「――ねえ!この間平和通り辺りで騒ぎがあったらしいんだけど、そこにC級6位のタンクトップタイガーがいたらしいじゃない!」

 

  「そうみたいね。でもやられて倒れてたらしいじゃない?別のヒーローが騒ぎ起こしてた犯人捕まえたらしいけど」

 

  「C級6位だからって大きな顔してるからやられたんじゃない?実力も大したことなかったりして」

 

 

 日勤で病院に出勤していると、今日は前に起きた騒ぎの話で看護師達は盛り上がっていた。

 アジサイはその現場に居合わせたが、サイタマと騒動を起こした張本人が居たこと以外は知らない。それにC級6位のタンクトップタイガーって……。

 

 

  (誰?その人)

 

 

 ヒーローの人らしいが、アジサイはそんな名前聞いたこともない。まあヒーロー協会なるものの存在があっても特に興味もないので、どんなヒーローがいるのかさえ知らない。サイタマと弟子のジェノスがヒーローなのは知っているが。

 

 

 

  「相変わらずアジサイの居るこのナースステーションは噂話好きな人多いね~。今はタンクトップタイガーの話題?」

 

 

 

 アキノがカウンターの向こう側からアジサイに話し掛けてきた。

 

  「そうみたい。私は別に興味ないし、そのタンクトップなんとか?って人か物か知らないけど、よく知らないし」

  「アジサイはヒーローとかに興味ないもんね。女性人気だとA級1位のアマイマスクかしら!まあイケメンだから仕方ないか!」

  「へぇー」

  「……本っ当興味ないわね……彼氏以外興味ないってこと?愛されてんじゃないのよ~彼氏ったら♡」

 

 ウリウリと肘で突いてくるアキノをアジサイは頬を赤らめながら押し返す。

 

 

 

 

 日勤が終わり帰宅途中の帰路、アジサイのスマホが音を立てる。画面にアキノの文字が。

 

  「……もしもし?どうしたのアキノ」

  《前に、気になってる人が居るって話したでしょう?その彼から告白されちゃって……!》

  「え!?良かったじゃない!おめでとう!」

  《ありがとう!今度の休み、ちょっと色々と話聞いてもらいたいと思ってて……予定空いてる?》

  「ちょっと待ってね。えっと……」

 

 歩道の端に寄り、カバンの中を漁り手帳を探す。そんなアジサイの背後に蠢く黒い物体が触手をアジサイに向かって伸ばしていく。

 

  「……私は今度金曜日が休みなの。アキノは?」

 

  《本当!?私も金曜休みなの!ランチとおやつタイム兼ねてカフェ行かない?アジサイの好きそうなカフェ見つけたんだ♪コーヒーや紅茶が美味しくて、ケーキとかもお手頃で美味しいところなんだ!》

 

  「え、気になる!行ってみたい!」

 

  《じゃあ決まりね!時間は――》

 

 アキノとの電話で背後に迫る蠢く物体と触手にアジサイは気付いていない。触手が左右からアジサイに絡みつこうとしたがバチッと弾かれた上に消滅する。

  『ギィィッ!?』

 黒い物体は触手がダメならと口から体液を吐き出しアジサイに向けて放つ。だが体液も蒸発するように消えてしまう。

 

  『ギ……ギアアァアー!!』

 

 アジサイを頭から食べようと口が大きく広がって丸飲みしようとするが、黒い物体は四方八方に飛び散り無残な姿へと変わる。

 

 

  「――金曜日の13時に〇〇駅前だね?分かった!」

  《当日楽しみにしてるねー!》

 

 

 アキノとの通話を切り、アジサイはようやく背後を振り返った。

  「……こんなに汚れてたかな?キレイにしないと歩き辛いよね」

 飛び散った肉片や体液が虹色の光を纏い宙に浮く。そしてボォッと炎が一瞬燃え上ってキレイさっぱり消えた。

 

 

  「また怪物が増えてるのかな?サイタマくん大丈夫かな……」

 

 

 先程自分も危うかったという割に平然としているアジサイは現在進行形で付き合っているサイタマの心配をするのであった。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 約束の金曜日、カフェにて――。

 

 

 

 駅前でアキノと合流したアジサイは、アキノの案内でカフェへとやってきた。注文をし料理が来るまでの間他愛のない話をし、料理が来てから本題へと入る。

  「アキノが話してた人って、私達より一つ先輩の人だったよね?」

  「そう!無口であまり話さない人なんだけど、前に普段見ない優しい表情で迷子の子供に話し掛けてて……あんな優しい表情も出来るんだって思って……それからなんか妙に意識しちゃって……!」

 

 話始めると少しずつ頬が赤くなっていく。

 

  「仕事中は仕事の話しかしないし、休憩の時にたまに話したりはしてたんだけど。まさか向こうから告白してくるなんて思ってもなかったからちょっと戸惑ったけど……でも「宜しくお願いします」って返事したの!」

 

 先輩に告白された時のことを話すアキノは照れながらも嬉しそうだ。見てるこっちも嬉しくなる。

 

  「先輩、シグレと仲が良いらしくてアジサイのことも知ってたよ。シグレの恋路応援してたみたいだけど……アジサイに彼氏いるって知ってフラれたシグレのこと、肩優しく叩いて励ましたんだって」

 

  「そうなんだ。……私は見掛けたことないけど、シグレと親しいんだね。えっと……」

 

  「カナタ先輩ね」

 

  「関わらないから名前知らなかったんだ、ありがとう」

 

  「まあ仕方ないわよ。同じ看護師とはいえ階が違うんだから」

 

 自分がいる階ならある程度の名前と顔は覚えているがそれは看護師限定。医者になると片手で数えられるくらいしか分からない。まあ、既婚者なのに看護師にちょっかいかけてるって良くない噂で知っているのが何人かいるが。

 

 

  「カナタ先輩、シグレとアジサイがくっつくと思ってたみたい。仲が悪いなんて話も聞いてなかったし、それなりに親しくしてるみたいな話聞いてたみたいだから」

 

  「……どんな話先輩にしてたんだか……」

 

  「結構ぞっこんなんだなあーって聞きながら思ってたみたいよ。だから諦めるにしてもまだ気持ちの整理出来てないみたいだから、まだウジウジしてるんだって」

 

  「…………」

 

 アキノの話を聞きながらシグレがかなり自分のことを好いていてくれていたという事実を知るも、アジサイは素直に嬉しいとは思いつつも、少し複雑だった。

 それは一般に普通の女性だからそう想ってくれているだけで、不思議な能力を有していると知ったら変わるかもしれないとも思う。サイタマは知っても「すごい」と感心してくれたが、万人彼みたいな反応をしてくれる訳じゃない。

 疑り深いのも良くないとは思うが、これまで隠してきたのもそうだが叔父や叔母は恐れる視線を向けていたのもあって隠してきた。最低限の身内しかアジサイの能力は知らないし、勘繰りされたこともない。変に周りに根も葉もない噂や噂の一人歩きも嫌だし、知られない方がいい。

 

  (そう思うと、サイタマくんは本当に心が広いな……)

 

 アキノの惚気話を話半分で聞いていたが、上手く相槌を打っていたらしく考え事をしていたとは思われずに済んだ。

 

 

  (…………どうして不思議な能力を持ってるんだろう。本当の両親がそんな能力持ってたから、とかなのかな)

 

 

 リフレッシュの休みだった筈なのに、心の片隅にモヤモヤを残してアジサイは家に帰宅した。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 数日後の夜勤明け、アジサイは久しぶりにサイタマに会いに行く為に家へと向かっていた。

 

 最近Z市を歩いていて、以前より中心地に人の姿が増えたことにアジサイは気付いた。サイタマの住む東のはずれになれば無人街となり、ライフラインは残っているもののゴーストタウンとなり、中心地と比べて格安で住めるらしい。

 だが、怪人が彷徨いているところに好き好んで住む人はいないだろう。サイタマは格安だから丁度良いと言っていたが。

 

  (サイタマくんは強いから支障がないし、ジェノスくんも居るから問題ないか)

 

 普通の人間なら近寄らないゴーストタウンに向かうアジサイも側から見れば変わり者だろう。しかし中心地から離れると人影は一気に減る為、アジサイがゴーストタウンに向かう姿など誰も見ていない。それに臆することなくスタスタと歩いてゴーストタウンに踏み入る姿は肝が据わっている。

 

 

 ゴーストタウンを見回しながらアジサイは前と変わっていっている街に寂しさを感じていた。

 

 怪人なんて今ほど彷徨いていなかった時は歩いているここも賑わっていたのだろう。一歩外に出るとあった通勤・通学する人達、子供を送り迎えする親、買い物する人々、仲良く歩く友人同士や恋人達、呼び込みをする店員、日常の喧騒も今はここにはない。

 怪人とヒーローの戦闘痕か、壊れた建物、抉られたアスファルト、ボコボコの道路……まるで廃墟みたいな風景。

 

 

  (…………怪人なんて、何処からくるのかな……)

 

 

 他の市にも怪人は出現しているようだし、その影響でヒーロー協会なるものが出来たのだろう。階級や順位はヒーロー達の向上心を煽るためなのか、はたまた自分の現状を理解させるためか。

 

  (人気、とか……人気者になりたいからヒーローになりたいとかあるんだろうな。姑息なことして誰かを貶めたり、実力とか隠して這い上がろうとする人もいるんだろうな)

 

 サイタマは――人気とか、階級とかそんなものは気にしていない。「一発で倒せるヒーローになる」、それがヒーローを目指すきっかけになった想いだというし。純粋になりたいからなるといった彼は注目を集めたりとかはされていない。勿論評価してほしいからヒーローをやっている訳でもない。

 

 

  (なんか――普通の社会と大して変わらないな)

 

 

 そんなことを考えているとあっという間にサイタマの住むマンションに着いてしまっていた。階段で上がってもいいのだが、能力で浮いて目的の階まで飛んで行く。サイタマの部屋の前にやってくると、箱が置いてあった。箱の中を覗き込むと昆布の欠片があるだけだった。

 

 随分と大量に昆布を仕入れたのか……乾燥昆布ではなさそうだ。

 

 箱のことはとりあえずおいておいて、部屋のチャイムを鳴らそうとしたが、ドアが開いてサイタマが顔を出してきた。

  「よお、アジサイ。仕事お疲れ」

  「うん、ありがとう。……いつも思うんだけど、チャイムとかノックするよりも前にドア開けるでしょう?私が来たって分かるの?」

  「ん?ああ、まあな。アジサイが来たなーって何となく分かるんだ」

  「何となくで分かるものなの?すごいねサイタマくん!」

  「勘だ、勘」

 

 

  (うーん……人が近付いてくる気配を感じるとかってことなのかな?でもすごいことだよね!)

 

 

 そう内心関心しながらサイタマの部屋に上がるアジサイだが、玄関先の靴を見て何かに気付いた。

  「ジェノスくんいないの?何時も部屋に居たと思ったんだけど」

  「なんかヒーロー協会に呼び出されたっつって出てるぜ」

  「へぇ。呼び出しなんかもされるんだ――」

 

 

 

 

 ――ウウウウウウ!!

 

 

 

 

 急にけたたましい警報のサイレンが響き始めた。

  《ヒーロー協会からお知らせします!緊急避難警報!災害レベル竜!やばいので逃げて下さい!巨大隕石落下まで21分!専門家の話ではZ市は丸ごと消滅するとの事!可能な限り急いで遠くまで逃げて下さい!》

 

 アジサイが外に出て空を見上げると、空に赤い光が見える。

 

 

  「落下まで21分なんて、そんな遠くまで逃げられるわけないじゃない!なんでもっと早く知らせないの!?遅すぎるにも程があるわよ!」

  「アジサイ、俺ちょっと行ってくるわ」

 

 後ろを振り返ると、ヒーロースーツに着替えたサイタマが居た。

  「ヒーロー協会から呼ばれたっつってたのもこれなんだろ。ジェノスのとこ行ってくる」

  「…………うん。気を付けてね」

  「おう」

 

 

 

 サイタマを見送った後、アジサイは自宅方面へと飛んで戻っていた。もう隕石落下まで5分は切っているし、避難誘導なんて出来はしない。避難するのがまず第一なのだが、アジサイの頭にその文字はなかった。

 

  「…………」

 

 落下してくる隕石を見つめながらアジサイは来るべき時を待っていた。こんな巨大隕石、普通どうにも出来はしない。だからサイタマが“行く”と言ってたのを止めるのが当たり前なのだが、そうしなかったのは彼ならどうにかしてくれると思ってしまったからだ。だとするなら、その後起こりうることを想定して自分に出来ることは――防ぐこと。

 

 

  「隕石を砕いたのなら降ってくるのを防がないと大変なことになる。病院や最低限の施設だけでも守れれば……」

 

 出来るか分からないがやってみないことには始まらない。

 

  「?」

 

 スマホが音を立てた。画面を見ると、アキノからだった。だが直ぐに切れ、入れ替わりにシグレからの着信に変わる。それから次々と知り合いからの着信やメッセージが届きスマホは始終鳴りっぱなしだ。

  「…………大丈夫だよ。ヒーローが動いてくれてるから」

 顔を上げると、巨大隕石に向かって熱線が放たれていた。しかし、隕石を押し返したり壊すまではいかなかった。きっともう隕石が落ちてくるというだけで何もかも終わったと逃げることすら諦めた人もいるだろう。迫りくる脅威をどうにか出来るわけがないと誰もが諦めて天を仰いでいるだろう。

 

 だがアジサイは終わりだなんて思っていない。

 

 

 

 何故なら――熱線が消えたその後隕石に向かう一つの影が見えたから。

 

  「――ねえ、サイタマくん――」

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 巨大隕石落下から3日。Z市は隕石衝突による消滅は免れたが、分裂した隕石群により町全体に大きな爪痕が遺った。だがその中でも病院や薬局、スーパーに駅、学校、役所等の主要な建物は無事で、家を失ってしまった人の避難場として使われ、残ったのが奇跡と言われている。

 

 

 

  「――主要の建物が傷一つもなく残っているのは、アジサイが何かしたからなんだろう」

 

  「降ってきた隕石の欠片を防いだだけよ。町全体を覆えれば良かったんだけど」

 

 アジサイがサイタマの元を訪ねたらサイタマは外回りで不在で、ジェノスだけが残っていた。帰ろうとしたのだが、茶を淹れてやるから残れと言われ、一先ず帰らずに残ることにした。テレビは相変わらず巨大隕石の話題で持ち切り。流石に飽きてきた。

 

  「……アジサイは知っているのか?世間の一部ではZ市半壊の原因を作った人物として先生が悪役にされていること」

 

  「……知ってるよ。というより、目の当たりにしてきた……」

 

  「さっき話したことか?タンクトップタイガーとタンクトップブラックホールが市民を味方にして先生にヒーローをやめろと言い、その味方につけた市民の前で先生を懲らしめて人気を得ようとしたが失敗した、という」

 

  「あれがヒーローのすることなんだね。人を助けるとか関係なくて、ただ人気が欲しいだけで人を貶めてのし上がろうなんて……性根が腐ってるにも程がある。ヒーローだなんて片腹痛いわ」

 

 ヒーロー協会に集まっているヒーローに幻滅したとジェノスに話すが、彼はただアジサイをジッと見て黙ったままだ。呆れの表情は次第に悲しいものへと変わる。

 

 

  「…………サイタマくんの思うヒーローとは全然違う……」

 

 

 自身がヒーローになりたいと思ったこともないし、協会に入っている訳でもなく詳しいことは知らないから余り悪いように言うべきではないのかもしれない。それでも多くの市民から「やめろ」とか「消えろ」とか「出てけ」と言われるサイタマの姿に胸が痛んだ。その場で声を掛ければ良かったと思うが、その後直ぐに何処かへ行ってしまいとても声を掛けていい雰囲気でもなかった。これでサイタマがヒーローをやめるなんて言わないと良いが……。

 

  「サイタマくんが半壊の原因の一部だっていうなら、半壊を防げなかった私にも責任はある。サイタマくんだけ責められるのは……」

 

  「おそらく先生は、アジサイが建物を守ったことは口外しない。そうすればまずヒーロー協会から目を付けられる。それも踏まえて、自分だけ言われるのに止めていると俺は思うが」

 

  「…………」

 

  「周りがなんて言おうと、先生は自分の信念の元に動いているから気にしないだろう。それをちゃんと理解しているアジサイが傍に居るだけで救われると俺は思う」

 

  「そうだといいな。……私を好きになってくれたのもそうだけど、サイタマくんって本当優しい人……」

 

 サイタマを想うと表情も心も柔らかくなる。彼に大切にされているのだと思うと安心する。隠し事も何もなく本当の自分で居られるというのはすごく楽で、サイタマをとても信頼していると改めて知る。

 ジェノスと話していると玄関の方から音がした。サイタマが帰って来たようだ。

 

 

 

  「お、アジサイ。来てたのか」

 

  「訪ねた時サイタマくん居なかったから帰ろうとしたんだけど、ジェノスくんに引き留められて。お茶飲みながらゆっくりしてたところ」

 

  「お茶淹れてきますね、先生」

 

 

 ハッとしてお茶を淹れに行ったジェノスを見送ってサイタマはアジサイの隣に腰掛ける。

  「ジェノスがアジサイ引き留めるとか珍しいな」

  「うん、少し驚いた。何言われるのかと身構えたけど、普通に話が出来てちょっと安心した」

  「何かしようとしても瞬殺で終わるだろ。ジェノスが修理行きになるのが目に見えてる」

  「先生。どうぞ」

 

 ジェノスがサイタマにお茶を差し出し、それをサイタマが受け取って啜る。

 

 

 

  「アジサイは大丈夫か?」

 

  「うん。住んでるマンションも職場の病院も砕けた隕石が降るギリギリの範囲外で無事だから。今病院はてんてこ舞いだから連勤続きで、今日やっと休みになったの。サイタマくんが無事かどうか確かめようと思って今日は来たの」

 

  「仕事で疲れてんだろうから休んでていいんだぞ?……でもサンキューな」

 

 嬉しそうなサイタマにつられてアジサイも嬉しくなって笑顔になる。

 

 

 

 

  「――先生。今日メンテナンスで博士のところに戻るので明日戻ってきます」

 

 

 

 

 突然ジェノスがそう割って入ってサイタマに話し掛けてきた。

  「おう。ちゃんと診てもらえよ」

  「はい」

 

 90度腰を曲げてキレイなお辞儀をしてジェノスは部屋を出て行った。

 

 

 

 

 部屋に残ったアジサイとサイタマは暫く無言で無音が続く。2人きりなんて初めてでもないのに、急に2人きりになるのは少し慣れない。

 

 

  (――ど、どうしよう……!ジェノスくんが急にメンテナンスって言って出て行ったけど、元から予定されてた定期的なやつなのかな?それとも気を利かせて出て行ったとかなのかな?)

 

 

 サイタマと会うのは久しぶりだし、出来れば2人でゆっくり出来たらいいな何て思っていたがジェノスが部屋に居るなら頃合いをみて出ようと思っていたのに……まさかの予想外で2人きりになってしまった。

 内心慌てるアジサイの横からサイタマが手を伸ばしてきて抱き締めてきた。そしてアジサイの右耳を甘噛みしながら舌で輪郭をなぞり始める。

 

 

  「ふひっ!?」

 

  「ははっ。変な声出たな」

 

  「きゅ、急に耳……!」

 

  「アジサイ耳弱いからな」

 

 サイタマの片手が服の上を這い出し、アジサイの胸に触れる。

  「…………ん?」

  「?」

 胸に手を掛けたと思ったら急に声を出したサイタマを不思議に思っていると、背後に回って両手でアジサイの胸に触れる。

 

  「……アジサイ、また胸大きくなったか?」

  「え!?」

  「んーなんか……触った時の感じが違うっていうか」

  「…………少し前にサイズ調整で行った時、変わってて……」

 

 サイタマは胸から手を放しお腹に手を回す。

 

  「付き合い始めてからこれで2回目くらいか?」

 

  「そ、そうだね。20代にもなって胸が大きくなるなんて不思議だけど……」

 

  「まあ、俺が触ってるからか。柔らかいし触り心地良いからずっと触ってたくなるんだよな」

 

  「……サイタマくんも胸が大きい方が好きだったりするの?」

 

 

 アジサイが質問するとサイタマは瞬きする。

 

 

 

 

 高校生の時も看護学生の時も、同級生達が付き合っている会話を聞いていると「男なんて胸しか見てない!」等と叫ぶように愚痴っている人がいた。大きい人もいれば小さい人もいる。私は大きくも小さくもない中途半端でどっちとも言えなかった。だけどもし、これから付き合う人が出来て一緒に過ごす時間の中で男女の仲なら一歩踏み込んだこともするだろう。そうして胸が小さいか大きいかで付き合うことになったなんて真相は嬉しくないし傷付く。

 サイタマがそうだとは言わないが、サイタマも男だし、理想というかこういう感じならいいかなとか……憧れはあるだろう。そういった会話はしたことがないから今初めて聞くことになるが、彼はなんて言うのだろう。

 

 アジサイの質問にサイタマは一瞬考えるような素振りはしたものの答えたのは早かった。

  「俺胸が小さかろうが大きかろうがどっちでもだな。アジサイのだから触りたいだけで、知らねー女のなんて触る気ないぞ」

  「……学生の時、周りの子が「男は胸で判断してる」とか「胸しか見てない」とかって愚痴ってたから……サイタマくんもそういう理想というか、あるのかなーって……。周りそれなりに大きい子多かったし、自分のと比べてたりして凹んでたりしてたから」

  「巨乳好きとか思ってたのか?」

  「そういうわけじゃないけど!どうなのかなって」

 

 肩に顎を乗せてきたサイタマは息を吐く。

 

  「さっき言ったろ?小さかろうが大きかろうがどっちでもって。アジサイのだから触りたいって」

 

  「…………」

 

  「あんまし触られるの嫌か?それなら控える」

 

  「い、いいよ!サイタマくんが触りたいだけ触っていいよ!……私だから、触りたいなら触りたいだけ……」

 

 後半はボソボソと声のボリュームが下がったが、サイタマの耳にはちゃんと聞こえていた。無意識にそういうこと言うからこっちは色々と大変なんだけどな。

 抱き締める腕に少し力を入れ、サイタマは苦笑を浮かべる。

 

 

  「時に大胆っつうのかそういう発言、気を付けた方がいいぞ」

  「え?どういうこと?」

  「あー……分からねーならいいや。アジサイの素直な気持ちだって受け取っとく」

  「??」

 

 

 何を言っているのか分からないと首を傾げるアジサイにサイタマは首筋に唇を落とす。そんなことにすら反応して体を震わせるアジサイに身も心も癒されていく。

  「……ジェノスは明日帰ってくるんだ。今日泊まっていくか?」

  「いいの?」

  「暫く会えてなかっただろ?アイツが居ないことなんて滅多にねーし、久しぶりに2人で過ごしたいだろ」

  「……明日休みだから、泊まっていく。私もサイタマくんとゆっくり過ごしたい」

 アジサイの手が自分の手に重なる。温かくて小さな柔らかい手。撫でる動きを止めるようにアジサイの手を握る。

 

 胡坐を搔いた膝にアジサイを抱え上げて横抱きに乗せる。見上げてくる目と目が合い、どちらからともなく顔が近付き唇同士が重なる。

 

 

 

  『…………』

 

 

 

 黙って見つめ合う互いの目には相手がどう映っているのだろうか。付き合い始めたばかりではないのにまだ何処か初々しさが残るこのカップルはおそらくずっとこんな感じなのだろう。お互いに相手のことを想い、それは恋ではなく愛しみ合う“愛”――横槍すら入れない愛し合いっぷりと言える。

 自身を偽ることもなく相手に見せられることも受け入れ合っていることも、信頼関係が出来上がっているからこそ出来ること。そんな支えがあれば何があっても大丈夫。精神的なことでも言葉に出して話せばそれだけで心が軽くなる。

 

 こうして愛しい人が目の前でちゃんと生きて、自分を心配して来てくれる。それだけでも嬉しいことだ。

 

 

  (アジサイ見てたから知ってるよな。俺が他のヤツ等に言われてたところ)

 

 

 だからこうして心配して訪ねてきてくれたのだろう。見られたくないところを見られたとは思うが、アジサイは失望せずに心配して来てくれた。きっとサイタマを貶めようとしたヒーローに対して怒っていただろう。あそこで入って来なかったのは正しい選択だと思う。サイタマ自身もそうしてくれて良かったと思っている。

 

  (あそこでアジサイが出てきてたら俺だけじゃなくてアジサイも標的にされたかもな。俺がなりたいヒーローを分かってくれてるから、本当は割って入りたかっただろうがよく耐えたな、アジサイ)

 

 サイタマの外見で色々と言っていたアジサイの同期である看護師のシグレに強烈なビンタ2回をかました程だ。その後も暫く怒ってむくれていたし、宥めるのも一苦労だった。あんな姿を見れたのは嬉しかったが、今回そうしない選択を選んだアジサイの行動もサイタマにとっては嬉しいことだ。

 そんな理解ある恋人が居てくれる、弟子が居る、だからあいつ等に言われたことなんてなんともない。自分の取った行動に後悔もしていないし、あれで良かったと思っている。

 

 

 唇から、手から、抱き締めた腕から、鼻から、舌から、目の前に、腕の中に居る愛しい人の体温と匂いを感じることが出来る。この人を守ることが出来た――それが一番心がホッとする瞬間だ。

 

 付き合い初めてから1年経ったくらいの時に一線を越えた。その時はまだ髪の毛があった頃だが、今も変わらず自分の言動で頬を染めて恥ずかしがるアジサイは変わらない。初めてじゃないのに何時も初めての時みたいにドキドキしてる。一緒に過ごして、会話をして、内に秘めていることも打ち明け合って、全てを曝け出して受け入れ合うことがすごく心地良くてもっとアジサイを好きになっていく。

 恥ずかしがるのに時に大胆な行動を取るアジサイに刺激されて困ることもあるが、そんなのは嬉しい困りごとだ。きっとこの先彼女以上に愛せる人はいない。それがアジサイも同じだといいなと――サイタマは思う。

 

 

 

 

 一組の布団で一緒に寝るこの瞬間も好きな瞬間の一つだ。顔に掛かる髪を指で払い、アジサイの寝顔を見つめる。

 

 

  「…………ありがとうな、アジサイ」

 

 

 優しく頬を撫でると嬉しそうに手に擦り寄ってくる。そんなアジサイを微笑ましく見つめていたいが、ずっと起きている訳にもいかないので目を瞑る。

 

 

 

  ――サイタマくん……好き……。

 

 

 

 アジサイの寝言を聞きながらあっさりと眠りにつくが出来たサイタマだった。

 

 

 

        【ヒーロー×一般人 六話】 終わり