薬研藤四郎から動いても良いという許可が下り、体を動かす準備運動的な目的で洗濯を手伝うことになった藍姫は加州清光の内番着を着て洗濯をしている。

 

 

  「加州さんの内番着着てるからですかね、何か主さんなんだけど不思議な感じがします」

 

  「そうだね。だけど着こなせてしまう辺り流石と言うべきなんだろうか……」

 

  「……べつに無理して褒めなくてもいいよ?」

 

 

 大きな桶の中で洗濯物を洗う藍姫を堀川国広を始め歌仙兼定、山姥切国広は気にしながら当番を熟していた。三振りの視線を気にしながらも洗濯をする藍姫は困った表情で堀川と歌仙に向けてそう言った。

 加州は似合うと言って褒めてくれたが、全振りがそう思う訳ではない。だから何か褒めないといけないような雰囲気が漂っている気がして言ったのだが、堀川が手と首を振って否定する。

  「無理なんてしてませんよ!本当に似合ってますよ、主さん!」

  「…………」

  「自分と同じ格好をしてもらえるなんて、嬉しい限りだよ。僕のも似合いそうだ」

 想像しているのか、嬉しそうに洗濯物を干す歌仙に堀川は頷いた。

 

  「歌仙さんのもきっと似合いますよ!兄弟もそう思うよね?」

 

  「…………」

 

 話を振られた山姥切は洗濯物を広げ竿に掛ける。

  「……そうだな。似合うんじゃないか?」

  「兄弟もああ言ってるし、主さんは何を着ても似合うんですよ」

  「そうかなぁ」

 髪が藍色だと合わなそうな色もあると思うが……だが、嬉しそうにする皆を見られるから良いか――そう思い藍姫は手を動かして洗濯を進めていく。

 

 

 

 

 洗濯物が終わり、干すのも手伝い干し終わった洗濯物を見ると清々しい気分になる。

  「思ったより早く終わりましたね。主さんが手伝ってくれたお蔭ですね!」

 笑い掛けてくる堀川に藍姫も笑顔で返す。すると――。

 

 

 

  「――主さーん!」

 

 

 

 パタパタと軽快な足音が聞こえてきた。振り返ると、浦島虎徹が駆けて来ていた。

  「どうしたの?浦島くん」

  「動いてもいいって言われたんだよね?なら万事屋行くのは?」

  「大丈夫だと思うよ。何か買いたい物があるの?」

 藍姫の問いに浦島は首を振った。

 

  「約束だよ!俺と一緒に万事屋行こうよ、主さん!」

 

 浦島は藍姫の腕を引っ張って連れて行こうとするのだが、藍姫は後ろを振り返り山姥切達を見つめる。

  「もう洗濯は終わりましたから、大丈夫ですよ。浦島さん、ねだり過ぎるのは駄目ですからね」

  「俺の欲しいものを買いに行くんじゃないって。折角主さんが元気になったんだから、お祝いしに行くんだよ!――ほら主さん!行こっ!」

  「あぁ、ちょっ……そんなに引っ張らなくても行くから……!」

 洗濯場から離れていった藍姫と浦島の背を見送り、堀川と歌仙は顔を見合わせて笑った。山姥切も柔らかな微笑を湛えて空を見上げた。

 

 

 

            *  *  *  *  *  *

 

 浦島に引っ張られる様にして本丸を出た藍姫は万事屋へと向かった。久しぶりに本丸外に出ると他の本丸から買い物に来ている審神者達と顔を合わせた。話す暇は無かったが、浦島に引っ張られながら向かった先は万事屋と併設されている最近出来たという甘味処だ。個室から大部屋、庭園に面した縁側席、豊富な品書きもあって女性審神者から人気があって、万事屋で買い物をした後に寄ったり、甘味処に来る目的で来る人も居るそうだ。

 藍姫もこの甘味処に興味があったが、中々来れる暇がなかった。それにあの騒動もあって気軽に足を運べる状況でもなかった。

 

 浦島が店員と話すと直ぐに個室に案内された。どうやら事前に予約を取っていたらしい。用意周到だ。

  「主さん食べたい物あるんだよね?それ食べていいからね!」

  「え?どうして知ってるの?」

  「蜂須賀兄ちゃんが教えてくれたんだよ。動いていいって言われたばっかりだから、急に激しく動いたら不味いかもしれないからって。俺もそう思ったから甘味処にしたんだ」

  「……ありがとう、浦島くん」

 お礼を言うと照れ臭そうに浦島は笑った。

 

 

 藍姫が食べたかったのは抹茶好きにはたまらない抹茶づくしパフェ。抹茶のアイスクリームに抹茶生チョコ、抹茶のわらび餅ときな粉のわらび餅、粒あんや黒蜜がかかっていたりと和をテイストにした特製だという。藍姫はそれを一つ注文し、浦島と食べ合いっこしながら一つのパフェを突いた。

 

 

 

            *  *  *  *  *  *

 

 ゆっくりとした時間を甘味処で過ごして本丸に戻って来た藍姫と浦島を出迎えたのは沖浩宮だった。浦島は警戒して藍姫の前に立ち、そんな浦島を沖浩宮は微笑ましいものを見るように微笑を浮かべた。

  「久しぶりの本丸の外はどうだった?といっても、万事屋に行ったようなものだけれど」

  「楽しかったよ。浦島くんと色々話が出来たし一緒に甘味も食べたし。美味しかったね、浦島くん」

  「うん!主さんまた一緒にいこう!――蜂須賀兄ちゃんや長曾祢兄ちゃんに自慢してくるよ!」

 藍姫に元気な笑顔を見せてそう言うと、本丸内に元気良く駆けて行き消えた。

 

 

 

 玄関先に残された藍姫も本丸内に戻ろうとしたが、沖浩宮に呼び止められる。

 

  「此処の刀剣達は藍姫の事が大好きみたいだね。刀剣達とよりよい関係を築けているようでなによりだよ」

 

  「中には難しい性質の刀剣もいるけどね。だけど皆が色々と手助けしてくれるし、楽しく審神者としての責務は果たしてるつもりだよ。……政府に身を置いてるなら私の事こっそり見て分かってるのに態々聞くの?」

 

  「やっぱり本人の口から聞きたいじゃないか。藍姫が楽しく毎日を送れているのなら私はそれでいいんだ。それを壊す権利があの人達にはない、それを分かってもらうには少し灸を添えないといけないようだね……」

 

 沖浩宮の目付きが少し鋭くなった。普段穏やかな表情を浮かべているから表情が引き締まると雰囲気が一変して緊張感が漂う。その変化は神宮寺家の古参も震え上がっている様で、笑顔で人を殺しそうな怖さがあるという。

 

 藍姫はそんな変化もなんのその、沖浩宮に普通に声を掛ける。

 

  「灸を添えるって……どうやって?」

 

  「恐らく義母は藍姫を政府から連れ帰ろうとする筈だ。きっと面会の席が設けられる筈だから、藍姫は自分の気持ちをそのままぶつければいい。素直に首を縦に振るとは義母も思っていないだろうけれど、心の何処かでは娘だから親の言う事は分かってくれると甘えている部分がある――その辺りの返答は藍姫に任せるよ。その後私が宥めるなり慰めるなりしないといけないだろうから、その時かな」

 

 何時もの穏やかな表情を浮かべてはいるが、きっと頭の中で策を練っているのだろう。神宮寺家に来てしまったばかりに家の事を全て任せてしまうことになり、藍姫は申し訳ない気持ちで一杯になる。

 

 

  「……ごめんね。厄介な家に来ることになったばかりに面倒事任せるような形になって」

 

  「良いんだよ。私は好きで藍姫の家に養子に入ったんだ。謝るのはむしろ私の方だ。私が養子に入ったばかりに藍姫には苦痛ばかり強いることになった……こうして自由になれたというのに集る虫は私が排除する」

 

  「……いつまで居るか知らないけど、家に怪しまれない程度にしてよ。あの人は沖浩宮には甘いから特に問題はないだろうけど」

 

  「そうだね。あと二日くらいは居させてもらうよ。藍姫の本丸をよく見ておきたいからね」

 

 

 本丸内に消えていった藍姫の背を見送り、沖浩宮は腕時計型の通信機を起動させる。

 

  「……聞こえるか、私だ」

  《はい》

  「義母の様子はどうだ?」

  《貴方が中々帰って来ないと少々騒いでいますが、特に問題はありません。時の政府に巴様を審神者から解任させる様にと要求しましたが、頷かない姿勢に憤慨なご様子で》

  「解任なんてそんな真似するわけがない。今回の騒動で審神者にも多少の腕前が必要だというのが証明された。まあ、藍姫みたいな手練はそうそういないだろうが居てもらわないと時の政府にとっては痛手にしかならない……面会の場は設けるだろうから、時の政府の通達を待つようにと上手く言ってもらえないかな」

  《分かりました》

 

 通信が切れ、ワイシャツの袖に腕時計を隠して本丸内に入って行く。その様子を大和守安定と和泉守兼定が影から見つめていた。

 

  「……あの人、主の義理のお兄さんなんだよね?義理にしては気にし過ぎじゃない?随分過保護なんだね」

 

  「態々時の政府にまで身を置いてんだ。本人は主を可愛がってるつもりなんだろうぜ」

 

  「その割に信用薄そうだけどね。でも、そこまで主も嫌ってはないから関係は良好なんだろうな。……これからどうなるんだろう。主、連れ戻されたりするのかな……」

 

  「主が生家に帰るとは到底思えねぇな。此処での毎日が楽しいって言ってんの大和守も聞いてるだろ」

 

  「それはそうだけど……」

 

  「主は中途半端に投げ出す様な人間じゃない、見てるこっちがハラハラするぐらい無茶するんだ。……俺達が支えなくてどうすんだよ」

 

 和泉守も大和守の様に不安な気持ちがある。だが今まで端で見てきて主がどんな人間か知らない訳じゃない。一生懸命で、優しくて、真面目の様に見えて適当で、だけど手は抜かない。刀剣達を優先にして自身は二の次、無茶して寝不足になって刀剣達に怒られて、子供みたいに無邪気なところもある。器用で料理上手で、全ての刀剣達をちゃんと見ていて細やかな気遣いもしてくれる。

 

 

  「あの沖浩宮が動いてるみてぇだし、俺達が下手に心配する必要はねぇと思うぜ?何かあれば主も俺達に話してくれる」

 

 

 自分達を大事にしてくれるのは審神者としてではなく、一振り一振りと向き合って理解し信頼しているからだと和泉守は思っている。だから何かあれば話してくれるとも信じている。

 

  (……どうなるんだろうな。主は)

 

 今後どうなっていくのか先行きは不安だが大丈夫だと信じるしかないと思いながら和泉守は沖浩宮の後を追い掛けた。

 

 

 

            *  *  *  *  *  *

 

 夕餉の時間になり食堂へと向かった藍姫の後を付いて行かず、沖浩宮は回廊に立ち尽くし庭園を眺めていた。喧騒を聞きながら庭園を眺めていると、一振りの刀剣が沖浩宮に近付いて来た。

  「…………三日月宗近か。私に何か用かな?」

  「はっはっは。いやなに、夕餉も摂らずに庭を眺める其方が何を思っているのか気になっただけだ」

 

 二人分程の間を空けて沖浩宮の隣に立ち、三日月宗近は同じ様に庭園を眺める。

 

  「…………」

  「…………」

 

 話すこともなく二人並んで庭園を眺めるというよく分からない状況だが、沖浩宮も三日月も笑みを湛えたままだ。話すこともなくずっとこのままの状態なのかと思われたが、三日月が空を仰いだ。夜空には満月が浮かんでいて、地上を月明かりが照らして灯りが無くても暗闇を照らしてくれる。

 

 

  「……沖浩宮だったか。其方は随分と主を気に掛けているようだな。兄として妹を可愛がり認めて貰おうとしているわけでもないようだが……何を企んでいる」

 

 

 その言葉に沖浩宮はフッと笑う。

  「企む?そうくるか……私は純粋に妹を可愛がっているだけなんだけどね。――でもそうだな。藍姫を可愛がるのは彼女の父親に対する恩義あってのものとも言える」

  三日月は満月を見上げたままでいる。

 

   「一応私も神社を生業とする一族の末裔だが、藍姫の様な歴史も力も格が違う家と比べると月とスッポンでね。お参りに来る人も神社を維持するお金も無く、父の代で終わることになった――」

 

 

  生業を畳むことになり苦しい生活が待っている……そんな境遇に私を置いておくのだけは嫌だと母親が養子の話を持ってきた。それが、神宮寺家の跡継ぎの話だった。神宮寺家には藍姫の父親――神宮寺俊樹(じんぐうじ としき)が居る。

 彼は同業者の家々を回り、維持する為にはこうした方が良いのではとアドバイスして回って同業者の中でもかなり信頼されていた人だった。彼の姿を見た事も話した事もある。俊樹さんに会いに行く為に神宮寺家に赴いたこともある。その時に娘である巴の姿も見たことがある。母親より父親の傍にべったりで不思議な子だと思っていたが、俊樹さんが持病で亡くなり、神宮寺家に養子に入って神宮寺家に再び来た時、瞳に輝きが無く、幼いのに一人疎外されている巴を見て「自分が守らないといけない」と思った。

 

 

  「藍姫の父親にはお世話になったんだ。彼のお蔭で今の私がある……だから今度は私が彼を助ける番だと思ったんだよ。だから娘であり今は妹である藍姫を守るのは私の使命だとすら思っているんだよ。それが、不思議なことかな?」

 

  「ふむ。はぐらかされるかと思ったが、話してくれるとはな。意外な対応だ」

 

  「はぐらかしたところでその場凌ぎにしかならない。君達刀剣から信頼されたいわけではないけれど、話せることは話したまでだよ」

 

  「はっはっはっは。主以外には興味がないと言っているようなものだな。……だが、そう思っているのであれば話が早いというもの。俺達も其方のことを信用し切れていないのでな」

 

 

 三日月は沖浩宮に背を向けて食堂の方に歩いて行く。

  「……主を思う気持ちはよく分かった。だがそれは俺達も同じだ。主を傷付けたその時は――容赦はせぬぞ」

 普段穏やかな三日月が見せた一瞬の鋭い眼光。その瞳に沖浩宮の体が一瞬強張った。

 

 

 

 三日月の姿が完全に見えなくなってようやく体の強張りが解け、嫌な汗を背中に感じながら沖浩宮は肩を竦める。

  「…………天下五剣、三日月宗近、か……歴史がある分おっかないね」

 何を考えているか読めない分、現在顕現している刀剣の中でも一番ある意味で怖い刀剣かもしれない。牽制する程主を想っているということだろう。

 

 藍姫が刀剣に慕われているのが嬉しい筈なのに、何故か今はそれが少しだけ不安に思う沖浩宮であった。

 

 

 

        *  *  *  *  *  *

 

 その晩、沖浩宮は審神者部屋を訪ねた。藍姫は執務中で、傍には堀川国広が居た。

 

  「仕事熱心だね。無理しない程度にしておきなさい、藍姫」

 

  「……何で皆口揃えて同じこと言うかな……。私そんなに無茶してるように見える?」

 

  『うん。もう少し周りを頼ったら刀剣達も嬉しいんじゃないかな?(はい。もう少し周りを頼ればみんな嬉しいと思います)』

 

 同じタイミングで沖浩宮と堀川がそう言った。互いに顔を見合わせ、目を瞬かせる。

  「はははっ!堀川国広も同じように思っていたみたいだね。藍姫はもう少し周りに甘えるという事を覚えようか。私にも甘えてくれていいんだよ」

  「……気持ちだけ受け取っておくわ」

 白い目で見つめてくる藍姫に沖浩宮は苦笑を浮かべる。

 

 

 執務が終わったのだろう。藍姫は椅子から立ち上がると部屋を出ていこうとする。堀川が問い掛けると「喉渇いたから飲み物もらってくる」と言って行ってしまう。

 

 背中を見送った堀川は机の上を片付け始めた。そのままにしておいてもいいと思うが、藍姫の行動を読み取って動いているのだろう。

 

 

  「……いいのかい?片してしまって。まだ執務をするかもしれないのに」

 

  「大丈夫ですよ。終わったら食堂に行くのが主さんの決まりですから」

 

 どうやら藍姫の行動パターンを把握しているようだ。初期刀同様付き合いが長い刀剣なのだろう。

 堀川の邪魔をしないように沖浩宮は壁に掛けられている薙刀の前に立つ。

 

 

 

  (――これが俊樹さんが鍛刀した薙刀か……。初めての鍛刀であり遺作、巴が審神者になる未来が分かってたんだろうか)

 

 

 

 彼は娘の現状をどう思っていたのだろう。守ってあげられる自分の先が長くないと分かっていたにしても、何か方法があったのではないかと沖浩宮は思う。

 

  (いや、逆にそれしかなかった……とも言えるのか)

 

 女児であるから巴が神宮寺家を背負うことはない、だから家を出るのを分かっていたのかもしれない。あの家に居て巴に良いことはないし、巴の性格を理解していたなら予測は出来る。

 

  (私が神宮寺家に養子になるのを最終的に承諾したのは俊樹さんだ。その時から持病で長くないことも、周囲が取る巴に対する態度も自ずと分かる、か……。周りと違って頭の良い人だ。周りの奴等も見習って欲しいくらいだね)

 

 名家が聞いて呆れる程の頭の悪い連中が多過ぎて、奏は溜め息を付く。

 

 

 

 藍姫の執務机の上を片しながら堀川は沖浩宮の様子を窺っていた。

 

  (あの時の政府の役人なら、主さんの怪我を治療したのはこの人ってことになるよね?少なくとも義兄妹の主さんには危害は加えない……)

 

 和泉守も他の刀剣も皆沖浩宮を警戒している。堀川も警戒はしているが、言動を観察して思ったことは藍姫には甘く優しい。「可愛がっている」と言っていたが正しくそのようだ。

 

  (大した霊力はないって言ってたけど、治療出来たのは霊力があったからだよね……?)

 

 片付ける手を止め、堀川は沖浩宮に声を掛けた。

 

 

  「……沖浩宮さん。貴方霊力は大したことはないって言ってましたけど、全くないって訳ではないんですよね?主さんの肩を治療してましたし」

 

  「あぁ、治癒のことだね。治癒は霊力の素養があれば訓練で使えるようになるよ。全くないわけではないけど、少し使っただけで疲れてしまうからあまり使いたくないんだ。……それくらいしか出来ないから無能に近いよ」

 

 沖浩宮は堀川を振り返らず、薙刀を見つめたままそう答えた。

 

  「……随分と自分を卑下するんですね。主さんのことは褒めるのに」

 

  「藍姫は優秀で賢いからね。……有能・無能なんて表裏一体なんだ。秀でているものもあればそうでないものもある、要は能力の違いってだけの話――それを人は優劣を付けて劣性を責める……私だろうと藍姫だろうとそういうのはあるんだよ」

 

 沖浩宮が振り返ってこちらに顔を向ける。

  「ここでは藍姫は自由だ。君達刀剣も何かと手を焼いたり困らされることもあるとは思うけど、宜しくね」

  「言われるまでもなく主さんのことは僕達全員で甲斐甲斐しく見てますから。安心してください」

 

 苦笑を浮かべる沖浩宮に堀川は満面の笑みを返す。

 

 

 

          *  *  *  *  *  *

 

 皆が寝静まった夜中、沖浩宮は部屋から姿を見せた。

 

 

 

  「――夜中に部屋を出てきてどうしたの」

 

 

 

 今日の見張り役である加州清光が声を掛けてきた。笑みを浮かべてはいるが目は笑っておらず、いつでも不審な動きをしようものなら斬り掛かれる構えでいるようだ。

 

  「まぁ部屋から出ちゃいけないわけじゃないから?別に出たって不思議はないけど」

 

  「敵意を向けるのは結構だけど、見誤ったらいけないよ。信用されてはいなくても藍姫に危害を加えない意思だけは理解してもらいたいものだね。本当に敵意ある者が私の様に振る舞ったとして、違いを見極められなければ藍姫は守れない」

 

  「あんたが主を大事にしてるのは分かってるよ。危害を加えようなんて微塵も思ってないことも。ただ、政府の人間だとまるっと信用は出来ない……それは分かってもらえるよね?」

 

  「……そうだね。あんな事があった後じゃ、それも仕方のないことだ。私だって同じ立場ならそうするだろうし」

 

 加州の言葉を肯定すると少し驚いたような顔をされた。だがそれも一瞬で、「ふーん」とどうでもいいような返事を加州は返してきた。

 

 

 

  「――まぁそれはいいとして……アンタに聞きたいことがあるんだよね」

 

 

 

 笑みを称えつつもこちらを伺う視線は鋭さを残す。どの刀剣もおっかないね――そう思いながら「なにかな?」と返す。

 

  「主ってさ、なんで戦えるの?演練で他の本丸の審神者は何人も見てきたけど、話聴く限り実戦に慣れてる感じじゃないし。審神者になるのに重視されてる訳でもないんでしょ?」

 

 加州も戦姫としての一面を目の当たりにした一振だ。知らなかったのなら気になるのは無理もない。どうやら自分の刀剣とはいえ、自身の事を余り話していないようだ。

 その必要がないと判断したのか、聞かれなかったからなのか……まあ、おそらく前者だろうが。

 

 

  (流石に聞かれれば答えるとは思うけど……巴のことだからしつこいくらい聞かないと答えないだろうね)

 

 聞かれたから答える、それに巴の事を話すと言ったのは自分でもある。それは守らないといけない。だからこうして加州が尋ねてきたのだろうから。

 

    「審神者になるのに戦える術は必要ない。藍姫が例外なだけだよ。……彼女の父親は武術の腕が凄くてね、真剣だって自分の手足同然に使いこなせる器用な人だった。そんな父親からそれ等全てを教わっていたというだけのこと。

    ん~……あとは実戦経験もあるかな。何度か浄霊や悪霊、妖怪退治的な案件を頼まれてたこともある。現時の政府所属の審神者の中でも異色な経歴といっていい」

 

  「……そっか。だからおれ達と合戦場に一緒に出てたんだろうね。心配だからって言ってたけど、こっちの台詞なんだよね……そう言ったら式神飛ばすんだから。主に心配されるのは嬉しいけど」

 

  「自分が何と戦っているかを知るため、そして君達刀剣の心配もあるからそうしたんだろう。いざという時に自分が守れる様に、ね」

 

  「…………あの時みたいなのはゴメンだよ。主がおれ達を守るっていうなら、おれ達も主を守る。何が何でも全力で」

 

  「……君達は藍姫の事が大好きなんだね」

 

  「そうだよ。本丸に居る刀剣みーんな主の事が大好きだよ。何か文句ある?」

 

  「いいや。それを聞いて安心したよ。――加州清光、他の刀剣にも宜しく伝えておいてくれるかい?……藍姫のこと宜しくね。では私は暫し散歩をしてから部屋に戻るとするよ」

 

 

 加州の横を通り過ぎて行く沖浩宮は鼻歌なんて口ずさみながら回廊を歩いていく。そんな呑気な後ろ姿を加州は溜め息を付きながら見つめる。

 

  (何考えてるか分かんない人だな……)

 

 数日観察していたがそれだけでは沖浩宮を知るには短すぎる。主なら理解出来て特になんとも思わないのだろうが……。

 

  (まぁ、主やおれ達に危害加えないのは確定だからそこは安心かな)

 

 本丸内をウロウロしていたのも、高智が何やら仕掛けていたものを除去してただけのようで、それ以外は刀剣の観察や藍姫の世話焼きをしているだけ。少しは警戒を解いてもいいのかと思いつつ、まだ先でいいかと決めて加州は沖浩宮の後を付けた。

 

 

 

          *  *  *  *  *  *

 

 次の日、昼前に執務室で仕事をする藍姫の元に沖浩宮が尋ねてきた。

 

  「1日早いけど、帰ることにしたよ」

 

  「……そう。満足したの?」

 

  「ああ。久しぶりに藍姫の顔を見られて嬉しかったし、刀剣達と仲良くやれてるみたいで安心したからね。……後のことは私に任せておけばいい」

 

  「……うん。大変だろうけど、頑張ってね」

 

  「ああ!」

 

 嬉しそうに破顔する沖浩宮に藍姫の表情も少し緩くなる。

 

 

 

 

 執務室から出てきた沖浩宮と回廊ですれ違った山姥切は遠退く沖浩宮の背中を見送る。

 

 

 

  「帰ったのか?沖浩宮は」

 

  「ええ。満足したから帰るって。次会う時は家の跡継ぎとしての義兄になるだろうけど。……家の問題となると、出た身とはいえ無関係じゃないからね。近々家の面々と顔合わせに赴くことになるわ」

 

  「……そうか」

 

 寂しげな顔をする山姥切に頬が緩む。

  「そんな顔しなくても、赴くだけで本丸にちゃんと帰ってくるから。心配しない――」

 

 

 藍姫の目付きが変わり、近付いてくる襖の向こうにいる存在を睨み付ける。

 

  「――主……」

 

 山姥切は藍姫の傍に立ち、何時でも逃がせるように身構える。

 

 

 ――スゥ……――と、静かに開いた襖の向こうにはフードで顔を隠した人物が立っていた。極前の山姥切みたいにマントを纏い目深に被ったフードで口元くらいしか分からない、パッと見怪しさ満点の人物だ。

  「…………」

 フードの人物は山姥切を一瞥した様に見えたが、顔が隠れているので分かりづらい。

 

 

 

  「……放棄された世界。歴史改変された聚楽第への経路を一時的に開く。各本丸は部隊を編成し、1590年の聚楽第、洛外より調査を開始。同時に敵を排除せよ」

 

 

 

 フードの人物はどうやら時の政府の監査官らしい。……だが妙な感じがする。もしかして刀剣男士か……。

 

  「本作戦への参加は任意である……が、政府は戦いの長期化に懸念を示している。実力を示す機会は、無駄にしないことだ。――なお、本作戦においては監査官が同行し評定する……以上だ。現地で待つ」

 

 つらつらと伝える事を伝え終えさっさと帰るのかと思ったが、監査官は黙って藍姫を見つめる。

 

  「…………」

  「なに?」

  「不満なら反乱を起こしてもいいが……まあ、無事ではすまないな」

  「監査官ともあろう者が「反乱を起こしてもいい」……なんて言うとはね。そんな素振り見せるくらいなら私は正面からブッ潰しにいくわよ。コソコソするのは嫌いだから」

  「…………」

  「本気か冗談くらい分かるでしょう?まさか本気で捉えた?」

 

 

 

  「口に気を付けろ――と言いたいところだが、君が政府に対して遠慮がないというのは事実らしい。ある意味問題児だそうじゃないか」

 

 

 

 監査官の言葉に藍姫は悪戯な微笑みを浮かべる。

  「――問題児?上等よ!」

 威勢のいい藍姫に監査官も嬉しそうな微笑を称える。

 

 藍姫と監査官のやり取りを傍で見守っていた山姥切は監査官を観察していた。山姥切自身でも分からないが、不思議と監査官が気になって仕方がない。山姥切の視線に気付いて監査官がこちらに顔を向けるが、直ぐに身を翻し執務室から去って行った。

 

 

  (なんだったんだ?今のは)

 

 

 監査官の顔は見えなくとも確かに視線はこちらに向けられた。どう言い表せばいいか分からないが、他人ではないものを感じた。

 

 

 

  「どうしたの、まんばくん。あの監査官が気になるの?」

 

 

 

 藍姫の言葉にハッとして椅子に座る藍姫を見下ろせば、顔を覗き込むようにこちらの様子を窺っていた。

  「……なんとなくだが、他人ような気がしない」

  「知り合いってこと?やっぱりあの監査官刀剣男士なのかもね。政府の人間しては妙な感じがしたから」

 藍姫は電子端末を触り、政府からの通達を開いて内容を黙読していく。

 

  「……“特命調査 聚楽第”か……。他の本丸の審神者は特命調査の経験があるとかって言ってたけど、これがそうね。――さあ!皆に知らせて部隊編成して行こう!この本丸が挑む初の特命調査だよ!」

 

 気合が入って楽しそうな藍姫に山姥切は苦笑を浮かべる。

 

 

 

             *  *  *  *  *  *

 

 すぐさま大広間に刀剣皆を集め、監査官から伝えられた内容を藍姫が話す。作戦参加は任意だということもあり、藍姫の体調を心配する刀剣も多く、見送ってもいいのではという意見も多数あった。そして純粋に挑戦したいという声も。

 体調を心配してくれる気持ちは嬉しいが、藍姫は初めての特命調査に内心ワクワクしている気持ち、挑みたい気持ち、素直にそれらを話すと刀剣達は理解を示してくれた。

 

 部隊編成の為に一時執務室に戻った藍姫は現本丸に居る刀剣の全データーを出し、それを見ながら編成を考えていく。

  「……よし。第一部隊は行けないから第二部隊に配置をして…………危ういようならどこかのタイミングで入れ替えを考えておかないと。よし!これでいこう!」

 

 編成を記した紙を手に藍姫は大広間へと急ぐ。

 

 

 

 

 

 聚楽第に赴くことになった第二部隊が正門に集合する。

 

  「――やっぱ隊長はカッコいいほうが映えるだろ?修行から戻ってからの初陣が特命調査とはありがてーじゃねーか!」

 

 修行で“極”となった和泉守兼定が新たな装いで気合十分な張り切りようで声を上げる。下ろされていた長髪がポニーテールに結われ、新選組の浅葱色の羽織を纏っている。傍から見ても分かる張り切り様を眺めている物吉貞宗と山姥切が話し始める。

  「気合十分ですね、和泉守さん」

  「ああ。……主が言っていたように手助けがいりそうだ」

 

 

 

 

 大広間で聚楽第に派遣される第二部隊が藍姫から読み上げられ、部隊に編成された刀剣達はすぐさま大広間を出ていき装束を着替えに向かった。出ていこうとする山姥切と物吉を藍姫は引き止め、声を潜めて言った。

 

  『修行から戻っての初陣で隊長だから、和泉守暫くは浮わついてると思うの。だから危ういと思ったら手助けお願い出来る?』

 

  『それは構わないが……なら何故和泉守を隊長にしたんだ?』

 

 山姥切の言葉に藍姫ははにかんだ。

 

  『――暫く浮わついてても、誰かに指摘されたり自分の判断が不味かったと思ったら和泉守立て直し早いじゃない?そうなれば纏めるのも判断も早い。でも、引き摺って呆然としてたりすると暫くダメだから、そこは手助けお願い。……やる時はやる、だから和泉守を隊長にしたの。彼纏め役向きでしょ!』

 

 

 

 

 元の主のこともあるからではなく、和泉守を見てきて彼なら大丈夫だという信頼が滲んだ言葉だった。それを聞いたら和泉守はどんな顔をするだろう。

 

 和泉守も藍姫が信頼してくれているからこその任命だと分かっているだろう。とはいえ浮き足立っているのとそれはまた別だ。

 山姥切は周りを見渡し、部隊の面々を改めて見る。

 

 隊長に極・和泉守兼定、隊員は極・山姥切国広、物吉貞宗、極・大和守安定、極・乱藤四郎、極・鯰尾藤四郎。

 打刀を主体に組まれた藍姫がよく組む編成だ。室内や夜戦が予想される怪しいところに派遣する時、主は打刀、脇差、短刀を組み合わせて編成する。比較的有利な短刀や脇差を一振ずつということは、速攻ではなく状況に応じて動きやすく出来る様に見込んでのものということか。

 

 

  (特命調査、聚楽第か……)

 

 

 この本丸発足初の特命調査。あの監査官のことも気になるが、無事に調査を終えて本丸に帰ってくることが最優先だ。挑むのが厳しいと分かれば帰還を主に促す必要がある。おそらく合戦場同様――。

 

  「……主、いるんだろう?」

 

 そう言うと人型の紙が山姥切の右肩に登ってきて、宙に舞うと煙に包まれる。すると藍姫の姿へと変化する。藍姫であるがそうではない――そう、式神だ。式神とはいえ藍姫と同等のことが出来るためほぼ本人と言っても過言ではないが。

 

  「合戦場同様式神を飛ばすのか?」

 

  「もちろん。特命調査現地の様子も気になるし、何かあった時は直ぐに対処出来るように皆の様子も見ておきたいもの。式神じゃなく本人で行きたいんだけどな……」

 

  「ダメですよ、主様。主様にもしもの事があれば僕達や本丸がどうなるか分かりませんから。式神でも心配ですけど、それが最大限の譲歩だと話し合って決めたことです」

 

 物吉の言葉に式神は口を尖らせる。式神の存在に気付いた大和守、乱、鯰尾が式神の元に駆け寄ってくる。

 

  「主の式神だ!話しには聞いてましたけど……主そのままですね!本当に主じゃないんですか?」

 鯰尾が式神の周りをうろうろして時折つつく。

 

  「本人は執務室で状況を観察しながら仕事してるよ。感覚は本人と繋がってるから、五感全て本人も感じる。式神だからって油断してても全部見えてるし聞こえてるからね」

 

  「清光から聞いたけど、最初は主本人が部隊に同行してたんでしょ?危ないから式神に変えたってことで落ち着いたみたいだけど……主そのまんまだよ。式神っていっても」

 

  「紙の姿にも戻れるし、その時は誰かの傍にくっついてるから宜しく」

 

  「はーい!主さん、その時は僕の傍に来てよ!素早く何処にだって連れてくよ♪」

 

 式神の腕に抱き付いた乱は可愛くウインクした。

 

 

 

  「和やかなのは結構だが、出陣前だぜ?気ぃ緩め過ぎて足手纏いだけにはなるなよ」

 

 

 

 呆れた表情でそういう和泉守に皆笑顔で「はーい!」と返す。その反応に和泉守は溜め息を付く。

  「ったく……」

  「気合い十分なのは結構だけど、張り切り過ぎもダメだからね?」

  「わーってるよ。主は気兼ねなく後方でドーンと構えてりゃいい。俺に任せとけ」

 和泉守が右腕を上げ拳を向けてくる。その素振りに式神はフッと笑い左腕を上げ同じように拳の出して和泉守のに軽くぶつける。

 

 

  「――これより第二部隊!1590年聚楽第に出陣!いざ参る!!」

 

 

 式神の号令を受け第二部隊の表情が引き締まる。大手門の扉が開き本丸から第二部隊が出陣する。

 

 

 

        (八)  に続く