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息子が東大を目指しています その後

時間ができたら結末を報告しなくては、とずっと思っていたので、コロナ療養中のこの機会に。

 

当時はパンデミック1年目で、長男は高校3年生だった。予備校でもあの林先生、村瀬先生らが教える東大特進クラスに通っていた。

 

背伸びしていい、と背中を押したのは僕だった。どうせ現役で受かるわけがない。でも、それでいい。翌年の春までにコロナが収まるとはとても思えず、だとすれば学生生活は満喫できない。だったら入学は1年先のほうがむしろベター。ただし、本人が最初から2年計画で勉強するのは違う。それでは気が緩むだけだ。こちらの思惑は伏せ、本人には現役合格を目指してもらおう。

 

自ら目指しただけに、十分頑張っていたと思う。そして迎えた共通テスト。失敗した科目もあり、足切りレベルではなかったものの、2次に向けて決して有利な状況ではなかった。

 

そして想定外のことが。本人の心が折れてしまった。僕は何もわかっていなかった。人の気持ちなど、まるでわかっていなかった。自分の息子の気持ちさえも。

 

別に落ちてもいいじゃん、あと1年勉強して受かれば問題ないっしょ。1年の浪人なんて何のハンデにもならんし。越後湯沢のリゾートマンション、貸してあげるからこもって勉強してきたら?ぐらいに思っていた。

 

しかし本人にとって、あと丸一年も結果保証のない苦行を続けなければならないというのは、どれほどつらいことか。もう嫌だ。すぐにでも解放されたい。それが本人の願いだった。

 

もういい。十分頑張った。そもそも僕は大学進学がすべてだとも思っていない。でもせっかくここまで来たわけだから、現役合格の望みが高そうな学校に志望を変えたらどうだろう。もう少しの辛抱だ。

 

ただ、もともと一流校に内部から進学できる資格を捨てての挑戦だっただけに、それ以上でないと本人も納得できない。しかもそれまでの対策講座は水の泡。急いで新たな対策を始めるしかない。

 

結局、浪人が決定。2次発表後は見たことがないほど落ちこんでいた。戦犯は、子の気持ちをまったくわかっていなかった父だった。

 

それでも翌日には元気を取り戻し、コロナで3月末に延期になっていた修学旅行にも胸を張って参加した。

 

2021年4月、浪人生活がスタート。新たな志望校は語学系国立大の英語科。弁解しておくと、周囲には勘違いされがちだが、僕は一切すすめていない。高校もそうだった。英語の名門校を目指すと言ったが、僕は大反対した。英語なんて単なる道具だ。何かを知り、学び、意思疎通するための手段にすぎない。それが自動化されつつある時代に、今さら学んで何になる?それでも勉強したい、というのだからしょうがない。

 

罪滅ぼしに協力した。特に最初の半年ほどは毎晩のように付き合った。朝、NewYork TimesやGuardiansから受験生でもぎり読めそうで、なおかつ試験に出そうなテーマの記事を選び、しっかり読むように指示。夜、構文が取れなかったところや意味を理解できなかったところについて質問を受ける。最初はその対応だけでも小一時間かかったものだ。

 

なぜそんなことをしたかと言えば、志望校を含め、難関校を中心にニュース記事からの出題が増えいてると感じたから。そして、読解問題に必要な時間を短くし、エッセイのライティングにかけられる時間を増やすため。加えて、エッセイ問題の添削。この2つで、英語力は相当上がったのではないかと思う。ちなみに予備校には行かず、駅前の自習室を借りていた。

 

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秋になって(私立受験で有利になるということで)英検準1級、英検1級をダブル受験した。もちろん対策などしている時間はない。準1級は問題ないと思っていたら、ふたを開けてみると1級も受かっていた。それ見たことか!「金のフレーズ」だか「でる単」だか何だか知らんが、そんなしょーもない単語帳に頼る中級者の勉強法をどれだけ続けても、真の上級者にはなれない。

 

僕自身もそうだし息子もそんなものに一切頼らず、文脈の中で語彙力を上げていった。正直、彼の語彙力問題の点数は平均以下だったけど、そこでは決まらない。それを補って余りあるライティング力があれば問題ないし、そっちの力のほうが価値は高い。そう、大学受験もレベルが上になるほどライティング勝負になる、と僕は思っている。

 

その英語力を武器に連戦連勝を重ね、第1志望にも合格。私立の合格校のひとつに入学金として支払った20万円は戻ってこないが、僕の母校への寄付という形になり、辛うじて納得できた。といっても確定申告ではその扱いにできないけど。

 

その裏では高校受験生だった次男の活躍があった。勉強嫌いながら、自分なりに行きたい都立高校を見つけ、サッカー部員らしい追い上げで「ちょっと厳しい」という塾の予想を裏切り見事合格してくれた。そのおかげで、長男が私立へ進んだとしても金銭的にどうにかなるという状況が生まれ、兄のプレッシャーを和らげてくれた。

 

この春からは、ふたりとも2年生。かたやダンスサークル所属の金髪、かたやドレッドヘアにピアス(行きたかった理由は校風闊達)とチャラさ全開で、あまり近くで見てると(自分自身の学生時代を忘れて)イライラしそうだからベックと湯沢へ行こう、と思うこともあるが、当時の彼らの頑張りはなるべく忘れないようにしたい。