「東京物語」:

話には聞いていたけれど、原節子の眩しいばかりの美しさ!まさに、「生きた伝説」である。

 

のっそり、ゆったりと歩く老夫婦を見ていて、「これが撮られたのは70年前だから、」このおばあさんはきっとまだ60代なのだろうなあ、と思っていたら、やっぱり68歳という設定でした。

 

昔は新幹線がなかったから、「東京へ行く」は「海外に行く」ようなものだったんだよね。遠い道をわざわざ上京してみれば、息子も娘も「仕事で忙しい」ということで、戦死した息子のお嫁さんの原節子だけが優しく、という粗筋は知っていたのだが。

 

「この子ども達はもう自分たちの家庭があるから、両親は『ソトの人』になってしまっているんだな・・・。」

自分の家庭を持たない未亡人の嫁だけが優しくしてくれるのである。

(でも、母親が亡くなった後、「わーっ」と泣いた後ですぐに「形見分けちょうだいよ」などと言い出す娘もどうかと思うけれど)

 

「秋刀魚の味」:

これは前の作品より10年ぐらい後のものなので、もうカラーになっている。こちらも粗筋は既に知っていたのだが、なんだか「むかっ」とするところが多く、入り込めなかった。

 

娘を「やる」って、そりゃ何やねん!!

 

最近、「昭和は輝いていた」などと昭和時代を懐かしむ声が大きいが、わたしは昭和の生まれだが、昭和にもう一度帰りたいとは思いません。昭和の時代、平和だったのは「企業に終身雇用されている大卒の男性」だけである。女性とか、身体障害者とかはそれはひどい扱いをされていたのだ。

 

その昔、「賞与前の定期面談」なるものが会社であった時、男性社員は「もっと頑張らなければ」などと励まされたのだが、わたしの先輩の女性は「『結婚退社するときは、会社の迷惑にならないように早めに言ってね』だけだった」と複雑な顔をしていた。(自分についてはどうだったかは忘れました。)

 

「きみ、いくつ、3?4?」

「4ですわ(24の意味)」

「じゃあ、そろそろいかなくちゃね」

 

あああ、思い出すと体中がポリポリとかゆくなる、このやり取り。

 

わたしは、パソコンとネットとオンラインミーティングのない時代には戻りたくありません!

 

唯一好きだったのは、息子との「お前、好きな人いるのか?」会話である。

「太ってるんだ。小さいんだ。可愛いんだ」

このテンポがなんだかたまらなかった。

ああ、ほんとに好きなんだなあ。

 

今日はまだ3日だが、近所のジムが「特別営業」している。

家にいると寒いので、早速初筋トレしてきます。