する刀剣が出てくるとは予想外だった。しかし二振りの内一振りは薬研を選出していたから立候補しなくても護衛で連れて行くことになっていたのだが……。

 

  (薬研なりに何か特別な理由でもあるのかな。譲るつもりはないってかなり強い意思があるみたいだし)

 

 とはいえ、立候補しなくても選出してるとは言い辛い。選出して間違いないなと感じながら薬研と一期に目を向ける。

 

 

  「……一期、大丈夫だから。薬研の強い意思を汲み取って護衛の一振り、お願い出来る?」

 

  「!?――ああ」

 

 

 受け入れられるとは思ってなかったのか驚いた表情を見せたが直ぐに表情が引き締まる。

 残るもう一振りは山姥切長義。監査官として時の政府に身を置いていたのを考えると本丸の中でも政府をよく知ると言っても過言ではないだろうと思ったからだ。

 

 名を呼ばれて「少しは政府の内部構造も知っているからな。適切な判断だ」と少し偉そうな物言いだが何処か嬉しそうだった。

 

 

 

 話が終わった後藍姫は山姥切国広を手招きした。応じて近くに来た山姥切に話し掛ける。

  「私が留守の間本丸の事お願いね。内番も当番も決めて手渡すから指示をお願い。非番で退屈そうな刀剣は手合わせに引っ張り出していいからね。手合わせに割り振られてなくても勝手に稽古場に行ってるらしいから、余計なお世話かもしれないけど」

  「ああ、任せておけ。皆主が帰ってくるのを首を長くして待っているさ」

 

 

 藍姫と山姥切が話しているその場から少し離れたところに居る薬研に加州が近づいて行く。

 

  「珍しいじゃん。薬研があんなに熱望するなんて」

 

  「そうか?……いや、違うな。加州と大和守が厨で話してるのを聞いちまったんだ。それで思い出してたんだ。あの時の事」

 

 薬研の言葉に加州は苦笑を浮かべる。

 

  「やっぱりそうなんだ。おれも薬研も当事者だもんね。嫌でも思い出すよ……あの時見たもの。だから口挟む人もいなかったんじゃない?それにあんなの見せられたら何も言えないじゃん」

 

 そして去り際に「主のこと守ってよね」と軽く薬研の背中を叩いて去って行った。

 

 

 まだ大広間に居る藍姫は山姥切と話し込んでいて、いつも目にすら元気で楽しそうな姿に微笑む薬研だったが、内心は明日の護衛に燃えていた。

 

  (あの時の二の舞は御免だ。絶対にな)

 

 藍姫の戦う姿と共に槍に突かれて血が飛び散る様、指先から滴る血、倒れ伏した姿、今にも起きそうなのに眠ったままの姿、思い出したくないが同時に奮い立たせるには十分なものだ。過去やかつての主はどうであれ、今は藍姫に仕える付喪神の刀剣男士――。

 

 

  (大将に忍び寄る敵はなんであれ貫いてやるさ)

 

 

 山姥切と話す藍姫が笑顔になる。一週間の眠りから覚めた時の微笑みも今見せる破顔も、どんな感情からくる表情よりも薬研は笑っているのが一番好きだ。その笑顔を守れるのなら生家にだって刃を向ける。

 

 その覚悟を胸に拳に力を込める。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 次の日――。

 

 

 朝の十時過ぎ、藍姫の本丸に尋ね人がやってきた。昨日入電で沖浩宮が言っていた部下だ。

 玄関先の外でその人を迎えると、沖浩宮同様顔半分を白い仮面で隠した部下は深々と一礼をする。

 

  「おはようございます、藍姫様。沖浩宮様から貴女様をお迎えに上がるようにと仰せつかっております勇(いさむ)と申します」

 

  「おはようございます。今日は宜しくお願い致します」

 

  「こちらこそ。沖浩宮様と同じく私(わたくし)も生家の人間でございます。貴女様に覚えて頂けていないかもしれませんが、お父様の側近としてお側にお仕えしていた二人の内の一人でございます」

 

  「父さんの……」

 

 すると沖浩宮の部下――勇は仮面を外して素顔を見せる。仮面の下から現れた顔に藍姫は目を大きくさせる。その反応に勇は微笑み仮面を付け直す。

 

  「覚えて頂けていたようで安心しました。もう一人の至(いたる)は生家の監視をしております。定期的に入れ替わってそれぞれの任務を遂行しております」

  「今は沖浩宮の側近を務めてるんだ」

  「はい。お父様から自分亡き後は沖浩宮様を支えてやってほしいと。勿論藍姫様のことも支え見守ってほしいと。……沖浩宮様には負けますが、貴女様を想う気持ちは同じにございます。――お話が長くなってしまいましたね。では参りましょう」

 

 

 踵を返す勇の後に藍姫が続き、その後ろに薬研と長義が付いていく。

 

 

 

 

 

 時の政府に場所を移し、廊下を歩きながら勇が注意事項を話す。

 

  「気を付けることと言ってもこちらより相手側の方が気にすることは多いくらいです。沖浩宮様……義兄が時の政府に席もあるというのは悟られないようにお願い致します。私(わたくし)はお部屋までご案内するのみ、その後は別の役人にお任せして別の場所で沖浩宮様を通して面会の様子を見守らせて頂きます。護衛の刀剣方は先程お渡ししたローブに身を包みその姿をお隠し下さい。関係者以外に刀剣男士の姿をお見せする訳にはいきませんので。そして面会中は部屋の外での待機でお願い致します」

 

  「部屋の外、ね。姿を隠す以外に接触にも慎重ということかな?人間と付喪神の区別なんてつかないと思うが」

 

  「山姥切長義の言う通り区別はつかないでしょう。ですが念には念を。政府外に何も漏らさないという保証もございませんので」

 

  「確かに、それも一理あるか……」

 

 面会場所が近くなったのか、廊下の途中で勇が立ち止まるのでそれに合わせて藍姫達も立ち止まる。勇は藍姫を振り返り、話し掛ける。

 

 

  「沖浩宮様が仰ったように貴女様の素直な気持ちをお話すれば良いのです。何を言われても所詮は上辺だけ……あの方達は自分達のことしか頭にない人達ですから」

 

  「うん。ありがとう……勇さん」

 

 

 勇と入れ替わるように別の役人がやってきて、勇は藍姫達に一礼をしてその場から去って行く。

 

 暫く長い廊下を歩き、大きな扉の前にやって来た。

 

 

 

  「面会相手は既に中でお待ちです。刀剣男士方は私と部屋の外での待機になります。余程の事がない限り中に踏み込むことはご遠慮願います」

 

 

 役人の言葉に薬研も長義も頷くだけで、藍姫は扉の前に立つ。

 

 

 

 そして意を決して――部屋の中に足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の扉を引き、部屋の中に足を踏み入れる。すると目の前に左右に長く伸びるテーブルがあり真ん中に人二人の姿が。一人は義兄、そしてもう一人は――。

 

 

 

  「…………久しぶりね」

 

 

 

 藍姫が姿を見せ微笑みながらこちらに優しい眼差しを向けてくるのは、生みの親であり母親である神宮寺静香(じんぐうじ しずか)。本来なら喜んで然るべきなのだろうが、藍姫は無表情で母親――静香に向ける視線は冷たい。

  「…………」

  「一年ぶりになるのかしら。元気そうね」

  「…………」

 

 感動の親子の再会、とはいかないなんとも言えないこの空気は完全に冷え切っている。正直静香の顔は覚えているが改めて見ても「この人が母親だったな」という感想しか藍姫の胸にはなかった。

 

 

  「久しぶり。立ったままなのもなんだし、座りなよ」

 

 

 笑顔を見せて座るよう促す義兄は何時もの義兄の姿だった。時の政府にも身を置いているとは思えない程自然な姿に誰も今日久しぶりに会う演技をしているとは思えないだろう。

 義兄の言葉に席に着き、久しぶりに家族と向き合うことになる。

 

 

 

  「…………それで、急に面会なんてどういう風の吹き回しなの?私と話すことなんてなにもないでしょ」

 

 

 

 自分でも驚く程冷静で冷たい物言いの言葉が出た。うん、案外落ち着いているな自分。

 

  「久しぶりに顔を合わせたのにそんな言い方……」

 

  「事実を述べたまでよ。時の政府に行くと私が言ったら喜んで「縁を切る」と言ったのは何処の誰と古参達だっけ?」

 

  「そ、それは……」

 

  「もう家の人間ではない部外者に何の話があるの。赤の他人ですよ?私達。――“義兄さんが居ればそれでいい”でしたよね?何か一言抜けてたりしてますか?」

 

 スラスラと喋る藍姫に静香は何も言えず唇を噛み締める。隣に居る義兄は口を挟むつもりは全くないらしく、口元に薄ら笑みを浮かべているだけだ。

 

 

 このまま何も言わずなのかと思ったが、先程までの優しそうな口調とは打って変わって態度も変わる。

 

  「……はぁー……娘のくせに可愛くないこと。母親に対してなにその口の利き方」

 

  「何しに面会に?」

 

  「折角切った縁を元に戻してあげようと当主である彼と上の方々が話し合って情けを掛けてくれたっていうのに……その報告に態々来てあげたんだから感謝くらいしてほしいものね」

 

  「その話に食い付くとでも?」

 

  「神宮寺家の看板をまた背負えるのよ?いいじゃない何もしないで楽に暮らせるんだし、貴女の場合これまで同様大して役にも立たないんだから居ても居なくても変わらないだろうけど!……あーあー……男で生まれてたら今より価値はあったのにね。貴女しか生まなかった私も色々言われたけど、それより下だものね?あんたなんて!」

 

 

 静香が発する発言で一年前まで神宮寺家に居た時の事が昨日のように思い出せる。

 

 霊力があっても女で生まれたというだけでゴミを見るような目で見られて、いつの時代の思考を持ち合わせているのかと思う男尊女卑、生業で今の地位を築いた栄光に胡座を掻く傲慢さ、表面的には良い顔を出来ても裏は欲塗れのドス黒い互いの腹の探り合い。そんな家にまだ戻る?どうせ家の為に、自分達の強欲を満たす為の道具にされるだけなのは目に見えている。

 

 

 そんなところに誰が戻るか――。

 

 

 

  「――悪いけど、あの家には戻らない」

 

 

 

 椅子から立ち上がり、扉に向かう。後ろから静香の怒声が聞こえるが気にしない。扉の取っ手に手を掛けながら振り返り、静香に目を向ける。

  「いつまで母親面してるつもりか知りませんが、血の繋がりはあっても私は娘でもなければもう家族でもない。都合の良い時だけ娘とか家族なんてものを引き合いに出すなんて人としてお終いね――」

 

 そう言い残し、私は部屋を後にした。部屋を出て歩き出すと後ろを薬研と長義が付いてくる。

 

 

 

 

 

 

 藍姫が部屋から出て扉が閉ざされると、静香は憤慨しながら椅子に再度座り直す。

  「はぁ、やっぱり素直に頷くわけないわよね。結局あいつ等も何の役にも立たなかったし、説き伏せるなんてのは止めて力尽くで連れ帰ることくらいしないと――」

 

 

 

  「くっくく……」

 

 

 

 静香の右隣に座る義兄――今この場では本名の奏と呼ぶべきだろう。今の今まで一言も発さなかったが、先程の笑い声は静香のものではない。であるなら、奏しかいない。

 

  「……か、奏……?」

 

  「ははっ。ふふ、はっはははははっ!!」

 

 急に笑い出す奏を静香は訝しげに見つめる。ひとしきり笑い終え、呼吸を整える。

 

 

  「はぁ~……思っていた通りの返答につい笑ってしまったよ。そして静香さんには問い質さないといけない。「切った縁を元に戻してあげる」……そんな話を古参や幹部達と私が何時話し合ったのか、その証拠を提示してもらいたい」

 

 

 奏の刺すような視線に静香は顔を伏せる。

 

  「提示、出来るわけないですよね?私自身そんな話し合いの場に出席した覚えありませんし、その話し合いに居たという証拠を捏造なんてそれは幾らでも出来る。つまり、私に内緒で古参・幹部達とグルになって妹を神宮寺家に逃げられないようにして監禁・隔離しようとしていた、――そういう事で合ってます?」

 

  「なに、言ってるの?そんなことをして、私になんのメリットがあるというの?」

 

  「協力すれば古参達の中から神宮寺家当主になった奴の傍に置いてもらえて良い思いをさせてやろう……とかそんなところかな。それを鵜呑みにするなんてつくづく貴女という人は馬鹿ですね。だから利用されるんですよ。用が済んだらどうなるかも知らないで」

 

 立ち上がると怯えた目をした義母がこちらを見上げていた。

 

 

  「私はまだ政府と話があるので、静香さんは先に戻ってください。そして古参達にどうぞ頭を垂れて報告をお願いします。『妹が家に戻ることはない』と――」

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 時の政府の前に停まった神宮寺家の迎えの車の後部座席に静香は顔を青くして乗り込み、去って行った。去って行ったのを確認し踵を返して奏は時の政府の中へと戻って行く。中に入って直ぐ藍姫と護衛の薬研と長義、そして部下の勇が出迎えた。

 

  「義母は大人しく家に帰って行ったよ。じゃあ藍姫、行こう」

 

  「……現世に行くのに合わせて服も用意してたなんて……どうやって用意したの?」

 

  「ん?私が見繕って用意したんだよ。この間服屋を色々と見ていた時に藍姫に似合いそうなワンピースを見つけたからね」

 

  「……そう、なんだ」

 

 ニコニコする奏にそれ以上藍姫は何も言わなかった。サイズも好みも把握している奏のチョイスに特に言うこともなかったから。

 

 

  「それじゃあ、行ってくるよ。藍姫の刀剣達と私達が戻るのを待っていてくれ」

 

  「承知致しました。お気を付けて行ってらっしゃいませ」

 

 

 深々と礼をし見送る勇、心配そうに見つめる薬研、落ち着いた様子の長義、そんな彼等を一瞬振り返り藍姫は微笑んで手を振って政府の外へと外出していく。

 

 

 

 

 

 

 一年ぶりに歩く現世は特に変わっていなかった。お墓に供える為の花を買いに街へと赴いても人の行き交い、賑わい、喧騒もそのまま。そして買い求めた後墓地へと向かう。

 

 父が眠るお墓は神宮寺家の先祖達が眠る墓地の中にあり、墓地の管理は代々神宮寺家の者が務めている。現世も桜が満開になる時期で、墓地の周りには桜の木が囲われるように植えられていて、もし満開なら寂しく薄気味悪いと言われる場所であっても華やかかもしれない。

 

 

 時の政府を出て以降、奏は藍姫――巴の手を引いて墓参り用の花を買い、墓地へと向かっている。目的地が近付いてきていても放す気配はない。

 

  「……なんで政府出てからずっと手を繋いでるの?」

 

  「たまには良いじゃないか。妹と手を繋いで出掛けるなんて数えるくらいしか出来ないんだから」

 

 政府を出てから階段を下りる時のエスコートで奏が差し出してきた手を取ったのだが、その後一度も手は離さなかった。隣を見上げると嬉しそうに前を見据えて歩く義兄の横顔が見える。優しく握られて繋がれた手は父親と手を繋いでいた時と同じで温かい。先程交わした会話以外特に話さなかったが、嫌な空気が漂っているわけではない。

 

 このままお墓参りを終えて帰るまで話さないかもと思っていたのだが。

 

 

 

  「……巴は、二度と神宮寺家に帰りたくないと本気で思ってる?」

 

 

 

 降って来た言葉に驚いて立ち止まると、合わせて奏も歩みを止めて巴と向き合う。

  「義母との面会の場では思っていることそのまま伝えればいいと言ったけれど、それはあくまで義母からの提案に対する巴の本音を言えばいいってだけ。そうでなかった場合――家に帰って来ないか?と問われても巴は同じことを言う?」

  「…………」

 

 思ってもいない質問に巴は言葉を詰まらせる。そんな反応をすると予想出来ていたのか、奏は優しく微笑む。

 

  「直ぐじゃなくて構わないよ。政府に戻るまでにもし答えが出たら教えてほしいな」

  「……分かった」

 

 落ち着かせる為か、奏は繋いでいない方の手で頭を一撫でして歩き始め、巴もその後に続く。

 

 

 

 

 

 神宮寺家の墓地に巴と奏が姿を見せた頃、その様子を離れたところから望遠鏡で観察する人間が居た。

 

  「……墓地にあの娘と当主が姿を見せました」

 

  《そうか。くれぐれも当主には当てるなよ?あくまで狙いは娘の方だ。殺す必要はない、脚を狙って動けなくすればいい。任務完遂後近くに待機している者に娘を回収させる。当主は腕のない奴だ。どうとでも出来る》

 

  「了解」

 

 トランシーバーを胸ポケットにしまい、配置に着く。

 

 狙いは娘の脚、スコープを覗き狙いを定めて標的が動かなくなるのを待つ。墓に花を手向け、線香を焚き、手を合わせる後ろ姿が見える。今なら暫く動くことはない――引き金に手を掛け引こうとした――。

 

 

 

  「――実行に移してる現行犯での捕獲――」

 

 

 

 頭上から降ってきた声を聞いた後、狙撃しようとした人物の意識が遠くなり狙撃は未遂に終わった。

 

 

 

 

 

  『…………』

 

 俊樹の墓前で手を合わせてそれぞれ胸の内で話し掛けている中、奏の胸ポケットにあるスマホが振動する。

 

  ――!――!

 

  ――!

 

  ――!――!――!

 

 始めに二回の振動、そして間隔を空けて一回、更に間隔を空けて三回の振動……どうやら手筈通りに向こうが動いてくれたようだ。そしてそれは今回の面会と墓参りに乗じて秘密裏に進められていた“事”が事実だったいう知らせでもある。

 

 

  (全て回収完了、あとは――)

 

 

 

  「――義兄さん」

 

 

 

 巴に呼ばれて目を開ける。手を下ろし、父親の墓を真っ直ぐ見つめる妹の目には迷いがなかった。

 

  「…………あの家で過ごした記憶は、辛くて苦しいことの方が多い。だけど父さんが亡くなるまで一緒に過ごした楽しくて幸せな思い出もあの家にはある。正直審神者になって家を離れることになっても父さんの遺品も自分が過ごした部屋もあるあの家に、たまにでもいいから帰れると思ってた。だけど家を出ることになった途端「縁切り」だと言われて、本当の意味であの家に私の居場所は無かったんだなって思った――」

 

 

 唇を噛み締めて、巴が俯く。

 

 

  「……父さんと過ごしたあの家に父さんが遺してくれてる生きてきた証も、私の父さんだって証明も、私が生まれてから残してくれてる成長記録も、私があげた物も、お祝いに買ってくれたものも、大切に育ててくれて愛してきてくれた、その……全部……あの家に……何も残って無かったとしても、私がちゃんと……覚えてる……!」

 

  「…………」

 

  「どんなに蔑まれても、存在してない扱いされてたって父さんとの思い出がずっと励ましだったから……だから!あの人や祖父母が居ようと古参達が居ようと、生まれて父さんと過ごした大切な場所だから……帰れるなら、帰りたいっ……!!」

 

 

 

 

 養子として神宮寺家に入ってから一度も巴が泣いたところは見たことがない。陰で泣いているのかと思ったがそれもなかった。何があっても酷い扱いを受けようとただじっと何も言わず無表情でいた。それは年月が経とうと変わらずで、周りからの扱いで感じ方が何処か狂ってしまったのだろうかと思っていたが、そんなことなかった。

 俊樹さんの墓前の前で、此処に来る前に投げ掛けた質問の答え――純粋に「家に帰ってこないか?」と言われても断るのか……その答えを聞かせてくれた。

 

 きっと父親の墓前だからだろう。本丸に戻れば審神者として過ごさなければならない、その時でも“神宮寺巴”として過ごしてはいるだろうが刀剣達の手前そうも出来ないだろう。今なら“神宮寺巴”として家に対して、父親に対して奏の前でだから本音が言えるのではないだろうか。

 

 義理とはいえ妹になった巴は無表情だろうと可愛い妹だ。髪が伸びて邪魔になってきただろうと髪留めをくれたり、自分に構ってると酷いことされると心配してくれたり、信用していないながらもちゃんと見てくれていて信頼出来るかどうか見極めようとしてくれている。自分が養子に来たせいでより酷い扱いを母親から、祖父母から、古参達から受けてきたのに……。

 それでも負けずに踏ん張って生きる巴は奏がこれまで出会ってきた誰よりも強くて逞しく美しい。これまで弱音も愚痴も何も言わずにいた巴が……。

 

 

  (そうだよな。泣きたいくらい悔しくて辛かったよな)

 

 

 涙を流しながら気持ちを吐露する巴を奏はそっと抱き締めてやる。

 

 

 

  「…………ありがとう、巴。その気持ちが聞けただけでもう十分だ」

 

 

 

 ポケットからハンカチを取り出し涙に濡れた顔を拭ってやり、ティッシュを差し出して鼻をかむよう促す。素直に鼻をかむ巴は幼子のようだった。愛しさから表情を緩ませて頭を撫でたり背中を摩ったりしながらも初めて見た巴の姿を目の当たりにして奏の心は決まった。

 

 

  (これでもう――情けや慈悲は要らないな――)

 

 

 

 

 

 

 

 時の政府に戻るまでの間に落ち着いて泣き顔も通常に戻り刀剣達に察せられることはないだろう。どうだったのかと刀剣達に問われるだろうが、そこは上手く纏めて話すだろう。

  「……良いの?この服貰っても」

  「藍姫の為に用意したものだから、藍姫に着てもらえないなら処分するしかないよ。他の人にあげる何て選択肢はないからね」

  「…………ありがとう。貰っておく」

 

 父親の墓前でのことがあったからか、少し照れくさそうにする藍姫に奏は笑う。

 

  「可愛いな~私の妹は!目に入れても痛くないよ~!」

 

  「…………」

 

 プイッと顔を背けられても奏はニコニコとしたままだ。そんな奏に勇は頬を掻く。

 

 

  「いつになくシスコンっぷりがパワーアップしているような……」

 

 

 何時もの妹を可愛がる兄の絵面なのだが……何処かパワーアップしているように感じるのは気のせいだろうか。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 藍姫が護衛と共に本丸に帰還したのを見届け、奏と部下の勇は一緒に時の政府を後にする。政府の前に止められている神宮寺家の車の後部座席を勇が開け、奏が乗り込むとドアを閉める。勇が助手席に座ると車は発進する。

 

  「……奏様の指示通りあいつ等はそれぞれの場所で大人しくしてもらっています。如何致します?」

 

 運転手を務めるのは勇と同じ奏の部下。時の政府では至、現世ではカイと呼ばれている。因みに勇は現世ではケイと呼ばれている。

 

  「私が話を付ける。蜜を貪ることしか出来ない害虫共に分かり易く示すべきだからね」

 

  「巴様から本心はお聞きに?」

 

  「ああ。……幾ら何も思わない・考えないようにしていたって悔しくて辛い……目にしていた私ですら胸が締め付けられる想いだったんだ。本人はそれ以上に決まっている」

 

 長い脚を組んで窓の外を見つめる眼光はこれまでの穏やかなものではなく、藍姫の前で一瞬見せた真剣な顔付き・冷徹な眼差しそのものだ。

 

 

  「巴を泣かせる、苦しめる、悲しませる、害を加える、害を成すことを思考・実行する時点で制裁をする理由としては十分だよ。クズゴミはゴミ箱に、ね」

 

 

 

  ――風通しを良くするための害悪廃棄物処理を始めるとしよう――。

 

 

 

        (十一)に続く