朝から騒がしかった花見は夕方まで続いた。藍姫を筆頭に何振りかの号令でお開きとし、皆が協力して後片付けをして花見は終わりを告げた。

 楽しい時間はあっという間でもう少し楽しみたかったという声もあったが、一日中羽目を外す訳にもいかない。

 

 花見のような全員で楽しめるイベントはまだまだある。全力で楽しむことも必要だが、区切りは大切だ。何事も無く終わりそうな一日でも何が起こるか分からない。常に気を張り詰める必要はないが全員が緩んでいたらいざという時に大変なことになる。だから本丸の中心である審神者――藍姫は常に警戒は怠らない。

 

 皆と楽しむイベントであっても直ぐ行動出来るように。

 

 

 

 

 

 

 今日は天気も良く、春とはいえまだ肌寒さも残る夜であっても丁度良い温度で寒くない。静寂だが桜の華やかさが夜でも衰えず、穏やかな空気が庭園に広がっている。

 

 そんな庭園に人影が一つ――藍姫の姿があった。

 

 

 

  「…………」

 

 

 

 藍姫はいつもの袴姿ではなく、浴衣に羽織を纏った姿で庭園に立ち尽くして桜を見上げていた。浴衣姿なのは後はもう寝るだけという寝る準備万全な姿、寝る前に夜桜を味わうのも良いだろうと庭園に寄り道をし、桜を愛でている。

 

 

 

  「――冷えはしなくても、程々にな。主」

 

 

 

 背後から声を掛けられて振り返ると、軽装姿の山姥切国広がこちらに歩み寄って来るところであった。山姥切は藍姫の左隣に並び、同じように桜を見上げる。

  「…………」

  「…………」

 何も言わずに静かに桜を見上げる二人の間に気まずい雰囲気はない。話さなくても通じ合っているような互いに信頼し合っているのが滲み出ている。

 

 暫く何も話さずだったが、先に口を開いたのは山姥切だった。

 

 

  「……なんとなく、主が此処に居るような気がした」

 

  「私に何か用でもあったの?」

 

  「いや。……一周年は過ぎたが、あんな事があって祝える余裕はなかったからな。落ち着いた頃合いが花見の時期と重なれば、主が一人で庭園に来る時があるだろうと予想していたまでだ。本丸発足時、俺だけだったからな。この庭園で主が話していただろう?『一年経ったらこの庭園で初心を思い出しながら話そう』と――」

 

 

 その言葉を聞き山姥切に視線を向けると、同時に山姥切もこちらを見やり互いの視線が重なり見つめ合う。

 

 

 

  「…………覚えてたんだ。私が言った事」

 

  「覚えているさ。聞き流されていたと思われていたのなら心外だな」

 

 

 

 そう言いながらも山姥切は微笑んでいる。

 発足当初顔を隠すように布を被っていた時は目を合わせようとしていなかったが、時折見える瞳には強い意志が宿っていた。それは今も変わらずで、変わったとするなら迷いのない凛々しい顔付きで藍姫を見つめてくれることだろうか。

 

  「お互い分からないことだらけだったな。歴史を守る……それは明確に理解出来ていたが、その他は分からないことばかりだ。あんたに対しても主だと思うにも最初躊躇いはあった。だが、初めて合戦場に出陣して怪我した俺を見てかなり動揺していたな。今では見られないが、泣きながら手入れ――」

 

  「しょうがないでしょ!審神者が何をするものかも理解しきれてないし、刀剣男士って付喪神だと言っても人と同じで怪我したら痛いし血も出るんだよ!?目の前で大怪我したら衝撃でびっくりするし動揺するしパニックになるし、百聞は一見に如かずにしても情報量過多だったんだよ!」

 

 

 今でも覚えている。

 

 五振りの中から初期刀を選ぶことになり、勘に近いもので山姥切国広を選んだ。目の前で顕現し桜吹雪の中から現れた付喪神に目を瞬かせたものだ。人と同じ成りで目の前に現れたのだから。

 

 「付喪神と話すのだって初めてだったし、だけどまんばくんなんか素っ気ないし……不安もあってこんのすけから説明されながらも頑張らないとって気を張ってた。それで合戦場に出たらあんな大怪我……手入れすれば直るって言われたけど、だからって傷付いたら痛いし辛いのが分かるから自分のせいでそうさせたと思うと申し訳なくて……初っ端とはいえ悔しかったの!」

 

 

 これからこんな戦いに身を投じるのが刀剣男士だけになるとはいえ、大怪我はさせたくない。だから最初のあの合戦場で刀剣男士を守る為に自分が何をすべきか直ぐに理解出来た。

 

 練度を上げて、刀種も増やして、地形や環境に合わせて戦略を練り、人の成りを得たのなら人間の身体や感情といった初めての事を教えて、これから本丸で生活をしていくことになるから一緒に生活するという事に必要なものも教えて、困ったことがあれば共有して改善して、現世で家族と暮らすのと変わらない生活を送る上で大切なことは何かというのも自分なりに説いて纏めなければならない。

 

 ある意味組織の上に立つ立場になり、審神者としての職務に任務をこなしながら刀剣男士達を纏められるのか不安はあったが、今では現世での生活と変わらない日々を送れている。

 

  「だから、次からまんばくん達を大怪我させないために出来ることはなんでもしようって決めたの。絶対に折れさせない、相手を知るために戦場にも出た。……途中から式神に変えたけど」

 

  「自ら合戦場に赴くのには驚いたぞ。皆の根気の説得で式神にすると妥協してくれたことには感謝する。本当は式神も止めてほしいところだが……」

 

  「それはイヤ!みんなからの報告でも十分かもしれないけど、やっぱり自分の目で見て感じることも必要よ。相手を知るには実地が一番!」

 

  「時に主は頑固だな」

 

 苦笑する山姥切に藍姫は悪戯っぽく笑う。

 

 

 

 

 

 

 庭園で話す藍姫と山姥切を建物の影から見つめる影が一つ――。

 

  「…………」

 

 山姥切長義だ。

 

 

 

 

 

 

 山姥切は藍姫の左肩にそっと触れる。

  「…………肩は、もう大丈夫なのか?」

  「うん、大丈夫だよ。念の為定期的に薬研に診てもらってるから」

  「そうか……」

  「沖浩宮が治癒してくれたお陰で多少は傷残るけどマシだから。『女の子なんだから、残るにしても小さく薄い方がいいだろう?本当は傷痕なんて残ってほしくないんだけれど、怪我がそれなりに大きいからね』――とか言ってたよ」

 

 

 本丸を去ったその日の内に秘密裏に入電をしてきて義兄はそう言った。言い忘れたことがあるというから何かと思えば、それを伝えた後は「痕が残る傷も治癒出来るように研究しようかな?」等と言い出すものだから……。

 

 

 

  ――治癒する時間が長くなれば、回数が増えるだけ疲れるんだから無理はしないでよ。あまり使いたくないとか言ってなかった?

 

  《それはそうなんだけど……妹の為なら疲れるくらいなんてことはないさ!それに……心配してくれるのかい?嬉しいなぁ~!本気で研究しようかな!》

 

  ――心配されたからって調子乗るな!!

 

 

 

  「ほんっとあの人調子良いんだから……」

 

  「掴みどころのない奴だな。沖浩宮は」

 

 何を考えているか分からないから信用出来ないのだが、私を守ろうとする姿勢は養子に来てから今も変わらない。信用されていないのを分かっててもそうしてくれるところは、大事にしてくれていると少しずつでも信じてみようかなと最近思っているのだが。

 

  (そう言ったら益々調子に乗りそうだから、見極めるのは怠らないようにしよう)

 

 家のことに時の政府の仕事、片方だけでも時間なんて割けないだろうにどうやってやるつもりなんだか。疲れが取れなくて政府に身を置いてるなんてバレたら義兄の立場が危うくなるというのに……危機感がないのだろうか。

 

 

 

  「――主」

 

 

 

 山姥切に声を掛けられ顔を上げると、真剣な面持ちでこちらを真っ直ぐ見つめていた。

 

  「この本丸で主と過ごしながら仲間が増えていくのを見ていた。分からないことも初めてのことも経験すればするだけ人は難しいものだと実感する。それが主にとっては当たり前なのだと思うと、そんな人達で積み重ねてきた歴史は大事なのだと改めて感じる。……主は言ったよな?」

 

 

 

  『みんなもかつての主の為に歴史通りにすることが良いのかどうか葛藤してるのは分かってる。もっと生きていてほしい、こんなことが起こらなければ成し遂げられたかもしれない……私は貴方達が誕生していた時代のことは知る術もない。文献や口伝で伝わったものから想像することしか出来ないから、本当はどんな人だったかよく知るみんなには及ばない。

   でもね、それぞれが積み重ねてきたものがその人の歴史で、自ら選んで来た道だと思うの。こうしてほしかった――それで道が変わったら、その人達の想いも生き方も否定してしまうんじゃないかなって私は思う。

   その人に繋がる人や出来事を変える為にすることも、生まれて来なかったり存在そのものがなくなるかもしれない。人だけじゃない、刀剣貴方達の誰かが鍛刀されずに会えなかったかもしれない。

   何処で重なるか、交わるか分からない縁が歴史と共に続いて人それぞれの“今”に繋がってると思うの。私達の守る歴史は人々が繋げて紡がれた物語だって私は考えてる』

 

 

 

  「俺もそうだと思っている。そしてそれはこの本丸での日々にも言える。例え誰にも知られることのない事でも俺達にとっては大切なものだ。こうして主と会えて、教えられ、一緒に過ごせる時間はかけがえのないものだ。だから――俺達は皆強くなる。もう二度とあんなことにならないように」

 

 

  ――本当に、変わったな。まんばくん。

 

 初期刀の成長を目の当たりにして嬉しい気持ちで一杯になる。顔を見られないようにしていた彼が真っ直ぐ強い意志が宿った瞳で私の目を見つめてくれる。率先して纏め役となって皆を引っ張ってくれる。

 

 嬉しさのあまり目の奥が熱くなるが、それを誤魔化すように笑顔を浮かべる。

 

  「……うん。私も精進して見損なわれないように努めるよ」

 

  「主は頑張り過ぎなくらいだ。俺達を頼ってくれ」

 

  「ふふっ……綺麗だね、まんばくん」

 

  「き、綺麗とか言うな!」

 

 

 

 

 

 楽しそうに話す藍姫と山姥切を見ることなく、長義はその場を離れる。

 

 

 

 

 

 大丈夫だと言ったのだが「部屋まで送る」と譲らない山姥切に折れて送られることにした。

 

  「ありがとう、まんばくん。初心に戻れる話が出来て良かった」

 

  「ああ、俺もだ」

 

 じゃあおやすみ――と言おうとした途端優しい動作で山姥切に抱擁される。びっくりして声が出ず固まっていると山姥切の顔が近付いてきて左頬に遠慮がちだが唇が触れる。

 

  「おやすみ――」

 

 微笑みを残して去って行く山姥切の背中を藍姫は目を瞬かせながら見送る。

 

 

  「?、??」

 

 

 頭を搔きながら首を傾げる。え?ん?えーっと……今まんばくん、頬に口付け、た……?

 

 襖を開けて部屋に入り戸を閉める。そして布団を敷き寝ようと布団を被ったのだが……。

 

 

  (……昼間のお鶴といい、さっきのまんばくんといい……なんで頬に口付けなんて…………そういうスキンシップを覚えたとか?かな)

 

 

 それとも他の刀剣から教わったとか?若しくはそうしたくなる何かに駆られた?

 

 

  (感情を学んでいくにつれて自ら行動に移す……主として認めてくれて……それを表現し、て…………くれてる、の…………か、な…………)

 

 

 睡魔があっという間に藍姫を夢の中へと誘う。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 同時刻、山姥切も床に入ったのはいいが昼間に見た光景が忘れられなくて目を瞑れば蘇ってくる。

 

 庭園で開かれていた花見の席に途中から藍姫の姿が見えなかった。探しに行った審神者部屋の縁側に藍姫の姿が見えて声を掛けようとしたが――右隣に鶴丸が居た。鶴丸は藍姫に凭れ掛かっていて、とても声を掛けられる雰囲気ではなく山姥切は部屋を後にした。

 

 

 

  (あの時、胸が苦しかった。皆の主なのだから独り占めなんて出来ない……分かっている。分かってはいるが)

 

 

 

 この本丸創設当初から一緒にやってきて、初期刀としてどの刀剣よりも主の傍に居た。だからなのか、“初期刀”という立場で主にとって特別に近い立ち位置に自分はいるものだと思っていた。

 そう思っていたから鶴丸と一緒に至近距離で居るのを目の当たりにして悔しいと思った。反抗したくて、少しでも自分を気にして欲しくてあんな行動をしてしまったが。

 

 

  (主に避けられたりしないだろうか……)

 

 

 驚いた表情ではあったが実際はなんて思っていたのだろう。明日主と顔を合わせても何時も通りでいられるだろうか。

 

 

 悶々と考えていたら何時の間にか眠っていて、目が覚めた時には朝を迎えていた。

 

 

 

        (九) ショートストーリー 終わり