金曜日である。
が、ご馳走を食べようにも食欲もなし、遊びに行く気力もなし。
最近、「死」についてよく考えるようになった。
若い頃のように、「もう仕事やだ、いっそ死にたい(泣)」ではなく、「お迎えがくる」方の死である。
自我が芽生えてからの長い、長い旅の出口が見えてきたのだ。
幼い頃、夜空の星を見上げてなんとなく、「自分はあそこから来たんだ。いずれあそこへ帰っていくんだ」と感じていた。
ひとは死ぬとどうなるのだろう。誰にもわからない。
標題については、以前取り上げたような気がするが・・・
おさらい。
大企業社長の「太郎」は世界の異常気象による混乱を逃れるため、妻子と共に自社で開発したコールド・スリープに入る。
が、目覚めた時、「ほんの数ヶ月」のはずだったのが500年が経過しており、妻と息子は従業員共々ミイラ化しており、世界は荒廃している。
無論、日本に残してきた娘も両親もとっくの昔に亡くなっている。
生きている意味がない、一度は死のうとした太郎だったが、「せめて娘達がどうなったのか見届けたい」と氷河期化した中東から日本を目指す。
このあいだ、生き残っていた人類に救われ、言葉を覚え、社会を知っていくのだが、この過程が「人間社会はいかに発達してきたか」をなぞっているので超面白い。
今は太郎は貨幣をもって他国を支配する「マリョウ」(*中国を想定しているのかな)に乗り込み、対抗するべく「紙幣」を発行し、本編では政争の果てに太郎たちが遂に勝利するのだが。
この、「貨幣」を支配する人々がとんでなく悪趣味で、奴隷を買い集めて歌など歌わせる・・・のはいい(いや、いいのか?)のだが、翌日、その娘がどうなったかというと、
「やっぱり、人間の皮で作った靴はいいわー。あの娘はいい靴になったわ♥」
なんと、殺して皮を剝いでしまったのだ。
こういう鬼畜な奴らだが、一人が政争に敗れて支配下に置いていた村に逃れると、なにか祭をやっている。
「そうか、わしらを迎えているのだな。」
が、なんと、祭の中央を見ると、
(ここからネタバレになります。注意)
「人間の皮っていいわー」とほざいていた3人組の生首が串刺しにされている!
半開きの目と口が恐ろしい。
「こここここ、怖い・・・」。
驚愕する彼を村人たちが捕まえる。
「もう奴隷はいらない。お前達に復讐する!」
因果応報というか、当たり前っていえば当たり前なのだが。
あれだけひどい事をしておいて、自分たちが虐げてきた人々が自分を匿ってくれると思うのが調子いいのだが。
彼も「串刺しされた生首」の仲間入り?をし、最後、整然と振り付け通りに踊り、太鼓を叩く村人たちとの対比がとんでもなく恐ろしい。
「この人たちって、結局根っこは同じなんじゃないだろうか・・・」。
「打ち首」で済んだが、これが中世西洋なら「とろ火で火あぶり」とか、古代中国なら「体を指から1本ずつ切っていって」とか、「首だけ出して生き埋め」とか、いやいや。
「人間とは何か、社会とはどういうものか」を描いているこの作品から、目を離せないのである。
漫画「釣りバカ日誌」の主人公「ハマちゃん」は、父親から、
「人を殺すな。殺さされるな。自ら死ぬな」
だけを教わったというエピソードを読んだことがあるが。
せめて最期は戦争とかではなく、安らかに手を組んで成仏したいものです。
おまけ:本日、安らかな死を迎えた皆さまの魂が、無事あの世に辿り着けますように。