ネットで好き勝手に批判する人たちへ | 翻訳なんて...

ネットで好き勝手に批判する人たちへ

いやーまいりましたな。

 

昨夏の甲子園で高校野球を見て以来、野球熱が再燃しています。

 

この春は、少年ドラゴンズ会員としてよくナゴヤ球場で応援していた中日のキャンプを沖縄で見学。

今シーズンは神宮、横浜、名古屋で(そして来週は千葉で)野球を観戦しています。

一方、サッカー翻訳者でありながらサッカーの試合はごぶさたしがちです。

 

けど、野球って1試合3時間くらいかかるし(しかも中日は延長戦までもつれがち)、サッカーと違ってほぼ週に5、6日はやってるのよね。さすがに毎回は見ていられませんが、膨大な時間を観戦と試合後の記事チェックに費やしているわけです。

 

30代、40代の頃なら仕事で忙しくて不可能でした。これは翻訳者として衰退か発展なのか?私は発展ととらえています。あくせく働かずに、学習と運動も持続しながら、余暇の時間を十分に確保できているわけですからね。

 

ただし、心の揺れが激しくなりました。この中日というチームが、なにしろ打ってくれないのです。ここぞというところで。ノーアウト満塁で点とれませんでした、なんてこともザラ。もうしょっちゅうガッカリしちゃうわけです。

 

イライラの種が増えてしまったというか。私だけじゃないはずです。ネットを見れば、大勢のファンが批判、避難、ときには誹謗中傷を、応援しているはずの選手やチームに浴びせています。

 

私は名古屋の友と愚痴を言い合って消化できますし、言葉のプロとしてそんな真似はしませんが、気持ちはわかります。ですが、身勝手な批判者になってしまうのは、①リスペクトを忘れてしまっているから、②自分を棚にあげるから、ではないでしょうか。

 

選手が打たないなら俺が打つ!とばかりに、ひさびさにバッティングセンターへ行ってみました。すると120kmのボールはなかなか当たりません。100kmは当たりますが、なかなかいい当たりが出ません。80kmはたまにいい当たりが出ますが、もし守備がいたら全部アウトになりそうです。

 

プロはその倍ちかくのスピードで向かってくる、はるかに重くて硬い球を、金属ではなく木のバットで跳ね返します。しかもストレートばかりではなく、とんでもない変化球を織り混ぜられ、どこに投げがれるかもわからず、場合によってはぶつけられて骨折するかもしれない状況で打つのです。

 

打つことの難しさを改めて体感すると、ノーアウト満塁で凡退したとしても、がっかりはするものの、まあしょうがないか、という気になれます。

 

つまり、何事につけ批判ばっかしてる人たちは、自分でやってみたほうがいい。曲がりなりでいいから。バッティングセンターなんて本物の野球とはかけ離れているわけですが、それでも気づきます。

 

自分は関係ない、ただの批評屋だからと他人事で終わらせず、できる限り立場に沿ってみること。それが、自分を棚に上げずに他者へのリスペクトを保つための秘けつではないでしょうか。

 

増えたのはイライラだけではありません。勝利の美酒、いや、美マミー。谷が深いほど山を制覇した喜びは大きい。ただでさえ浮き沈み大きめの人生に、新たなアップダウンが加わったといったところでしょうか。

 

家庭を持つことも、いってみればアップダウンの追加です。浮き沈みのない、平坦な人生を望む人もいるでしょう。どちらが良い、悪いというわけではありません。私としては、せっかくの人生、ずっと寝ているかのように穏やかに過ごすよりも、ダウン覚悟でアップを楽しみたい。それだけのことです。もちろんのんびりも大切ですけどね。


ピッチャーフライ、キャッチャーフライ、サードゴロの三者凡退