「乗り越える」ってなんだろう。

 

 

私は、「乗り越える」という言葉が嫌いだ。

嫌いというより、とても違和感がある。

 

 

今日、スーパーで買物をしながら思ったことがある。

「ああ、私、乗り越えたんだな。」と。

そう気づいた。認識した。

 

 

スーパーで買い物してる夫婦を見ても、

子ども連れで買い物してる人を見ても、

何とも感じなかったから。

普通に微笑ましいだけなことを認識したから。

 

 

私は5年前に離婚した。

私が希望して離婚した。

 

 

それでも仲良しだった私たちは、

離婚してからも毎週会っていた。

人として。前もこのブログに書いた。

 

 

 

 

私たちが離婚して3年経った2年前の年末に、

元夫が彼女ができたと伝えに来た。

そのときの話も色々あるのだけど、

そのとき、初めて気づいた私の事実がある。

 

 

それが、「私の方が彼を好きだった」ということ。

それまでずっと、彼の方が私を好きだったと思っていた。

だけど、彼女ができた事実を知ったときに

初めて、自分のその気持ちに気づいたんだ。

 

 

心は、もう冷めている。

夫婦としても冷めている。

一緒にこれ以上生活もできないともわかってるし、

そう思ってる。

 

 

でも、これまでずっと、私の方が彼を好きだったという

事実だけは、これは間違いないと、

ようやく認識した。

 

 

そこからの私の心はとても乱れた。

とんだ勘違いであり、自分のほうが好きだったと

本当はどこかで気づいていたんだと思う。

今思っても、彼が私の内面に関心がないことは

当時からずっとわかっていたもの。

 

 

でも、私のほうが好きとか、

本当は嫌いなんじゃないかとか、

認めたくなくて、向こうから言われる前に、

自分から離婚を切り出したんだと思う。

捨てられる前に。。

まあでも、別の意味でも限界だったんだけど、

長くなるから割愛する。

 

 

元夫がその後転勤になり、物理的に距離が離れた。

その1年後、彼に子どもができたことを知る。

 

 

お父さんになりたい彼のことを知っていたから、

ほんとうに、良かったと思った。

私は、子どもをうめなかったから。そこに、

ずっと罪悪感みたいな気持ちもあったから。

 

 

祝福はしてる。本当によかった。安心した。

彼は幸せに向かってる。

私と離婚して、離れて、彼の幸せに向かってる。

そう思って嬉しかった。

 

 

でも同時に、彼女がとても若い人で、

私が彼と結婚したときの年齢の人だったから、

「この人は、あの頃から、もう一度人生をやり直すんだな」

「私とできなかった人生を、もう一度別の人と、別の愛する人と

やり直すんだな」

と思って、

かなり泣いたの。

 

 

彼女ができた直後は、

スーパーに行くのもきつかった。

普通に買い物してる夫婦を見て、

もう一緒にスーパー行くこともないんだなと思ったし、

野菜や肉を選んでる夫婦を

見たくない気持ちがいっぱいだった。

 

 

子どもができたのを知ってからは、

赤ちゃん連れて歩く夫婦を見るのも辛かった。

 

 

私だけが置いていかれてる気がして。

 

 

他人が見れば、こういうことだって、

ただの失恋みたいに見えると思う。

でも、そうじゃない。

 

 

今はスーパーに行っても何も思わなくなった。

そして今日、

「ああ、わたし、乗り越えたんだな。。」

って思えた。

 

 

これを乗り越えるっていうんだと思った。

乗り越えるって、自分が後から自分に

言ってあげる言葉なんじゃないかと思った。

 

 

乗り越えようとか、乗り越えたんだねとか、

人は色々言うけど、

乗り越えるって、そんな一言に片付けられないほどの

いろんな気持ちが混ざってる。

 

 

過去の自分の、当時の自分の

たくさんの本当の気持ち、

たくさんの大切なものが

いっぱい、含まれているんだよ。

 

 

だから思うの。

乗り越えるって言葉は嫌い。

人に投げかけたくない言葉。

 

 

乗り越えるってことより、

その人の中にある、

そのときに感じているもの全部、

抱きしめていたい。

 

 

感じているもの全部、

受け止めたい。

 

 

その人の中にある、

1番大切にしている気持ち。

その人が本当は何を大切にしていたのか。

私はそれを見失いたくない。

私はそれを、見逃したくない。

 

 

 

 

そして今ならわかる。
あのとき私が泣いていたのは、
置いていかれたような気がしたから

だけじゃなかった。

 


きっと、

私も本当は叶えたかったから。
あの頃の私の願いは、
本物だったから。

 


結婚式を挙げたあの日、

この人と幸せな家庭をつくりたい。

ずっと心を見せ合える関係でいたい。

 


そう願っていた私が、確かにいたから。

 

 

これが、私が辛かったあのときの、

私の中の1番大切な気持ち。

 

 

 

 

 

私が自分で諦めた。

自分の話したいことを話せなくても、

もういいやって諦めた。

それはわかった。

 

 

でも本当は、対話の続きがしたかった。

キャッチボールしたかった。

相手のボールは受け取った。

でも、私のボールは投げないまま終わった。

だからどこかで、未完了の気持ちが残ったんだ。

 

 

私は自分の順番を待っていた。

そう書いたけど、私の番を待ってるというより、

私たちの続きを待ってたのかもしれない。

 

 

自分だけが話したいわけじゃない。

1人で演説したいわけでもない。

ただ、一緒に続きを辿りたかった。

 

 

「それでね」の先を話したかった。

「さっきの話だけど…」の先を話したかった。

 

 

自分の番を待ったまま、お別れの時間がくる。

これが、ずっと前から、心にあったんだと思う。

これが、少しさみしかったんだと思う。

 

 

でもそれは、相手を責めたい気持ちではない。

順番を待って、列に並んでるっていうより、

「ああ、まだ話したかったなほっこり

って手を振って笑ってる感じなんだと思う。

 

 

「また次も話そうねほっこり」って、

静かに笑ってる感じなんだと思う。

 

 

私は、ただ順番を待っていたんじゃない。

心のキャッチボールの続き、

対話の続きがしたかった。

 

 

ここにも健気な私がいた。

見つけられて、よかったよ。

 

 

でもね。

順番を待っていたことに気づいたとき、

もう1つ気づいたことがあった。

 

 

前回の記事の続きになる。

 

 

 

 

私は順番を待っていた。

自分の番が来るのを待っていた。

そう思っていた。

この奥にまだあった。

 

 

私は順番を待っていた。

でも、どうせ伝わらないからと、諦めてた。

どうせ私は邪魔だからと、諦めてた。

どうせ私の番はこない、そう諦めてた。

これも混ざってた。

自分を消す癖。消そうとする癖があった。

 

 

だから、順番が来なかったというより、

順番を譲り続けた。
でも、譲り続けた結果、
順番が来なかった。

 

 

だからこれは、自己犠牲じゃない。

譲ることが全部が優しさや思いやりだった

わけじゃない。私の中に、

自分を諦める癖があった。

 

 

それに、「私の話を聞いてよ」でもない。

「まだ私のターン終わってないよ」だった笑い泣き

 

 

私は人を優先してきた人です。という、

優しいふりをした人というより、

私は交互に話したかった人です

だった。

 

 

そう、交互に話すもの、と

思い込んでいたのかなうーん

 

 

相手が話してるのはいい。

聞くのも好き。

でも、話を聴くだけがしたいんじゃない。

話したい人だった。

 


本当は話したい。

本当は聞いてほしい。

本当は、最後まで話したい。辿りたい。

でも途中で、もういいやと諦めた笑い泣き

 

 

ここだった。

 

 

 

私は話を聞いてほしかったんだと思っていた。

でも違った。

 

 

誰かと対話するとき、私はいつも

自分の話をあまりできなくなる。

でも、いつも自分の話もしたいと願っていた。

 

 

半年ぶりに実家に帰った先日、

また自分の話をあまりできないことに

気づいた。話すことはする。でも、

本当に話したいことを話せないのだ。

 

 

例えば今回の実家で、妹と話していたとき

のこと。

 


妹がポロッと自分に起こっていることを話す。

どんどん出てくる。

「こういうことがあって、こう思って、

こうだからこうで、、、、」

 


私は聴いている。相槌や質問を入れながら。

妹の中で起こっていることを感じながら

その瞬間に思うことや、妹に伝えたいと

思うことを伝える。

 

 

何かを考えているわけではなく、

妹がどういう状態なのか、

妹がどんな気持ちを抱いているのかを感じ、

周りの人との関係の中でどういう状況で

どうしたいと思っているのかを感じて、

言葉は上手じゃないなりに、伝える。

一生懸命。



半年ぶりに会った妹を応援してる気持ちが

そうさせるような感じ。

 

 

でも、時間には限りがあってね。

ずっと話を聴いていられるわけでもない。

でも私も話したいことはあった。

ここ最近の気づきとか、こうしていこうと思っていることとか。

 

 

一度妹から、話を振られても、

少しだけ話して、もっと核心まで話したい

気持ちはあるけど、また、妹が話し出す。

 

 

ただ私のそれは、聴いてもらいたいわけでも

ないの。

最近は自分の中で答えを出せることが

増えてきたから、相談するというようなもの

でもない。答えがほしいわけでもない。

アドバイスがほしいわけでもない。

 

 

でもいつもこんな感じで

本当に話したい部分がくる前に

私の番は終わる。



これは実家にいるときに限ったことではない。

誰といるときも、ほぼそうだった。

 

 

このことを今回深く考えていった。

 

 

人と話すとき、こんな感じで始まっていく。

①相手が話したそうだと感じる

②じゃあ先にどうぞになる

③私はあとで話そうと思う

④相手はまだ話してる

⑤もう少し待とう

⑥話題が変わる

⑦まあいいか

⑧終わる

 

③のとき、私は順番を待っている
④のときも、待っている
⑤のときも、待っている
 

ここ、相手の話はちゃんと聴いてる
ちゃんと心の目をひらいて聴いてる
気づくことがあれば伝えることもある
 

⑥の話題が変わって、正直さみしい気持ちが
一瞬よぎる。
⑦まあいいか。でそのまま過ぎていく。
 

私は話を聞いてほしかったんだと思っていた。

でも違った。

私はずっと順番を待っていた。



私は話せない人だった。

じゃなくて、私は順番が来ると信じて待ち続けていた人だった。



だから

今度こそ来るかも

次こそ来るかも

 

 

そうやって、ずっと自分の番を待っていた。



これは悲しい話じゃない。

そんなことを訴えたいわけじゃない。

私ってこうだったんだ…

私って、 自分の順番を待っていたんだ…。



そう考えたら、

なんだか笑ってしまった。

私、ずっと待ってたんだな。

健気で可愛いじゃないかと😆

 



この間、たまたま行ったショッピングモールで

吹奏楽の演奏で

「アイノカタチ」を聴いて、涙が出た。

 

 

前に何度か出逢えたときに感動したサックス侍さんの

演奏も思い出した。

 

 

 

 

 

いい曲だなあ。

 

 

今日は疲れた。

帰ってきて座ったら動けず

こんな時間になってしまったクマ

 

 

おやすみなさい