Eテレの「サブカルチャーの系譜」が面白い。

先週は「なぜゴシックが生れたのか」にかかってきた。

 

「ゴシック文学」、実はわたしが「一番好きな分野」である。

「ゴシックって、ゴスロリの?」と首をかしげる方も、『ドラキュラ』とか、『フランケンシュタイン』と言うと、「あー、」と膝を打つことでしょう。

 

『ドラキュラ』はわたしは原文で原作を読んだが、ドラキュラに狙われて吸血鬼化しつつある、愛する女性を救うべく、本来なら恋敵になる男性3人(だっけ?)とヴァン・ヘルシング博士がチームを組んでドラキュラを討伐に行く様子が迫力だった。

吸血鬼化しつつある女性の額に十字架を当てると、なんと女性の額は焼けただれてしまう。

女性悲鳴。「もう、わたしは神に罰せられる存在になってしまったのだわ!」

 

そんなことはさせない・・・で、チーム奮闘の末、一人は命を落とすが、救われた女性は息子を産むと彼の名を授ける。

 

よく指摘されるが、ドラキュラは乙女しか襲わない。

つまり、血を吸う=性交、なのである。

 

80年代だったか、これをドラキュラ側から描いた映画があり、面白かった。

この映画では、ドラキュラがヒロインを狙うのは、彼女が愛した妻の生まれ変わりだったからである。

 

よく「ドラキュラ」と聞くと顔を思い浮かべる白黒の短髪の男性は映画で初代ドラキュラを演じたもので、あまりにはまり役だったのでそのイメージが定着したそうです。

 

『フランケンシュタイン』:これもよく知られているが、(やはり原作を原文で読んだ)作者のメアリー・シェリーは女性である。

彼女は詩人シェリーと親に反対された結婚をした後子供に恵まれず、死産・流産を繰り返した末に静養のおり、生れたのが『フランケンシュタイン』・・・どうです、「あー!そうだったの!」と深く納得しませんか。

 

フランケンシュタイン(正しくはフランケンシュタインの作った怪物)は最初は善良だったのに、出会う人皆が恐怖のあまり彼を邪険に追い払うので、次第に世間と、彼を作った挙げ句捨てた創造主を恨むようになる。

 

彼の博士への望みはただ一つで、「自分の花嫁を作ってほしい」。

皆が自分を嫌うならしかたがない。

でも、一人は嫌だ。

誰かと一緒に生きていきたい。

 

が、博士はこれも拒絶してしまう。

そして、怪物の復讐が始まる・・・。

 

昨年だったか、漫画「モーニング」で「怪物よ三日月と踊れ」で、このシェリー夫人が主人公の漫画が掲載されており、面白かった。

夫人は謎の暗殺集団の一人を再生させたモンスターの女性に「エルシイ」(Little Childの意味)と名付け、平凡な幸せを教えていく。が、暗殺集団の魔の手は迫っており、、、

 

作中のシェリー夫人の息子「パーシー」が「豪放磊落」を絵に描いたような大柄な男性で好きだった。

頑固に自分の存在を認めなかった祖父の危機に「お祖父様!」とためらいもなく叫んで駆けつけ、「雨に濡れるぞ、なんなら馬車に乗せてやってもいいが・・・」と爺さんが譲歩すると、「あはは、雨には濡れた方が気持ちがいいものです」と笑う。

 

で、最後の最後、逃げるラスボスに体当たりをかました彼の必死の形相がすごかった。

「お前は、僕の愛する母さんとエルシイの敵だ!」

 

エンディングによると、彼とエルシイはその後結ばれた・・・らしい。

 

番組の途中で「デビルマン」と「ポーの一族」が出てきてびっくりした。

「ポー」はともかく、「デビルマン」にはわたしは一言あり、アニメが好きな人も多いと思うが、原作の「デビルマン」のものすごさと言ったら、原作者の永井豪が「1ページ描いては倒れ、また倒れ」という、「何かに取り憑かれたような迫力」がすさまじいのである。(中に1面ベタで、しかもベタが枠からはみ出ているページがある。編集さんももう、直そうとは思わなかったらしい。)

 

英会話の2分前なので、今日はこの辺で。