2回目の教育実習が「この方針で行ってよし」のお墨付きを昨日もらえたので、久しぶりに映画を見る余裕ができた。

ダニエル・ディ・ルイス、ミシェル・ファイファー、どちらも大好きな俳優である。

 

一口に言って、「愛が社会に負けた」話である。

 

そもそも、「恋におちる」とはどういうことだろう。

どうして、他の人ではだめなのだろう。

 

主人公は若く美しいフィアンセがいるのに、社交界で半ばつまはじきにされている伯爵夫人と恋に落ちる。

ヨーロッパの上流階級はわりと情事に寛容だが(フランスなんて「愛人がいて当然の社会」)、一昔前、アメリカのプロテスタントのがちがちの規範に縛られた上流社会の「そんなことは許さないぞ無言の圧力」がすごい。

 

なにげないパーティーの会話や雰囲気から、彼は周囲が既に自分たちのことを知っており(無論妻も)、全力で自分たちの恋の成就を阻止しようとしていることを知る。

伯爵夫人の美しい背中を見つめ、近づいて「馬車までお送りしますから」とコートをかけると、にっこり笑って老婦人が「わたしたちの馬車で帰るのよ」と言う。

 

片時たりとも、ふたりだけにはさせてくれない。

 

「彼に妊娠を告げる妻(ウィノナ・ライダー。そういや、今この人どうしているの?)の迫力がすごい」とは誰かのレビューにあったが、二人の子をもうけ、何もかも恵まれた人生を送ったように見える彼女が晩年、「世の中の変化についていけず、子供達は母親には本心を隠すようになった」とあるのが興味深い。(クリスティの『春にして君を離れ』を思いだした。)

 

途中、だれた感じがした映画だったが、最後が素晴らしい。

成人した長男に会いにいくと、なんと、かの伯爵夫人に会いに行こうという。

息子は何もかも知っていたのだ。

「おかあさんが、『お父さんは頼んだら、最愛の人と別れてくれた』と言っていたよ」。

 

そうか、あの笑顔で妊娠を告げたのは、妻なりの必死の「お願い、行かないで」だったのか・・・。

 

長男に連れられて伯爵夫人の住まいに向い、主人公は一人呟く。

「わたしはまだ57才・・・」。

 

現代日本ならバリバリの現役だろうが!

人生、やり直さないかい(胸ぐら掴んで絶叫)!

 

が、結局、彼は彼女に会いに行かない。

思い出は、美しすぎるのだ。

最後、窓が開いたのに一縷の望みをかけるが、そこには・・・

 

「結ばれるはずのない二人」だったのだ。

 

「人生」ってなんだろう。

 

お昼ご飯を食べたので、ジムへ行ってきます。