50を前に自分のおこがましさに気づく | 翻訳なんて...

50を前に自分のおこがましさに気づく

本日で50の大台までワン・イヤー・トゥ・ゴーとなった。

(いえ、誕生日おめでとう要求じゃないです!でもありがとう)

春に健康を考えて夜間の帯仕事から完全撤退した。

安定収入を失ったが、後悔はまったくない。

最近は夕食後に眠たくなると素直に寝ることも多い。

すると朝3時や4時に目覚めて、「ゾーン」に入ることができる。

一方で、この年齢になっても徹夜を続けて仕事を仕上げることもある。

われながら見かけによらずタフガイだと思う。

 

昨日も9時に寝て3時に目覚ましをセットしていたが、

なぜか0時半に起きてしまった。

さすがにあまりすっきりせずゾーンにも入れないので

ブログを書くことにしたというわけだ。

きっと昼ごろ眠くなるだろう。

今日は翻訳学校のオンライン講義もあり

(あれ、時間的にケーキはひとりで食べることになるのか?)

このままオールというわけにはいかない。

それにしても、オンラインじゃなくなったらどうしよう?

通勤に1時間弱かかり負担がだいぶ大きくなる。

コロナには消えてほしいが、「功」は残してあげてほしいものだ。

 

以前ブログに「40代のうちにやっておきたいこと」

みたいなのを書いた気がする。

内容は全然覚えていないが、

かなり達成できた感覚でいる。

訳書を出せたのが一番大きいかもしれない。

夢はまだまだある。

50の手前で「夢」とか言ってる人

(しかもそれなりに動いてる人)って、

何パーセントくらいなんだろうか。

イタい、とはいわないまでもオメデタいし

いまだに自分を過信しているという意味では

「おこがましい」のかもしれない。

(おこがましい、って自分で気づいたら、

もはやおこがましくないのか?)

 

いや、かもしれない、じゃなくて僕はおこがましい。

それに気づかされた。

あなたも同じかもしれない。

 

学生時代の友人が贈ってくれた新書を読んだ。

母校で事務をしていて、著者の先生と親しいようだ。

「英語の思考法」(井上逸兵、ちくま書房)という本。

いわく、米国人には米国人のタテマエがある。

 

僕はこんなふうに思ってしまう。

ずけずけとものを言う人がいると

「自分の考えを押しつけんなよ」

「自分は絶対に正しいと思ってんの?」

 

米国人はずけずけものを言う。

でもそれは井上先生いわく、背景に「独立志向」があるからだ。

それぞれが独立した個人。

自分はこういう考え方だけど、

受け入れるか受け入れないか

信じるか信じないかはあなた次第。as you like。

 

なるほどそうか。逆にずけずけ言わない僕は、

無意識のうちにこう思っているわけだ。

「自分の意見は、きっと受け入れられる、少なくとも尊重される」

「へたなこと言ったら、この人に影響を与えて不幸にしてしまうかも」

そう考えて、ものを言わない自分は「控えめ」、

米国人は「でしゃばり」であるかのような固定観念がある。

しかし見方を変えれば、

自分の意見に対して相手には取捨選択の権利がない

かのような前提は、おこがましいこと極まりない。

 

たぶん、典型的な日本人なんだろう。

相手を気遣っての、相手に配慮しての「ずけずけ言わない」。

でも裏を返せば、それって相手の独立を軽視しているということだ。

僕が何をどう言おうが、

相手には相手の考えがあり、判断がある。

というわけで、これからは相手を尊重しているからこそのずけずけ、

というのを取り入れてみたい。

 

おこがましさをランキングで表すなら、

3位は堂々意見を言うけど判断は相手に委ねる米国人

2位は思いやりの裏で相手の独立性を軽視している僕を含む日本人

1位は日米問わず、ずけずけ言うし「自分の意見は絶対」という考えの人

ということになろうか。

1位はたとえば誰?

トランプさんや坂上忍が思い浮かぶかもしれないが

僕にはひとり心当たりがある。

それは普段の前提のままで好き勝手なことを書く、

ブログ(ネット上)での自分。

これは改めていかねばならん。

だけど、自分でおこがましいってわかってるだけマシじゃない?

 

初の訳書がサッカー界の文学賞を受賞!サッカー本大賞2021の特別賞(CB賞)をいただきました。(この本のためにつくられた特別賞だそうです)

 

訳書第2弾。『ファクトフルネス』の関美和さんに声をおかけいただき、コラボさせてもらいました。勉強になりました!

 

11歳のベックも元気です。