「…………」

 

  《キヒイィキヒヒ》

 

 小学校帰りの通学路、お店の看板の上にいる小さいヘンテコな成りの何かが氷華を見て笑う。

  「やめなよ、その笑い。気持ち悪いから」

  《キヒィ……》

  「…………(落ち込んだ)」

 

 氷華の言葉が分かるのか、明らかに落ち込んでいじけている。

 

 昔は分からなかった目の前の何か……蝿頭(ようとう)と言われる4級にも満たない雑魚呪霊に過去よく話し掛けていた。目が合っても攻撃はしてこず、近寄ればこちらを観察するように周りを跳ねるよく分からない生物だと、当時氷華は思っていた。

 

 

 

  「氷華ちゃん?どうしたの?」

 

 

 

 一緒に帰っていた幼馴染の聡が付いてこない氷華を気にして引き返してきた。

  「看板の上にヘンテコな生き物いて」

  「看板?……何もいないよ?」

  「え?いるよ、ここに!」

 

 指差しても聡には視えないらしく、首を傾げられた。

 

  「氷華ちゃんたまに変なこと言うよね。何もいないって。ほら、早く帰ろう!――」

 

 手を引っ張られて連れて行かれ、振り返ると看板の上には相変わらずヘンテコな生物がいて、氷華をジッと見ていた。

 

 

 ――こんな風に、氷華に視えて周りには視えない。通学路、学校、日常でも視えるのに自分だけ……そいつ等に襲われたことはないが、興味を持たれて近付かれたことはある。襲おうとするのではなく、犬や猫が人に近付くように近くにくるのだ。

 

 周りにも幼馴染にも視える“何か”だけは理解してもらえなかった。変なことを言うと気味悪がられたりするから不意に言ってしまう時以外言わないように努めた。

 

 

 だけど弟の事故以降は1人になることが増え、見掛けるヘンテコな生物も近付いてこなくなった。明らかに春翔を警戒して隠れていたし、春翔が消してしまった時もあった。そして――春翔が私を守るために重傷、重体、負傷させるようになってからより一層周りに何も言えなくなった。

 

 自分はどうすればいいのか、このままずっと苦しみながら過ごすしかないのか、神経は擦り減っていくし精神的に参る寸前だった。そんな時話を真剣に聞いてくれる人も支えも何もなくて、呪術高専が初めて理解を示して話を聞いてくれた場所だった。

 だから以前まで住んでいたところも幼馴染すらも、氷華の中で無くてもいいものへと変わってしまった。

 

 

 本気で心配してくれていた聡には悪いが、それ程呪術高専に救われたということだ。そのきっかけを与えてくれた五条も理解してくれる人の1人。周りも春翔の呪いを周知しているから隠すことなく生活が出来て肩の荷が下りて軽い。

 

 

 

 

  「…………(目が覚めちゃったな)」

 

 

 朧気だが小学生の時の夢を見た。枕元の携帯に触れて時間を確認すると夜中の2時。良い夢でも悪い夢でもないが、聡のことがあったからか小さい頃の夢をよく見る。それも春翔の事故前と以降を交互に見ている感じだ。

 再び目を閉じていれば寝れるだろうが、パッチリと目が覚めているのでそれも難しそうだ。温かい飲み物でも飲めば少しは違うだろうか。

 

 隣で寝ている五条を起こさないようベッドを抜け出し静かに部屋から出ていく。

 

 

 氷華が部屋を出てすぐ、五条は目を開けた。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 ケトルでお湯を沸かしている間にマグカップにココアを入れる。ココアをしまおうとすると横から別のマグカップが出てきた。隣を見上げると珍しくサングラスをしていない五条が居た。

 

  「僕にも入れてほしいな。付き合うよ」

 

  「起こしちゃいました?」

 

  「ううん。僕も目が覚めただけ」

 

 五条のマグカップにもココアを少し多めに入れ、お湯が沸いたので2つのマグカップにお湯を注ぐ。よく混ぜてから先に五条にマグカップを手渡す。

 

  「ありがと♪」

 

 キッチンでそのまま立って飲む。温かいココアの甘さが身に染みるようだ。軽く息を付くと、五条が笑う。

  「落ち着いた?」

  「……はい。温かい飲み物っていいですね」

  「眠れそう?」

  「だといいな」

  「最近夜中に起きてるでしょ。夢見が悪い?」

  「……気付いてたんですか?」

  「いつも朝までぐっすり寝てるのに、最近夜中に起きてよく寝返り打ってる。今回は起きてキッチンに来てるし……何の夢見たの?」

 

 優しく問い掛けてきてマグカップに口を付ける。氷華はマグカップから立つ湯気を見つめながら口を開く。

 

  「春翔の事故前と後の夢を交互に見るんです。事故前は普通の日常だった。私が呪霊を視る以外は。事故後は孤独でした」

 

 マグカップから立ち昇る湯気を吹いてみる。この湯気のように一瞬で消えるならいいが、記憶に刻まれたものは消えない。

 

 

  「地区を壊滅的にしたあの日、たぶん私自身が限界寸前だったんです。そんな時に母さんが「春翔がいれば」と語り出して……またか鬱陶しい、消えてほしいと思った。だからあんな更地になったんだろうって今なら思います。それに母さんが死んだのは最終的に私のせいだと思ってます」

 

  「それは違う。おそらく氷華の気持ちに反応して弟が君から母親を遠ざけようとした結果があの壊滅的な惨状なんだ。吹っ飛ばされて打ちどころが悪かったのに植物状態だったのは奇跡だけど、結局ダメになったそれだけのことだ。氷華が責任を感じる必要はない」

 

 氷華の発言を咎める言い方だが気負わなくていいと優しく言い放つ。

  「誰のせいかなんて決められるものじゃない。自分のせいだって思った方が楽だとかいうものでもないでしょ。全部それで終わるなら楽だけど、1人で背負い込める程人間強くないんだよ」

 頭に手を置かれてぐしゃぐしゃに撫で回される。抗議を込めて睨むが、五条は笑みを浮かべるだけだ。

 

 

  「幼馴染に会って色々と考えたから過去を振り返ってたんじゃない?氷華にとっては思い出したくもなかっただろうけど、幼馴染との関係をはっきりさせるには大切なことだ。今後幼馴染とどうなりたいのか」

 

  「…………」

 

  「僕はあいつのとこなんて行ってほしくない。ここに居てほしい」

 

 頬を撫でる優しい手に顔を上げると、寂しさを宿した六眼と目が合う。そんな色を宿しても綺麗なんて……この瞳はどんなものを宿しても綺麗なままなのだろう。

 

 

 氷華が飲み終わるのを待っていたと言わんばかりに空のマグカップを手の中から取られ、五条は自分のも合わせて洗い出す。洗い終えて手を拭くと、氷華の手を取って寝室へと移動する。

 

 寄り添うようにベッドの上に向かい合って寝転び、氷華は五条の顔をジッと見つめる。

  「……私のこと、春翔の呪いも含めてちゃんと見てくれるんですね」

  「ちゃんと見てるよ。愛しい恋人なんだから当然!……ずっと、ね」

 五条の手が伸びてきて氷華の目元から流れる涙を拭う。

 

  「貴方が良いなら……ずっと傍に居たいです」

 

  「居てもらわないと僕が困っちゃうよ。責任取ってくれるんだ?」

 

  「責任って――」

 

 

  「夢中にさせた責任。付き合ってるけど、氷華の気持ちハッキリさせて完全に僕のものになってもらう――」

 

 

 顔が近付いてきてキスされる。軽い触れ合いから徐々に長くなり求められるものに。刺激に慣れなくて困惑する氷華を五条はしっかりとリードしてくれる。

 

 唇が放れる際に「いつ一線越えさせてくれる?」と真面目で真剣な表情とトーンで問い掛けられた。返答に困っていると五条のギラついた瞳が困ったように細められる。

 

 

  「真面目な話、かなり限界なんだよね。氷華に「いいよ」って言われたらもう止められないし我慢も出来ない。自分でもよく耐えてると思ってるよ」

 

 

 五条の口からそんな言葉を聞くとは思ってなくて、男性の色香を醸し出す彼はかなり色っぽかった。そんな表情も出来るのかとドキドキと鼓動が煩かったが、抱き締めてきた五条の身体も熱くて、その熱により一層鼓動が増す中で氷華は目を閉じた。熱いくらいのその熱が心地良くて、朝まで眠ることが出来た。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 高専で過ごしていると携帯が振動する。画面には着信で聡からだった。無視をして授業や鍛錬をしていてもメールやメッセージに着信、しつこいくらいの振動音に乙骨が声を掛けてきた。

 

  「あの、不知火さん。誰かから連絡来てるの?急ぎなら出た方がいいんじゃないかな」

 

  「急ぎっていうか……今はあんまり関わりたく相手というか……」

 

 今は鍛錬の真っ最中なのだが、氷華と乙骨に棘は休憩中で暫く鍛錬はしない。だから乙骨は声を掛けてきたのだろう。

 

  「知り合い?」

  「……異性の年上幼馴染。この前偶然街で会って、その時ちょっと揉めたというか……だから1週間くらいは連絡来ても反応したくなくてフル無視してて」

  「……もしかして、左手とか手首に痕みたいなのがあったのってその時の……?」

 

 誰にも気付かれていないと思ってたのにまさか乙骨に気付かれているとは思わなかったが、氷華は無言で頷いた。

 

  「五条先生がたまたま通り掛かってくれて助けてくれたから大丈夫だったんだけど、それからちょくちょく連絡はあって。今日みたいにこんなに連絡してくるのは初めてなんだけど……」

 

  「内容は見てないの?」

 

 メールやメッセージの内容を確認すると、一貫して「話がしたい」・「会いたい」の文面があった。乙骨にそう伝えると難しそうな顔をした。

  「……気軽に会ってくればとも言いにくいね。痕見ちゃった側としては付き添う人が居た方が安心だけど。不知火さんはどう思ってるの?」

  「ハッキリさせたいとは思ってる。でも今はまだ顔を合わせたくない……」

 

 

 

 今日やけに氷華の携帯がバイブ音をさせると思ったら、幼馴染からの連絡のようだ。向こうはどうにかして氷華とコンタクトを取りたいのが分かるが、氷華はその気はないらしい。踏み込んでいいものか迷ったが、心配だしと思って声を掛けた乙骨だったが、思っていたよりも難しい状況のようだ。

 

  (不知火さんとはまだちゃんと話したことないからよく知らないけど、これをきっかけに知るチャンスでもあるよね)

 

 悩んでいるようだし、力になれるならなりたいという気持ちが強く、乙骨は氷華に話掛ける。

 

 

  「不知火さんが良いなら、何があったのか話してよ。話してたら考えも纏まるかもしれないよ」

 

  「…………そうだね」

 

  「今日の放課後は空いてる?」

 

  「空いてるけど」

 

  「先生が不知火さんはカフェが好きだって言ってたから、カフェでゆっくり話さない?先生が色々なカフェ知ってるらしいから良さそうなところ聞いておくよ」

 

  「ありがとう、乙骨くん」

 

 強張った表情が少し解けて柔らかに氷華が微笑む。その姿に乙骨は少し安心した。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 放課後、ゆっくりと話すのに適したカフェを五条から聞きそこに氷華と向かった乙骨は途中で五条に会い、3人でカフェへと向かう。店内に人はまばらで、窓際の奥のテーブル席へと座る。乙骨は氷華の向かい側、五条は氷華の横に陣取る。

 

 飲み物をそれぞれ注文し、口火は乙骨が切る。

 

  「先生、急にお願いしてすみません」

 

  「ん?大丈夫大丈夫!それに生徒が困ってるなら助けになるのも教師の務めだからね!」

 

  「いざという時先生が付き添うのもありだと思ったんだ。一緒に話を聞いてもらった方が不知火さんも安心するんじゃないかと思って」

 

  「そうだね。ありがとうございます、五条先生」

 

  「水くさいこと言わないでよ。生徒の助けになるのは当たり前だよ」

 

 頭ポンポンとされて少し恥ずかしがる氷華を乙骨は見ていた。

 

  (五条先生には気を許してる感じだね。保護してもらってるみたいだし、話す機会も多いんだろうな)

 

 五条がフレンドリーというのもあるのだろう。打ち解け易く教師相手と気負う必要もないのでそれも関係するかもしれない。

 と、自分で誘ったのだから話を進めないと。

 

  「えっと……今不知火さんが困ってるのは幼馴染のことなんだよね?何があったの?」

  「話すなら、私のこと話さないといけないね。乙骨くんとはまだそんなに話してないし、私のこと話してなかったよね」

 

 乙骨が話を振ると氷華は自分自身のことをまず話してくれるという。

 

 

 氷華は父・母・弟の4人家族という至って普通の一般家庭。氷華が呪霊を視認出来ること以外は一般人と変わらない。4年前の事故で弟が亡くなり、「氷華を守る」として呪霊となり氷華を呪った。

 

 呪術高専に来るきっかけは4月上旬、氷華の住む地区が壊滅的になり、破壊したのは氷華の弟の春翔で氷華は弟に呪われていることもあり危険因子として呪術高専で預かることになった。この時氷華は「被呪者」、春翔は「過呪怨霊」と呼ばれていたが、乙骨が呪術高専に来てからは氷華も春翔も「特級被呪者」と「特級過呪怨霊」に変わり一部「秘匿死刑にすべき」だと声を上げている上層部がいるという。

 呪術高専に通うことになったのは弟の呪いを解呪するため。しかし危険人物扱いの為校内の寮には入れず、通うにも父親は2年前に他界、母親は病院で氷華自身だけでは賃貸を借りることも出来ない。そこは五条が最初から保護してくれていたらしく、今住んでいるマンションも五条が借りていてくれたところ。

 それから数ヶ月、植物状態で入院していた母親は亡くなり1人になった。とはいえ、呪術高専のみんながいるから寂しくないし、今の方が断然良いと氷華は強く語った。

 

 呪術高専での生活も慣れた頃、カフェ特集されていた雑誌に載っているお店の1つで氷華の幼馴染が仕事をしていることが分かった。氷華を案じるメールやメッセージが届いていたが返せていなくて、返信したのはここ最近。その時に仕事をしているカフェに顔を出すと返信したという。

 

 そのカフェには五条と行き、それ以降はカフェに足を運んでいなかったが、偶然街で会い昼食に誘われて話をしていると幼馴染が氷華を心配して自分の所へ連れて行こうとした。そこに後を付けて喫茶店に居た五条が間に入ってきて収めてくれた。

 

 そして今に至る――という訳だ。

 

 

 氷華から一通り話を聞き乙骨は頷いた。

 

  「……そんなことがあったんだね。その幼馴染さんは呪術師のこととか呪霊とか視えたりは?」

 

  「呪霊は視えない。呪力もないよ。だから……私が呪われてから抱えてた辛いこととか家に居ても苦しい思いしてたこととか全部……聡は知らない」

 

 そう話す氷華を見て悟った。心配はしてくれていても全てを話せていた訳ではない。幼馴染でも自分を理解してくれていた訳ではない――と。

 

  「だから、元気にしてることだけ伝えて呪術界のことも今の私の現状も話すつもりはないの。最悪春翔が危害加えて死なせることだけは避けたい」

 

  「……幼馴染さんのこと考えてそうするんだね」

 

  「うん。それが一番だと思う。向こうが嫌がっても、線引きはいると思うの。私と聡双方の為だよ」

 

 

 話を聞いていた乙骨は心配の必要は無さそうだと感じた。どうするべきか迷ってはいるものの、しっかりと自分の意見もあって意思は固まっているようだ。しかしそれを伝えるにもどう幼馴染に伝えるべきなのか……そこが迷っているところのようだ。

 

  「伝えたいことが決まってるなら、そのまま伝えたらいいんじゃないかな?きっと伝わるよ。不知火さんの気持ち」

 

 僕の言葉に不知火さんは苦笑を浮かべるだけだった。その反応を怪訝に思っていると五条先生が腕を組んで口を開く。

 

 

  「伝わりはするだろうけど、疑念を消せないのが事実なんだよね。氷華の現状は非呪術師にとっては理解出来ない。それが分かってるから当たり障りないことしか言わない……それが幼馴染にとっては「言えないことをしてる」ってなるわけ。僕のことも怪しんでるしね実際。まぁ、氷華が僕のことを信頼してるのが気に食わないってのもあるみたいだけど」

 

 カップに手を掛け口を付ける。

 

  「この前遭遇した時の幼馴染ヤバかったよ?僕を悪人扱いして氷華の弱み握ってるとか、力任せに引っ張って氷華連れてこうとするし、左手や手首にくっきり痕残すし……普段の彼は知らないけど、興奮すると強引になるみたいだね。というか、なんで氷華振り払わなかったの?男相手とはいえ簡単でしょ」

 

  「……加減出来なくて負傷だけに留まらなさそうだったから、止めました」

 

  「あー……」

 

 その説明だけで五条は納得したようだ。後ろの壁に凭れ掛かり腕組みをする。

 

  「体術だけに留める意識をすれば大丈夫。唐突だと呪力も混ざっちゃうのは防衛本能みたいなものだから、そこは氷華のコントロール次第だね。普段はそんなことないのに唐突だと初心者になっちゃうの可愛いね♡」

 

  「……バカにしてますよね?」

 

  「してないよー。怒んないでよ」

 

 明らかに少し怒って見える氷華が横目に五条を睨み付けている。五条はそれに気付いているだろうが特に気にも留めていない様子で、氷華を宥める。

 

 乙骨が高専に通うようになってから目にしているこの2人の関係性は先生と生徒以外は無い。だが五条が氷華を保護しているというのを知り、改めて観察していると保護されている・しているというものからか親し気なところもあると気付いた。時折敬語も外れて話す氷華、それを咎めることもなくおちょくったりする五条。だけど可愛がっているのか頭を撫でたりするのも見掛ける。その際氷華は何処か嬉しそうで、2人の間になにかしらの絆があるのかもしれない。たぶんだけど。

 

 

 

 氷華の話を聞いたは良いが結果的に解決策が出た訳ではない。だがどうするべきか考えが纏まっているのを感じ、下手に押し付けがましくならないように話を聞くだけに乙骨は止めた。複雑そうだし、直ぐに解決するものでもないからと感じたのもある。

 

 

  「……良い方向に向かいますかね。不知火さんと幼馴染さん」

 

  「ん~……氷華は大丈夫だけど問題は幼馴染の方かな。きっぱりと氷華のことを諦めてくれればいんだけどねー」

 

 

 氷華をマンションに送り届け、五条と乙骨はマンションの下で話していた。

 

  「固執してるっぽいからややこしい。歪んだものになりそうで面倒だ」

 

  「話だけ聞いてると、不知火さんを想って一途なんだろうなーって思いますし……暴走しかけてるのかなって思います。自分が不知火さんを守らないとって思うのか、先生のことも不知火さんに害があるって思い込んでるみたいですし。自分のポジションを奪われそうだから不知火さんに対しても攻撃的になってる――そんな気がします」

 

  「優太みたいな冷静さがあればねぇ……余裕がなくなってなりふり構ってられないにしても根っこがガキすぎ。癇癪起こして大事な物傷付けてちゃ世話ないよ」

 

 踵を返してマンション内に戻る五条の背中に乙骨は投げ掛ける。

 

  「あれ?帰らないんですか?」

 

  「氷華に少し話があるから。気を付けてねー」

 

 ヒラヒラと手を振って自動ドアをくぐるのを見送り、乙骨は肩を竦めた。

 

 

  「自由な人だな」

 

 

 自分が氷華の力になれることは少ない。後は五条がなんとか解決するように動くと言っていたが……五条の言葉を信じて氷華の様子を気に掛けるようにしよう――そう心に誓った乙骨であった。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 数日後の放課後、氷華は新宿に足を運んでいた。雑貨店へと足を運び見回っていると、妙な気配を感じた。

 

  (…………なんだろう。急に気配が幾らか建物内に……)

 

 今自分がいる8Fフロアにはまだ感じられないが、バラバラに動き上へと上がってくるのもいる。

 

  (呪力は一般人が持ってる最低ラインに留めてるし、残穢は残さないようにしてるから大丈夫だと思うけど顔がバレてたら意味がない。早々に離れた方がいいかも)

 

 

 急な動きは怪しまれる。一般人に紛れて尚且つ遭遇しないようにしながら建物を出て離れるしかない。

 

 

  (呪詛師?悟さんを誘き出すエサにでもするつもりなのかな)

 

 

 五条が氷華を保護していることは知られているだろうし、利用されないとは言い切れないが随分動きが急だ。

 

  (とにかく、落ち着ける状況になったら悟さんに連絡しよう――)

 

 

 

 

 

 

 氷華が妙な気配から逃れている頃、とある部屋に七海と五条が居た。

 

  「いきなり呼び付けたかと思えば……笑えない冗談は止めて下さい」

 

  「えー笑ってないじゃん!――冗談じゃない。真面目な話をしてる」

 

 緊張感漂う空気を醸し出した五条に七海は手に持つグラスを途中で止め、テーブルに置く。

 

 

 急に五条から呼び出しを受けた七海は五条から「氷華のことで分かったことがある」と話が始まり、氷華が“抹消リスト”に載る名無しの名家の人間だと聞かされた。呪詛師が持っていた抹消リストは上層部の誰かに与えられた情報を元に作成されたものだろうと五条は語り始めた。

 ある程度話を聞きタイミングを見計らって七海は眼鏡を直し、口を開く。

 

  「……どうしてそれを私に?」

 

  「信用出来るから。それにあまり広げたくない情報なんだ。上のクソジジイ共は意味が無いから省きでいい。氷華を消す為に動き出されても面倒だ」

 

  「不知火さんはご存じなんですか?自分の置かれている状況を」

 

  「いや。上に良く思われてないことは理解してるけど、自分の家のこととかは一切知らない。親の代から或いはそれ以上何代にも渡って落とされてないことだから、急に何処かの名家だって言われたってピンと来ないでしょ。知らない方がいい」

 

  「信憑性はないのでしょう。五条さんの憶測で話が進んでいるにすぎない気もしますが」

 

  「調べた上で言ってるんだよ。僕は断言出来る――氷華は御三家に並ぶ呪術家系の人間だ。抹消したいのも御三家の何処か……自分達の立場が危うくなる前に消したいから未だに根絶やしにしようと躍起になってるんだよ。ご丁寧に呪詛師まで動かしてるところを見ると、氷華に懸賞金を賭けるのも時間の問題だ」

 

 

 そう言うと手に持っている書物をテーブルへ放る。その書物に七海が手を伸ばし中身を拝見する。

 

  「…………ほとんど×印が付いているようですが、唯一無いこのページが不知火さんの家だと?」

  「その家の力ある人間の特徴書いてるとこよーく見てよ」

 

 五条に言われて数少なく書かれている文面を黙読してみる。

 「力に目覚めた者は“金色の瞳”になる」――。

 

 

  「七海は氷華とあんまり顔合わせてないだろうから気付かないだろうけど、高専来た当初は氷華“黒色の瞳”だったんだ」

 

  「!!?」

 

  「前の2級術師に同行させた時に特級が出た件、それ以降変わったんだよ。“黒”から“金”に瞳が。それに一般人と遜色ない呪力も倍以上に跳ね上がってる。それより前から僕の無下限の術式を無効化出来るのも不思議だったけど、その書物を呪詛師が持って現場に居たので察したんだ。等級違いが急に現れたのも呪詛師に頼んでやらせた黒幕がいる。確証は無いにしてもその家の人間だと思う可能性は潰す……その手段を今もしてるんだ」

 

 七海は書物を閉じ、机の上に静かに置く。

 

  「不知火さんには階級がありませんが実力は十分だと思うので多少の相手は対処出来ると思いますが」

 

  「そこは心配してない。階級なんてなくても氷華は特級クラス並み、経験は浅いけど呪詛師相手でも楽勝だよ。とはいえ、呪霊相手なら構わないけど御三家や上層部が絡むとなると氷華に対処はさせられない。僕がなんとかする」

 

  「……私は貴方が不知火さんの近くにいられない時に見守る護衛ということですか?」

 

  「さっすが七海!察しが良い!話す手間が省けて助かるよ!……気に掛けてほしいんだ。四六時中僕と一緒って訳にもいかないからさ」

 

  「分かりました。出来る限り不知火さんのことを気に掛けるようにしましょう。――ところで、不知火さんの家の名前は分からないんですか?この抹消リストとやらにも書かれていませんが」

 

 七海の言葉に五条は天井を見上げて気の抜けた返事をする。

  「分からない。だけど目星は付いてる。その通りならすごい家の人間だよ!分家か本家か親戚筋か……ある霊峰の管理家だ。しかも1匹も“呪霊”がいないあの霊峰!」

 

 意気揚々と話し始める五条に七海は特に何も言わずにそのまま話を聞くことにした。

 

 

 五条の話によると、呪霊がいない霊峰は有名な神様(祀られているのは知られているが、何の神かは伏せられたまま)の土地でもあり、管理家であるその家しか出入りは出来ないらしい。昔は呪霊も蔓延っていたらしいし管理家なんて存在しなかったらしいが、何時の間にか管理家が出来ていてそれ以降霊峰に呪霊が蔓延ることはなくなり、神聖な場として有名となった。

 

 結界は現在も継続されているようなので、管理家が生きていることだけは確実だ。

 

 どのような経緯で管理家が出来たかは不明だが、霊峰にやってくる呪霊全て結界手前で全て祓われ、呪霊が宿していた呪力は管理家に流れているのではというのが五条の推測だ。

 

  「――ちょっと待ってください。もしその過程の通りなら不知火さんには過度の呪力が流れていることになります。続くようであれば体調にも響く筈……弟さんのことがあるとはいえ底無しでなければ耐えられない」

 

  「そこは僕も気になったんだけど、僕の目で視ても安定してるし大丈夫っぽいんだよね。弟に流れてる感じでもない……となると全部氷華が受け止めてることになる。おそらく自分の呪力に変換させて消費してる。術式なくても祓えるからどのくらいの消費してるかは分かんないけど」

 

  「……そこまでの家で何故抹消リストに?」

 

  「そんなの簡単だよ。御三家としての今の立場をなくしたくないから危険は排除したいのと、あわよくば霊峰の管理家にすり替わろって魂胆。そう簡単に神様も鞍替えなんてしないよ。神様に見初められるっていうのもある意味呪いみたいなものだからね」

 

 

 

 

 七海に氷華の事を話し終え、氷華の住むマンションに戻って来た五条だったが、室内は真っ暗で氷華が帰宅している風ではなかった。リビングの電気を付け辺りを見回す。

 

  (もう20時を回ってる。遅くなるなんて連絡もないし、帰りが遅くなるなら連絡があるはず)

 

 五条は携帯を操作し、氷華の居場所を確認する。

 高専に通い始めた頃、氷華にネコのストラップをあげた。そのストラップにはGPSを仕込んであって何時でも氷華の居場所を把握出来る。あくまでいざという時に氷華の居場所を把握する為であって、常に監視しているわけではない。

 

 

  (……新宿駅周辺?細めの路地……なんでそんなところに)

 

 

 メッセージを送って反応を確かめてみるか――。

 

 

 

 メッセージを送ると直ぐに既読が付いた。携帯を見られる状況なら何かあるってわけじゃ――。

 

 

 

 

 

  《たすけて》

 

 

 

 

 

 返信されたメッセージに五条は片方にイヤホンをして氷華に電話を掛ける。数コールの後電話に応答した。

 

  「氷華今どこ?家に帰ってないみたいだし、『たすけて』ってどういうこと?」

 

  〈……今、呪詛師10~12人に囲まれそうになってて……上手く穴を付いて渋谷から新宿まで移動は出来たんだけど……〉

 

  「直ぐに行く。ヤバい状況じゃない限り下手に動かないで。分かる範囲でいいから今どこにいるか僕に教えて。電話はそのままにしとくから」

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 気配を最小限まで隠して新宿まで逃げて来られたが、人数が増えていき今居る場所から下手に動けなくなった。動こうにも周りをウロついていて出れば見つかって包囲される恐れがある。どうしようかと考えているとスマホが振動した。

 確認すると五条からのメッセージで、氷華はほぼ反射的に“たすけて”と送っていた。

 

 すると今度は着信があり、氷華は慌ててイヤホンを片方だけにして電話に出る。

 

 

  〈分かる範囲でいいから今どこにいるか僕に教えて。電話はそのままにしとくから〉

 

 

 五条が来てくれる――安心はしたが警戒は解かずに今居る場所を五条に分かる範囲で伝える。

 

 

  「新宿駅からたぶん東に……今居るところから見えるのは……」

 

 

 思い出しながら場所を伝えていると、数人の呪詛師の気配が消えた。そして――。

 

 

 

 

  「――いたいた♪」

 

 

 

 

 頭上から聞き馴染みのある声が降ってきた。見上げるとサングラスを上げて見下ろす五条が浮いていて青く光る目と合う。五条はストンと氷華の傍に降り立つと腰に手を回して引き寄せてトンだ。

 景色が変わりホテルらしき建物の前に居て、五条は迷いなく中に入っていく。

 

  「もう部屋は取ってあるからね。フロントには話付けてるから部屋に行って待ってて」

 

 額にキスをすると腕を放して背を向ける五条に声を掛けようとするが間髪入れず五条が口を開く。

 

 

  「大丈夫。だから待ってて」

 

 

 それ以上何も言えず見送ると、ホテルの外に出た五条の姿は直ぐに消えた。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 五条が再び新宿駅にトンでやってくると、仲間の骸に集まる呪詛師達が見えた。

 

 

  「態々一カ所に集まってくれてどーも!動く手間省けて助かるよ!」

 

  「!?五条、悟!?」

 

  「お前等が探してる子ならいないよ?さて――お仕置き、いや……さよならかな――」

 

 

 五条の前だと赤子も同然、呪詛師達は成す術なく始末された。

 

 

 

 

 

 

 

  「…………」

 

 五条が用意した部屋のベッドの上で体育座りして五条の帰りを待つ。大丈夫だとは思うがやはりちゃんと無事を目の当たりにしないと落ち着けないものだ。

 するとガチャッと部屋のドアが開いた。

 

  「ただいまー!」

 

  「!?さ――……お疲れ様です、五条先生……」

 

  「名前で大丈夫だよ。呪詛師の奴等も対処したからもう大丈夫。だけど、家の場所特定されるのはマズイから1週間は此処で過ごすことになる。もちろん僕もここに帰るから安心して♪」

 

 氷華はベッドから降りると五条に突進する勢いで突っ込んで行く。それを難なく受け止め、寧ろ嬉しそうに頬を緩めて五条は氷華を抱き締める。

 

 

  「何もなくて良かった。僕を頼ってくれて嬉しいよ」

 

  「…………」

 

 五条の背に回された氷華両手が服を強く掴む。

  「……ダメなのかな」

  「なにが?」

  「春翔の呪いを解くってことがきっかけだとしても、私が呪術師になるのってダメなのかな」

  「…………」

  「呪詛師が狙ってきたのだって、困るから消すためだよね?呪われてるからダメなのかな……それとも……」

 

 更に五条に抱き付き、氷華は唇を噛み締める。金色の目に涙が溜まる。

 

 

  「生きているのがダメなのかな……?私っ、そんなに居ると困るのかなぁっ……!?」

 

 

 堪えていてもやはり堪えきれず涙が溢れる。嗚咽も漏れるし鼻水だって出るし、とてもじゃないけどキレイじゃないから見られたくもない。だがそんなのも今はどうでも良かった。

 目の前に居る彼に、問うて答えてもらいたい。この呪術界で氷華が頼れる人間は限られてる。高専の人達でも良いが現代呪術界最強と言われる彼に――五条悟に問うてみたかった。

 

 彼がどう答えるかによって自分がどうするべきなのか分かる気がしたから。彼がどう答えるかで存在意義すらもハッキリすると思ったから。

 

 

 

  「――んなわけないだろ」

 

 

 

 初めて耳にしたぶっきらぼうな口調。顔を上げると碧眼と目が合い柔らかく微笑まれる。

 涙する氷華の肩に両手を置きゆっくりとした動作で離すと、顔を覗き込んで目線を合わせてくる。

  「あいつ等にどんな理由があろうと氷華が狙われるのはお門違いだ。だからそんな深刻そうな顔しないの」

  「でも……」

  「僕と関わってるから目を付けられたのかもしれない。必ずしも氷華に何かあるわけじゃない、そこは履き違えないでね」

 

 再び抱き締められて頭を撫でられ背中を摩られる。混乱して落ち着きのないのを宥めるように、次第に五条に包まれていると温もりに安心してきて落ち着いてくる。自分でも思っていた以上に混乱していたことに気付き、呼吸を整える。

 

 

  「……落ち着いてきたみたいだね。いきなり呪詛師に囲まれたもんね、仕方ない。だけど大丈夫、僕に任せてよ」

 

  「大丈夫なんですか?何か出来ることがあるなら私も手伝います」

 

  「僕に任せて氷華はいつも通りに過ごしてればいい。行き帰りも送るし迎えに行くからちゃんと待ってること、いいね?」

 

  「……はい。分かりました」

 

  「いい子だ」

 

 頭上から降ってくる五条の声に氷華は目を瞑る。低音の声と伝わる体温と匂い全て合間って落ち着きすぎて眠くなってくる。

  「ふふっ。安心して眠くなってきた?今日はもうお風呂入って寝なよ。入れるから待ってて」

  「……はい……」

 

 五条がお風呂の準備をしてくれる間ソファに座っていたが、うつらうつらして船を漕いでいた。

  「氷華ー。お風呂準備出来たよー」

  「…………ふぁい……」

  「中々レアな姿だね。寝続けるなら僕がお風呂入れるよ?」

  「自分で入るからいい……」

  「直ぐ否定しなくてよくない!?」

 

 

 部屋に備え付けられているお風呂に浸かり、氷華は鼻下まで浸かりボーッとしていた。

 

  (悟さんはああ言ってたけど……何もせずに普通に過ごしてて良いのかな)

 

 五条と関わるから標的にされたというなら五条だけの問題じゃない気がするのだが。とはいえ幾ら氷華が「手伝う」と言ったところで「僕に任せて」と言われるだけだろうし、関わらせたくない雰囲気で折れそうもない。

 

  (出来ることがあるなら手伝いたいのにな)

 

 終わりのないループを繰り返すだけなので、諦めて氷華はお風呂から上がった。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

  「遅いから見に行くとこだったよ。のぼせてない?」

 

 部屋に戻ると五条がドライヤー片手に手招きする。どうやら氷華の髪を乾かす気らしく、大人しくそうされることにして歩み寄ると、椅子に座るよう促される。

  「ちゃんと乾かして寝ないとね。綺麗な髪なんだから」

  「そうですか?少し癖っ毛でカールしてるんですけど」

  「それが良いんでしょ!いつも思ってたんだよねー、ふわふわした感じが可愛いなぁって!」

 丁寧に根元から乾かしてくれる手付きは優しく、頭をマッサージされているようで気持ちが良い。

 

  「乾かすの上手ですね。美容師みたい」

 

  「ははっ!氷華専属で付いてあげるよ」

 

  「いや専属って……」

 

  「僕以外の男が近付かないようにしないとね。こうみえて嫉妬深いから。下手したら消しちゃうかも」

 

  「意外……放任主義かと思ってた」

 

  「前も言ったでしょう?好きな子放っておく程冷めてないって」

 

 乾かし終えたのか、ドライヤーを置くとそっとバックハグをしてくる。そして紙を差し出してくる。

 

 

  「これ、書いてほしいんだ」

 

  「??」

 

 

 差し出された紙を受け取り広げると氷華は目を見開き五条に顔を向けて「何これ!?」と問い掛ける。

  「見たまんまだよ。色々すっ飛ばしてるのは理解してるけど、遅かれ早かれそうなるなら今でも大して変わらないでしょ。もう家には言ってあるし、公認だから問題ない。――氷華、僕のお嫁さんになってくれる?」

 

 

 五条に告げられた言葉の衝撃が強すぎて氷華は気を失った。