吹雪の家を訪ねて来た冨岡を家に上げ、お茶と貰い物だという大福を出して客間に居る吹雪と冨岡。冨岡は大福を無言で頬張り、吹雪は頭を垂れて落ち込んでいた。

 

 

  「…………あの、先程は大変申し訳ございませんでした……何度腹を切ってお詫びすればいいか……」

 

  「……腹を切る必要もなければ詫びる必要もない」

 

  「そう言って頂けるのは嬉しいですが……(いくら冨岡様がそうは言っても、何もしない訳には……)」

 

 

 もう何度目か分からない失態に存在すら消して欲しいと思う。

 冨岡に対してしてしまう事――それは、背後から抱き付く行為。吹雪が幼い時から兄に対して行っていた挨拶の様なもので、物静かな兄を驚かせようと始めたのだが、それがいつしか癖になり、兄が四年前に他界してからはしなくなった。

 だが二年前に鬼殺隊に入って半年経った頃、水柱である冨岡と任務を共にすることになり、後姿が兄の霜壱に似ていて反射的に背後から抱き付いてしまった。それがきっかけで冨岡と顔を合わせる度にやってしまうので、その度に吹雪は落ち込んでいた。身体に染みついてしまった癖というものは厄介だ。

 

 

  (今は誰にも見られていないし何もないからいいものの、もし冨岡様を慕っている女性にでも見られたら、間違いなく後ろから刺される……!誰かに見られたら、変な噂が立って冨岡様に迷惑が掛かる……)

 

 

 冨岡が柱だと分かってからは顔を合わせない様にしていたのだが、何故か冨岡と顔を合わせてしまうし、『別に構わない』と言って背中を向けてしまうので反射的にやってしまうというある意味で悪循環になっている。

 

 

  (普通に考えたら、初対面で背後から抱き付くなんて破廉恥だし変な人よね……)

 

 

 冨岡に事情は説明したとはいえ、怒るべきところの筈だ。なのに何も言わずにいる冨岡は一体何を考えているのか全くと言っていい程読めない。

 顔を上げて冨岡の顔を見るが、大福を無言で頬張っているだけで口を開く気配はない。……口周りに大福に付いている粉を付けて頬張る様はなんだか新鮮だ。

 

 

 

  (……可愛らしい……)

 

 

 

 吹雪は率直にそう思った。

 

  「……食べないのか?」

 

  「た、食べます……!」

 

 ジッと見つめていると冨岡が口を開いた。吹雪は大福に手を伸ばし、一口齧る。

  (――あっ、美味しい……!)

 久しぶりに食べる甘味に頬が緩む。そんな吹雪の様子に満足したのか、冨岡も再び食べ始める。暫し双方無言で大福を食べるという不思議な時間を過ごす。

 

 

 

 

 

 

 貰い物の大福は全てなくなった。まあ冨岡が半分以上食べてしまったのだが、本人は気にしていないようだ。新しく淹れたお茶を啜って一息付くと、冨岡が何処か見つめていた。

  「ずっと気になっていたが、床の間にあるあの刀は?」

  「えっ?…………あれは、母様の日輪刀です」

  「雪代の母親も、鬼殺隊員だったのか」

  「……はい」

 吹雪も床の間に視線を移し、久しぶりに見つめる母親の刀に目を細める。

 

  「母様が鬼殺隊員だと知っていたのは父様だけでした。私達子供には打ち明けるつもりは無かったそうです」

 

  「……だが雪代は知っている」

 

  「一度だけ、夜中に薬草を採りに行ったことがあるんです。満月の夜にだけ咲く花があって、怪我に良く効くというので母様の為に採りに行ったんです。……その時に母様がいた。私は母様が何をしていたのか分からなかったけど、何かを切っていた――」

 

 

 

 ――花を採っていた時、何か音がした。その音を辿って森の中に入ると、刀をしまう人の姿があった。怖くなって後退りした時に枝を踏んでしまい、気付かれた。近付いてくる黒い影が満月の月明かりに照らされた時、母親の顔が現れ、その顔は驚愕していたのを今でも覚えている。

 山奥に居る訳を離すと、母親は苦笑を浮かべ吹雪を抱き締めた。「ありがとう」と言う声は震えていて、家に戻る道中に何をしていたのか話してくれた。

 

 

 

  「だから、私と父様だけが母様が鬼狩りだと知っていたんです。母様には「兄妹には黙っていて」と言われていたので、話していません。余計な心配を掛けたくないからと言ってました」

 

  「そうか。……家族はどうしてる?」

  「…………鬼になった父様が、私と弟以外殺しました」

  「!?」

  「父様は……母様の日輪刀で私が頸を刎ねました」

 

 吹雪は正座した膝の上で重ねる両手を握り締める。

 

  「……私と弟は母方の祖父母の元へ行き、弟は祖父母に預け、私は母様の師匠である育手の元へ行きました。弟には事情は話しましたが……信じてくれませんでした。でも仕方ないんです。鬼の存在を知らない弟からしたら、私は父親を殺した人殺しですから……」

 

  「…………すまない。聞いてはいけないことを聞いた」

 

 冨岡のその言葉に吹雪は首を振る。

  「いえ。……私が勝手に話したことですから、冨岡様が気にする必要はありません」

 吹雪は床の間に飾られた母親の日輪刀に目を向ける。

  「――冨岡様と同じ水の呼吸を母様は会得してました。なので私も水の呼吸を会得することになると思っていたのですが……育手に指南を受けていた時に気付いたんです。私は水の呼吸を扱える素養はあっても、極められない、と」

 

 

 ハッキリと断言出来る答えが得られたのは呼吸の型を指南された時だ。型を会得しても扱えるが、威力が弱い。鍛錬を積めば威力が上がるかもしれないと育手は言っていたが……その希望はなかった。

 

 

  「他の呼吸も試してはみましたが、素養がないので無理でした。なので最終選別に行くまでの二年間の月日の一年半は自分に合った呼吸を確立することに費やしてました。育手の方には水の呼吸を極められない弟子で申し訳ないと思っていますが、「お前はそれでいい」と……背中を押してもらいました。鬼殺隊に入隊してからは冨岡様もご存知の通りです」

 

 

 

 ……何とも言えない空気が吹雪と冨岡の間に漂う。吹雪は陰湿な空気を紛らわそうと笑顔で冨岡に話し掛ける。

 

  「――すみません。いきなり色々と話してしまって。つまらない話をしてしまいましたね」

 

 

 

  「いや。…………雪代の事を知れて良かった」

 

 

 

 何時も表情が乏しい冨岡だが、一瞬だけ、僅かだが表情が和らいだ。それを目の当たりにし更に冨岡の放った言葉に吹雪は目を見開かせた。

 

  (――どうして、この人は――)

 

 吹雪は顔を見られない様に俯き、目の奥が熱くなり溜まる涙を落とさない様にするので精一杯だった。

 

  (どうしてこの人は……そんな優しい言葉を掛けてくれるんだろう……)

 

 私が初対面で背後から抱き付いてしまった時も、顔を合わせる度に抱き付いてしまい腹を切って詫びようとする時も、先程落ち込んでいて前方不注意で背中にぶつかってしまった時も、良い話でもないのに話してしまった今も……多くは語らないし言わない、だけど的確で胸に沁みることを言葉で落としてくる。

 

  ――雪代の事を知れて良かった。

 

 そんな言葉は自分に無縁だと思ってた。

 

 

 

  ――なあにあの子。異国の子なの?

 

  ――見たことねぇ髪色だな!珍しいから売り飛ばせば高い金もらえるかもしれねぇな!

 

  ――村の農作物が出来ないのはお前みたいな奴がいるからだっ!消えろ疫病神っ!

 

 

 

 見た目が異国の人間みたいに見えるからか、小さい時は気味悪がられていた。母様も私と同じ水色髪で色白だったが、私は母様よりも色素が薄く水色髪なのに見方によっては白髪に見えてしまう。そして色白が相俟ってか何か問題が起こった際に災厄の原因にされることも少なくなかった。

 だから私を知ろうと、理解しようとする人なんていないと思ってた。そう思っていた――。

 

  (そんな言葉……あんな表情で……!)

 

 微量すぎて変化はないのかもしれない。だが、吹雪の目に映った冨岡の表情は微笑を浮かべていると思えるくらい柔らかかった。涙を誘うには十分過ぎるくらいに――。

 

 

            *  *  *  *  *  *

 

 冨岡が発言した後、吹雪は顔を俯かせたまま動かない。そんな吹雪の姿をジッと見つめる冨岡はどうしたらいいのか分からなかった。

 

  (……何か不味いことを言ってしまったんだろうか……)

 

 吹雪が顔を俯かせる直前、驚いた表情から泣きそうな表情に変わったのを冨岡は見逃さなかった。自分の発言が吹雪を俯かせてしまった、それだけが今分かることだ。

  「……雪代」

  「…………」

  「…………(泣かせてしまったのか)」

 声を掛けても反応も返事もしてくれない。どうすれば吹雪が顔を上げてくれるのか、冨岡には答えが出せない。

 

  「……雪代――」

 

 名前を呼んで二度目、吹雪は急に動き出し大福が乗っていた皿を手にすると、冨岡と自分の前に置いてある湯呑みを皿に乗せると立ち上がって背を向けた。

  「?」

  「何でもないです。何でも……気にしないで下さい……」

 そのまま客間を出て行ってしまい、冨岡は去って行く吹雪の背中を見送るしかなかった。

 

  「……顔を見せないのは、やはり泣いていたからなのか……?」

 

 

 ――客間を出て行って数分、吹雪は買い物に出掛けるというので、冨岡も吹雪の家を一緒に出た。

 

 

 

 

 

 

  「……では冨岡様。気を付けてお帰り下さい」

 

 門前で吹雪は冨岡に頭を下げ、背を向けて歩き出した。その後に付いて行くと、吹雪は立ち止まり、振り返った。

  「…………あの、冨岡様」

  「なんだ」

  「……冨岡様の家は反対方向では?」

 吹雪は反対方向を指差し、首を傾げた。やっと吹雪がこちらに顔を向け冨岡の顔を見上げてくれた。冨岡も吹雪の顔をジッと見つめ、観察する。

 

  (……涙の痕はない。泣いてはいないみたいだな)

 

 

  「――どのくらいの量になるんだ?」

 

 

 そう問い掛けると、雪代はしどろもどろながらも口を開く。

  「え、あ、えっと……調味料や数日分の食材を買うので、それなりにはなりますけど……」

  「そうか。行くぞ」

  「!?と、冨岡様!?」

 雪代を追い越してスタスタと歩いて行くと、慌てて後ろから追い掛けて来る雪代の気配を感じる。俺の背中に声を掛け続けてくる雪代を俺は振り返るつもりはなかった。

 

 

 ――荷物持ちをすると言った時の雪代の慌てぶりは、面白かった。

 

 

            *  *  *  *  *  *

 

 買い物に出掛けたはいいが、冨岡が荷物持ちをすると言い出した時は吹雪は慌てた。柱に荷物持ちをさせるなんて一隊士として有るまじきことだ。誰かに見られたら柱に荷物持ちをさせる女なんて思われるのも嫌だが、何を言っても冨岡は耳を傾けてくれなかった。完全に冨岡のペースに巻き込まれて買い物をする羽目になって、買い物は終わった。……荷物持ちをしてくれて助かったは助かったが。

 

  「……買い物や片付けまで手伝って頂いて……ありがとうございました」

  「せめてもの詫びだ。気にするな」

  (詫び?なんの……?)

 

 冨岡の見送りをする為に門前まで出てきたはいいが、冨岡は何か言いたげな顔で見つめて来る。

  「?」

  「……雪代は、甘味は好きか?」

  「?甘味は好きですよ。特に好きなのは“きな粉おはぎ”です。母様がよく作ってくれました」

  「……そうか」

 

  「冨岡様の好きな食べ物はなんですか?」

 

 吹雪がそう問い返すと、少し驚いた様な顔をしたがすぐに何時もの乏しい表情に戻ってしまう。

  「……鮭大根だ」

  「買い物を手伝ってくれたお礼に、冨岡様の好物を今度お作りします」

  「いいのか?」

 「はい!」と元気よく笑顔で答えれば、冨岡は心なしか嬉しそうな表情を見せた。

 

 

 

 

 都合の良い時にまた連絡をくれる様にお願いし、冨岡が帰ったのを見届け、吹雪は暫くその場に立ち尽くして空を見上げた。

 

  (――今日は少し変わった一日だったな……)

 

 まさか家に冨岡が訪ねて来るとは思ってもいなかったが、一緒に大福を食べたり、自分の昔話をしたり、買い物をしたり、鬼殺隊に入ってから誰かと一緒に過ごしたのは初めてだ。何かと鬼殺で忙しい日々だったからゆっくり過ごせる時間なんてなかったが、こんな時間も悪くない。

 

  (……――ふふっ。大福の粉を口周りに付けた冨岡様、可愛らしかったな)

 

 口元に手を当て、吹雪はクスクスと笑う。寡黙な冨岡の意外な一面が見られたと思う吹雪である。

 

 

            *  *  *  *  *  *

 

 それから一週間程経ち、吹雪は鬼殺隊の柱である蟲柱の胡蝶しのぶの屋敷である“蝶屋敷”にへと足を運んだ。一週間程前に柱合会議に割って入ってしまった際に顔を合わせた竈門炭治郎に会う為だ。

 その少年が居る部屋の場所を聞き、その場所に向かっていると、途中髪のサラサラな男性が慌てた様子で横を通り過ぎて行った。

 

  (さっきの人、何をそんな慌ててたんだろう。あの少年が居る部屋の方から来たような……)

 

 とはいえそこまで気にすることなく、吹雪は目的の部屋にへと近付いていく。

 

 

  「――ではそろそろ機能回復訓練に入りましょうか」

  「……機能回復訓練?」

 

 

 部屋を覗くと、胡蝶しのぶを始め炭治郎を含めた三人の少年……いや、二人の少年と一頭?が部屋の中に居た。

  「はい!……ですがその話は後程にして、お客様と先にお話しをしてください」

  「お客様?……あっ!」

 胡蝶が部屋を覗く吹雪に顔を向け、炭治郎もその視線を追って吹雪の存在に初めて気付いた。

 

  「入っても大丈夫ですよ」

  「はい、失礼致します」

 

 胡蝶に促され、吹雪は部屋の中に入り胡蝶に近付くと軽く頭を垂れる。

  「おはようございます、胡蝶様」

  「竈門くんのお見舞いですか?」

  「はい。あれ以降顔は合わせていませんし、名乗ってませんでしたから」

  「お話しが終わったら私に声を掛けてくださいね。ゆっくりお話してください」

 

 笑顔でそう吹雪に声を掛け、胡蝶は部屋を出て行った。吹雪は炭治郎と向き合い、声を掛ける。

 

  「おはようございます」

 

  「お、おはようございます……あの、今お昼ですけど」

 

  「今日初めてお会いする人にはそう挨拶をするだけですから、気にしないで」

 

 笑い掛けると炭治郎の頬に朱が差し、照れたのか視線が泳ぐ。

 

 

 

  「おい炭治郎!誰だよ、このめちゃくちゃキレイな人!」

 

 

 

 炭治郎の傍に居た金髪の少年が炭治郎の肩を揺さぶる。

  「えっと、この人は……」

  「まだ名乗っていませんでしたね。私は雪代吹雪、宜しくね」

  「俺は竈門炭治郎といいます。こっちにいるのは――」

  「俺は我妻善逸です!あ、あの!吹雪さんって呼んでもいいですか!?」

  「呼びやすい様に呼んでくれていいわ」

  「はいぃ!」

 金髪の少年――善逸は何故かテンションが高く、そんな善逸を見つめる炭治郎の視線は呆れているように見える。そしてふと、左隣りに居る人物に目が行き、吹雪は目を瞬かせる。猪が、ベッドに寝転んでいる。見間違いではなかったらしい。

 

  「……竈門くんの隣に居るこの猪の人は?頭が猪だけれど……人獣か何か?」

 

  「彼は嘴平伊之助っていいます。あの猪の頭は被り物なので……色々あって今はちょっと、そっとしておいてください」

 

  「そう。……喉が良くないのね。他にも何かあったみたいだけれど、お友達が居るから大丈夫ね――竈門くんは大丈夫?一番は我妻くんが重症みたいだけれど」

 

 伊之助の方を向いていた吹雪だったが、炭治郎に話を振り容体を聞く。

  「かなり良くなってきています。心配してくれてありがとうございます。……あの、雪代さん」

  「?」

  「村田さんっていう隊士の人に聞いたんですけど、雪代さんは甲だと聞きました。すごいですね」

  「そんなことないわ。階級は甲でも大した腕前ではないから」

 

 微笑を浮かべてそう返した吹雪だったが、炭治郎は納得していない様子だった。

 

 

 

 

 

 部屋を訪ねて来たのは柱合会議に突如現れた女の人だった。今こうして向き合ってみると、とても目立つ人だと分かる。髪色や色白のせいもあると思うが、醸し出す雰囲気が周りの人達とは少し違う。

 先程吹雪は甲である自分の腕前は大したことないと言って微笑を浮かべて言ったが、炭治郎はそうは思えなかった。

 

  (大した腕前じゃない……そんな筈はない。この人、柱の人達と同じ匂いがする……)

 

 柱合会議の時は分からなかったが、今こうして向き合っていると吹雪があの柱合会議に割って入ってきたにも関わらず、柱やお館様が顔色一つ変えなかった訳が分かる気がした。

 ――彼等は吹雪を信頼して認めているんだ。実力や腕だけでなく、きっと吹雪の人柄も要因の筈。

 

  (それに、今まで嗅いだことのないこの匂い……一体なんなんだ……?)

 

 人や鬼の匂いとは違う……どういえばいいのか分からないが吹雪が放つ独特の雰囲気はその匂いのせいなのかもしれない。だが優しくて嘘のない清らかな匂いも感じる。この人は嘘は言わない、だからあの発言も……。

 

 

 

  ――私、人ではないので。

 

 

 

 あの言葉の意味を聞きたいが、炭治郎はそれよりも先に吹雪に聞きたいことがあった。

  「――あの!雪代さんは俺達のことどう思いますか!妹の禰豆子は鬼で、俺は禰豆子を治すために剣士になりました!柱の殆どの人は認めようとはしなかったけど……雪代さんはどう思いますか!貴女はどう思うのか聞かせてください!お願いします!」

 炭治郎は何処か縋るような気持ちで吹雪に問い掛けた。

 

 禰豆子の存在が公認になったとはいえ、柱の大半は良い様に思っていないだろう。お館様の意向があり誰も手出しはしないだろうが、絶対ではない。お館様や柱達が吹雪を信頼し、自分達を気に掛ける様にと言ったり、頼る様に言うということは柱同様の影響力が吹雪にはあるということ。そんな吹雪が自分達のことをどう思うのか、出来れば味方であって欲しい半面大半の柱の様な批判的な意見を言われたら頼るべき人なのかどうか、その判断材料という意味でも意見を聞きたい。

 

 互いに顔を見合い続けるが、吹雪は優しい微笑を浮かべて口を開く。

 

  「お館様から話は聞いています。妹さんが二年以上の月日人を喰っていないこと、人を傷付けないこと……もしもの場合、竈門くんや冨岡様、元柱である鱗滝様お三方が腹を切ってお詫びをするということも。……私は頭ごなしに竈門くんの話を否定しません。それは貴方や妹さんがちゃんと証明しています」

 

  「!?」

 

  「妹さんからは鬼が放つ嫌なものや異臭を感じない。それは鬼になってからの二年以上の月日、今日まで人を喰らっていない事実があるからです。何かしらの暗示が掛かっていたとしても、それだけではなく妹さんの意思もちゃんとあって成長している。家族想いの優しい妹さんですね」

 

 そう言って笑い掛けてくる吹雪に炭治郎は胸が熱くなるのを感じた。

 

  「それに竈門くんには妹さん以外の鬼の気配も感じます。その方達は友人みたいですから、今までの鬼の常識に囚われていては見えない変化が起こっているみたいです。その変化を受け入れることも必要なことだと私は思います。……認めて貰えるまで長いかもしれませんが、応援しています。私は竈門くんも妹さんのことも受け入れますよ」

 

 優しい笑顔に目の奥が熱くなるのを感じた。認めて貰えた嬉しさか、禰豆子や自分の事を分かって貰えての嬉しさか、此処に来るまでの全てを受け入れられた気がして嬉しくて堪らない。

 腕で目元を拭い、炭治郎は吹雪に頭を下げる。

  「……ありがとうございますっ……!俺、頑張りますっ!」

 力強く言うと、吹雪はクスッと笑った。何だが恥かしくなり、頭を掻く。

 

 

 

  (――あ、まだ聞きたいことが――)

 

 

 

 認めて貰えた嬉しさで忘れるところだったが、重要なことを忘れていた。

  「…………あの、雪代さん。“人ではない”ってどういう意味なんですか?」

 そう問い掛けると、吹雪はジッと炭治郎の目を見つめてくる。心の奥まで見透かされている様な感覚に炭治郎は生唾を飲み込んだ。緊張からか、ジワリと全身に汗が滲んでいくのを感じながら吹雪の返答を待った。

 

 

 

 

 

 

  ――“人ではない”ってどういう意味なんですか?

 

 そう問い掛けてきた炭治郎の表情には少しの怯えや不安、そして吹雪の真意を知ろうとする姿勢が見受けられた。彼は吹雪が信用出来るのか見極めると同時に信用したいと思っているようだ。まだ少ししか言葉を交えていないが、炭治郎は信頼出来る人物だと判断したらしい。だが吹雪のあの発言がその気持ちを揺るがせていて、早く解消させたいという焦燥もあるのだろう。

 

  (……この部屋に虫が六匹……)

 

 炭治郎の目を真っ直ぐ見つめながらも、吹雪は部屋の中にいる虫の気配を感じ取る。口で説明するよりも目で見る方が分かり易い――。

 

 と――。

 

 

  ――ピキッ、ピキキッ、ピキッ、パキンッ。

 

 

  『!!?』

 

 部屋の中に突如氷の固まりが六つ現れ、それは肥大し提灯程の大きさまでになる。

  「いやあああああぁぁっー!!なになになにぃー!?急に氷が現れたんですけど!?なに俺死ぬの!?凍って死んじゃうのおぉおおっ!!ひぃいいいっ!!」

 善逸は炭治郎のベッドの下に潜り込んで悲鳴を上げ続ける。急に氷の固まりが現れ、炭治郎は驚愕する。

 

  (なんだ!急に氷が……鬼なのか!?)

 

 いや、鬼の匂いはしない。それにもし居たとしたら騒ぎになってる筈だ。辺りを見回すが、一体誰が氷を出現させたのか分からない。

 

 炭治郎達が慌てている最中、氷は弾けて散り、キラキラと光りながら消えていく。一瞬にして幻想的な風景になり、つい魅入ってしまう。そして――吹雪と視線が重なり合う。

 突然氷が出現したというのに吹雪は慌てることなくずっと落ち着いたままだ。変わらずに炭治郎をジッと見つめたまま。

 

 

 

  「…………もしかして、雪代さんですか……?今の……」

  「…………」

 

 

 

 炭治郎にそう問われても、吹雪は表情一つ変えない。

 

 ――信じられないといった恐怖した顔は今までに幾らでも見てきた。そんな芸当誰にも出来る筈はなく、天変地異・祟り・神の怒り・幽霊・妖怪、様々な例題を上げて皆慌てふためいていた。だが、もし予想外の出来事が起こった際に疑わしい人物が居た時は遠慮なくその人のせいにして不安を解消しようとする……人は、時に鬼よりも恐ろしく肉体的にだけでなく精神的にも切り裂いてくる。

 

  (鬼殺隊に入ってからはあまり使っていないけれど、やっぱり誰でも同じ反応するよね……)

 

 炭治郎の前で見せたのは彼が信頼しようとする姿勢を見せたから。「人ではない」と言ってしまった人物を知ろうとする姿勢は誰でも出来ることではない。関わりたくないし遠ざけてしまう、何より知ってしまった時自分の身に何が起こるか分からない恐怖もある。保身で近付かない人が大半だが炭治郎は違った。

 歩み寄ろうとするその姿勢に吹雪は淡い期待を抱いたが、やはり皆同じか――きっと彼も自分を――。

 

 

  「――今の、どうやったんですか!?呼吸の応用技とかそういうのですか!?」

 

 

 炭治郎は目を輝かせ興奮した様子で両拳を握り上下に振る。

  「柱に近付けばそういうことも出来るんですか!そんな技使ってる隊士の人見たことないですけど、何の呼吸を極めたらそんな事――!?」

 顔を輝かせていた炭治郎の表情が変わり、驚きに目を見開かせた。

 

 

 

 

 

 急に部屋に現れた氷、それを出現させたのが吹雪だと分かり、炭治郎は呼吸の応用技だと思った。柱に近付いて呼吸を極めればそんな事も出来るのかと思い吹雪に想いをぶつけていると――フワッと匂った。

  (悲しい匂い……怯えと恐怖が雑ざった悲しい匂い……)

 その匂いが炭治郎の鼻を掠めたのと同時に今まで表情を変えなかった吹雪の表情が変わった――泣きそうな、微笑みを浮かべていた。

 

 

  「…………そんな純粋で疑わない想い……竈門くんが初めてよ……」

  「…………」

 

 

 先程まで漂っていた匂いが薄くなって消えた。ほんの一瞬香った匂いに炭治郎は吹雪の事を誤解していたのではと思った。

 人ではないと口にしたのには何か理由があるのではないか、この人から香ったあの悲しい匂いは何かが影響している、人ではないと言わせてしまう程この人の身に一体何が起こったのか……。

 

  「…………竈門くん。申し訳ないけれど、貴方の質問に答えるのは……此処までにしてもらえる?今は、此処までしか……」

 

  「は、はい……」

 

 顔を俯かせてしまい、髪で吹雪の表情は見えないが嫌な事を思い出させてしまったらしい。今は此処までしか言えないということは、炭治郎に話す意思があるということだ。他人に話せないような話をするのは、吹雪も炭治郎になら話しても良いかもしれないと思っている証拠だ。

 吹雪が自分を信頼しようとしているのなら、自分も吹雪に信頼して貰えるようにならなければならない。それに応えたい――。

 

 拳を握ってそう思ったはいいものの、吹雪を俯かせてしまいどう対処すればいいか炭治郎は困る。

 

 

  (ど、どうしよう……嫌な事思い出させてしまったんだよな……。何か別の話とか――!そうだ!)

 

 

  「――あ、あの!雪代さんって変わった履物履いてましたよね!あれってなんですか!」

  「…………履物?……ああ、一本下駄のこと?」

  (顔を上げてくれた!)

 顔を上げてくれた吹雪の表情は泣きそうな顔ではなく、不思議そうな顔で炭治郎を見つめてきた。

 

  「あれ一本下駄っていうんですね!鬼殺隊の人は誰も履いてないみたいですけど!」

 

  「あの一本下駄は友人からの貰い物なの。五歳くらいの時だったかしら」

 

  「へえ、そうなんですか!どんなご友人なんですか?」

 

  「天狗から貰ったの」

 

  「…………えっ?」

 

 炭治郎の目が点になる。今吹雪は何て言った?てんぐ??

  「えっ、て、てん……」

  「天狗から貰ったの」

  「……天狗……?」

  「そう。天狗」

  「天狗……」

  「天狗」

 吹雪が嬉しそうにそう言うものだから、炭治郎がどう反応すればいいのか困っていると、吹雪が話し始めた。

 

 

  「五歳くらいの時に山奥で遊んでたら遭難しちゃって……その時に天狗さんが現れてね。天狗さんが履いてた一本下駄が珍しかったから「欲しい」って言ったんだけど――「お前みたいな小娘に履けるものか!」って言われて。「履ける!」って断言したらくれたの!二日程で履ける様になって、それを天狗さんに見せに行ったら驚かれちゃって……」

 

 

 嬉しそうに当時の事を思い出しながら話す吹雪に炭治郎は目が点のままだった。

  (……雪代さんって、不思議な人だな……)

 何だか掴みどころがなく、ふわふわした人だと思う炭治郎である。

 

 

            ㈡   終わり