呪術高専に戻った五条は家入綃子に氷華を預けた。怪我自体は大したことなく擦り傷程度のこと。ただ、氷華に詳細を聞くととてもじゃないが擦り傷で済む戦闘ではなかったと、家入は言う。

 

 

 

 

 処置室に氷華を残し、五条と家入は部屋の外で話をしていた。

 

  「話を聞いた限りじゃ骨折、内臓を損傷していてもおかしくないよ。それが擦り傷で済んでるのはおかしい……彼女反転術式使える?」

 

  「使えないよ。本人はまだ自分が何の術式使えるか把握もしてない。でもねー、僕の無下限ガン無視で触れられるんだよね!」

 

  「無下限ガン無視?マジか」

 

  「マジ。術式無効化出来るとか驚くよね〜。だからただの一般人の出じゃないのは確かなんだ。だけど出自不明。おまけに瞳が金色に変化……謎が多い」

 

  「その瞳の変化だけど、六眼みたいに呪力が視えるとかそういうものではないらしい。本人に確認もしたけど視界に特に変わりはない。……付け足して言うと、彼女は反転術式が使える。特級との戦闘で死を悟るほど負傷してたのが急激に動けるようになる――どう考えても傷を治したとしか考えられない。自覚はないかもしれないが自然に使うようになると思うよ。それが自分だけか他者にも使えるかどうかまでは分からないけど」

 

 

 

 

 会話が終わり2人が処置室に入ると、氷華が帰り支度を丁度済ませたタイミングで、五条達に気付き朗らかに笑う。

  「家入さん、治療してくれてありがとうございました」

  「どういたしまして。彼が送ってくれるそうだよ。気を付けて」

  「はい」

 

 笑顔で返事をする氷華に家入も釣られて薄く微笑む。

 

 

 

 

 

 氷華を家に送り、念の為大事を取って早目に休ませた。直ぐに眠りについた氷華の額を撫で、五条は笑みを零す。

 

  「優太の影響か、弟が“特級過呪怨霊”、君も“特級被呪者”に変わった。それもあってなんでもいいから理由を付けて氷華を始末したい奴等の仕業かとも思ったけど……色々とややこしいみたいだね。“抹消された”家系の出かもしれないから、もう保護なんて生温いこと言わず僕のものにすると決めた」

 

 眠る氷華に顔を近付け、囁く。

 

 

  「覚悟しててよ――」

 

 

 今朝のように軽く触れるものではなく、確かに触れ合う柔らかな感触に五条は確かな欲を感じた。目の前の彼女を何者にもいいようにさせないという“独占欲”を――。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 意識が浮上し氷華が身動ぎして寝返りを打つと、目の前に壁があって動きを阻まれる。

 

  (ん〜……寝返りが中途半端になった……なん――)

 

 目を開けて眠気眼のボヤけた視界でも目の前に誰かが居るのが分かる。丁度鎖骨辺りが見え、自分より肩幅のあるガタイのいい人物が居る。顔を上げてみて眠気が一気に覚めた。白髪の整った顔立ちが見えた。目隠しの包帯を取った五条だ。

 

 眠気が吹っ飛んだと同時に思考が停止する。え、なんで五条先生が同じベッドにいるの?帰ったんじゃないの!?

 五条の顔をガン見して固まっていると、長い睫毛が微かに動き宝石を思わせる碧眼が瞼の向こうから現れる。

 

 

  「……おはよ……」

 

 

 まだ意識がハッキリしていなくても氷華が起きていると認識しているようだ。優しく微笑み砂糖を溶かしたような甘い声で呟く。顔が近付いてきて額同士が触れる。

  「……瞳、黒もいいけど金色もいいね」

 ジリジリと距離を空けようとしていた氷華の横腹下に腕が差し込まれて引き寄せられる。

 

  「ダーメ。まだ早いし、30分はこのままでいよ」

 

 どうにかして逃げようとするが、がっちりと背中に腕が回っていて動けない。しかも引き寄せられた際に上に持ち上げるようにされたので五条の顔が目の前にある。呼吸も吐息も聞こえるし聞かれるこの距離感は不味い――色々と。

 

  「な、なんで同じベッドに居るんですか!?もう一つの部屋五条先生の部屋みたいなもんなんだから寝るならそっちでしょ!」

 

  「えぇー……昨日の今朝に僕の気持ち知った上でそんなこと言うの?もうキスもした仲なのに」

 

 五条の言葉に氷華は口籠る。考えないようにしてたのに、この人絶対わざと掘り返したな!

 

 

  「あ、あれは……!」

  「なに?もっと濃厚なのがお望み?僕は構わないけど、その後どうなっても知らないよ?」

  「ちょっ!?先生って立場忘れてない!?不味いでしょ色々!」

  「まあ確かに先生が生徒に手を出したーなんて不味いかもだけど、法律じゃ氷華は結婚出来る年齢だし問題ない。……僕のこと嫌いじゃないでしょ?」

  「……それ、は……」

 

 

 五条の問いに氷華は口籠る。

 

 良い人と呼べるわけではないが、氷華にとっては日常に変わるきっかけを作ってくれた人だ。利用しようというのから保護も申し出たとは思っているが、何気に気にしてくれているし、教えてくれるし稽古も付けてくれる。その歳の大人にしては親しみやすく気を遣うというのが必要なく一緒に居て気が楽な人ではある。普通にイケメンでかっこいいのは氷華も認めるが、異性としての好きになるかどうかはまた別だ。

 

  「嫌いじゃないですけど、異性としての好き嫌いじゃないですし」

 

  「でも少しは意識してるよね。昨日のキスで」

 

  「まさかそのつもりであんな……!」

 

  「そういうきっかけでもないと氷華僕のこと意識しないでしょ?」

 

  「性格悪いって言われません?」

 

  「クックッ。自分でも性格悪いって分かってるから気にしてない。でも氷華を好きなのは本当♡……責任、取って」

 

  「…………ノーコメントです」

 

 氷華はどうにかして五条に背を向けた。OK一択しかない空気、というか五条からの圧がすごい。それで返答しようがしまいが五条の中では求める答えは決まっているのだろう。氷華が自分を嫌いじゃないことは分かっているし、異性として見られていなくても意識が向いていることも分かってる。余裕があるのがなんか腹立つが、自分を邪険にしないと分かっているから嬉しいのかもしれない。……たぶん。

 

 と、再び引き寄せられてお腹に腕が回ってくる。

 

 

 

  「――今はそれでいいよ」

 

 

 

 それだけ言うと氷華のうなじに擦り寄るように五条の髪が辺り少し擽ったい。

 

  (…………あったかいな……)

 

 お腹に回る五条の腕や背中から伝わる人肌の温もり。春翔の事故から家族とも人とも距離を置いてきて忘れていた。

 

  (誰かが傍にいるってこんなにも安心するんだ……)

 

 どうせなら、弟がいなくなっても家族が傍にいる温もりを感じて過ごしていたかった。そうであって欲しかった。今こうして五条の温もりに安心するのも本当は誰かに傍にいて欲しいと求めていたからだと、今更ながら気付かされた。そしてその温もりを与えてくれるのが家族でなくても安心するのは、とっくに家族にそんなことを期待せず見限っていた自分がいたからだったというのも。

 

  (父さん、母さん、ごめん……薄情な娘で……)

 

 呪術高専に通うようになってからの方が楽しくて、偽る必要もなくて心が軽い。当時は家族がバラバラな事が辛くて悲しかったのに、そんな過去を忘れ去る勢いで今が――下手したら死ぬかもしれない呪術界に身を置くことになった今がすごく楽しくて眩しく感じる。

 

  (私は元から――イカレてたのかもしれない――)

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 その日、呪術高専のグラウンドで1年は特訓をしていた。

 

 氷華の瞳が金色に変化していることに気付いてはいても特に周りは気にしていないようだった。それよりも……。

 

 

  『…………』

 

 

 真希、棘、乙骨、氷華と手合わせしているパンダ、以前と360度変わった氷華に開いた口が塞がらない。足技のキレ、重み、速さ、瞬発力、放つ圧、元から高いポテンシャルが格段に上がり別人のようになっていることの方が気になって仕方がない。

 

  「おい氷華。あの同行以降すっかり変わったな」

  「?そう?」

  「私等が言うよりお前自身がよく分かってるだろ」

  「んー……前より身体が軽くなった感じはあるよ。動き易くなったし余計なこと考えなくても自然と身体が動く……開けたって感じ?」

  「開けたで済むか」

 

 真希が手に持っている長物で氷華の頭を軽く小突く。それに氷華は「ははは」と苦笑しながら頭を掻く。

 

 

 

 

 

 以前より1年の面子と打ち解けている氷華を少し離れたところで五条が見ていた。軽い手合わせとはいえ素人目じゃなくても本気で挑んでいるように見える程の気迫が感じられる。

 

  (今の状態が氷華本来の呪力量と実力だというなら、瞳の変化は“覚醒”した証だという線が濃厚か……それに覚醒前と変わらない呪力量しか感知出来ないよう操作して弱者を演じる、生き残る術を知ってる辺りぽっと出の家系じゃない)

 

 

 

 

 

 グラウンドに来る前、補助監督の伊地知からあの書物を調査した結果を聞いた。

 

  「――抹消リスト、ね」

 

  「それが濃厚かと思われます。家々の名前はその名の通り分かりませんが、術式の特徴や当主らしき者の名前に家族構成、血縁関係者が住む場所、呪術師の家系の中でも抜粋して記された書物だと考えられます。大半は×印が付いていて、子孫を全て消し去り完全に抹消したと判断出来ます。ですが一つだけ、印の付いていない箇所がありました」

 

  「その家系と氷華の関係は?」

 

  「まだ断言は出来ませんが……記されていた特徴が不知火さんのものと一致します。『力に目覚めた者は“金色の瞳”になる』と」

 

 伊地知が眼鏡の位置を直して続ける。

 

  「それと、不知火さんが特級と遭遇した時間帯に入院していた彼女の母親が亡くなりました。不知火さんの瞳が変化したのは母親の死が関わっているかもしれません」

 

  「高専に戻った時連絡来たよ。氷華には「こっちで対応するから」とだけ伝えてある。あっさりしてたよ」

 

 

 氷華に母親の死を告げても、彼女は「そうですか」と落ち着いていた。親が亡くなったと知って落ち込むかと思ったが、意外と平気そうな氷華を変とは思わず、五条は少し同情した。

 弟の事故以降、家族としての形はバラバラだったようだし、母親に「一緒に轢かれてればよかった」と言われて家族との間に距離が出来ていたようだ。その結果呪いの“きっかけ”を生んでしまい、春翔は呪霊となり氷華を呪うこととなった。

 

 そんな経緯があったと知れば氷華の中で家族はあってなかったようなものだったのだろうと推測出来る。頼れる相手もなく正に天涯孤独だ。

 

  「……となると、母親の方が“とある家系”の血族になる。僕も一応書物に目を通したけど、印のないその家に関しては情報がなさすぎて笑える。消したい割に大した情報集められないなんてよっぽど上手だったんだろうね。だから抹消出来ないんだよ」

 

  「母親の死が引き金となると、なんらかの縛りがあったということでしょうか」

 

  「“一族の縛り”――そんなとこでしょ。それに繋がるか分からないけど、気になる文面があったんだよね」

 

 

 

 ――呪いに好かれ従える一族。

 

 

 

 呪いに限らず幽霊や負を引き寄せ易い体質の人間は確かにいる。だが呪いに好かれる、というのは襲われやすいとは違うのだろう。春翔に呪われる前から氷華は呪霊が視えていたようだが、襲われたことはない。春翔に呪われてからはまず襲われないだろう。莫大な呪力に気圧されて震え上がるのがオチだ。

 そして従える、というのはどういう意味か。従えるという言葉で連想するのは“呪霊操術”だが、氷華は呪霊を取り込んではいないし、密かに呪霊を従えていたら使役しているだろうし直ぐに分かる。

 

  「調べたところで情報は何も出ないし、リストから連想するしか出来ない。ただ氷華が“とある一族”の生き残りの可能性は高い。件の前に氷華と弟が“特級被呪者”と“特級過呪怨霊”に変わって秘匿死刑にすべきだと一部が掌返ししてきた。まあそんなこと僕がさせないんだけど……怪しい人物は始末しておきたいんでしょ。上層部の誰かが絡んでんのかもね」

 

  「まさかそんな……」

 

  「ピンポイントで呪詛師が抹消なんてする必要ないでしょ。依頼か独自の動きにしてもリストがある以上誰かにとってはリストの家系が居ると困る立場ってことさ。――面白くなってきた!」

 

 今のこのクソ呪術界をリセットするのに氷華は欠かせない。強く聡い仲間を育てる――その夢を実現する為の人員が増えることに五条は笑う。

 

 

  (それに氷華気に入っちゃったから、余計に手放せない――)

 

 

 楽しくて仕方ないと笑う五条を伊地知はこの人大丈夫か?と口には出さずただ眺めていた。

 

 

 

 

 

 そんなことがあった数十分前、だから1年ズを――特に氷華を見つめる五条は笑みを浮かべている。

 

  (楽しみだ。もっと強くなってよ)

 

 そして早く――僕のものになって。

 

 

 そんな胸の内を抑えつつ五条は1年ズ達に近付いて行く。

  「やぁやぁ皆、調子はどうだい?」

  「あ、五条先生――」

 氷華が五条に顔を向けての背後から真希の長物が氷華に近付いていた。だが交わして真希の背後に回り込み腕を掴んで締め上げ押さえ付ける。

 

  「ちっ」

  「一本取れたってことでいいよね?」

 

 余所見をした氷華から一本取れると思ったが逆に取られて真希は悔しそうだった。その憂さ晴らしかパンダと取っ組み合いを始めた。すると乙骨が氷華に話し掛けてくる。

 

  「すごいね、不知火さん!いとも簡単に真希さんから一本取るなんて!」

  「たまたまだよ。乙骨くんも前より動けるようになってるみたいだし、真希さんから一本取れるよ」

  「だといいけど」

 

 自身と似た境遇だからか、乙骨は氷華に対して親近感がありよく話し掛けている。初めは緊張していたようだが、話し易いと分かってからは乙骨から話し掛けることが多い。それを微笑ましく見つめるのが教師というものなのかもしれないが、五条にとっては面白くないのが現実である。

 

  「話してる途中ごめんね。氷華、任務だよ」

  「?任務?……あのでも、私階級なんてないですけど。単独での任務が許されるのは2級術師からですよね?」

  「単独での任務ならね。今回は僕の任務のサポート」

  「サポート?五条先生には要らないんじゃ……」

 

 五条は特級呪術師だ。1人で十分な筈だし、下手に術師が一緒に居ても足手纏いだって話を聞いたことがあるが。よりによって階級も何もない氷華をサポートになんて……普通に考えて邪魔でしかない。

 

 

  「そうなんだけさ。氷華は実戦から吸収する方が伸びが速い。だから僕のサポートで色々と勉強してほしいってわけ!」

 

  「そう、いうことですか」

 

 

 五条はそれだけしか説明をせず、直ぐに行くからと氷華を連れて任務先へと向かうのだった。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 任務先には新幹線で向かった。あのトぶやつは限られた条件下でのみ使用可能らしく、普通に公共機関を使うらしい。氷華はてっきり何処へでもそれで行っているものだと思っていたから今こうして新幹線に乗っているのを意外だと思った。どういう時に使うのかよく分からないが万能でないことは分かった。毎回使う時はどういう時なのか、どういう原理なのかと聞くと――。

 

  「氷華の家になら直ぐに行くよ♪僕にとって癒し空間だからねー」

 

  (説明する気ないな、これ)

 

 どう聞いても話す気がないのならいいと思い、氷華はそれ以上聞くのを止めた。

 

 窓の外を眺めてボーっとしていると、肘置きに置いている腕に重みが加わったと思ったら手にスルッと何か絡んできた。何かと思ったら五条の手で、絡めたと思ったら氷華の手の感触を楽しむように触っては絡めるを繰り返す。指の動きが時折ただ触れる動きではなく、その動きに氷華はビクッとする。

 

  「ちょっ、触り方が……!」

 

  「ん~?」

 

 なんの悪びれもなく五条は氷華の手に優しく触れたり、指の形を確かめるように触れたりし続ける。

 

  「触り方が、なに?」

 

  「分かっててやってんでしょ!」

 

  「えーなに?ほーら……触り方が、なに?」

 

  「…………――ちょっと、や、やらしい……!」

 

  「ははっ、そういう風に触ってるからね♪」

 

 なんで楽しそうなんだこの人!腕乗ってるから動かせないし!

 睨み付けると嬉しそうに口元に笑みを浮かべるだけで何も言わない。急に恥ずかしくなってきて窓の外に顔を向けてそっぽを向くと、隣から笑いを堪えるが堪えきれずクスクスと笑う五条の声が聞こえてくる。

 

 

 

 

 

 

 夕方、何とか山奥の任務先に辿り着いたが、着くまでに氷華は別の心労で疲れていた。打って変わって五条は元気そうだが。

  「さて、着いたわけだけど……僕が請け負った任務だけど、氷華に一任するね!」

  「はい?」

  「1級だけど特級寄りね。マズいと思ったら交代!頑張ってね!」

 そう言い残すと何処かに行ってしまう。どうやら見える距離の範囲には居るようだが本当に氷華に投げたらしい。このタイミングで!?

 

  「……絶対いつかぶん殴ってやる!」

 

 本命が出てくる前にこの辺りに巣食う低級を祓った方がよさそうだ。気配の多さからして数がそれなりにいるようで、手伝ってもらう為に氷華は呼んだ。

 

 

  「春翔」

 

  《なぁに?ねーちゃん》

 

  「手伝ってほしいの」

 

 

 氷華に呼ばれて背後に氷華より二回り程大きな姿で春翔が完全顕現する。

  《周りにいるの、ねーちゃんをいじめようとするやつ?》

  「そうだよ」

 氷華の言葉に春翔の顔に幾つもの筋が現れ雰囲気が変わる。

 

  《ゆるさないぃ――》

 

 片腕の一振りで広範囲の低級呪霊が消え去った。

 

  《ちかづくなぁああぁぁ!!》

 

 ものの数秒で氷華に近付いてきていた低級は消え去った。そして春翔の気配に引き寄せられたのか、凝縮された呪力出力が飛んでくる。右手で氷華を覆い、春翔は左手を伸ばして飛んでくる呪力を受け止める。

 

 

 

 

 

 少し離れたところで五条は見守っていた。春翔を完全顕現させたことで氷華に近付いてきていた低級は消え去り、莫大な呪力に引かれたのか本命自ら近寄ってきたようだ。とんでもない呪力出力が飛んできたが、春翔はいとも簡単に損傷もなく弾いたようだ。

 

  「特級寄りとはいえ弟の方が格上か……姉弟揃ってとんでもないね……(さて、どう戦うのか見物だね)」

 

 氷華がどう相手にするのか、それを見るためにこうして任務に連れて来た。あの同行で遭遇した特級は間違いなく氷華が祓った。純粋にどんな術式でどう祓ったのか興味がある。

 

 

 

 

 

 春翔が弾いた呪力は左右に分かれて周りの木々や地面を抉って爆発した。弾きはしたが掌から白い煙が上がる。

  《いだいいぃ……!》

 ビキッと太い筋が浮き出てきて春翔は機嫌を悪くする。

  「大丈夫?」

  《だいじょうぶ、でもいだいぃ!》

 

 

 

  『次々やってくる……愚かな、人間……』

 

 

 

 前方から人語を話す影が歩いて来る。以前遭遇した特級と姿は似ているが、少し違う。

  「……まさか人語話すなんてね」

  『人間、弱い、くせに……私、より、弱い……つまらない』

  「……言葉が分かるってことはやっぱりそれなりのレベルの呪いってことか。(となると、あの時の特級は踏み入れて浅かった……?)」

 その割に楽しそうに殺そうとしてたけど。

 

 氷華は構えを取り、小声で春翔に呼び掛ける。

  「合わせて、春翔」

 呪霊へ向かって駆け出し、春翔が先に攻撃を仕掛ける。春翔に気が向いているのを利用し胴体に蹴りを入れる。すかさず春翔が呪霊の首を掴み上空に放る。そして跳び上がっていた氷華が背中に足を振り下ろし呪霊は地面に叩き落とされる。

 

 

 

 

 「連携は完璧だね。完全顕現しても氷華の言うことには従える……ある意味飼い慣らしてるってとこかな」

 

 

 

 

 土煙が薄くなってきて起き上がる呪霊の姿が見えた。着地した氷華は身構え警戒する。

 

  『……じゃ、邪魔……お前、消す。先に――』

 

 呪霊は氷華ではなく春翔に狙いを定めた。突っ込んで体当たりしてくるが押し切る程はいかず、逆に押し返され始める。間合いに入ることが目的だったのか、呪霊は春翔の左肩目掛けて足を突き出し、鋭い爪が刺さり血が飛び散る。

 

  「春翔!!」

 

 すかさず氷華が双方の間に入り呪霊の脚を掴み捻り千切り、腹部に蹴りを入れ吹っ飛ばす。木々をなぎ倒しながら吹っ飛んでいき、倒れる木々が地面を揺らし土埃や枯れ葉が舞い上がり辺りの視界が悪くなる。

 

 

  「春翔!?」

 

  『だい、じょうぶ。あいつ、許さない……!』

 

 

 刺された箇所は直ぐに修復されて治るが、攻撃されたことにより春翔の感情が昂り始める。

 

  (まさかあいつ、春翔を刺激することが目的?)

 

 氷華を守るように動くのは分かっている筈。あえて傷を付けて怒らせて自分に意識を集中させ、隙を作って氷華を殺そうと目論んでる可能性がある。人語を話すということは知性があるということだ。そのくらいの先読みは出来るだろう。

 

  (低級が広範囲にまだいる。距離は取ってるけど私が弱ろうものなら来るか)

 

 氷華は春翔の頬に触れながら声を掛ける。

  「春翔。まだ周りにたくさんいるの、分かる?」

  『わかる』

  「春翔を傷付けたあいつは私がやる。春翔は周りにいるたくさんの子たちと追いかけっこしておいで。触れたら勝ちだよ」

  『ねーちゃん』

  「大丈夫。……貴方を傷付けたこと、後悔させてやるから」

 

 氷華の言葉に春翔は素直に従い、離れていく。それを見届けた後、氷華の雰囲気が変わる。

 

 

  「――前のやつもそうだったけど、楽しそうよね」

 

 

 ゆっくりと呪霊が吹っ飛んでいった方向に歩き出し、飛んでくる呪力を難なく弾き散らす。

 

  「そういう顔みたことあるよ。自分が優位に立ってる快感を満喫してるって顔。自分より弱いやつを潰すのが楽しいって顔……そういう顔、歪ませたくなる」

 腕を上げ指差し、呪霊に向かって呪力を飛ばす。呪霊の右上腕が弾け飛び、呪霊は歯軋りしながら右上腕を治す。

 

  『な、にを、した……!』

 

  「あなたと同じことしただけよ。驚く必要ないでしょ。あなた強いんでしょ?余裕保ててないわよ?」

 

  『こ、ざかしい――』

 

 瞬時に呪霊の眼前に氷華が現れる。呪霊は脂汗を浮かべ指先一つ動かすことが出来ないのか小刻みに震えている。

  「弱いやつからの蹴り、何発も耐えられるよね?余裕かますほど強いんでしょう?――」

 言い終える前に鳩尾に膝蹴りを入れ、入ったと同時に黒い光――黒閃が走る。

 

 

  「1発目――」

 

 

 続けて後ろ回し蹴りと共に黒閃。

 

 

  「2発目――」

 

 

 胸部、下腹部、顔、続けて打ち込みその度に黒閃が走り、顔に蹴りを入れた際はそのまま木の幹に叩き付け呪霊の上半身が吹き飛ぶ。

 顔にかかる髪を払いながら消えゆく呪霊に氷華は言った。

 

 

 

  「――5発共“弱かった”でしょう?弟を虐めたからちょっと強めたけど」

 

 

 

 光っているわけではないのに金色の瞳に変わってから印象がガラリと変わる。戦っている時は特に。微笑みすらも冷笑に見え、冷酷さが加わり恐怖を覚えさせる。

 だが決して人が変わったわけではない。どうやったら勝てるのか考えることを止め、以前感じた「余裕を歪ませてやりたい」思いが呪霊に対する「殺意」に変わり、素直のまま感じたままに瞬発的に判断して動いているだけである。感じたこと、思ったことをそのまま口にするので多少口調は変わるが。

 

  「死んで詫びたって許しはしない。調子にのんな」

 

 

 

 

 

 相変わらず見守りに徹している五条は笑みを湛えていた。

  「クックックッ!いいイカれっぷり。……黒閃を5連続、初めてじゃないっぽいね。(体術や足技に呪力をのせてこれか……以前の特級も足技のみで祓ったと考えていい。術式使ったらどうなるのか楽しみだね)」

 

 過去の一族がどうかは知らないが、氷華みたいなのがいたとしたら確かに脅威かもしれない。御三家を転覆させようものなら出来なくはないだろう。だから抹消する、か。

 

  「ものは考えようでしょ。抹消なんて勿体ない。呪術師は万年人手不足なんだ、戦力は確保しておかないとね」

 

 

 

 

 

 任務が終わり五条は氷華の近くに降り立つ。

 

  「お疲れサマンサー!いやぁ、あっという間だったね!」

  「……最初から私に振るつもりなら態々五条先生が請け負う必要ないんじゃないですか?」

  「なに言ってるの。氷華指名で任務なんてくるわけないでしょ?これからは僕が請け負った任務をこうして氷華にお願いしようと思ってるから宜しく!」

  「それ、大丈夫なんですか?」

  「大丈夫大丈夫!僕が最強っていっても体は1個だし、それに1級や特級ともなると対処出来る術師は限られてくる。なんでもかんでも僕に押し付ければいいてものでもないのは分かる?」

 

 五条の言葉に氷華が「分かります」と答えると低級狩りに行っていた春翔が氷華の傍に戻ってきた。

 

  「僕もね、疲れるの。階級で仕事振り分けるのは別に構わないよ。適材適所ってものがある。だけど階級付ける気もない、最終的には死刑にする気しかない連中に従う義理もない。だから相応しい場を与えるんだよ。僕が氷華に」

 

  「……買い被りしすぎじゃないですか?五条先生と比べたら月とスッポンでしょ」

 

  「そう思うのは氷華だけ。もうとっくに特級レベルだよ。――公私共に僕のサポート宜しく♪」

 

 近付いてきたかと思うと屈んで氷華に顔を近付けてキスしてきた。離れようとする氷華だったが、腰に腕を回されそれは叶わなかった。

  「照れるなよ〜こっちまで恥ずかしくなる♡」

  「軽くキスなんてしないでください!どういうつもりで!」

  「ん?」

 

 顕現したままの春翔がジーッと2人を見ていた。氷華に危害を加えないと分かっているのか暴れ出すことはない。

  「僕達仲良いでしょ?君には負けるかもしれないけど相思相愛だよ♪」

  「ちょっ!?春翔に変なこと言わないで下さい!」

  「え〜事実しか言ってないのに」

 

 五条が顔を上げると春翔の姿はなく、消えていた。

 

  「あらら。妬いたかな?」

 

  「違うと思います」

 

  「弟くんシスコンっぽいし、お姉さん取られたら妬いて攻撃してくるかと思ったけど、意外な反応だったな」 

 

  「春翔は私が傷付けられたとか強く不快に思ってると出てくるんです。そうでないなら攻撃しません」

 

 氷華の言葉に五条は耳元に顔を寄せて囁く。

 

  「それ、遠回しにこうやって僕に抱き締められるの不快じゃないってことだよね。嬉しいなぁ〜」

  「いつまでそうしてるんですか!私達そんな仲じゃないんですから!」

  「もうそういう仲ってことにしよ。拒否しないし、もうこれ受け入れてるも同然だと思うんだよね。嫌いな相手には言うだろうし、普通期待するでしょ」

  「いや拒否しようがするでしょう。だから諦めてるんです」

  「そりゃあね、落としたいから」

 

 どう返そうが都合の良いように解釈されそうなので氷華は言い返すのを止めた。

 

 

  「……もういいです。任務が終わったのなら帰りましょう」

 

  「そうだね。いつまでもこんな山奥に居たくないし、早く戻ってゆっくりしよ♪」

 

 

 隣に並ぶと左手を取られて手を繋がれる。指同士を絡めるいわば恋人繋ぎで。振り払おうとするが全く振り払えない。

 

  「戻ったらそれなりの時間だし、食べて帰る?ゆっくりしたいならカフェとかどう?リビングに置きっぱにしてた雑誌にカフェ特集載ってたし、氷華行きたいんでしょ?」

  「え」

  「付箋付いてた」

  「……知り合いが特集載ってるカフェで働いてて。「来て欲しい」って言われてたのもあって行けたらなとは思ってるけど」

 

 

  「じゃあ行こう!」

 

 

 繋いだ手を引っ張られたと思ったら横抱きに抱えられ駆け出した。

  「任務が早く終わって余裕あるけど、急ごっか!」

 

 言葉通り行動が早かった五条は、帰りの新幹線も丁度良い時間があって席も空いててまるで最初からその予定通りかのようだった。カフェもいつの間にか予約を入れていたらしく、時間通りにお店に入店出来た。

 

 

 

 気になっていたカフェに来られて嬉しそうにする氷華を見て五条も満足そうで、デザートは別々のものをシェアして、2人の姿が傍から見てどう映るかは分からないが、良い雰囲気には見えるだろう。目隠しの包帯を取ってサングラス姿とはいえ五条は目立つし、女性からの視線の的である。

 

  「はい。口開けて」

 

 自分が食べるケーキを氷華に食べさせようとする五条に断る氷華だが、折れないし引かないので仕方なく受け入れて食べたのだが、今度は氷華から食べさせて欲しいと要求してきた。恥ずかしいと断る氷華に五条はしょげる。

  「僕は良くて氷華からはダメ?食べさせてほしいなぁ~」

  「で、でも……」

  「周りはそこまで見てない。だから、ね?」

  「…………」

 仕方ないと折れた氷華は自分のデザートであるアイス一掬いを五条の口元にへと運ぶ。それを嬉しそうに食べる五条はこう言った。

 

 

  「間接キスだね」

 

 

 考えないようにしていたことを意識させる辺り、やはり五条は性格が悪い。自分の言葉をこちらが意識してしまうのを分かっててそういう辺り本当に。

 顔を赤らめながらアイスを食べる氷華にそれをニコニコしながら見つめつつケーキを食べる五条という不思議な絵面だが、彼女をからかう彼氏という絵面にも見える。そんな2人の姿をホールスタッフの1人が接客しながら時折見ていた。

 

 

 

 

 氷華は「自分の分は出す」と言ったが五条は自分が出すからと譲らず会計をしてしまう。歯痒い気持ちで会計を待っているとホールスタッフの男性が氷華に声を掛けてきた。

 

  「――久しぶり、氷華ちゃん。今日は来てくれてありがとう」

 

  「あ、聡(さとし)。今日シフト入ってたんだ」

 

  「うん、偶然だね。前から一度はお店に来て欲しいと思ってたからこうして来てくれて嬉しいよ。それはそうと、地区があんなことになったなんて……母さんから連絡が来て飛んで帰ったよ。心配で行ってみたら氷華ちゃんの家も無かったし……大丈夫?」

 

  「大丈夫だよ。ちゃんと生活出来てる」

 

  「そっか。それならいいんだ。大変だとは思うけど時間がある時はまたお店に来てね。まだまだ料理もデザートも美味しいのたくさんあるから」

 

  「そうだね。時間が出来たらまた――」

 

  「氷華。行くよ」

 

 氷華と男性――聡の会話に割り込むように入ってきた五条は氷華の肩に手を回して自身に引き寄せてお店を出ようとする。氷華は聡に一声掛け、カフェを出て行った。その様子を聡は心配そうに見送った。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 カフェを出て真っ直ぐ氷華の家に戻った。五条は少し不機嫌そうにソファに座っていて、氷華は淹れた緑茶を差し出して1人分空けてソファに座る。

 

  「……不機嫌そうですね」

 

  「そりゃあ不機嫌にもなるよ。あの男がカフェで働いてる知り合い?随分馴れ馴れしかったけど」

 

  「同じ地区の近所に住んでる清水聡(しみず さとし)っていう年上の幼馴染です。春翔とよく遊んでくれたから弟が懐いて、私達からしたら兄みたいな感じですよ。弟の事故以降も何かと気にしてくれていたんですけど、私は素っ気なくしてたし……」

 

  「連絡先は知ってるんだ」

 

  「私が携帯持ったの知って教えてくれたんです。たまに「元気にしてるか?」って連絡くれるんです。最近もその連絡がきて、そこで雑誌に特集されてたカフェで働いてるって知ったんです」

 

 氷華はその時のやりとりを五条に見せる。そこには確かに氷華を心配しているメッセージと、行ったカフェで働いている旨と来て欲しいというやりとりも。

 

  「幼馴染が居るから行きたかったってこと?」

 

  「聡があのカフェで働いてるって知ったのは雑誌特集見た後。幼馴染といっても私はそこまで仲が良いとは思ってないし、でも心配してくれてるのは事実だから顔見せるくらいはした方が良いかなとは思ってたくらいで」

 

  「ふーん」

 

 緑茶を飲み、腕を組んで何か考える。

 

 

  「……ねえ、昔から名前で呼んでるの?」

  「まあ、そうですね」

  「…………」

  「五条先生?」

  「悟」

  「?」

  「こうして2人の時は悟って呼んで。僕も氷華って呼んでるし」

  「だけど担任の先生だし」

  「高専では“五条先生”、2人の時には“悟”。そう呼んで欲しい」

 

 

 先程までの不機嫌さが消え、優しく微笑みながらそうお願いしてきた。戸惑っていると手を握られて顔を覗き込まれる。碧眼と目が合い、キレイな青い瞳が細められる。

  「呼んでよ。悟って」

  「…………」

  「氷華。呼んで、悟って」

  「……えっと……悟、さん?」

  「呼び捨てでいいのに」

  「流石に呼び捨ては……」

 

 握られている手の甲に五条はわざと音を立ててキスをし、上目遣いに氷華を見上げて微笑む。整った顔立ちである五条の微笑みは思いの外破壊力があると最近気付いた。

 

  「名前で呼んでくれるならいいよ」

  「聡に対抗して名前で呼んでくれってことですか?なんでそんな」

  「対抗するでしょ。幼馴染に掻っ攫われるのも癪だし?」

  「私別に聡にそんな感情は……向こうも妹を可愛がる延長線上で心配してるだけですよ」

  「氷華がそうでも、彼は違うかもしれないでしょ」

 

 

 五条の言葉に氷華は「ない」と笑うが、五条は違うと思っている。

 カフェに居た時、氷華は話し掛けられるまで気付いていなかったみたいだが向こうは気付いていた。仕事しながら時折見ていたし、まさか男と店に来ると思っていなかったのか氷華より五条の方を観察していたように見えた。

 

 

  (たぶんまた氷華は店に行く。あいつが居る時に合わせることはないか……だけど僕を探ろうとはするだろう)

 

 

 念の為調べておくか――。

 

 呪術師として歩み始めた氷華に非呪術師と関わっていく難しさを知る機会にはなるが、おそらく氷華から離れていくだろう。それを受け入れて引き下がってくれるならいいが、食い下がるような奴だったら少々面倒なことになりそうだ。