からだに痛みがある人のからだの痛みがなくなりますように


どうしたらいいのか迷ってる人が

スムーズに答えをだせますように


大切な人とずっと一緒にいられますように


大切なだれかに

心からあふれる愛を届けられますように


不安に思う気持ちが

知らないうちに気にならなくなりますように


大切な人の温もりを

感じられる時間を

1秒でも長くすごせますように


素直な言葉がなかなかでてこない人が

本当は大切で大好きな人に

思いを伝えられますように


心がはりさけそうで

心臓がえぐり取られるような心の痛みを感じている人の心が

少しでも癒されますように

自分のままでいられますように

無理して気持ちをおさえずに、そのまま感じることができますように


あなたが幸せでありますように


あなたがいまこの瞬間も

幸せでありますように


傷ついた細胞が

修復していきますように


人を愛した記憶を

どうか心の奥深くで

思い出してください


泣きたいときに

泣くことができますように


愛された記憶を

どうか思い出すことができますように




痛みは幸せに変わる

 

 

 

 

私たちの心の中には

とても深く、とても痛い傷があることがある

 

 

 

それは幼少期に

親から受けたものなのか

まわりの家族から受けたものなのか

はっきりとはわからない人もいるだろう

 

 

 

親からの、まっすぐな愛情を受けられず

とてもさみしかった記憶

 

 

親がいつも別の方向をみていて

とても悲しかった記憶

 

 

子供でいるべきとき

こどもが子供でいるべきとき

子供らしく生きられなかった人もいる

 

 

子供らしく自由にのびのびと

歌をうたったり

おもいきりヤンチャしたりして

遊んだ記憶がない人もいる

 

 

こんなことがあったよ

あんなことがあったよ

と、話すことも許されなかった人もいる

 

 

子供がこどもでいられないって、

どんなに辛いことか

きっとあなたには、痛みとして残っているから

わかるだろうね

 

 

 

 

自分をただまっすぐに見てほしかった

自分の素を好きでいてもらえてると感じたかった

 

 

 

そんな気持ちにさえ気がつくこともなく

悲しみやさみしさという感情だけが

どんどん塗り重ねられていった心の中

 

 

 

つらかったよね

悲しかったよね

 

 

さみしかったね

 

 

 

 

まわりの人に関心をもってもらえず

話すことさえゆるされない環境を与えられたこどもは

話をきいてもらえることもない環境を与えられたこどもは

 

 

 

大人になっても

発言するべきときに

うまく言葉を自分から出すことができない

 

 

 

自由に話したことがないから

自由に思うことをそのまま口にしたことがないから

思いを伝えようとしても

人から意見を求められても

自分の思いが心から口を出るまでの間に

渋滞や迷路にまよいこんで

うまく言葉がでなくなる

 

 

 

つらいよね

 

どうして?って思うよね

 

どうして自分は言葉も話せなくなるの?

どうして自分は他の人みたいに

自分の意見をはっきりと話すこともできないの?

 

 

 

もどかしいし

自分をまた責めて追い込むことになって

これもつらいんだよね

 

 

 

でもね

こんなつらい思いをもつ人も

いつかきっと、

意見を話せるようになるときがくるよ

 

 

 

わたしにこんなことを言ってくれた人がいた

 

 

 

「子供の頃に話すことをゆるされなかった人は

人の話の邪魔をしない人

人の話をとにかく聴くという姿勢をみにつけることができた人

と解釈することができる」

 

 

 

そしてこうも言った。

 

 

 

ゆっくりで大丈夫。

話をできるようになるよ。

 

 

 

自分が話していい、と思った場面で

話をできるようになった人がいるらしい。

 

 

 

涙があふれたんだ

 

 

 

同じように苦しむ人がいるんだ

同じように苦しんだ人がいたんだ

でも、克服できた人がいるんだと。



 

きっとこんなふうに苦しんでいる人がたくさんいるんだろう

理由もわからずに。



きっとこんなふうに苦しむ人がたくさんいるんだろう

話せないから知られないだけで。

言えないから伝えられていないだけで。

 

 

 

そう思う

 

 

 

だから伝えたかった

 

 

 

話せるようになるんだって。

話せるようになった人もいるんだって。

 

 

 

わたしたちの心のなかには

大きな傷が残っていることがある

 

 

 

生きていれば、その痛みを

感じざるをえないことが

おきてくるのが当たり前だから

 

 

 

でも、あきらめなくていい

あきらめなくていいんだよね

 

 

 

必死に生きていれば

自分を幸せにしたいと

のぞんで行動していった先には

 

 

 

希望をみせてくれる人がいる

その希望にむかう勇気をくれる人がいる

 

 

 

だから

自分を幸せにすることをあきらめてはいけないんだよ

自分が嬉しいとか楽しいとか

そんな感情であふれることも

ゆるしてあげていいんだよ

 

そんな笑顔でいっぱいの自分を

あきらめなくていいんだ

 

 

 

そのためにわたしたちにはすることがある

 

 

 

 

それは

自分を全肯定すること、の前に

自分の意見を肯定すること。

 

 

そのために

自分はどう思うのか

自分はどう感じているのか

自分は何を感じているのか

自分はどうしたら幸せになるのか

自分は誰といると幸せを感じられるのか

自分は誰といると幸せを感じられないのか

自分はどんな感情を感じたいと思っているのか

自分はどんな人と一緒にいたいと感じているのか

 

 

本当の気持ちを知ることが

やっぱり最初に大切なんだと思う

 

 

 

あなたは誰といると幸せを感じる?

あなたの近くにいる人は

あなたを笑顔にさせてくれますか?

あなたはあなたの近くにいる人を

笑顔にすることができますか?

 

あなたの幸せな気持ちを

理解しようとしてくれる人が

まわりにいますか?

 

誰かの幸せな気持ちを

理解したいと思える人がいますか?


あなたのつらい気持ちを

理解しようとしてしてくれる人が

そばに居る人ですか?

 

その人の笑顔みれるとただうれしい

そんな人がいますか?

 

 

 

痛みは幸せに変わる

 

 

 

あきらめなければ必ず、幸せに変わる

 

 

 

痛みを幸せに変えることができる

 

 

 

 

 

痛みを知る者は強さも優しさも手にいれる者

 

 

 

だから

自分の本音を知って

自分の本音を肯定して

自分を全肯定していく

 

 

 

 

痛みを幸せに変えていく


優しさを

自分にまず、注いであげる

 

 

 

その先に

強さと優しさと愛

ぜんぶ手にいれられるような自分が

きっといる

 

 

きっといるよ

 

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう

 

私もまた本気で、

自分を幸せにしようと

ようやく決められそうな気がする

 

やっぱりどこまでいっても

自分の本当の気持ちに目をむけることが

大事なんだと

それが1番望むことだと感じたのです

本音なしでは、自分では生きられない。

 

人ではなく、矢印を自分に。

人の気持ちばかり想像していたら

自分がいっこうに幸せにむかない。

矢印を自分に。

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりのブログです。

 

ずいぶんと日をあけてしまっています。

 

今回、いろいろなことがありました。

 

まだいろいろなことは続いていますが、

 

今日のいまこのとき、思うことは

 

ありのままで生きられていない人が

 

ありのままのご自身を全肯定し

 

心の奥深くからじんわりわき起こる

 

安心感を感じて穏やかな気持ちで

 

自分自身を隠すことなく生きられますように。

 

ということを深く願っていることです。

 

私自身もありのままで安心して穏やかになんて

 

生きられていないですが

 

それでも今のわたしは幸せだなと感じます。

 

色々なことがあっても

 

その先に出逢うべくして出逢う人

 

優しい言葉や優しい気持ち

 

みえていなかった自分の気持ち

 

みえていなかった私以外の人の気持ち

 

関係性が変わる人たち

 

今のそのすべての存在が尊いものであり

 

わたしを支えてくれているのだと

 

この夜に思うのです。

 

 

だから、自分を見失いそうなときや

 

自分を見失っているとき思い出したい。

 

自分の尊厳を守ることは大事。

 

でも、その前にこの地球にいま、生かされていることへ感謝します。

 

たくさんの人たち・風・自然・鳥・動物・いろいろの愛につつまれて

 

生きていられることに感謝したい。

 

 

 

私は、ありのままの自分で生きるために

 

ひとつひとつ、クリアしていきたい。

 

今がどんな自分であったとしても…。

 

 

 

たくさんの人たちが、ありのままの自分で

 

生きることができますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長いです。

長いんですが、めいいっぱい想いこめて書いたので

読んでいってくれたら嬉しいです

 

 

 

この世界には、自分の気持ちや思っていることなど
人に伝える、人に言うことが苦手な人というのが一定数いると思う。
コミュニケーションが苦手。
コニュニケーションが下手。
もれなく私もそうなんだけど。


言えない気持ち。伝わらない思い。
聴いてもらえないもどかしさと怒り。
そして行き着く先の諦め…。


ただ「こうしたい」という望みでさえ、
ただ「こう思ったんだ」という思いでさえも
誰にも伝えることができなくて、
誰にも伝わらなくて、
誰にも理解されなくて、
結局あきらめて、伝えたいことを伝えられないまま
ずっと一人ぼっちだったような人が
誰かに心から安心して伝えられたとき、


それを、心のそこから興味を持って、
うん、うん、それで?と聴いてもらえたとき、
思いも不安な気持ちも、叫びも、
こうしたいっていう願いも、
全部全部聴いてもらえたとき、
涙も出しながら伝えられたとき、
受け入れてもらえたと感じたとき、


安堵になる。

 


わたしたちは、
コミュニケーション上手な人のようには
コミュニケーションが難しいし苦手だし、
はっきり言えば上手じゃない。

 

周りをみれば人間ばっかりだし

生きづらいし。

自分のことをダメだなあと思うこともあるかもしれない。


だけど、だからこそ、コミュニケーションの大切さがわかる。
上辺だけじゃなく、
表面的なことじゃなく、
起こったことや状況の詳しいやりとりなんかじゃなく、

気持ちを理解し合う、
思いを思い合う、
目の前の人を1人の人間として
尊敬し尊重し、大切にできるのではなかろうか。


コミュニケーションとは、
ただ表面上のあったことや見たことの
会話のやりとりをすることじゃない。
言葉遊びだけを楽しむようなものでもない。


コミュニケーションの本質は、
相手と正面から向き合い、尊厳を守りながら、
気持ちを理解しあったり、思いを分かち合ったり、
思いを思い合ったりして、一緒につくっていくもの
だと思う。


コミュ障と呼ばれる者たちは、

コミュ障と自分のことを思っている人たちは

忘れてはいけない。
コミュ障ってなに?
だれがそんなふうにつけたの?



私たちほど、
コミュニケーションの尊さをわかっている人はいないのだ。
相手を敬うこと。
相手を想い相手の気持ちをおしはかり、おもんばかり、

相手の思いを大切にしようとしている。


言葉にできないからこそ苦しむ。
言葉にならないからこそひねり出そうとする。
頭がまっしろになって言いたいことを忘れる、わからなくなる…
そこで、「なんでだろう?」

そうじゃなくて、そこには、
言葉にならない思いが必ず存在していて
今言葉にできないからこそ意味があり、
言葉にできない理由があり、
そもそも言葉には言い換えられないような大事なものを宝物として
心にもっているだけ。


そんな大事なものを、関心のない人に話す価値がない。
と本当は思っているのかもしれない。


そんな大事なものを、そんな簡単に表現することなんてできない。
と本当は思っているかもしれないんだ。




なかなか言葉にできない人を身近にもつ人は
その彼らが本当はどうしたいのか、
どうしてほしいと思っているのか

どうしたら嬉しいのか
その彼らが何を伝えたいのか、
言葉ではなく、彼らの全身、全部から
心の目でみようとする。
心で感じて理解しようとする。



コミュニケーションは、言葉だけで話すことではない。
どれだけ言葉や表情や相手をつくるすべてから
自分のすべての感覚を使って
相手を理解しようとできるか、
相手を理解しようとするか、
そういうものなんじゃないだろうか。



言葉は、安心の場所があり、心の安堵が得られ、
自分と本当の意味で1対1で向き合えたとき、
勝手に言葉となって出てくるもの。



もしくはきっと、
そのうえで涙と一緒にでてくるものだと思う。


言葉にならないからこそ、
本当に大切にしている心の内であっためているモノ

かもしれないのだ。
言葉にならない思いが、

本当に伝えたいことだったりするのだ。



忘れてはいけない。
あなたが心の奥底で本当は何を大切に思っているのか。
あなたが言葉にできない人だからこそ、救われる人がいる。
言葉にできない人の思いを理解しようとする気持ち、
言葉にならない思いを理解しようとすることこそ、
その人の心によりそえることの近道となる。
その人の心に安心をもたらすことができる。
その人の心の中で、何かに気づくきっかけになることもある。


言葉にならない気持ちこそ、
言葉にできないその人そのものの存在、
その人のありのままの姿、
そのままの心こそ、
きっとわたしたちが大切にしようとしているもの。
なにより大切だと思っているもの。

1人の人間の尊厳だ。


 


コミュニケーションが苦手だから、コミュニケーションはとりたくない。
でも
コミュニケーションが苦手だからこそ、コミュニケーションとりたいって思うんだ。
コミュニケーションが苦手だからこそ、強く伝えたい思いがあるはずなんだ。

 

 

伝えたい思いが、誰かに伝わったときの
うれしさ、感動、…そんなものが
きっと1番ほしいもの。



伝えたい思いが、誰かに届いたときの
確かにここに一緒にいるという安心感と
深い心の奥からの躍動が
あなたに安心感とつながり感をもたらすのだ。



あなたはすばらしいのだ。
あなたの心のなかには、無限の可能性が

ずーーーっと前から広がっているのだ。

 

 

 

人ってさ

 

ぐちを言いたいわけじゃなくて

想いを聴いてほしいだけ

かもしれないよね

 

 

 

 

こんなこと言われてすごく腹がたったから

相手の言い方のケチをつけたくなったりね。

 

相手のことを言うのだって

きっと、そんな言い方されて

とっても悲しかったって思いを

きっと誰かに聴いてほしいだけなんだと思う

 

 

 

 

ちゃんと思いを聴いてくれる人が

この世界中に1人でもいれば

また、前にすすんでいけるんだ・・・

 

 

 

 

「きみは想いを聴いてほしいだけなんだよね」

 

ってわかってくれる人がたった1人でもいたら

生きている世界が希望になるよね・・・

 

 

 

 

自分の思い、想いを

こわがらずにそのまま話せること

 

自然にそうできることは

 

 

何も隠す必要もなく

何もごまかす必要もなく

自分のままで居られる時間ってことだから。

 

 

 

 

ずっとずっといつだって

自分のままで居たいだけだから。