なんだかアクセス数が増えているようで、ブロガーとしてはここはひとつバズらせる記事を書くべきであろうが、わたしは日記代わりに書きたいことを書く主義なので、今日の記事に失望した人がいたとしたら、ごめんなさい。

 

わたしは「英語だけが取り柄」で仕事をしてきた人間だが、最近オンラインでイギリス人に

「あなたの話がさっぱりわからない。どうしてあなたは勉強しているの?ネイティブみたいに話すため?」

と尋ねられ、考えこんでしまった。

 

はて、どうしてわたしは英語に興味を持ったのだろう。

 

思い当たるのは中高時代、勉強もせずにアメリカおよびブリティッシュのハード・ロックを聴きまくったことである。

 

なんだろう。なにか、叫んでいる。

 

見知らぬ国の、見知らぬ若者たちの叫びが、どんよりとした十代の自分の閉塞感によく共鳴した。

 

日本は高度成長期。

進学校にいたわたしたちは、周囲の無言のプレッシャーにさらされていた。

「猛勉強して、地元の国立大学に入りなさい。四大卒の女子は就職できないから、教師か公務員になりなさい。」

「そして、結婚したら仕事を辞めて、主婦になりなさい。子供は二人産みなさい。旦那さんに養ってもらえば、一生安泰だから。」

男性はというと、

「就職したら『社畜』になりなさい。奴隷のように24時間働きなさい。家庭の事は妻に任せなさい。とにかく会社の命令に従えば、老後は安泰だから。」

 

そんな訳、あるか!

 

そんな社会への反抗心が、音楽にのって叫びまくる外国人たちの音楽にシンクロナイズしたのである。

そしてある日、「なんだか、何を言っているのかわかる・・・」。

「英語が聴き取れる」ようになっていたのである。

 

この人たちの気持ちがよくわかる。

もっと、たくさんの人の気持ちがわかるようになりたい。

 

標題は1990年頃、一世を風靡したアクセル・ローズ率いるガンズ・アンド・ローゼズのヒット曲である。

映画「ターミネーター2」のエンディングに使われている。

 

Youtubeで無料で聴けるから、興味のある人は聴いてみてください。

 

歌い出しからわかるのだ。「この人は、絶望している・・・」。

 

You could be mineは、この場合、「仮定形」である。

実現しなかった願望だ。

 

おまえは俺のものだったはずなんだ

俺のものになれたんだ

なのに なんでおまえはそうなんだ

俺のものになれたはずなのに

 

英会話の若いアメリカ人が「この曲の由来」を調べてくれた。

「これは、別れた妻に送ったものであり、」

「つまり、男は妻に『未練たらたら』なんだよね。」

「ナニ?その日本語?」

 

おまえは俺のものだったはずなんだ

どうしてわからない

(おまえをまだ愛しているんだ!)

(おまえを絶望的にほしいんだ!)

 

最後に絶叫のようなフレーズがあり、

You could be mineの中に一文だけ、

You should be mineが入る。

 

おまえは、俺のものになるべきなんだ!

 

この絶望感が今の気持ちに妙にマッチするので、友だちがくれたCDを繰り返し聴いている。

 

ところでわたしたちがストレスと感じた「いい大学を出て就職・結婚」のその後の社会はというと、

 

バブルははじけ、企業はリストラを始め、ロスジェネは歳を取り、年金は目減りし、

 

「全然薔薇色じゃないじゃん!嘘ばっかりじゃん!当時の大人たちの言っていたこと!(絶叫)」。

おいこら、当時の社会のお役人たち、責任を取らんかい。

あんたたちがいつまでも「男性は終身雇用で退職金2千万円、妻はパート、持ち屋で年金22万・・・」

などというたわごとを政策の中心にしていた結果が、日本の社会、この有様である。

 

わたしたちの「いいのかな?ほんとにそれでいいのかな?」と感じていた閉塞感は正しかったのである。

(それを今言ったところでもう仕方がないが。)

 

自分の人生はもうやり直しができないが、せめて若い世代がこの閉塞感溢れる世界をどう生き延びていくのか、それを見届けたい。