ソ連で第二次大戦に従軍した女性たちのインタビュー集であるが、ウクライナ戦争で再び注目されたようです。
やはり順番待ちでした。
ギリシャの『女の平和』(*男どもが戦争ばかりしたがるので、妻たちが「いい加減にしやがれ」とブチ切れて「夜一緒に寝てやらない」ストをやり、男たちに「参った」と言わせた)以来、「戦争なんかしたがるのは男だけ」というのは常識ですが。
だって、妊娠していたり、子供がハイハイしたりしている時にどうやって「爆撃から逃げろ!」なんて言うんですか!
と思って読み始めたら、それどころの話ではなかった。
「おかあさんがドイツ軍と寝ている。おかあさんを殺して!」と家から飛び出してくる子供。
「家に帰りたい。おとうさん!おかあさん!」
ここでもはや、涙ぼろぼろである。
あとはもう、電車の中で泣きながら読み続けた。
「第二次大戦の特攻隊で、『天皇陛下万歳』と叫んで死んだ兵士が一体何人いたか?
一人もいなかっただろう。皆、『おかあさん!』と叫んで死んでいったはずである」
というのは、どこかで読んだ記述であるが。
出陣が決まった女性が自分の身長より長い銃を引きずって店を訪れる。
「チョコレート菓子をください。」
皆が振り返る。配給制になっていたなんて知らなかった。
でも皆が次々に言う。
「この子にチョコレート菓子をあげて!」「あげて!私の配給券を使っていいから!」
私が知る限り若い娘というものは、
朝起きて、「いつもはピンクの口紅だけど、今日は赤を塗ってみようかな?」
塗ってみて、「駄目!やっぱり派手!」と慌ててぬぐい、
「今度オレンジを買ってみよう」。
12センチピンヒールに憧れて挑戦し、店員さんは「お似合いですよ」と言ってくれたのだが、
「だめ!ぐらぐらして、とっても無理!」とギブアップ。
新しい服をボーナスで奮発し、鏡の前でスカートのプリーツを広げて「へへへへへ」。
彼氏が急に顔を近づけてきたので「あっ、キスする」と目を瞑ると、
「前髪にゴミがついていたよ」と言われて、「なあんだ」とがっかり。
親子連れを見ると、「いつか自分もああなるのかな。」
素敵な家を見つけると、「自分もこういう家を建てられるといいなあ。」
でも、戦争の中に放り込まれると、
「わたしはすっかり白髪になってしまい、おかあさんに会いに行くとおかあさんはわたしがわからなかった。
『こんな何もないところですが』と言って。」
ゲシュタポに捕虜になることは死よりも悪い。「裏切り者」とされるからだ。
隊長は弾が尽きたので、石に頭を打ち付けて死ぬ。
他の隊長は、(これはゲシュタポにであろうが)捜索されて見つからなかったので、
「家族が全員絞首刑にされた」。
母親が撃ち殺されたので、死体の中をかき分けて指輪からおかあさんを見つけ、
「わたしは叫びだして、それから何がなんだかわからなくなってしまった。
おかあさんは、わたしのせいで殺されたの?」
母親は戦争が終わると預けていた自分の息子に会いに行く。
幼い息子は自分がわからず、
「おかあさんは死にました。」
「わたし」はたまらず、「おかあさんよ、わからないの?」
息子は「おかあちゃん、僕のおかあちゃん!」としがみついてきて泣く。
戦場で恋もする。
兵士が、「あの、親切だった看護婦さんに・・・」
それはわたしではないかもしれないのに。
ゲシュタポに捕まった女性は「両足の間に手榴弾を置かれて」彼女の前に兵士たちが列をなす。
「パンツが血だらけだった。」
「戦勝記念日」は大嫌い。
「お前は女じゃないよ、兵士だろ?男どもの中でなにをしていたんだか」
皆が白い目で見るようになったから。
「日本は平和ぼけしている」:それは知っている。
「自国の防衛を真剣に考えていないのは日本だけ」:それも知っている。
「仮に攻め込まれても、アメリカはきっと何もしてくれない」:それも知っている。
でも、私は絶対「憲法第9条改正反対」。
100歩譲って軍隊を認めるとしても、それは「戦争をしない」ためである。
それでも、「戦争だ!」と叫ぶ輩がいたのなら。
よござんす。
でも、戦争とは「人と人とが殺し合う」ことである。
あなたは無残に殺される覚悟があるんですね?
「もちろん」
彼(彼、だろう)が毅然と答えたなら。
では、あなた年老いた両親が瓦礫に生き埋めになり、じわじわと焼き殺されても平気なんですね?
自分の美しい娘が汚らしい男たちに囲まれて髪を振り乱して半狂乱になって、とぼとぼ歩いても平気なんですね?
可愛い孫が炎の中で「おとうさん、おかあさん!」と泣き叫びながら走り回ることになっても平気なんですね?
たいがいの若い男子が「女と無理矢理やる、って一回やってみたいよなー」と言っても、
「じゃあ、君は自分のお姉さんとか妹とかがそういう目に遭っても平気なんだね?」
と言うと、一様に黙ってしまうという。
日本は75年戦争をしていない。素晴らしい!
ぜひもう25年、いや永久にやらないでほしい。
もし将来、それでも「戦争」を主張する政治家が出てきたなら。
私は80になっても、90になっても、体が動く限り這ってでも東京に行って、
「戦争反対!」
のデモに加わるつもりである。
*久しぶりにヒートアップしてしまった。
でも、そう思わせるだけの価値のある一冊です。
惜しむらくは、訳者の三浦みどりさんが故人であること。
ご冥福をお祈りいたします。