あれから氷華は雑誌に載っているカフェ何店舗かに時折足を運ぶようになった。だが幼馴染が働くカフェには五条と行って以来行っていないようで、単純にカフェ巡りをしているだけのようだ。顔を合わせたのきっかけに会いに行くようになるかと心配したが、それは杞憂に終わった。

 

 その点では心配ないが、街に出掛けて幼馴染と遭遇しないかそっちの方が気になる五条であった。

 

 

  「――妹みたいな幼馴染がいたとして、全員が妹みたいに思うわけじゃないと思うんだよね。携帯持ったから連絡先教えるとか、定期的な連絡も何かとコンタクト取りたい口実だろうし、自分が働く店に「来て欲しい」なんて顔合わせる上に自分に会いに来たら自分の立ち位置の確認にもなる……これ確実に黒だと思うんだよね。伊地知もそう思わない?」

 

  「は、はぁ……そうですね。お店に来たらまた来て欲しいとか話す機会が増えると思いますし、距離は縮められるのではないかと」

 

  「だよねー。その子素直でかわいいし、僕も好きになるんだからソイツも妹なんて思ってない。てことで黒確定!」

 

 

 現在五条は任務の帰りで補助監督である伊地知の運転する黒塗りの車内後部座席でぼやいていた。話しながらご機嫌斜めになられても困るのだが、触らぬ神に祟りなし、伊地知は話を振られたら答えるだけにとどめた。色々と気になる箇所はある。

 

  (これは五条さんの恋愛事情と思えばいいのか……?)

 

 いやだが五条の口から女性の話を今まで聞いたことはない。話の中に出てくる女性は五条とは顔見知りのようだし、おそらく呪術師だろう。その女性の幼馴染は年上の男で、その人と五条が火花を散らす寸前?そんな感じだろうか。先程の話だけでは女性像がはっきりとしない。

 

 

 

 外を見ていた五条だったが覚えある気配を感じ車を停めるよう伊地知に言う。路肩に停まった車から降りる五条に伊地知は慌てて声を掛ける。

  「ご、五条さん!?」

  「ここで待ってて」

 そう言い残し人混みの中に消えていく。

 

 

 

 

 

 五条を乗せた車が通り掛かる前、街に氷華の姿があった。高専の制服姿で、今居る辺りのカフェ情報を調べていた。

 今日は午前から呪術実習で、1級術師である七海健人に同行し六本木で呪霊を祓った。その足で移動し現在の場所に居るというわけだ。

 

  (結構カフェ多いエリアなんだ。どこがいいかな~)

 

 レトロからおしゃれなカフェと色々と揃っていてどこにしようか迷っていると、背後から声を掛けられる。

 

 

 

  「あれ、氷華ちゃん?」

 

 

 

 名前を呼ばれ自然と顔を上げて振り返ると、幼馴染の聡が居た。声を掛けた人物が氷華と分かると聡は嬉しそうに駆け寄ってきた。

  「見たことある服装だなと思ったらやっぱり氷華ちゃんだった!まだお昼だけど、学校は?」

  「え、あー……今日は午後からだから」

  「そうなんだ。ということはお昼はこれから?僕が奢るから一緒に食べない?せっかく会ったんだし」

  「いや、でも」

  「遠慮しないで。近くにおススメのカフェがあるから行こう!」

  「……分かった」

 承諾すると「こっち」と手を掴まれて歩き始める。

 

 ――五条が氷華の気配を感じたのはここで。車を降りると同時に目隠しの包帯からサングラス、上着を脱ぎシャツ姿へと変わり氷華の気配を追う。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 聡に連れられて入ったカフェはレトロ感漂う内装のお店。窓際の席に座った氷華と聡、五条は氷華と聡の視界から外れて会話が聞こえる範囲の席を選んで様子を窺うことにした。

 

 

  (?――この気配、五条先生?)

 

 五条の気配を感じたが店内を見回すことはしなかった。五条のことだから自分達の視界から上手く外れた場所の席に居て会話を聞いているはず。気付いていないフリをして何事もなくやり過ごすことに徹しようと決める。

 

  「……そういえば、お店に来てた時も思ったけど雰囲気変わったね。カラコン入れてるからかな」

  「え?……あ、あぁこれはその……(カラコンじゃないんだけど、なんかいつの間にか……?)」

  「そういうの使いたい年頃だもんね。良いと思うよ。似合ってる」

  「……ありがとう」

 

 深く突っ込まれるかと思ったがあっさりと引き下がってくれて氷華は内心ホッとした。

 

 

  (……五条先生が同じお店に居るから少し安心だけど、居なかったら不安だったな)

 

 

 まさか聡と偶然会うなんて思ってもなかった。働いているお店から距離もあるし、会うことはないと思っていたが予想が大きく外れた。しかも一緒にお昼を食べようなんて誘われるのも予想外。完全な不意打ちに承諾してしまったが、さっさっと食べて氷華はお店を出たかった。

 

 

  「この前一緒にカフェに来てた人は彼氏?」

 

 

 顔を上げると困ったように笑う聡がいた。

 

  「いきなりこんなこと聞くの悪いとは思ったんだけど……氷華ちゃんより年上ぽかったし、食べさせ合ったりしてたからその……彼氏なのかなーって」

 

  「いや、五条さんとはそんな……」

 

  「彼氏じゃないってこと?」

 

  「うん……」

 

 少し微妙な空気になったが、注文した料理が来たのでそっちに意識が移ったおかげで話題は逸れた。食事中も会話はしたが質問に答える程度。楽しい雰囲気ではないので幼馴染同士にしては側から見れば仲良くは見えないだろう。

 食べ終わってゆっくり紅茶やカフェオレを飲んでいると、話題は再び五条の話題へと変わる。

 

  「……五条さん、だっけ。その人大学生?社会人?」

  「社会人だけど」

  「思ってたより年上なんだね。おばさんも知ってる人?」

  「……知らない人だよ。今通ってる学校通うきっかけをくれたのが五条さんだから」

  「そうなの?」

  「うん。色々と助けてくれてるし、何かと気に掛けてくれるし、日常が変わったのも五条さんのお陰だから私は感謝してる。聡が心配するようなことは何もないよ」

  「そう……」

 

 

 五条のことを話す時、氷華の表情が少し和らぐのを見た。そんな表情をする程気を許しているのか――聡の内側に少し燻るものが生まれる。

 

 

 

 

 

 氷華達の会話を聞いている五条は氷華の気持ちを聞いてつい頬が緩む。

 

  (感謝してる、か……嬉しいこと言ってくれるなぁー)

 

 どんな表情でそんな嬉しいことを言っているのか……想像するだけでニヤけてしまう。

 

 

 

 

 

 やけに五条について探りを入れてくるなとは思いつつも、最低限のことだけを話しつつ呪術や呪霊とかそういう類には触れないように言葉を選ぶ。聡は呪霊となった春翔が視えていない。だから氷華の周りで起きていた事故や騒動についての真相は知らない。話して理解してもらおうとは思わないし、自分の現状も含めて知らせるつもりもない。

 聡は近所の幼馴染として心配し気に掛けてくれるが、それは呪霊が視えるとか呪われているとかそんなのとは無縁の不知火氷華を見て心配してくれているにすぎない。今はもう以前の自分とは違い呪術界へと踏み入れた自分と聡では“視る”世界が違う。生きる世界が違う。だから極力関わらない方がいい――それが最善だと思う。

 

  (ハッキリと言った方がいいのかもしれないけど、変に探られても面倒だからそこは隠しておかないと)

 

 聡が働いているあのカフェには行かない方がいいかもしれない。五条と一緒に行ってメニューも雰囲気も好みだからまた行きたいとは思っていたが。

 

  (あ、でも“探れば”いけるかな?)

 

 最近術式なのか気付いたことがあるから、それを試す一環として探りを入れて聡がいない時を狙って行けば――。

 

 

 

  「……やっぱりダメだよ」

 

 

 

 聡の言葉に顔を見やれば、いつもの穏やかな雰囲気とは一変して怒気が入り混じるオーラを纏って目付きもキツめに変わっていた。

 

  「氷華ちゃんにとっては良い人なのかもしれない。話したこともないし、五条さんがどんな人かなんて何とも言えない……だけど!僕はそこまで信用出来るとは思わない!氷華ちゃんが急にいなくなって、心配で何度も連絡した!でも繋がらなくて……必死に探しても何処にもいなくて、やっと連絡が付いてお店に来てくれたと思ったら男と一緒で……心配することが何もないって言うなら今何処に住んでて学校は何処に行ってて、おばさんはどうしてて五条って人が何者なのか全部教えてくれよ!!」

 

 人がだいぶ出て行って少な目なのが幸いした。お店の中ということもあって大声ではないがハッキリと語気を強めて言ってもジロジロと見られてはいない。

 

  「僕が……どれだけ心配して……!!」

 

 急に感情を爆発させた聡に氷華は呆気に取られていた。今目の前に居るのは本当に聡なのだろうか?そう思える程別人に見えた。

 

  「五条さんに何か弱味でも握られてるの?だから一緒にいるんでしょ」

 

  「ちが!」

 

  「どう考えても数歳の差じゃないよね?そうでないと高校生の氷華ちゃんと一緒にいるわけがない!素性の知れない人と一緒にいるのは危険だよ!今直ぐにでも僕のとこにおいで。僕が氷華ちゃんを守ってあげる!!」

 

 聡は席を立つと氷華の手を握り強引に席を立たせ会計へと向かう。会計の隙を狙って振り払って逃げようとするが手首を捕まれ防がれる。

 会計が終わると足早にお店を出て移動していく。氷華は抵抗して聡の手を再び振り払えたが直ぐに捕まってしまう。

  「放して!なんで急に……!」

  「五条さんが信用出来そうなら諦めるつもりだった。だけど話を聞いて分かったよ。あの人は氷華ちゃんを任せておける程信用出来ない。だから僕が氷華ちゃんを守る。家は何処?荷物纏めるの手伝うから――」

 

 

 

  「聞き捨てならないな。勝手に僕を悪人にしないでくれる?」

 

 

 

 氷華の手を握る聡の手を振り払い、2人の間に五条が割って入ってきた。

 

 五条の登場に一番驚いているのは聡で、氷華は五条の背中に匿われる。そして先程まで聡に強く握られていた左手に五条が優しく触れてきてそっと握ってくる。

  「あーあ……強く握られて痛かったね。もう大丈夫」

 少し顔を覗かせていた氷華の頭を優しく撫でると完全に背中に隠れてしまう。

 

  「……なんで貴方がここに」

 

  「この前はどーも。――なんで?カフェの時からいたよ。僕のこと探り入れて最終的には悪人扱い?しまいには強引に氷華引っ張って行って……強く握り過ぎて痕残すとか、心配してる割に余裕なさすぎ」

 

  「彼女を放してください」

 

  「やだよ。君頭冷やした方がいいよ?今の君、氷華に何するか分かったもんじゃないからね」

 

 後ろに隠れる氷華だけに聞こえる小声で五条は話し掛ける。

  〈ちょっと彼に言うことあるから離れるよ。直ぐに終わる〉

 離れ際に手の甲で優しく氷華の頬を撫で、五条は聡に近付いて行く。

 

 

 聡も背は高い方だがそれを上回って五条の方が背丈はあった。見下ろされるのは良い気分じゃないが、カフェで会った時と違い圧が加わって男でも尻込みする。

 サングラスをずらし現れた碧眼は鋭く、殺気すらあった。顔を近付けてきてよく通る低音で言った。

 

 

  〈幼馴染だからって知った気になるなよ。本当に彼女を想うならガキみたいな独占欲で縛り付けるな――〉

 

 

 身を翻し氷華の元へと向かい手を引いて横を通り過ぎて去って行く。振り返るとこちらを気にした氷華と目が合うが、気まずそうに逸らされてしまう。

 

  「氷華ちゃん……」

 

 遠くなる幼馴染の背中に聡は拳を握り締める。

 

 彼女の隣にいるのは自分だと疑わなかった。それなのに今彼女の隣には五条という男がいる。素性は何一つ分からない、氷華は知っているみたいだが話したくなさそうだった。人に言えないような関係性が2人にはあるということなのか?

 

 

 ――僕じゃダメなのか……。

 

 

 五条に嫉妬した。

 カフェで見た氷華と親しげにするのも、食べさせ合うのにも、五条が何か言った後に赤面する氷華を見つめる五条にも、さっきだって五条には感謝していると口にし表情を和らげた氷華にすら嫉妬した。五条がそんな表情をさせているのかと思うと頭に血が昇って引き離さないといけないと思った。

 

 小さくなった2人の姿に聡は息を吐いて空を仰いだ。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 やっと戻ってきたかと思えば氷華を連れて戻ってきた五条に伊地知は目を白黒させる。

 

  「ど、どうして不知火さんと一緒に!?」

 

  「緊急事態だったからね。ほら、早く出して」

 

  「え?あ、は、はい」

 

 車を発進させ、バックミラーで後部座席を見てみると氷華は少し顔色が悪いようだった。

  「不知火さん、顔色が良くないようですが大丈夫ですか?」

  「だ、大丈夫です……」

 そうは言いつつもやはり顔色は良くない。落ち着きもなく、左手を摩っている。その様子に五条が氷華に話し掛ける。

 

  「手、見せて」

 

 氷華は躊躇いながらも左手を五条に見せる。その手に触れ、優しく触れながら目を細める。

  「手首にまでくっきり手形付いてる……やっぱアイツ締めてた方がよかったか?」

  「そこまでは……」

  「優しくする必要ないよ、調子に乗るから。連絡来ても1週間は放置して。それでもコンタクト取ろうとか会えないかとか言ってくるなら僕が同伴か付き添う。いい?」

  「はい……」

 

 五条はずっと氷華の左手や手首に触れ続けている。えっと……心配とはいえ生徒に触れ続けるのはいかがなものかと思うのだが……。

 

 

 伊地知が思っていることが分かるのか、五条は氷華の左手・手首を見つめたまま言う。

  「今彼女は精神的に参ってるんだ。そんな時は人肌が一番落ち着く……疾しいことなんて何もない。変なこと勘繰ってるなら伊地知、後でマジビンタ」

  「えぇ!?」

 

 

 

 

 

 高専に着き、午後は授業を受けて今日が終わった。お昼の出来事は一旦忘れて授業に集中していたが、終わって左手を見ると思い出してしまう。まだ手にも手首にも手形が薄ら残っている。

 

 

 学校が終わった夕方、校舎を出ると五条が待っていた。

 

  「お疲れ!帰ろう」

  「……あの……」

 

 五条の姿を見てお昼のことを申し訳なく思い、目を逸らしてしまった。なんだか居心地が悪く、1人になりたい気分から立ち去ってしまおうかとも思ったが、そんなことをしても結局は迷惑を掛けるだけになると思いその考えを止めた。

 

 動かずのままでいると、五条の足先が視界に入り手を取られた。

 

  「1人になりたい?――でもごめん。それは許可出来ない」

  「…………」

  「どうでもいいヤツなら放っておくけど、好きな子を放置出来る程冷めた男じゃないんでね。どうせならつけ込んで落としたい質でね♪」

 

 いつもの軽口に顔を上げると、包帯で隠れていても目が合っている感覚になる。

  「夜は僕が作ってあげる♪氷華はゆっくり待っててよ!」

 

 その言葉に氷華は困ったような、でもどこか嬉しそうな微笑を浮かべた。

 

 

 

       *  *  *  *  *  *

 

 家に帰ってからは五条がご飯を作ってくれて片付けもしてくれて、お風呂も準備してくれて氷華は何もさせてもらえなかった。何か手伝おうとしても「ゆっくりしてて」と言われてしまう始末。

 

 お風呂から出ると入れ替わりで五条が入りに行く。リビングに居てもいいのだが、そんな気分になれなくて部屋に行ってもう寝ることにした。後で何か言われそうだが、布団に入りたい気分だったのだから許してもらいたい。

 

 

 約30分後――。

 

 

 浴室の方から音がした。おそらく五条が出てきた音だ。リビングに行き暫く無音だったが、リビングを出て部屋の方へと足音が近付いてくる。

 すると――氷華の部屋のドアが開く音がした。そして気配がベッドの方へと近づいて来て、掛け布団を巻くって隣に寝転がる。

 

 目を開けると、包帯もサングラスもかけていない五条の顔が視界を埋め尽くす。

 

  「…………なんで私の部屋に」

  「えぇ〜今更でしょ!氷華と寝たいから♡」

  「語尾にハートマークはいらん」

  「つれないなぁー」

 

 そうは言いつつも嬉しそうな五条は氷華の左手を取って眺める。

  「薄くなってきた」

  「……うん」

 

 すると痕が見える手首、手の甲や掌に唇を這わせ、時にキスを落としていく。擽ったくて手を引き抜こうとするが抜けず、五条は唇を這わし続ける。

 

  「消毒だから」

  「消毒って……そんな菌みたいに」

  「僕からしたら雑菌。消毒・滅菌しないとね」

 

 最初会った時と随分違うな……そんなことを考えていると碧眼と目が合う。

 

  「というか、なんであんなとこにいたの?午前は七海と一緒じゃなかった?」

 

  「実習が終わって丁度お昼時だったし、どうせならカフェに行こうと思って。聡が働く店から距離もあるし、大丈夫だと思ってたらまさかの遭遇ってオチで……」

 

  「それから?」

 

  「奢るから一緒にお昼食べようって。それであの店に。というか、同じお店に居たんですから分かってるでしょ」

 

  「店に入る前は知らない。氷華の気配がするなと思って後を追ったら、アイツに手引かれてるしさ。でも待ち合わせしてた感じじゃなかったから気になってついて行った」

 

  「その後は、五条せ」

 

  「さーとーるー」

 

  「……悟さんが見て聞いてた通りだよ」

 

 なんと言ったらいいのか……今自分が何を思っているのか正直よく分からない。昼間のことに関して穏やかな性格の聡が急にムキになるとは思ってなかったし、何故あんな態度を取ったのかも分からない。ただ、自分を心配してくれていたというのは分かった。何も連絡しないでいたのは悪かったとは思うが、強引に連れて行こうとするのは聡らしくなかった。

 

  (幼少の頃から仲の良かった人を取られそうだから怒った……?)

 

 よく知りもしない五条に気を許していたのが気に食わなかったのだろうか。そんなことを考えていると五条が声を掛けてきた。

 

 

  「――幼馴染と過ごしてどうだったの?」

 

 

 五条の顔を見るとジッとこっちを見つめてそう問い掛けてきた。質問されたことを考えながら氷華は少しずつ整理し、口を開く。

 

  「……私にとってはよく遊んでくれてた近所のお兄ちゃんって感じなので、その延長線上に近いと思います。春翔の事故以降は顔を合わせる機会もかなり減って、中学に上がってからは携帯のメールでのやりとりが多くて、たまに家に来て玄関先で話す程度しか顔は合わせてません。……一番は、春翔のことがあるから避けてたんですけど。怪我とか負わせる可能性もあったし、それは今でも変わらないです。結構構ってくるんですけど……私は苦手でした」

 

 お兄ちゃん気質だったのか春翔にはもちろん、愛想の悪かった氷華にでさえめげずに色々と声を掛けてくるし、お菓子を渡してきたり、色々と話題を変えて話し掛けてきては話そうと試みていた。

 氷華としてはしつこいなぁと思っていたのもあって幼馴染ながら苦手だった。

 

  「1人でゆっくりお昼食べたかったのに一緒に食べようって言われて嫌でした。だからさっさと食べて別れようと思ってたんですけど、正直不安でした。でもごじょ……悟さんが店内にいると分かって安心しました。何かあったとしても大丈夫だなって。引っ張って連れて行かれた時も間に入ってくれた時はホッとしました……悟さんが手に触れてくれた時本当に安心したんです」

 

 カフェ店内に五条がいると分かったあの瞬間、少し自惚れた。自分を心配して来てくれたと。

 聡が心配していると言ってくれるのも嬉しくはあったが、それとは違う感情が胸の内に湧いてきた。思いの外五条に気を許しているのも驚いたが、何故ここまで五条を受け入れているのか不思議だった。

 

 

 

  「自分が何言ってるか、氷華分かってる?」

 

 

 

 伏せた視線を上げて五条の顔を見ると、優しい眼差しと視線が重なる。

 

  「幼馴染といるより僕といる方が安心するって……気を許してる証拠だよ。一緒に過ごして、一緒に寝て……どうせ何言っても曲げないからって好きにさせる時点で僕を受け入れてるも同然。自惚れるよ?僕のこと好きだって」

 

  「…………分からないです。悟さんと同じ異性としての好きからくる安心感か」

 

  「それでもいいよ。素直なようで素直じゃない氷華も可愛い♡」

 

  「…………」

 

  「もうキスまでした仲だもんね僕達!――いっそのこと一線超えちゃう?」

 

 五条の言葉に目を見開かせると、クスクスと笑い始める。

 

  「冗談だよ!まずは付き合うところから始めよう。――好きだよ、氷華。僕と付き合って」

 

  「…………いきなり彼女ってわけにはいかないと思いますけど……友達みたいなところからで良かったら」

 

 そう返事をすると五条は歯を見せて破顔する。その笑顔が幼く見えて成人男性にしては可愛いなと思っていると距離を詰めてきて五条の胸板へと誘われる。

  「これから楽しくなるなー。荷物も持ってこなきゃだし、帰ったら氷華と過ごせると思うと充電し放題!任務もサポートで一緒だと安心だね♪」

  「……サボるために利用されてる気がする」

  「任務を振るのは生徒を想っての愛のムチだよ。利用なんてとんでもない」

 氷華を抱き締め、髪に顔を埋める。

 

 

  「好き……」

 

 

 シンプルな言葉に少しドキッとした。それ以上何も言わなくなり、寝息が聞こえてきた。

 

  (寝るの早っ!?)

 

 寝ても放してくれる気配はなく、このまま寝るしかないと氷華は目を瞑る。五条の体温と匂いに少しずつ眠気を誘われ、いつの間にか眠りに落ちていった。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 あれから数日、聡からメッセージは来ているものの返信はしていない。1週間は五条の言うように返信しない方が良いと氷華も思うので、その通りにしている。

 

 朝、朝食を食べていると携帯が鳴る。画面を見ると聡からだった。

 

  「幼馴染から?」

 

  「はい」

 

  「1週間は未読スルーでいいから。向こうも流石に既読付かなかったらヤバいことしたって自覚するだろ。嫌われてもおかしくないのに嫌いになってない氷華は優しいよ。僕は無理だね」

 

 卵焼きを頬張り、箸を揺らす。

 

  「呪術師でも非呪術師でも理解しない時点で自分のことしか考えてない。自分が一番理解してるとかよく知ってるとか自分が隣にいるのが相応しいとか、そんなのただの傲慢だよ。決めるのは相手であって自分じゃない、それを理解しないとね」

 

  「……そういう経験悟さんはしてるんですか?」

 

  「人生経験だよ。お互い理解があると気が楽なのは氷華も経験済みでしょ?」

 

  「そう、ですね」

 

  「でも勘違いしないで。時と場合によっては自分が相応しいとその人を掻っ攫うことも必要なんだよ。君の幼馴染の場合は一方的すぎてダメなだけ。まあ、彼が呪術界のことを知る機会はないだろうし理解出来るとも思えない。氷華がその世界に居ると知れば血眼で氷華の居場所を探すのが目に見えてる。最悪の場合弟が彼を殺し兼ねない」

 

 五条の言葉に氷華は目を伏せた。

 

  「氷華が危惧してるのはこれでしょ?君を守る――その名の下であれば懐いていた相手でも容赦なく手にかけると」

 

 五条の言葉に氷華は静かに頷く。

 

 

  「弟は純粋に姉を守りたいだけでも、それで片付けられないのが現実だからね」

 

 

 朝ご飯を食べ終わり氷華の分の食器も一緒に持っていく五条を手伝おうとしたが、「氷華は座ってて」と制されてしまった。

  「――あぁ、そうそう。お互いに理解し合った上で自分が隣にいるべきってのは全然良いと思うんだよね。互いに求め合ってるならそれはもう合意でしょ?」

 

 洗い物をしていたが顔を上げて氷華に視線を向けてくる。

 

  「僕達みたいにね」

 

 生まれて初めて男性がウインクをするのを目の当たりにした氷華だか、初めて目にするのが五条となればこの先数多と見る機会があったとしても五条のウインクが様になりすぎているのが強すぎて霞んでしまうなと思う氷華だった。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 呪術高専に登校し、午後からの呪術実習で初めて棘と組むことになった。五条は乙骨と真希ペアの方に引率するらしく、「何かあったら連絡して」と肩を叩かれた。

 

 

 

 棘と共にやってきたのは廃ビルの前。呪霊が何体かいて強めの呪力を感じる。

 

  「この任務狗巻くん指名だったよね」

  「しゃけ」

  「何体かの中に強めのやつがいるみたいだけど、どうする?手分けする?」

  「おかか」

  「じゃあ、探ってみてから考える?」

  「?」

 

 氷華の言葉の意味が分からず棘は首を傾げる。

 すると、氷華の足元に黒い渦が現れ、そこからオオトカゲのような呪霊が出てくる。身構える棘に氷華は「大丈夫」と告げる。

  「私が呼び出した呪霊だから言う事には従うよ。……それじゃあ頼んだよ」

 しゃがんでオオトカゲのような呪霊の頭を撫で、呪霊は廃ビルに向かって走り出し壁をすり抜けて行く。

 

  「ツナ……」

 

  「え?なんでそんな引くような視線なの?」

 

 

 廃ビルに入った呪霊から建物の全容と呪霊の位置が俯瞰した図面が脳内に浮き上がってくる。

 

  (ビルは地下1階がある6階建て。強めのはビル内部を動き回って他のは避けるようにして2階、5階、6階にそれぞれ縄張りがあると)

 

 廃ビルの全容が分かったところで索敵に出ていた呪霊が急いで外に出てきて氷華の足元に戻り地中に沈んでいった。

 

  「……どうやら強めのやつに追われたみたいね。狗巻くんどうする?強めのは3階、それ以外は6階、5階、2階にいる。正面と屋上から二手に分かれて挟むように3階で合流するのがベストだとは思うんだけど」

 

  「しゃけ、明太子!」

 

  「じゃあ私が屋上から行くね。狗巻くんは正面からお願い」

 

  「しゃけ!」

 

 氷華は地を蹴って跳躍し軽々と屋上に辿り着く。それを見守って棘は廃ビルへと入っていく。

 

 

 

 

 屋上から下に繋がるドアは開かず、鍵は掛かっていないが錆び付いて開かないといったところか。氷華はドアを蹴破って下層へと降りていく。まず3級くらいの呪霊がいる6階、階段を下りて直ぐにいたが、氷華に襲いかかろうとはしてこない。

 

  (春翔を感知してこないのか。ここでは春翔を出さない方がいいね。単純にビル内で狭いし)

 

 自分だけで対処は可能だと判断し、丁度試したいこともあったからそれでいこう――。

 

  「来ないならいくよ。直接でなくてもいけるか実験体になってもらう――」

 

 すると呪霊の体が膨らみ始め一瞬で弾けた。

 

  「水分があるなら大丈夫みたいね」

 

 その後同じ階のどこからか風船が弾けるような音が幾つも聞こえた。

  「じゃあ次の階に降りるかな」

 

 

 今まで術式とかそんなものとは無縁だったのがあの日以来氷華の身体内部は変わった。術式なども使えると理解した途端に使えるし、今まで蓋をされていた制限がなくなりそれに順応する形が今も続いている。呪霊召喚も、五条の言っていた無下限を無視する術式無効化するなにかも、先程のも……一族が引き継ぐ術式、一族の縛り、氷華だけの術式、氷華の一族の情報は今ではもう詳細を知ることは出来ない。

 

 “抹消された一族”――呪詛師が持っていた書物に載っていた数少ない情報が残っているのが現状で、虱潰しに探しても限られた情報しか得られない。

 

 だから、その一族の生態は誰にも分からない――。

 

 

 

 

 5階に降りそこを縄張りにする呪霊もあっさりと倒し、隠れている下級も瞬殺し、階を更に降りる。4階に呪霊の姿は無し、3階に続く階段を降りた途端風景が変わった。

 

  (これは……弱いけど生得領域か)

 

 廃ビル内部がかなり変化し続けているため棘の反応が遠ざかったり近付いたりと安定しない。

 

  (迷宮にするつもり?そんな複雑にしたって穴はあるのよ。あんたが付けた保険がね――)

 

 氷華はニヒルな笑みを浮かべて歩き始める。

  「直ぐに終わる追いかけっこって、最早追いかけっこですらないか」

 生得領域の歪みを見極め、行き止まりの壁に手を伸ばすと飲み込まれるかのようにすり抜けて別の場所へと出る。

  「春翔にも術式あったみたいで、一緒に居るからか譲渡されて使えるの。それに手を加えてるからこうやって使えるんだけど」

 すり抜けて移動していき目的地に辿り着いた。出た場所は呪霊の背後。

 

 

  「捕まえた――」

 

 

 背後からモジャモジャに生えた毛を両手で鷲掴み、そのまま片足でうつ伏せにコンクリートの床に呪霊を押さえ付ける。呪霊は怯えているのかジタバタするが氷華の足を振り払うことは出来ない。

 

  「大人しくしてないと祓うよ?じっとしてても祓うけど……捕まえた鬼さんは終わりだよ」

 

 躊躇もなく押さえ付けた足を上げたと思ったら頭部を踏み潰す。そして指を鳴らし残った呪霊の体が弾け木っ端微塵になる。歪んだ風景が元に戻り、目線を上げると倒れている棘を見つける。

 側に駆け寄り声を掛ける。

 

  「狗巻くん!大丈夫?!」

 

  「……しゃ、け……」

 

 呪言の反動が強かったのか血を吐いた形跡がある。

  「呪霊は祓ったよ。手を貸すから外に出よ」

  「高菜……?」

  「私は大丈夫だよ。私より狗巻くんが大丈夫じゃないよ、立てる?」

 なんとか身体を起こす棘の腕を肩に回し支え、ゆっくりとした足取りで廃ビルから脱出した。

 

 

 補助監督が運転する車に乗り込み、棘は氷華に膝枕される形で後部座席に横になる。

  「狗巻くん、座ってる方が楽だったりしない?この体勢で大丈夫?」

  「しゃけ……」

 目を瞑っている棘はこの体勢で良いらしい。棘が楽ならそれでいいが。

 

 

 

 

 高専に戻り棘を家入に診てもらい、氷華は任務報告しやすくなるように状況を纏める。任務を請け負ったのは棘なので、氷華が出すわけにもいかないので紙に纏めた物を棘に渡して欲しいと家入に預ける。

 

 任務が終わったのは夕方。それに今日五条は昼間から任務でいない。夜か日付が変わる頃に帰ってくると言っていたので今日は自分で家に帰る。

 自分で帰るなんてそれが普通なのだが、今のところに住むようになって五条が送り迎えをするためにトぶので、それが当たり前みたいになりつつあった。

 

 本当は寄り道したいところだが、また幼馴染の聡に会うのも面倒なので真っ直ぐ帰ることにした。

 

 

 

  「――あー疲れた〜」

 

 

 夜8時過ぎ、玄関のドアが開く音と共に五条の声が聞こえてきた。リビングのドアを開け顔を覗かせると五条に抱き締められる。

 

  「ただいま、氷華」

  「……おかえりなさい?」

  「なんで疑問系なの?」

  「いや、ごじょ……悟さん、別に家ありますよね?」

  「んーまぁそうなんだけど、付き合ってるならたまに顔合わせるよりも一緒に住んでた方がいいと思わない?だからこれからは此処に帰るつもりだよ♪」

 

 更にギュッとされるので密着してしまい五条の匂いが鼻を掠める。いい匂いするな、この人。

 

  「それは構わないですけど、荷物そんなないのに大丈夫なんですか?」

 

  「近い内に必要な物だけ持ってくるよ。今日の晩なに食べたの?」

 

 生姜焼きというと「食べたい!」と言うので、念のため作っていた五条の分を温めて出した。五条の食べる様子をカフェオレを飲みながら眺めていると、なんだか幼く見えてつい微笑ましくなって笑ってしまう。

 

 

 

 春翔が死んでから話すこともなくなった家族との食事はただの習慣みたいな感じだった。だからこうして「美味しい」って言ってくれたり話しながらの食事は久しぶりだ。カフェで食べた時も家で食べている時も相手が五条だからなのか、少し楽しい。

 

 

  「どうしたの?」

 

  「いえ、前カフェで一緒に食べた時も家で食べてる時も喋りながら食べるのも楽しいなーって。今まで毎日葬式みたいに暗くて習慣で食べてただけだったので」

 

  「そりゃあ僕だからね。楽しくて当然でしょ」

 

 その言葉に氷華が笑うと、五条は頬杖を付いてジッと見つめてくる。

  「……可愛い」

 相変わらずそういうことをサラッと言うからからかわれていると思うが、目が冗談を言う程ふざけてないので反応に困る。

 

  「前より笑うようになった。氷華にとって今の生活が良いものになってるならそれで十分だよ。呪術師なんて楽しいもんじゃないけどさ」

 

  「それでも、私にとっては今の方が楽しくて好き」

 

  「そう」

 

 嬉しそうに五条も微笑み、食事を再開する。その様を眺め氷華も微笑む。

 今の彼女にとって呪術高専で仲間と過ごし、こうして五条と家で過ごすのが日常と化していた。だから幼馴染のことなんてこれっぽちも考えていない……そのことに五条は安心した。