ダメな訳文をダメと言ってくれる友人はいますか? | 翻訳なんて...

ダメな訳文をダメと言ってくれる友人はいますか?

「初回で期待したけど、2回目でガッカリした」

通訳翻訳ウェブで連載中の僕のコラムを読んでくれた、ある友人の感想である。僕は思った。こいつは桑田真澄かと。いい気持ちになっていたのにとがめられ、煙たく思った清原和博の気持ちが分からないでもない。

が、僕はそのへんの清原とはワケが違う。真澄を遠ざけたりはしない。シャブシャブ言ったりはしない。厳しい批評を素直に受け止め、次に生かそうと考えた。第4回のコラムは、彼の意見を自分なりに咀嚼しながら書いたつもりである。もちろんシャブには頼らずに。その後彼に会っていないので、どう評価してくれたかは分からないが。

それにしても、ダメなものをダメと言ってくれる友人というのは、なかなか得がたいものではないだろうか。もちろん、思ったことを口に出すタイプの人間を友人として受け入れ、面と向かってダメ出しをされても素直に耳を傾けられるだけの度量というのも、こちらサイドに求められる(自賛)。そして、そういう関係は一朝一夕で築けるものではない。昨日今日の知り合いに酷評されれば、仏の僕でさえ感情が先に立ってしまうに違いない。

だから真澄のような友人(ていっても全然タイプ違うけど)というのは、今さら新しく作れそうにない。もちろん何でも褒めてくれる友人や一緒に喜んでくれる仲間もありがたい。けど、もう「生産終了品」なんだと思うと、真澄が貴重な宝物に見えてこないでもない。

彼に訳文を読んでもらったことはまだない。きっとチェッカーや翻訳仲間とは違う視点で意見してくれるはずだ。

この1カ月、翻訳仕事続きで自分の文章を書いていなかったので、コラム第5回にとりかかる前にウォームアップがてら書いてみました(^_^)