目を覚ましたら、薄暗い部屋の中だった。

 

 何度か瞬きをすると意識が少しずつはっきりとしてきて項垂れていた頭をゆっくりと起こす。

 

 

  「…………なに、ここ……」

 

 

 薄暗い部屋の明かりは蠟燭の明かりだけ。部屋の内側はお札なのか隙間なくびっしりと貼られていて正直気味が悪い。椅子に座らせられていて拘束はされていない。

 

  (えっと……私は何をして……)

 

 確か、弟の4回忌で家に居て……晩ご飯を食べてる時に急に――。

 

  「!?家は、近所とかどうなって――」

 

 

 

  「家は全壊。君の住んでいた地区は壊滅的、だが奇跡的に死人はいなかった。負傷者は大勢だけどね」

 

 

 

 突如男の声が聞こえてきた。部屋の薄暗さに紛れていたのか、入ってきたのか、白髪の長身で包帯で目隠しをした人物がこちらに近付いてくる。

 

  「やあ!目が覚めたみたいだね。気分はどう?」

  「……誰、ですか?」

  「僕は五条悟。東京都立呪術高等専門学校で1年を担当してる」

 

 高校教師?あまり馴染みのない学校名だったけど。

 

  「……学校の先生がここで何を?私はどうしてこんな部屋に……」

 

 そう問い掛けると、五条はゆっくりと手を伸ばしてくる。すると――。

 

 

 

   ガタ、ガタガタガタ!!

 

 

 

 急に部屋が揺れ出して私の背後から白くて大きな手が伸びてくる。

 

 

 

  《さ、わるな!ねーちゃんに、触るな!》

 

 

 

 白く大きな手が五条を鷲掴みにしようとした。

 

  「ダメ!!春翔(はると)!!」

 

 反射的に私がその白い手の主の名を叫ぶと、手はピタリと止まりゆっくりと引っ込む。それを見届けて安堵の溜息を付く。

 

  「うん、君の言うことは聞くみたいだね。まさか手を伸ばしただけで襲われるのは予想外だったけど」

  「…………」

  「まずは今の現状を話そうか」

 

 近くに置かれていた椅子を引っ張って背もたれに腕を置き、五条は話し掛けてくる。

 

  「さっきも言ったけど、君の住む地区が壊滅的被害を受けた。張本人は君じゃないけど、君に憑いてる彼――君の弟である不知火春翔(しらぬい はると)が起こした事実は変えられない。だから君にも責任があると判断され、更に危険因子と認識されたから呪術高専で預かることになった。だから今君はここにいる」

 

  「憑いてる?」

 

  「そう。君呪われてんの。弟くんは“過呪怨霊”、君は憑かれてる“被呪者”になった。とてもじゃないけどパンピー(一般人)として野放しには出来ないってわけ。それに“視える側”でしょ君?じゃないと僕を襲おうとした弟くん止めないよね?」

 

  「……生まれつき、です。見えないものが“視える”……おかしなことを言うってよく言われてました」

 

  「それは“呪霊”だよ。視えるやつ周りに中々いないでしょ?君呪力もあるし、素質はあると思うんだよね」

 

 五条が何を言っているのか分からず顔を凝視していると、「ここからが本題」と続ける。

 

  「危険因子になった以上、君の処遇を決めないといけない。でもね、君か弟くんか……どちらかを祓うか死刑にしたとしてもその後何人呪い殺されるか分からないから拘束するまでしか決まってないんだ。そこで、君に決めてもらうことにした」

 

  「決める?何をですか?」

 

  「一つ、双方消えてもらう。二つ、呪いの解呪。君が選ぶ選択肢はこの二つの内どれかだ」

 

  「…………」

 

  「おそらく後者だと思うけど、解呪は君自身でやるんだ。君以外だとおそらく解呪は出来ない。下手したら被害が出る。――このままでいいの?ずっと弟に守ってもらう?」

 

 五条の言葉に唇を噛み締める。

 これまで何人もの人に怪我をさせてきたか……重傷を負って死にかけた人もいる。不慮の事故・不運な事故、全てそれで処理されてきた。

 でも本当は違う。別にいじめとかそんなのではないけど、私をいじめていると判断した春翔が襲った。春翔は私を守るつもりで起こしていることで罪の意識はない。だけど“視えている”から春翔が起こしたことは自分で起こしたことも同然で、だけど周りは“視えていない”から私の言葉は信じてくれない。

 

 顔を上げて五条を見る。目の前のこの人は春翔が“視えてる”。だから彼に選択を迫られている今、この苦しみが少しでも和らぐ道を示されているのなら私が選ぶのは――。

 

 

 

  「――弟の手で誰も死なせたくない。私を守るためでも、姿が変わっても……誰かを死なせるその重みは私が背負う!春翔を自由にするために必要なこと全て教えてください!」

 

 

 

 私の言葉に五条は口を開く。

 

  「場合によっては凄惨な現場を見ることもある。君がそうなることすらある。その覚悟もあると判断するよ」

 

  「覚悟は出来てます」

 

  「いいね。――呪術界にようこそ。不知火氷華(しらぬい ひょうか)」

 

 

 

 

 五条の働きで氷華は東京都立呪術高等専門学校に入学が決まった。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 入学は決まったが、校内の学生寮に入ることは拒否されてしまった。地区一つを壊滅的にしたくらいだ、学校で暴れないという可能性がゼロじゃない限り他の生徒の安全を考慮しての判断だそうだ。その通達を五条から聞かされ氷華は当然かと納得した。

 となると、何処かに部屋を借りなければ呪術高専には通えない。

 

  「父親は2年前に他界。母親は瓦礫で頭を強く打ったのが原因で意識不明のまま……下手したら植物状態のままだと連絡が来たよ。親戚の類はいるにはいるんだろうけど、関りはほとんどなく絶縁状態。詰みだね」

 

  「私物の類なんて届けられた貴重品と携帯……後はお父さんと春翔の写真だけ。手持ちのお金なんてバイトで稼いだ程度の大したものじゃないし……」

 

 

 謎のお札だらけの部屋から出て、現在氷華と五条は東京呪術高専の入り口であろう鳥居の前で話していた。氷華は携帯で部屋を借りるに必要な資金相場を調べ大仰な溜息を付いた。

 

  「高校生始まる前から借金するとか……春翔のことどうする以前に体や臓器売らないといけない最悪な状況?もう詰みどころか死んでるわ……」

 

  「携帯代は氷華の口座から?」

 

  「はい。そのためにバイトしてたんです。父さんの遺したお金は母さんの口座だし、母さんと2人で生活していくには十分らしいですけど、病院にいるならそっちでほとんど無くなるだろうし……はぁ……」

 

 なんかもう呪術高専通う以前の問題な気がしてきた。

 五条に提案されてそうする気満々だったのが萎んでいき、生きていくにはまず何もかもなさ過ぎて何から手を付けていいか……。

 

 

 

 

  「――任せなさい!僕が氷華を保護するから全部出してあげるよ!」

 

 

 

 

 指を鳴らしそう高らかに宣言する五条に氷華は目を瞬かせる。

  「え……保護……??」

  「こんなこともあろうかと氷華はもう僕が保護してるんだよ!――てなわけで!まずは部屋に行くとしよう」

  「???」

 状況が呑み込めず混乱している氷華の手を引き歩き出して数歩、2人の姿が消えた。

 

 

 

 

 

 

  「????」

 

 目の前に広がる光景に氷華は瞬きを何度も繰り返す。さっきまで山奥に居たというのに、一瞬で何処かの部屋に立っていた。え、なにこの部屋……広っ!!

 

  「ここが今日から氷華の部屋だよ。何かあったら直ぐに連絡して。連絡先はもう携帯に入ってるからね」

  「!?……入ってる……いつの間に……」

  「基本的な物は全部揃ってるけど、後は日用品とか服とか食材がいるかな?なんなら今直ぐ買いに行こっか!」

  「い、今から!?」

  「僕はちょっと着替えてくるから外で待っててよ」

  「あ、え」

 

 

  バタンッ

 

 

 リビングから颯爽と出て行ってしまった。このまま突っ立っていても仕方ないので、手荷物を確認し直ぐに部屋を出て外で五条を待つことにした。

 辺りを見回すと、高そうなホテルを思わせる広い通路が広がっていてドキリとする。

 

  (ここ、まさか高級マンションとかじゃないよね!?防犯設備はちゃんとしてそうだけど!)

 

 いくらなんでも学生の為にそんな高いところを借りるわけないか……そう思うことにして納得していると、閉めた筈の自身の部屋のドアが開き誰か出て来た。

 

 

  「お待たせ!じゃ、行こっか!」

 

  「…………どちら様ですか?」

 

  「えぇーさっきまで一緒にいたのに酷いな。君の担任になる五条悟だよ♡」

 

 

 黒っぽい服装と包帯の目隠しを取って青シャツに黒ズボンにサングラス姿。そしてサングラスを取って現れた顔は今までに見たことのない整いっぷりで日本人離れしていた。何より宝石のような碧眼が印象的だ。

 

  「……宝石みたいなキレイな瞳……五条先生ハーフかなにかですか?」

  「ん?そう思う?」

  「え?違うんですか?」

  「それはまた今度教えてあげる。ほら、買い物行くよー」

 

 先に歩いて行く五条の後を氷華は小走りに追う。

 

 

 

 

 

 日用品や食材は後日部屋に届くように手配してくれて、今は服選びの真っ最中。最初お高いところに行こうとするのを引き留め、近くにあった商業施設の中にある服屋に変えさせた。「全部僕が出すからいいのに」と言うがいくらなんでも普段からそんな高価な服を着て歩ける程の度胸はまだない。

 

  (五条先生の金銭感覚どうなってんの?)

 

 そんなことを思いつつ気になった服を手に取る。

 

 

 

 

 服選びをする氷華から少し離れ、休息場の椅子に腰掛ける五条は遠目に買い物姿を眺めていた。

 

 

  ――五条先生ハーフかなにかですか?

 

 

  (御三家のこととか知らないのは当然として、あんな反応は新鮮だったな)

 

 

 呪術師としてこの世界に長いこと身を置いているから一般人の世界の感覚が分からない。氷華みたいな反応をするのが一般人の社会では普通なのだろうか。とはいえ氷華は“視える側”の人間、今まで呪霊に何もされず無傷なのは強運にも程がある。

 

  (呪われてからはおそらく近付いてこなかったんだろう。あの莫大な呪力……かなり強力な呪いだ。呪術師の家系かと思って調べたけど)

 

 

 

  ――出自不明(わからない)?

 

  ――はい。不知火さんの両親双方調べてみましたが、今のところ呪術師の家系である情報はなにも。

 

  ――…………。

 

  ――何か気になることでも?

 

  ――あれだけの強力な呪いだ。ただの一般人家系で出るはずがない。もう少し様子見がてら調べて欲しい。

 

  ――分かりました。

 

 

 

 ああやって服を選ぶ姿は普通の女の子だ。だが弟の呪いに影響されず普通に生活を送れている氷華もただの一般人というには妙だ。しかも氷華の言うことは聞く……主従関係があるということだ。となると氷華が弟に呪いをかけたのが濃厚か。

 

  (考えても仕方ない。氷華の様子を見つつ何か情報が得られれば御の字ってところか)

 

 選び終わったらしく、キョロキョロと五条の姿を探す氷華が五条を見つけると手を振ってきた。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 買い物が終わり部屋まで五条が送り届けてくれた。お札まみれの部屋で目を覚ましてから怒涛の勢いで部屋に必要なものを選んで……ようやく落ち着くことが出来た。

 

 1人には広過ぎるベッドで仰向けになって天井を見つめ、氷華は両手を伸ばす。

 

 

  (呪い……)

 

 

 自分の傍になにかいて、それが弟だというのは認識してた。だがそれが呪いだなんて……響きだけ聞けば恨まれているのかと思うが弟は“姉を守る”という行動の元でしか出てこない。恨まれているのに守るなんて矛盾しているし、自分の思う呪いとは違うのかもしれない。

 

  (知らないことが多いし、また五条先生に色々聞くか)

 

 目を閉じて数分、氷華の意識は沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 朝を迎え、朝食の片付けをしていると来客が来た。インターホンで確認してみると五条が居て手をヒラヒラと振っていた。

 

 

  「おはよう。眠れた?」

 

  「おはようございます。はい。思いの外ぐっすり」

 

  「それはなにより。じゃあ行くよ」

 

  「え?どこに?」

 

  「制服くるまでに多少の知識と腕は身に付けておかないと。僕が稽古付けてあげるから行くよ」

 

 

 動き易い恰好と荷物を慌てて用意することになり、最初に部屋に来た時の様に一瞬で連れて行かれた。

 

 

 

 

 連れて行かれたのはおそらく呪術高専のグラウンド。まずは体術からだということで稽古をつけてもらった。思いの外身体が動くので意外と動けるものだと思った氷華だったが、「タンマ!」といってストップを掛ける。

 

  (武道経験はないけど、五条先生の動きを見様見真似とはいえ形には出来る。だけどどうもなんかしっくりこない……)

 

 トントンと軽く跳びながら考えていると、自分の足を見てハッとした。自分が得意なこと、あった!

 

  「――よし。お願いします!」

 

 

 

 

  「君本当に経験者じゃないの?足技メインに切り替えた途端急に動きも威力も変わった。軸も安定してるし洞察力も大したものだし」

 

  「運動は出来てる方だったので」

 

  「なるほど。ポテンシャルが元から高いってわけね」

 

  五条が楽しそうにくつくつと笑うのを不思議に思っていると「なんでもない」と言われた。

 

 

 

 

 

 今日1日五条に稽古を付けてもらいながら呪力や体術の基礎を叩きこまれる1日となった。体力は元からある方だったから多少息が上がったりはあったが、個人的に体力向上のメニューでも組んでみようかなと考えた氷華であった。稽古終わりに「思っていた以上の素質がある」と頭を撫でられたのでそれは素直に嬉しいと感じた。

 

 入学までの間、呪術師としての任務の合間に五条に稽古を付けてもらい少しはマシになったと思う。それに春翔の呪いをなんとかするには自分自身が強くならないといけないと五条に諭された。

 

 

  ――弟くんの呪いを解呪するにも、まずは呪いを知ることと氷華自身が強くならないとダメだ。弟がいなくなったら自分で身を守らないといけないからね。ピンチになっても助けてもらえない、君だけでなんとかするしかないんだ。生き残るには強くなるしかない。

 

 

 

 その通りだと思った。

 今まで弟が起こしていた事は不慮の事故、不運な事故として片付けられてきた。私に嫌がらせや馬鹿にした発言とかいじめまでに発展していないことも含めて弟は守る行動をとってくれた。だがこうして五条と知り合い呪術高専の存在、弟の呪い、知らなかったことを知り今までのようにはいかないと分かりこの呪いをなんとかしないといけないと思った。

 

  (私にしかこの呪いをどうにか出来ないなら、解くしかない。それで春翔を自由にして、その後どうするかはその時に決めればいい)

 

 そう改めて覚悟を決め、届いた呪術高専の制服を纏う。足技を繰り出しやすいようにスカートではなく、チャイナ服に寄せた太腿の左右側面にスリットが入ったものへとカスタマイズ。

 五条には「生足じゃないからってどうなの?エロいに変わりないでしょ」と言われたが、動き易くするためにそうしたんだと押し切った。

 

 そして意を決していざ呪術高専に向かった。――が。

 

 

 

 

 

  「ものの見事に身構えられたね。でも氷華に何かしようものなら痛い目みることも体感してもらったし、結果オーライってことで!」

 

  「全っ然良くないですよ!というか、色々と説明はしょりすぎ!“呪術師”を育てるための学校っていうのもさっき!呪いの影響で行方不明者とかなんか色々!重要なこと先に言え!」

 

 

 

 呪術高専に先に入学していた一年と顔合わせになったのだが、教室に入った途端敵認定されて身構えた同級生に出迎えられた。刃物を突き付けられていたので氷華を傷付ける認定をされた同級生は、春翔の右手払いで軽傷に留まる仕返しを食らった。

 

 初っ端から空気の悪い対面になり、多少の話は出来たがやはり警戒されていて打ち解けるまではいかなかった。

 

  「ごめんごめん。でもあいつ等が解説してくれたでしょ?」

 

  「…………」

 

 

 

  ――住んでたとこ壊滅的にしたんだろ?それ以前もなんか色々起こしてたらしいじゃん。呪われてるってだけでも十分なのにとんだ問題児連れて来たもんだな。

 

  ――おい、真希!

 

  ――なにしたらそんな呪い引き連れるんだよ。

 

  ――その辺にしとけ、真希。

 

  ――おかか!

 

  ――わーったよ!

 

 

 

 顔合わせの後に五条を抜いた1年だけで少し話をした。と言っても言われるだけ言われて会話にもなってないが。

 その後呪術実習というものをするとのことで登校初日からいきなり呪霊との戦闘になった。ペアになったパンダや引率で来た五条が色々と言っていたが、氷華は禪院真希に言われたことが頭に残っていてろくに聞いておらず頭にも耳にも残っていなかった。

 

 とはいえ呪霊はちゃんと祓った。襲い掛かってきた呪霊に「うるせぇな」と吐き捨てて蹴り一発で祓ったのに少しパンダに引かれた気がしたが。

 

 

 そんなこんなあって今日が終わった。軽い態度の五条に噛み付く元気もなく、氷華は踵を返して背を向けて歩き出す。

 

  「氷華?」

 

  「……帰ります。お疲れ様でした」

 

 朝見た元気はなく、夕焼けに照らされる氷華の後ろ姿は今にも闇に溶けそうだった。

 

 

 

 

 

 

 呪術実習から戻った後、真希、パンダ、狗巻棘は五条に呼ばれて集合していた。

 

  「どうだった?パンダ。氷華は」

 

  「なんか上の空だったから心配してたが、呪霊に「うるせぇな」って吐き捨てて蹴りかまして祓ってたから、大丈夫だろ。……ちょっと怖かった」

 

  「なんかあったの?」

 

 五条の言葉にパンダと棘が真希に視線を向ける。

  「真希が余計なこと言った」

  「しゃけ」

  「本当のこと言っただけだろ」

  「あ。真希に言われたこと思い出してムカついたから「うるせぇな」ってセリフが出たんだな。いきなり転校生怒らせるなよ」

  「私のせいか!」

  「…………」

 

 

 

 

 

 夜11時――。

 

 

 ご飯も食べてお風呂に入り、9時にはベッドに寝転んでいるが一向に眠くならない。昼間の高専でのことが尾を引いているわけではないが、改めて自分がどう見られるのか分かった。

 

  (今まで何も言われなかったのがおかしかっただけ。本当なら禪院さんみたいに言われてるのが普通なんだ。呪いが視えて身近かそうでないかでこんなにも違うものなんだ……)

 

 自分は“視える側”。戦う術も知識も何もなかった。周りに同じように視える人は誰もおらず、春翔が起こした事だと誰も知らない。あのままの生活をしていたら自分がどうなっていたのか分からない。春翔が暴れて壊滅的被害が出てようやく目を向けられた。ただ、それほどまでにならないと気付かれなかったとなると、呪い――呪霊の存在で行方不明者等に繋がる話も嘘ではないと分かる。

 

 その裏で呪術師が暗躍していたなんてことも、呪術高専に拘束されなければ分からなかった。それほどのことを自分がしたという事実も――。

 

 

 

  ピロン!ピロピロピロピロン!

 

 

 

 急に携帯からメッセージの受信音がけたたましく鳴り響いた。なにかと思ってスマホ画面をいじると、五条からの連続メッセだった。画面を開いているこの間も短文のメッセがどんどん来るので割り込む隙間すらない。

 

  《うるさい!!》

 

 そう返信すると。

 

  《あ、起きてた!》

 

 いやこんな鬼メッセ送ってこられたら嫌でも起きるわ。すると今度は着信に切り替わり、画面に“五条悟”と表示される。

 

  「……なんなんですか、鬼メッセの次は電話って。睡眠妨害はんたーい」

 

  《凹んでたらおちょくろうと思ったのに、元気そうじゃない。パンダや棘が気にしてたから確認だよ》

 

  「……パンダくんと狗巻くんが?」

 

  《真希も多少は気にしてたみたいだよ。悪態吐きながら祓ってたってパンダが言ってたけど、怒ってたの?》

 

  「禅院さんに言われたこと思い出したらなんかムカついてきて……その時呪霊がうるさかったから思ったことそのまま言っただけです」

 

  《フッハハハハ!君正直だね!》

 

 

 

  「…………凹んでるとかはないです。前と今の違いを改めて体験したなと思っただけです」

 

 

 

 氷華が寝返りを打ちながらそう返す。五条は何も言わず続きを待つ。

 

  「視えない人には春翔が同級生を襲って大怪我を負わせたものも、通行の邪魔をしてないのに私に悪態吐いた男性が車道に倒れて車に轢かれたものも、不慮の事故・不運な事故に見えた。視える私はどうしてそうなったのか経緯が分かる。人がまるで玩具みたいに扱われて変形させられたり、水道を捻れば出てくる水みたいに血が流れるのを目の当たりにした。どっち側から視ているものが本当なのか、起こしている側なのに何も問われない、事実を訴えても信じてもらえない……境目が分からなくなってた。

  だけど、禪院さんに言われたことではっきりしました。私が視ていたものが私にとっての真実であり事実。“私達”が起こしたことが罪に問われなくても、私はそれを受け止めながら呪霊を祓っていきます。贖罪とかじゃなくて、知ってしまったからにはもう前に戻ることは出来ない。向き合うと決めた時点で私は“呪術師”になったんです」

 

  《……氷華なら大丈夫さ。僕が保証する》

 

 優しい声が鼓膜を震わせた。五条がそう言うなら大丈夫な気もしてきた。

 

  「もうスッキリしたので何を言われても平気です。確認とはいえ、五条先生がこうして電話してくれたのは心配してくれたと思って勝手に喜んでおきます」

 

  《なんか僕が心配しない人みたいに言われるのは心外だなー。生徒思いのナイスガイな担任で君を保護してるんだよ?気に掛けないはずがないでしょ》

 

  「……五条先生、ありがとう。おやすみなさい」

 

  《おやすみ》

 

 

 通話を切り、氷華は嬉しそうな表情で携帯を胸元で抱き締め、枕元に置き直して再び目を瞑った。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 氷華が通話を切ったのを確認し、五条はスマホを置き椅子の背凭れに凭れ掛かり背伸びをする。窓から差し込む満月の月明りを浴びて目隠しの隙間から現れた六眼の輝きが増す。

 

  「…………なんか調子狂うよ」

 

 初めて素顔を晒した時も、たまに見せる遠慮のない物言いも、去り際に重なった高専を去ったかつての親友の姿と被ったのが原因か。

 

  「まぁいいや」

 

 五条は深く考えることを止め不貞るように軽く寝ることを決めた。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 高専に登校し、教室に入ると先客がいた。

 

  「よぉ」

 

  「……おはようございます」

 

 教室に居たのは禅院真希。氷華は斜め後ろの席に荷物だけ置くと、窓辺に移動して外を眺める。特に話すこともないし、マジマジと外を見てなかったなと思い出してそうしていたのだが――。

 

 

  「悪かった」

 

 

 静かな教室に放たれた声は真希のもので、振り返ると真希は背中を向けていた。

  「え、今禅院さんが言ったの?」

  「はあ?私以外誰がいるんだよ。それと苗字で呼ぶな」

 こちらに顔を向ける気はないらしく、背中を向けたまま喋る真希に氷華は背中に向けて話し掛ける。

 

  「……別に謝らなくていいよ。気にしてないし。前と今が変わったんだなって改めて知れたから。そういう意味ではお礼を言うよ。ありがとう」

 

  「……ムカついてたんじゃねーのか」

 

  「呪術実習の時?……確かに私のこと何も知らないくせにって思ったら言われたことにたいしてムカついた。だけどそれは呪霊にぶつけてスッキリしたからいい」

 

  「お前大人しそうに見えて意外と言う口だろ?いじめられてたわけでもなさそうだし、なんで呪われてんだよ」

 

  「弟が心配性なだけよ。……本当、心配性なだけ」

 

 教室の外を眩しそうに見つめる氷華の横顔はどこか寂しげで慈愛に満ちた表情だった。

 氷華と真希の様子を教室の外で見守っていた棘とパンダが教室に入ってきて賑やかになる。なんとかみんなと打ち解けることができ、氷華の呪術高専での日々が始まった。

 

 

 

 

 

 学校が終わり帰ろうとする氷華に五条が声を掛けてきた。

 

  「今帰り?」

  「そうですけど」

  「じゃあ送ってあげる。ここからだと遠いし時間も掛かるでしょ」

  「あの。行き帰り毎回送る気ですか?一瞬でトぶ“あれ”で」

 

 氷華の言葉に「そうだけど?」と五条は不思議そうに返してきた。

 

  「確かに一瞬でありがたいですけど……五条先生任務で出張とかもあるんですよね?そんな時もなんて」

 

  「はい、あーん」

 

 いきなり口元に何か近づけられつい口を開けてしまい、何か食べさせられる。柔らかい、そして中に甘いクリームが入っていて思いの外口の中がベタつかないので食べ易い。

 

  「美味しいでしょ?」

  「……美味しいです。なんですかいきな――」

  「はいもう1個!」

 

 ズイッと口元に持ってこられ、「ほら、開けて」とお菓子がフニフニと氷華の唇に触れる。観念して口を開けるとお菓子を放り込まれる。

 

  「……なんなんですか、これ」

  「お土産。僕のお気に入りの1つだよ!氷華には特別僕が食べさせてあげる特権付き!」

  「違う!なんで食べさせるのかって意味の方!」

 

 一瞬「?」を浮かべた五条だったが直ぐにいつもの調子で話し始める。

 

  「意味もなにも食べさせたいから食べさせただけ。氷華の素直なとこ僕好きなんだよねー。餌付けしたい♪」

  「人をペットみたいに……」

  「いやだなぁーペットなんて愛玩動物より可愛い氷華をペットと同列にするわけないでしょ」

  「……は?」

  「だから、可愛い氷華には僕が直接食べさせたいから食べさせたの。そのくらい察してくんない」

  「…………」

 

 今五条がなんて言ったのか分からず瞬きをする氷華の顔を五条は覗き込む。

  「んー?驚いてるね、かーわいい♡」

  「か!?かわ……!?」

  「このまま戯れてるのもいいけど、氷華の家でゆっくりさせて。僕疲れたんだよねー」

 

 流れるように氷華の腰に手を添えて引き寄せる五条に氷華はバッと五条の顔を見上げた。だが表情に笑みを浮かべるだけで、文句を言おうとしたところでトんだ。

 

 

 

 

 

 

 家に着くと五条は自分の家のように廊下を進んでリビングへと直行。ソファに横になり「ちょっと寝るから適当な時間になったら起こしてよ」と言って寝てしまった。ソファに近付いて本当に寝たのか確認したが、寝息が微かに聞こえた。寝るのはや……。

 

  「……着替えて晩ご飯作るか」

 

 呪術師としての仕事もこなして教鞭まで取っているのなら疲れているか……そう思うと寝かせておこうという気になる。

 

 

 

 

 着替えてキッチンに立つ氷華は晩ご飯作りに入る。時折五条の方を気にするが起きている気配はない。

 

  (特級呪術師、御三家の1つの五条家の当主、無下限呪術と六眼の抱き合わせ……碧眼なのは六眼が影響してるのか)

 

 ざっくりと言葉を並べても凄さが分かるというか、忙しいのも伝わってくる。それなら今ソファで寝ているのも頷ける。

 

  (……あ、此処借りてるの五条先生だから五条先生の家も同然か)

 

 普通に出入りしているのを不思議に思っていたが、よくよく考えたら借り主なのだから合鍵キーを持っていても変ではない。

 

  (…………近くにいても遠い人ってことか……)

 

 担任であることで近くにいるが、本当は知り合うことも話すこともなかった凄い立場の人と過ごせる時間はある意味貴重で奇跡のような時間だ。そんな人に保護されていると思うと贅沢に思う。そもそも何故保護なんてしてくれたのだろう。

 危険因子とされているのなら、逆に関わると変なことを周りから言われるのではないだろうか。だが五条はそんなもの気にもせずに自分のしたいようにやっている気がするし、思いの外影響がないのだろうか。

 

  (まあ、私が考えたところで何も分からないし、いっか!)

 

 味見をすると良い感じの味付けに思わず笑みが零れる。

 

 

 

  「良い匂いだねー。何作ったの?」

 

 

 

 急に声がして思わず飛び上がると五条は肩を震わせる。

 

  「そんなに驚く?声まで上げちゃって可愛いねー氷華は♡」

  「いきなり声掛けられたら驚くでしょ普通……」

  「で、何作ったの?」

  「肉じゃがです」

  「いいね!おかわりある?」

  「食い尽くす気満々か……」

  「氷華の料理美味しいから、最低1回はおかわりしないと!」

  「準備手伝ってください」

  「はいはーい♪」

 

 上機嫌に手伝う五条を見ていると、年相応というより幼く感じる。いつも軽薄でマイペース、その態度もあるのかもしれないが急に雰囲気が変わったりする時はドキッとしてしまう。その時は年相応の大人の男性だと思う。

 

 晩ご飯の後に手作りフルーツゼリーを出すと、より一層目を輝かせるその姿には微笑ましくなり口元が緩んでしまう。

 

 

 

 

  「――はい。甘めのカフェラテです」

 

  「ありがと。……僕好みの甘さ!氷華天才!」

 

 氷華が食器洗いをしている間に着替えてきた五条は上機嫌にカフェラテを飲み続ける。

 

  「五条先生甘い物好きですよね?私は微糖くらいが好きだから、それより甘めにしてみました。その甘さで丁度良かったみたいですね。良かったです」

 

 そう氷華が返事すると、五条は少し驚いたような表情をする。サングラスだから目隠しよりも表情が少しよく見えるが、そんな五条の変化に気付くことなく氷華は自分のカフェラテを飲む。

 

 

 

  「…………」

 

 

 五条はグラス片手に携帯をいじっている氷華の顔を見つめる。そして今自分が持っているグラスに視線を落とす。

 

  (甘い物好むなんて話したか?いやしてない。お土産を氷華にはあげてたけど)

 

 出会ってまだ一月くらいだが、時折こうして相手が気付くか分からない気遣いをしていることには気付いていた。それに相手が気付いていなくても気にしていない、見返りを求めているわけでもない。自分の素性を知っても特に態度は変わらない。保護されているからゴマ擂りでもしてご機嫌取りをしてくるものとばかり思っていたが……。

 

 

  ――五条先生任務で出張とかもあるんですよね?

 

 

 忙しいのを察して自分でこの家まで帰ろうとしたり、いきなりやってきても驚いてはいるが嫌な顔一つしない、自分の分を含めたご飯を作ってくれたり、甘い物が好きなのを知ってるから今日はゼリーを作ってた。ソファで寝ると言ったら音に気を付けてた。

 それに僕のことを見て笑って楽しそうに、嬉しそうにしていたり……。

 

 

  (生徒相手に変な気は起きないと思ってたけど――)

 

 

 なんか――居心地がいい――。

 

 

 

 

 氷華がテーブルにグラスを置いた時だった。向かいに座る五条の手が伸びてきて右手首を掴まれた。

  「??」

 掴まれた手首を見て正面の五条に目を向けると――真剣な表情をした五条がいた。サングラスは外されていて、碧眼が真っ直ぐこちらを見つめている。相変わらずキレイな目だなと思っていると五条の顔が近付いてくるのに気付く。

 

 

  「…………」

 

 

 五条は何も言わずジッと氷華の目を見続ける。五条との近距離に徐々に頬が熱くなってくるのを感じ身体も熱くなってくる。

  「???」

 逸らされることのない視線、少しずつ恥ずかしくなってきて瞬きをしても五条の視線は逸れない。

 

 

 

 

 氷華の手首を掴んで顔を近付け瞳をジッと見つめる。自分のとは違う黒い瞳……曇りのないキレイな黒に吸い込まれる感覚を覚える。瞬きの回数が増えていく。それに頬が徐々に赤くなっていき身体も熱くなり始めているのか、掴んだ手首から伝わる体温が徐々に上がっているが分かる。

 

  (顔を近付けてこの反応か)

 

 そういえば、“可愛い”って言ったとき明らかに動揺してたっけ。自然にとはいえ腰に手を添えた時だって驚いた顔で見上げてきて困惑してた。お土産を食べさせた時は困惑しながらも口を開けてくれたし、初々しいっていうのか素直な反応を――。

 

 

  (可愛い――そう思った)

 

 

 

  「あ、あの……」

 

 

 

 ずっと見つめられていることに疑問を感じたようで、氷華が遠慮がちに声を上げた。五条は口元に笑みを浮かべる。

 

  「なに?氷華」

 

  「えっと……なんでずっと私を見てるのかなって……」

 

  「うーん?可愛いから」

 

 掴んだ手の甲に口付けるとビクッとして慌てて氷華は手を引っ込めた。目を白黒させる氷華はより一層赤くなっていた。

 

  「は?あ、え?えぇ……」

  「甲にキスなんてされたことない?」

  「されることないでしょ……」

  「そうかもね。僕はするよ。したいと思ったら」

 

 頬杖を付いてそう言うと氷華の周りは「?」がたくさん浮いているのが分かる。

 

 

 

 

 なんだか急に態度が変わった五条に氷華は戸惑いを隠せないのだった。

 

 

 

        

 

※多少言動が違うかもしれませんがご了承下さい。どこまで書くか分かりませんが長くはない、と思います。

 

※2期を観始めて過去を知って、推しというわけではないが五条先生のこと嫌いになれないなぁと思っていた矢先に本誌の展開を知ってショックが大きくて何となく書き始めてしまった……。

 

※時系列は合わせるようにしていますが本編とは何ら関係ございません。komikaruオリジナル要素が含まれるので本編に出ない設定もあると思いますが全てオリジナルです。

 

※五条→オリキャラとなってます。苦手な方は引き返して頂いて大丈夫です。