ある日を境に五条によく構われるようになった。今だって、朝家から呪術高専に送ってもらって一緒に校舎に向かっている。いつも送り届けたら「じぁね♪」と言って行ってしまうのに……。

 

  「これから僕行かないといけないけど、夕方までには片付けてくるからいい子で待っててよ♪」

 

  「遅くなるようなら連絡入れてくれれば自分でか――」

 

  「はーい却下!待ってて」

 

  「……分かりました」

 

  「じゃあ行ってくるよ」

 

  「気を付けて行ってらっしゃい」

 

 ヒラヒラと手を振って背を向けて歩いていく五条を見送り、氷華は校舎の中に入って行く。最近こんな不思議なやり取りをして呪術高専に来るのが普通になりつつあり少し怖い。勝手に帰っても何も言ってこなかったのに……。

 

 

  ――なんで1人で帰ったの。僕が送るって言ったの忘れた?

 

  ――え?でも五条先生夕方任務入ったって言って……。

 

  ――氷華を送ってから行っても問題ないよ。僕に気を遣ってくれるのは嬉しいけど、氷華の顔見て充電してからって思ってたのに……次帰ったら僕の言うこと聞いてもらうよ。はい決まり!

 

 ……と、拒否権なしの約束を取り付けられてしまった。なんで急にこんな構いだすのか不思議だ。

 

 

 

 

 お昼――。

 

 真希、パンダ、棘と氷華の4人でお昼を食べ終わった後、真希に弟の春翔について聞かれた。

 

  「お前、弟の呪いどうするつもりなんだ?」

  「解呪するつもりで、そのために呪術高専に入ったんだけど……」

  「ふーん……で?解呪した後は続けるのか?呪術師」

  「そうだね……もう呪いを知らない前の自分には戻れないし、普通の生活は送れないと思う。でも階級はもらってないから呪術師として大して必要とされないかもしれないし、フリーとかでも呪いは祓うことも出来るし……」

  「それ本気で言ってんのか?氷華なら階級なんてなくても2級相手余裕だろ。悟もそう言ってたぞ」

  「しゃけ」

 

 五条がそんなことを言っていたなんて……初めて聞いた話に固まっているとパンダが会話に入ってきた。

 

  「それに最初の時以降弟出てきてないしな。危険視度合いも下がれば寮に入れるんじゃないか?わざわざ外から来てるんだろ?」

 

  「うん。父さんは他界してるし、母さんは入院して意識不明……支援出来る人がいないから五条先生が保護してくれて色々助けてくれてる。だからこうして呪術高専に通えてるわけだけど」

 

  「色々大変だな氷華。でも解呪したら寂しいんじゃないか?1人になるだろ」

 

 パンダの言葉に氷華は苦笑する。

 

  「……呪霊になってから4年間一緒にいてくれてる。“私を守る”――春翔にとってそれほど大切に思ってくれてたのは嬉しいって思う。でも呪霊のまま私に憑いてても良いことなんてない。私に縛られたままでいてほしくない、傍にいなくても私は大丈夫だっていうのを分かってもらうために強くなって春翔を自由に――」

 

 

 

  《い、やだ……》

 

 

 

 聞こえた声に真希、パンダ、棘は咄嗟に身構えた。最初に氷華と会った時以上に不味い禍々しさを感じ氷華から離れる。

 氷華の背後から白い手が伸びてきて春翔が上半身まで姿を見せる。

 

  《いやだ……解かない、で!ねーちゃんのそばに、い、いさせて……!》

 

 目がどこにあるか分からないが、ポロポロと涙を流す春翔に氷華も真希達も驚きを隠せなかった。

 

 

  「春翔……」

 

  《解いたら、またねーちゃんが責められる……誰も、助けても、守ってもくれない……ボクが、ねーちゃんを守るんだ!いやだ!ねーちゃんの傍にいる!おねがい、解かないで!ボクを1人にしないで……!!一緒にいて……!!》

 

  「……大丈夫。1人にしない。だから安心して、春翔」

 

 ポロポロ泣く春翔に手を伸ばし両手で優しく触れてゆっくり撫でる。

 

  「大丈夫だから」

  《本当……?》

  「うん、本当」

  《ボクが絶対、ねーちゃんを守ってあげる!――》

 

 氷華の言葉に安心したのか、春翔は姿を消す。

 春翔の姿が消え、ようやくまともに呼吸が出来るようになり真希達は息を吐く。

 

 

  「……本当に解呪できるのか?前よりヤバい空気醸し出してたぞ」

 

  「………五条先生に話してみる……」

 

 

 涙を流す程解呪が嫌だなんて。そもそもどうして春翔が呪霊になったのかその経緯もまだ分かっていない。解呪するために何をするべきかも分からないのに、話を聞いただけでこのありさまだ。

 今回は宥められたが、次もそうとは限らない。暴れ出してしまえば春翔も氷華もタダでは済まない。それに五条も。

 

 光が見えてきたどころか闇に閉ざされた気分のまま、今日の学校生活が終わった。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 教室で五条が来るのを待っている間、氷華はずっと春翔のことを考えていた。

 解呪するために呪術高専に来たのに、まさか話を聞いていただけで嫌がられるとは思ってもみなかった。このままだと何も進まない、五条に相談してどうするべきか改めて考えないと。

 

 

  「――おまたー!……あれ。どったの?」

 

  「おかえりなさい、五条先生。……その、春翔のことでちょっと……」

 

 

 氷華の様子から察したのかふざけた態度でなくなり、「なにかあった?」と近付いてくる。

 

 

  「昼間、真希さんに春翔のことどうするのかって聞かれて「解呪するつもり」だと話したんです。暫くその話をしてたら――」

 

 

 

  ――いやだ!ねーちゃんの傍にいる!おねがい、解かないで!ボクを1人にしないで……!!一緒にいて……!!

 

 

 

 その時の春翔の様子を氷華はそのまま五条に話す。五条は割り込まず黙って話を聞いていた。

 

 

 氷華が一通り話終えると、五条は肩を竦めた。

 

  「……僕が思っていたよりも複雑そうだ」

  「どういうことですか?」

 

 五条は机に腰掛け、話し始める。

 

  「率直に言うと僕は氷華が弟に呪いをかけたと考えてた。君の言うことには従い、守る……主従制約を氷華が破棄し、かけられた弟が罰(ペナルティ)を望まなければ解呪出来ると考えていたんだ。だけど嫌がったんでしょ?弟は解呪されるの」

 

  「はい」

 

  「弟が呪霊になった時のことは覚えてる?」

 

  「……確か、事故で亡くなってからの四十九日の時に……」

 

 氷華は断片的だが覚えていることを話し始める。

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 弟の春翔が亡くなったのは4年前の事故だった。姉弟で公園で遊んだ帰り、道路を渡ろうと左右しっかりと確認して車が来ていないのを確認して渡ろうとした時だった。いきなりバイクが猛スピードで突っ込んできて、氷華に直撃するのは目に見えていた。

 だが手を繋いでいた春翔が姉を庇って位置を入れ替え、氷華を歩道の方へと突き飛ばした。

 

 猛スピードで突っ込んできたバイクは春翔を吹っ飛ばし、吹っ飛ばされた春翔はアスファルトに全身を打ち付けられ数十メートル先まで飛ばされた。手足はおかしな方向に曲がっていて、顔も全身も擦り傷が酷くてとても見ていられるものじゃなかった。事故を起こしたバイクの運転手が直ぐに救急車と警察に電話をしたが、春翔の絶命は病院に運ばれなくても直ぐに分かった。

 

 それから通夜や葬式が執り行われたが、突然のことに氷華も両親も理解が追い付いていなかった。そんな中迎えた四十九日――。

 

 

 

 春翔の遺影と御骨が置かれた祭壇から離れ、父・母・氷華がリビングに居た時、母親がポツリと言った。

 

 

  ――あんたがちゃんとしてれば、春翔もここにいたのに……。

 

 

 それをきっかけに氷華に次々と言った。

 

 

  「なんで……氷華が掠り傷で済んで、春翔はあんな痛々しい姿だったの……?弟を守らずにただ見てたの?」

 

  「おい、なにを言い出すんだ。春翔が氷華を庇ったと聞いただろ!?咄嗟のこととはいえ春翔は氷華を守って……」

 

  「春翔が氷華を守れたのに、なんであんたは春翔を守れなかったのよ!!なんで庇われたの!?なんで春翔だけ……っ……なんでぇっ……どうしてあんただけ助かったのよぉっ!!どうせならあんたも一緒に轢かれてれば良かったのにっ!!」

 

  「おいっ!!自分がなに言ってるのか分かってるのかっ!?娘に対して言っていいことじゃないだろっ!?一番辛いのは目の前で見ていた氷華なんだぞっ!!?」

 

  「――あっ…………ごめんなさい……私…………」

 

 言ってしまった後にしまったという顔をして私を見た母は顔を覆って謝りながら泣き崩れた。

 

 

  (“一緒に轢かれてれば良かったのに”……本心なんだろうな。片方残るより両方いなくなられた方が母さんは嬉しかったんだ……)

 

 

 ――自分が無事でも誰も嬉しくない。春翔もいて初めて姉弟として大切にされるんだと。じゃあ片方だけなら生きてる意味がない?春翔が身を挺して助けてくれたのに、助かった自分じゃ誰も嬉しいなんて思わない。春翔なら、また違ったんだろうか……。

 

 母親に言われたことを鮮明に覚えている。あの時憎しみをもって睨みつけられたことも。言われたことがショックで両親の前から離れて無意識に春翔の遺影と御骨がある祭壇に歩を進めていたことも。いつの間にか勝手に涙が流れていたことも。

 

 祭壇の前に佇んでただ泣いてた。そして呟いた。

 

 

  ――春翔がいれば……。

 

 

 そう呟いた後だった。何処からか春翔の声が聞こえてきた。

 

 

  《――ボクがいれば……ねーちゃんが責められない?お父さんもお母さんも誰もねーちゃんを守らないなら、ボクが守るよ……》

 

 

 春翔は死んだ。それなのに声が聞こえるなんておかしい。これはきっと都合の良い夢なんだ。

 

  「守る……?春翔が、私を……?」

 

  《うん……なにかあった時はボクがねーちゃんを守るって約束したでしょ?》

 

  「……そう、だね。約束、したね」

 

  《うん。これからは……ボクが守るよ――》

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 思い出しながら五条にその時のことを聞かせる。

 

  「それからです。何かあった時に春翔が出てきて私を守るようになったのは」

  「…………なるほど」

 

 五条は頭を掻く。

 

  「断言は出来ないけど、氷華が弟に呪いをかけたというより――“姉弟で呪いをかけた”という方が正しいのかもね」

  「え」

 

  「君は呪いのきっかけを出したにすぎない。それを弟が掴んで望み、君は承諾した……つまり、弟の呪いは君たち姉弟が互いに呪いをかけあって生まれた呪いかもしれない。主従があるのはきっかけが氷華だからだ。そう考えれば、氷華が主従制約を破棄しても弟が望まないのであれば解呪は出来ない」

 

  「…………」

 

  「無理に解呪しようとすれば君がタダじゃ済まない。弟が嫌がっているのなら解呪は絶望的だ。…………ごめん。2人とも消えるか解呪するか、選択肢をあげて希望を持たせておいてこんなことしか言えなくて」

 

 五条から謝罪の言葉が出るとは思わなかった。それに初めて耳にした申し訳なさの混じる声……五条にとっても春翔の呪いのきっかけの元は予想していなかったのだろう。氷華にとって辛い現実を言わないといけない、二択で選んだ方に希望がなくなったと提示した五条自身が突き付けることがせめてもの礼儀だと思ったのかもしれない。

 

 それがせめてもの優しさだと。

 

 

 

 

 

 

 氷華から持ち掛けられた弟の呪いについての相談。まさか呪霊が解呪を嫌がるとは……過去も含めて話を聞けば自分が想像していたより簡単ではなさそうだと感じた。

 初見から氷華が弟に呪いをかけたと思っていた五条だったが、詳しく話を聞くと別の可能性が出てきた。解呪を嫌がるのは何故か――。

 

 

  (姉弟が互いにかけた可能性とはね。今までにない)

 

 

 もしそうだとするなら、呪力量の少ない氷華が弟の呪いにあてられず平気なのはどういうことなのか。呪いに耐性があるといっても差が大き過ぎるし、仮に主従があってものまれないという保証はどこにもないのに平然としている。

 

  (精神状態が影響する可能性もある。解呪出来ないことが分かって不安定になり、暴走することもゼロじゃない)

 

 現に事実を伝えてから氷華は黙ったままだ。今彼女がどういう表情をしているか分からないが、呪力に変化は感じ取れない。きっと言ってたことと違うと言われるだろう。解呪出来るかもしれないと希望を持って呪いを学んでいたのに、急に絶望的かもしれないなんて言われて――。

 

 

 

  「――ありがとうございます、五条先生」

 

 

 

 意外な言葉に五条は顔を上げ、目隠しの包帯をずらして氷華を見ると……穏やかな表情で微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

  ――無理に解呪しようとすれば君がタダじゃ済まない。弟が嫌がっているのなら解呪は絶望的だ。

 

 

 五条の言葉に氷華は頭が真っ白になった。

 双方消えるか解呪するか……二択から迫られた選択。自分も助かりたいし弟も助けたい。だから解呪を選び呪いについて学ぶために呪術高専に入った。

 

 呪霊を祓うことも祓うために強くなることも理解を深めることも、春翔を助けることが出来るなら――それを希望に頑張ることで疲れても辛いと思っても痛いと感じても、頑張ることが出来た。春翔が呪いとなって自分の傍にいるようになって4年……人を傷付け死なせる一歩手前までいったこともある。春翔にとっては氷華を守るためとはいえ、氷華からすれば自分が起こした事ではなくても自分が怪我を負わせて人殺しをする寸前までしたも同然。

 いつか自分が本当に人殺しになるのが怖かった。このまま苦悩する毎日が続くのかと思っていたが、地区を壊滅的にしたあの日、自分は死んだと思った。

 

 いつも通り静かに晩ご飯を食べていた。母さんとは春翔の四十九日以降最低限の会話しかしていなくて、親子としての時間は希薄だった。私はそれを気まずいと思ったことはないし、母さんも自分の失言で私に避けられるようになった結果は受け入れていると思う。だから会話がなくても平気で寧ろその方が有難いとさえ思ってた。

 

 でもあの日は、違った。

 

  「……もう4年も経つのね。春翔がいなくなって」

 

  「……うん」

 

  「2年前にお父さんもいなくなって……私と氷華だけになっちゃったね」

 

  「…………」

 

  「みんな居た時はあんなに騒がしかったのに……今そんな面影全然ない……春翔がいれば少しは違ったかもしれないのに……」

 

 あぁ、またか――母さんの言葉を聞きながら私はそう思った。

 

  「今日ね、春翔と仲の良かった子の母親とスーパーで偶然会って、話をしたの。一緒に居た男の子は春翔と誕生日が一緒で3月で14歳になったって。春翔が生きてたら同い年だなあって……。あんな事故がなければ、春翔もっ……っ……!」

 

 途中涙を流す母親に氷華は何も感じなかった。春翔が関わると最後には「春翔が生きていれば」と泣き崩れる。

 もう何度目かも忘れた。母さんにとって春翔は特別だったのだろう。同じ母親から生まれたのに特別は1人だけ、自分は代わりですらない。

 

 春翔がいれば、春翔が生きていれば、春翔が好きだった、春翔だったら――聞き飽きた。

 

 

 

  ――あぁ、鬱陶しい――。

 

 

 

 不快さが募ってそう思った。そしたら何の前触れもなくその場が爆ぜた。

 

 そして目を覚ませば、あのお札まみれの不気味な部屋だった。地区が壊滅的になったと聞いて自分が死ななかった現実に残念だと思った。死んでたら楽になれていたのに、と。

 だけど五条から春翔が“呪い”だと聞かされ、それを解く方法があるとの選択肢を提示され、希望を感じた。呪いが解ければ、あの事故以降から纏わりつく苦悩から解放される、その為にならなんだってしよう――だから頑張れた。

 

 なのに……。

 

 五条に春翔が呪霊になったきっかけを話すと、五条が思っていたよりも複雑な可能性があると言われた。自分か春翔が呪いをかけているのならかけた方が主従制約を破棄し、かけられた方が罰(ペナルティ)を望まないのなら解呪が出来る。だが互いに呪いをかけあっていたとしたら、自分が主従制約を破棄しても弟がそれを望まないのであれば解呪は出来ない……五条はそう言った。

 

 

  (解呪が出来ないのなら、もう希望もなくなったな……)

 

 

 話が違う――そう文句が出かかったところで踏み止まる。

 

 

 

  『弟を亡くしてるのに平気そう。鬱陶しくなって突き飛ばしたんじゃない?』

 

  『なんかあいつだけ優遇されてない?身内が事故で死んでかわいそうだから大目に見て~みたいな?うっざ。被害者ぶるなよ、死んだ奴が被害者だろ』

 

  『なによ。誰もあんたの話なんて聞いてないでしょ?良い子ぶって裏じゃ悪いことたくさんしてたんだって?だから弟が罰で死んだんでしょ』

 

 

 

 ただ普通に思っていたこと、考えていたこと、こうした方がいいのではないかって意見を言うだけで、言い返しただけでいつの間にかありもしない話がでっち上げられて噂されたり、言われもないことを言われるようになった。今ここで文句を言えば、こっち側でもまたありもしない話が独り歩きする……物分かりが良いってフリをしてやり過ごせば……。

 

 

  「――ありがとうございます、五条先生」

 

 

 咄嗟に口から思ってもいないセリフと本音を隠す為に笑顔を取り繕う。

 そう声を掛けたら五条は目隠しの包帯をずらしてこちらに顔を向けた。微かに光る六眼が驚きに見開かれている。

 

  「は?」

 

  「普通なら、呪いの解呪が出来ないって知れば受け入れられなくて、今目の前にいる五条先生を責めたり問い詰めたりするんでしょうけど……『あぁやっぱりな』って思った自分がいたんです」

 

 

  ――違う。

 

 

  「どうして春翔が呪霊になったのか、ここに来るまで考えたことなかった。呪いや呪霊の存在、呪術師……教えてもらいながら少しずつ呪術界のことが分かってきた。その上でこうして話していたら当時自分が何を思っていたか、何を感じていたかを思い出して……納得したんです。私が望み、春翔が答えてそれを私が承諾して今の呪霊になってしまったんじゃないかと言われた時、「そうだよね」って。だって私達姉弟が望んだ呪いなら、それがどんな結果になっても何も言えないですよね?望んだことなんですから」

 

  「氷華」

 

  「解呪が出来ないなら、私が死ぬその瞬間までこの呪いと付き合っていくことにします。なので大丈夫です。五条先生そんなに気にしてないと思いますけど、本当に気にしなくていいですから」

 

 

  ――違う、違う!

 

 

 防衛本能で自分を守る為につらつらと話す自分とは裏腹に内心は否定をする。もう何度こんなことを繰り返していかないといけないのか。

 

 さっさと立ち去りたくて五条の横を通り過ぎようとしたが手首を掴まれ引き止められる。

 

 

 

  「…………もう解決しましたみたいに言わないでくれる?」

 

 

 

 五条を振り返ると、こちらを見ず机に腰掛けたまま続ける。

 

  「さっき話したのはあくまで“可能性”の話。出来る可能性もゼロじゃあない。どっちにしたって死ぬまで呪いと付き合うかどうかは君の好きにすればいい。――だけどね、君は僕の生徒だ。この世界に引っ張ってきたのは僕なんだから関係ないみたいに突き放されるのは気分が悪い。

  上の連中がさっさと死刑にしてなかったことにしたいのにストップをかけて延期させてるんだから、僕も無関係じゃない。今更言うのもなんだけど、君は自分が思ってるよりも危険人物認定されてる自覚を持った方がいい」

 

 腰掛けた机から立ち上がり、こちらに近付いて来る。目隠しは解かれていて、双方の六眼と目が合う。

 

  「ある意味運命共同体なんだ。自分の行動が何を天秤にかけるか……分からないわけじゃないだろう」

 

 

 初めて目の当たりにした。

 普段のマイペースで軽薄な態度ではなく、不快を露わにした怒気を含む低音。相手を気遣っているような言動はしつつも誰にも興味がないと思っていたのに、そんな五条が眉間に皺を寄せて自分を見下ろしている。

 今までにない相手の反応に戸惑いを隠せず何も言えないでいると、五条の左手が上がるのが見え、氷華は身を竦めた。叩かれる――そう思った。

 

 

 

 わしゃわしゃ。

 

 

 

 上がった左手は氷華の頭に置かれわしゃわしゃと撫でられる。叩かれるとは違う感触に氷華は五条を見上げる。

 そこにはいつものマイペースな五条がいた。

 

  「結論出すのは早すぎでしょ。物分かり良いっていうかそういうの僕の前では止めてくんない?思ってもないこと言うのしんどいでしょ?」

  「…………」

 

 五条の言葉に氷華は呆ける。なんで……。

 

 

 自らわしゃわしゃにして乱した氷華の髪を優しい手付きで直しながら五条は口を開く。

  「君根っこは素直で思ったこと直ぐ言う人間でしょ。時折遠慮ない物言いしてるの気付いてる?それなのになんか急に物分かり良い発言するから変だなーって思ったわけ。防衛本能で無意識に偽る術が身に付いたんだろうけど、そういうの僕には必要ない。素直な氷華をみせてよ」

 

 

 優しい表情で、優しい指先が前髪を払う。

 何か言おうと口が動くが何も出てこない。変わりに目から涙が零れる。

 

 

 

 

 

 出来るだけ優しい手付きで五条は自分で乱した氷華の髪を直す。驚きで呆けていた氷華だったが、何か言おうとして口が動くが何も出てこなかった。変わりに涙が流れて唇を噛み締める。

 

  (あーあ……そんな噛み締めたら傷付くって)

 

 撫でていない方の手で涙を掬い上げるようにして拭っても直ぐに涙で濡れてしまう。これは暫く泣き止みそうにない。

 

 

  (呪いを誘発したのは環境か。周りがロクでもなかったならこうなって良かったかもしれない)

 

 

 周りのことなどどうでもよくて、自ら手に掛けて殺戮を尽くすまでに堕ちなかったのが救いだ。ここまで莫大な呪いになれば祓うのはほぼ不可能、危険だから即死刑にするより、使い方によっては今以上に多くの人を助けられると示す方が良いと考えた。

 現着した時、一触即発だったのが不知火春翔が抱えていた氷華が何か言った後大人しくなって消えた。鶴の一声みたく言うことを聞かせられるなら力の使い方を知ればすごい戦力になると。

 

 そんなの利用しない以外ない。

 

 

  (なんて思ってた割に、氷華といると居心地良くてすっかり絆されちゃったよねー……)

 

 

 今目の前で泣いている氷華の姿も可愛いなんて思っているのがその証拠だ。……お、少しは落ち着いてきたかな。

 自分で涙を拭う氷華に五条は話し掛ける。

 

  「少しは落ち着いた?」

  「…………はい……」

  「とりあえず家に帰ろっか。送ってくよ。というか、今日は氷華のとこ泊まるから宜しく!」

  「…………は?」

 

 掴んだままの氷華の手を引っ張って教室を出て行き、校舎から出ると氷華を引き寄せてトんだ。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 いきなり「今日泊まるから!」と言われてはいそうですかと言えるわけもなく……とはいえ実は氷華が住んでいる部屋にはもう1つ部屋があり、そこに泊まるからということで有無を言わさず五条は泊まっていった。

 

 

 朝からテンション高めで、氷華は「元気だなぁ」と思いながら五条を見つめていた。

 

  「?なに?ナイスガイな僕に惚れちゃった?」

 

  「五条先生料理出来たんですね。意外です」

 

  「わりかしなんでも出来るよ。気に入った?」

 

  「はい。普通に美味しいです」

 

  「僕の手料理食べたくなったらいつでも言って。氷華になら振る舞っちゃう♡」

 

  「ありがとうございます……」

 

 上機嫌の五条はさっさと食器を下げて洗い物も済ませてしまう。なんだか至りに尽くせりでちょっと怖いのだが……何があった?

 首を傾げて唸っていると洗い物をしながら五条が話し掛けてきた。

 

 

  「氷華、聞いていい?」

  「?何ですか?」

  「交際したことある?告白されたことは?」

  「なんですかその質問……」

  「いいからいいから♪」

 

 

 少し考えてから氷華は口を開く。

  「交際したことはありません。告白されたことは、あります」

  「へぇ、誰に?」

  「中学3年の時だったかな……3年間同じクラスだった同級生に夏休み前に「ずっと好きだった」と言われました。でも春翔のことがあるから迷惑になるだけなので断りました」

  「弟のことがなかったら付き合ってた?」

  「付き合ってなかったと思います。その人のこと同級生としか思ってなかったし、初恋も特になかったですし、春翔の事故以降人信じるのが怖くなったので……たぶんこの先もないんじゃないですかね」

 

 氷華の言葉に五条はあからさまに呆れる。

 

  「若人が青春諦めてるなんてダメだよ?今真っ只中だっていうのに。というか、枯れてるみたいでウケる」

 

  「……殴っていいですか?」

 

  「氷華がこわーい!」

 

  「呪い抱えた面倒なのと付き合うとか好きになる人がどこにいるんですか?絶滅危惧種ですよそんな人」

 

 腕時計を確認すると、そろそろ学校の時間になるので最低限の荷物だけ持ってリビングを出ようとしたが、ドアの前に五条が立ち塞がり足止めされる。

  「なんですか」

  「いるよ?その絶滅危惧種」

  「……いいですよ。そんな気休めの慰めは要りません」

  「僕がそうなんだから、気休めじゃない」

 五条を見上げると、口元に笑みを湛えていた。

 

 

  「結婚出来る年齢なんだし、問題ない」

 

  「え?」

 

  「僕がその絶滅危惧種♡呪いがあったって関係ない、お互いの事情にも理解がある、変に気を遣うこともない。それに――こうして一緒に過ごしてるんだから付き合ってると大差ない。居心地良いんだよね、氷華と一緒にいるの」

 

 

 いつの間にか抱きかかえられていて、顔が近距離にあった。

  「好きになっちゃったよ。君のこと――」

 触れ合うだけの軽いキスをされ、リビングから出て氷華の履物を手に部屋を出る。そして日課となっている学校までトび学校へ送られるのだった。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

  「…………」

 

 

 教室で頭を抱えている氷華の思考はショート寸前だった。今朝何が起こったのか何度思い返しても夢にしてはリアル過ぎる。

 

  (え??五条先生が??私を好き??は??)

 

 家を出る間際に唇に触れた何かの感触はリアルだった。呪術高専に着いた瞬間下ろしたと同時に額にキスされ「今日転校生くるからね!」と手を振って去って行った。

 

 そして今――。

 

 

 

 教室に入ってきた転校生は、氷華と同じ呪われている転校生だった。真希、パンダ、棘は攻撃態勢を取って転校生に詰め寄った。……なんかデジャヴだ。

 そして氷華の時と同じく仕返しをされて3人は軽傷を負った。氷華は転校生そっちのけで考えに耽っていたので攻撃範囲外だったので無傷である。

 

 

 

 五条が軽く転校生――乙骨優太にクラスメイトを紹介する。午後は呪術実習をペアでするとのことで、これにもデジャヴを感じたが、氷華は2級呪術師の任務に見学として同行することになった。

  「あ、あの!不知火、さん」

 乙骨が氷華に声を掛けてきた。

 

  「先生も言ってたけど、君も僕と同じなの?呪われてるって」

 

  「そうだよ。だけど複雑な可能性があるから解呪出来ないかもしれないの。貴方は私とは違うと思うから大丈夫だよ」

 

  「え?」

 

  「呪術実習頑張ってね」

 

  「う、うん……」

 

 

 

 

 

 

 2級呪術師の先輩に同行して見学させてもらうことになった氷華はとある山の麓の竹林に来ていた。昔ここに小さな集落があったらしく、心霊スポットとして人々がよく来ているらしく最近行方不明者も出るとのことで調査することになった。呪霊のレベルとしては2級にいかない低級らしく、今回同行した2級呪術師が任務を任された。

 五条から「低級なら氷華でも大丈夫!」との太鼓判で呪術師の仕事っぷりを見るのも勉強になると同行することになった。

 

 確かに出た呪霊は大したことなかった。先輩が全部祓ったし、その様を見ているだけで任務はあっさりと終わった。

 だが――。

 

 

  「……帳が、上がらない……?」

 

 

 

 不思議に思っていると数メートル背後に呪霊が降ってきた。

 

 

  (なにコイツ……気配が今まで出会った呪霊とは桁が違う――)

 

 

 ゾクッと背筋に寒気が走り反射的にしゃがんだ氷華は近くに居た先輩に目を向けた。丁度斬撃で顔が半分に分裂した場面を目の当たりにしてしまい、絶命は一目瞭然だった。

 

 

  (不味い!!力の差が歴然としてる!!どうにかして補助監督に連絡を取って上級の呪術師を――)

 

 

 瞬時に距離を詰められ弾き飛ばされる。直撃は避けられたが、咄嗟に腕で庇ったとはいえ衝撃で腕が痺れる。

 

  (なにこの衝撃!?車やトラックとの衝突以上の衝撃じゃないの!?)

 

  「!!?」

 

 上空に気配を感じその場を離れる。地面が蜘蛛の巣に割れ、落ち葉が舞う。食らっていたら貫通する勢いだ。

 呪霊の全容が見え、人型に近い形をしていて楽しそうに嗤っていた。コイツ――舐めてる上にどう殺そうか楽しんでる――。

 

 落ち葉で視界が悪く動きが速くて追いつけず、真正面に現れ蹴りが繰り出されていた。ギリギリでかわせたが、足を掴まれ上空に飛び上がる。そして背中から地面に向けて叩き付けられる。

 

 

  (ま、不味い……全身に力が入らない……)

 

 

 再び上空から攻撃を仕掛けようとしている。動け、動いて!!

 

 

 

  (――これ、死んだな――)

 

 

 

 最後を悟ったからか、上空から降ってくる呪霊の動きがスローモーションに見える。呪霊は――三日月みたいに口を左右に広げて嗤っていた。

 

 

 

 

  (死ぬ寸前に見るのが呪霊なんて――あぁ、コイツのこの余裕顔、歪ませてやりたい――)

 

 

 

 

  ――ドクン――。

 

 

 

 

 全身が大きく波打つ。急速に全身の痛みが引き、身体が動くと理解する。

 

 

  「はっ――」

 

 

 ――笑えてきた。今はただ、目の前のコイツを祓う(ころす)という本能のままに身体が動く。

 

 降ってくる蹴りを片手で受け止める。衝撃が地面に伝い凹んで周りがひび割れる。止められたと分かった呪霊の表情が変わり、今度は氷華が笑う。

 

  「はっはははっ!耳障りが消えた!――」

 

 受け止めた足を引っ張って引き寄せ、呪霊の顔面に拳を繰り出し殴り付けると同時に黒い光が走る。続けて拳を繰り出した反動で地面から浮き上がった体勢から腹部に蹴りを入れ吹っ飛ばす。蹴りが入った際も黒い光が走り、呪霊は血を吐きながら岩壁に激突する。

 

 

 

 凹んだ地面から氷華が髪を掻き上げながら姿を現す。露わになった瞳――金色の瞳が妖しい輝きを放っている。

 

 

  「嗤ってたわよね?こいつ弱そうだし、どう殺そうかって楽しそうに嗤ってたわよね?――嗤いなさいよ。同じように嗤ってあげるから!!」

 

 

 近付いて来る氷華に呪霊は歯を食いしばり、襲い掛かる。だがひらりと交わされる。

 

  「――舐めてんじゃねーぞ。消えろ――」

 

 攻撃を交わした際に呪霊の耳元で氷華はそう囁いた。そして呪霊の腰、前に回り込み鳩尾、丹田、喉、顎を蹴り上げ頭部頂点に踵落とし、首、背中、横腹、とどめに胸部に足技を入れる。蹴り入れる際に毎度黒い光が走り、呪霊は血反吐を吐きまくり立つことさえままならない。頭部がボロボロに崩れ始め、呪霊は消え去った。

 

 

 呪霊が消え去り氷華はその場に立ち尽くしていたが、動く気配を察知してその方角を見る。氷華より先に春翔が顕現して飛んでいく。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 氷華が呪霊と戦い始めた頃、乙骨と真希ペアは小学校に巣食う呪いを祓い、行方不明者の子供2人も無事に救出出来た。治療の為に戻り乙骨と話す五条の携帯が振動し、出る。おそらく氷華が同行した任務の方からだ。

 

  「そっちは終わってるでしょ。氷華達と合流した?」

 

  『…………と、と……きゅ、う……が……』

 

  「特級?」

 

  『…………』

 

 通話は切れないが、かけてきた方が喋れなくなり無言が続く。

 すぐさま状況を察し五条は動き出す。

  「――伊地知。氷華が同行した任務先で特級呪霊が出た。補助監督1人現場によこして。時間が惜しいから僕が行く」

 

 確かそんなにここから離れていなかったはずだ。

 

 

 

 

 

 片目だけ出して現着すると補助監督が息絶えてうつ伏せに倒れていた。そして上着で頭部を覆われた任務を請け負った2級呪術師の亡骸も近くに横たわっていた。

 

  (氷華が運んだのか?呪霊は……弟のみか)

 

 竹林に足を踏み入れると地形が変化していて低級と合間見えたというだけじゃないのは一目瞭然だ。現れた特級は祓われたということになるが――まさか氷華が――。

 

 

 

  「うわああぁああっ!!やめてぐれぇっー!!」

 

 

 

 突如として響き渡る男の悲鳴。声のする方に五条が歩を進めると、完全顕現した春翔が男の両脚を片手で鷲掴みにして押さえ付けていた。

 

  《お前かぁ……お前があっ!!》

 

 更に力が加わり両脚から血飛沫が飛び散り嫌な音がする。あり得ない方向に曲がってへし折れ、紙屑を丸めたように最早脚という原型が残っていない。とどめだと言わんばかりに男の上体に手を伸ばすが、ピクッと一瞬手が動き、後ろを振り返る。

 

  《ねーちゃん》

 

 そう呟いた瞬間に姿が消え、下半身を握り潰された男と五条がその場に残された。

 

 

 

 

  「おーこわっ。下半身が悲惨なことになったけど、まだ生きてるよね?」

 

 

 

 五条が男に歩み寄り、しゃがんで話し掛ける。

  「全身一握りで潰されないだけマシだと思うよ?――お前呪詛師だな。特級もお前の仕業?」

  「……た、のまれた、だけ……だ……」

  「誰に?」

  「知ら、ねぇ……場所と……呪術師のし、ごとの……邪魔をって、言われただけ、だ…………」

  「?」

 

 呪詛師が手に持っている書物を拾い上げる。

 

  「そうか。じゃあ、おやすみ――」

 

 

 

 

 

 春翔の気配を辿って更に奥へと進むと、春翔が氷華を腕に抱えた状態でこちらに近付いて来るところだった。五条から少し離れて春翔は止まり、ジッと様子を窺ってくる。

 殺気は感じられないため五条は気にすることなく春翔に近付いて抱きかかえられている氷華に声を掛ける。

 

  「氷華。大丈夫?」

 

  「五条先生……はい、なんとか……」

 

 目を瞑って休んでいた氷華が五条の声に目を開けこちらに顔を向けた――と、印象が変わっていた。

 

 

  (瞳が……金色……?)

 

 

 確か氷華は黒色の瞳だったはず。これまでに何度も氷華の目を見ているから間違える筈がない。

 

  (なんで瞳の色が変わってる?それに一般人より少し多いくらいの呪力が倍以上に跳ね上がってる)

 

 氷華の身に何が起こったのか、とりあえず怪我の状態を診てもらう必要がある。弟は消える気配がなく、どうやら竹林の外まで氷華を運ぶつもりのようだ。

 仕方なく五条が少し前を歩く形で竹林の外へと向かう。

 

  (あの呪詛師が持ってたこの書物……後で詳しく調べてみるか)

 

 竹林を出ると要請していた補助監督がすでに現着していた。犠牲になった補助監督と2級呪術師の遺体は回収されていて、春翔は五条の背中に氷華を預けると姿を消してしまう。補助監督が春翔に気付く前で良かった。

 

  「同行していた不知火氷華さんは!?」

 

  「僕の背中。このまま僕が連れて帰るよ」

 

 安心してスヤスヤ寝ている氷華をおぶったまま、五条は呪術高専へと帰還した。