保育所に勤めていた頃
わたしはよく、白石先生の本を読んでいました
また、講演を聴きに行くこともありました
初めて手にした白石先生の本
タイトルを見て"ほほぉ~!"となったのを覚えています😊
発達は、子どもの発達への願いからはじまります
この願いを発達要求と言ってもよいでしょう
発達要求は子どもの要求とイコールではありません
発達のらせん階段を一歩一歩登り
自らを高めようとする願いです
発達要求のあるところには表裏の関係をなして
必ず「そうならない自分」があります
この発達要求と現実の自分とのへだたりが大切なのです
発達の矛盾、それは子どもの発達への願いと
今の自分の発達のレベルの間に生じたへただりのことだと
仮に定義してこの本の一歩を記すことにしましょう
子ども自身がそのことを認識し、のりこえていこうとする力を持つとき
その矛盾は発達を前に進める力、発達の原動力になるのです
本の一節にはこのように書かれています
先日、もう一度この本を読み返したくて読んでいたのですが
これは子どもたちだけではなく
わたしたち大人にもいえることなんじゃないのかな…
って読んでいて感じました
本の一節にあった
発達は、子どもの発達への願いから始まります
という部分では、年齢に関係なく
"こうなりたいじぶん"っていう願いが一人ひとりの中に存在していること
なのかな~?とわたしは感じました
そんな風に感じていたときに そういえば…と
思い出したことがあります
それは、はせくらみゆきさんの書かれた本
「夢をかなえる、未来をひらく鍵 イマジナル・セル」でした
この"イマジナル・セル"というのは
~サナギから蝶になるときに出現する蝶になるための細胞のこと~で
タマゴの時からイマジナル・セルはあるのですが
活躍するその時まで根気強く準備をしながら待っている細胞らしいのです
そこで、はせくらさんは
わたしたちの中にある想いの力、夢見る力が
イマジナル・セルとなって周りを世界を照らしていくんだよ
と伝えてくださっています
そこがね、子どもたちの発達への願いや
わたしたち大人にもある
"こうなりたい" "やってみたい"という
想いの力や夢見る力と同じなんじゃないかな~?と😊
白石先生の本にも書かれていた
発達要求のあるところには
必ず「そうならない自分」があり
この発達要求と現実の自分とのへただりが大切なのです
と書かれているように
わたしたちも、じぶんの中にある想いや夢見ることと
そこにまだ至っていないじぶんに気づき
その隙間をうめようとすることが
じぶんを高めることや魂の成長に繋がったりするんじゃないかな~と
感じたんです
そういう意味では人間は死ぬまで
発達し続ける・高め続ける生き物なんだな~と思います
だからこそ悩んだり、迷ったりしながら
人として成長していくんだなぁと
改めて感じ直すことができました
保育所を退職して様々な経験をしてきたからこそ
また違った側面から発達の本を捉えることができて
とても新鮮でした😊
最後まで読んでいただき
ありがとうございました!