話題の映画を映画館で見るのは久しぶり。

これは、新聞広告を見た時から「絶対に見る」と決めていた。

 

ごく普通の、中流以上のドイツ人の家庭。

子供達はパパにサプライズパーティーをし、ママは新しいドレスにご機嫌。

夫婦は寝る前にそれぞれシングルベッド(ダブルベッドでないところがドイツらしい)の上(しかし、せまっちいベッドですな)で他愛のない会話。

 

同僚や友人達と遊んだり、父は熱心に職場で打ち合わせ。

「この、新しい焼却器はですね・・・」

「ほほう」。

 

工場でよく見られる、「仕事熱心なパパ」。

が、焼却されているのは、

 

人間なのだ。

第二次大戦中の強制収容所のユダヤ人たち。

 

そう、この一家は強制収容所の隣に住んでいるのである。

なぜ隣?の解説はなかったが、多分「職住接近」:「職場に通勤便利だから」だろう。

 

「お庭の薔薇が今年はきれい。」

優雅に咲き誇る薔薇の赤に、BGMのように殺されるユダヤ人たちの

「あーっ!」「ぎゃーっ!!」

という悲鳴が重なり、

 

画面が真っ赤に。

 

こ、こ、こ、怖い。

 

この人たち、この悲鳴を聞きながら暮らしているのか。

暮らしていけるのだ。

だって、ユダヤ人なんか犬かなんかだと思っているから。

「ここはいい所だけど、ちょっと犬の遠吠えがうるさい」ぐらいにしか思っていないのだ。

 

合間に白黒で「立ち入り禁止区域」に深夜忍び込み、何かを埋めている三つ編みの少女が映り込み、

「?なにを埋めているのだろう??」

なぜか帰宅すると、カラーに戻るのだが。

 

帰りの電車の中で解説を読むと、

「あー、『収容所のユダヤ人たちのためにリンゴを埋めていた』のか」。

だから、その場面だけ白黒だったのである。

少女だけが現実を知っていた。

 

パパは仕事熱心。

「また100人ほどユダヤ人が来るんだけど・・・」

「全部殺されちゃうと困るんだけど。20人くらい労働力に残してよ」

80人リストラしてよ、の世界かい(悲鳴)。

 

第二次大戦終了後、ナチス幹部は無論逮捕されたのだが、中の一人は「あまりにも善良な一般人」だったので裁判する側は驚いたという。良き父。良き夫。それが大量のユダヤ人を冷酷無比に虐殺したのだ。

 

だって、「ユダヤ人なんて人間だと思っていなかった」から。

 

「これからどうなるのだ・・・」

 

どうにもならなかったことを、わたしたちは知っている。

 

一瞬の静寂ののち、映画は突然終わる。

「自分で意味を考えなさい、ということだな」。

 

わたしたちは誰かを「人間ではないこと」にしてはいないだろうか。

笑顔で誰かを踏みにじってはいないだろうか。

 

はっきり言って退屈だったけれど、投げかけられた問題は大きい。

 

週末忙しくて、なにもできなかった。

明日からまた仕事です。