この人の作品はいつもとても面白いのだが。

 

いやー、今回も面白かった、というか、痛快でした!

 

タイトルからして、「定年になっていわゆる『粗大ゴミ』になっている、しょうもないオヤジを皆がよってたかって改造する話かな?」と思ったのだが。

 

否、「自分の考えはどうやら間違っていたらしい」と気がついた主人公が、自分を改造していく話です。

 

定年まで家族のために働いたのに、妻は「あなたといると、息が詰まるんです」と「夫源病」を宣言する。

娘は30過ぎて嫁にも行かず、父親を軽蔑して「アンタ」呼ばわりする。

離れて暮らしている嫁はあろうことか幼子を2人残して働きに行くという。

で、その「お迎え」をわざわざ自分に頼んでくる。

 

なぜだ?

 

「子育て」って、女の仕事じゃないのか?

大きくなっていく子供の笑顔を見ることが、女の最大の幸せじゃないのか?

 

これを打ち破ったのが、実家の兄・姉。

「お母さんは優しくて、家族に尽くして・・・」と懐かしむ彼に、兄たちは「いや、お母さんは子供が大嫌いだったし、すごく怖い人だったから」。

「お前は末っ子だったから、お前の頃にはもう肩の荷が下りて優しくなっていたんだよ」。

 

そして兄が展開する理論が、

 

「そもそも、『男は外で働いて、女は家を守る』というのは大正以降、国が男どもを死ぬほど働かせるために思いついた政策だ。」

そう、それ、私も聞いたことがある!

 

江戸時代は女性は地位こそ低かったが、実は結構働いていたのである。

昭和、特に戦後になってから、「家のことは女がすべてするのが当たり前」ということになってしまったのだと。

 

そして、やむなく孫たちのお迎えをすることになった主人公が知ったことは、「実は育児って、ものすごくしんどくてちっとも楽しくなんかない」ということ。保育園で出会う若いお母さんたちは皆、目の下に隈を作っているし、疲れ果てている。

保育園ではおむつも替えてくれないし、「朝食はご飯にお味噌汁にしましょう」なんて無茶を平気で言ってくる。

(んなもん、一人暮らしの私だって作らんわい!)

 

何年か前、幼子を2人置き去りにして遊びに行ってしまい、餓死させた母親がニュースになり、社会は「鬼のような母親」だと騒ぎ立てたが、私にはなんだか彼女の気持ちがわかった。

「もう、ぱんぱん」だったのである。

 

保育園の母親たちは「少しでもいいから自分の時間がほしい」と嘆く。

「あー、そういえば。」

 

何年か前、休日に入ったレストランで赤ん坊連れの若いお母さんが待合椅子の隣に座った。

その赤ちゃんがあまりに美形だったので、「気味悪がられるかな」と思いつつ、「(赤ちゃんが)睫長いですねえ」とお母さんに声をかけてしまったのである。

 

その時の彼女の反応が、嬉しそうではあったのだが、「今日が3ヶ月検診で・・・」という話で、私は

「?赤ちゃんのことを言っているのに、なぜ自分のことを言うの?」

と内心思ったのだが、あれは「誰か自分に話しかけてほしかった」のだ。

 

主人公はだんだん「嫁」の目線になってきて、洗濯物を畳んだり、お皿を洗ったり、ついには味噌汁まで作ってやるようになる。

そして休日には嫁に「コーヒーでもゆっくり飲んで来なさい」とさえ、言うようになる。

大喜びする嫁は、次第に彼に自分の本音を明かすようになってくる。

なんと、家事も育児もまったくしない、彼の息子たる自分の夫に殺意さえ感じると。

 

「あかん。これでは将来、息子は妻に捨てられてしまう。」

そして彼が嫁と相談して練る「息子改造プロジェクト」が痛快である。

 

プロジェクトは大成功で、息子は「子育てがこんなに大変だとは思わなかった・・・。」

 

主人公は妻にさえ優しくなり、自分の食事は自分で作るようになる。

妻は言う。

「私が病気の時、あなたは『俺は外で食べて来るから』と言って、私に食事さえ作ってくれなかった」。

 

そう、それ!

 

何年か前、漫画「OL進化論」にも出てきたし、よく聞く話である。

「私、熱があるから・・・」

「あ、じゃあ僕、外で食べてくるよ(無邪気)」。

え?私と、子供のご飯はどうなるの?

夫はどうやら、「俺ってなんていい夫」と思っているらしいのだが。

 

やっと本音を明かし合えるようになった夫婦はなんだか、いい雰囲気。

娘は言う。

「私だって12年働いただけでボロボロなのに、家族のために40年働いてきたアンタは偉いよ」。

 

誰もがハッピーな最高の結末。

 

全国の男たちよ、ぜひこの本を読みなさい!!