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iM@Sとかなんとか(仮)

アイドルマスターSSとか駄文をのっけてます。←とか書いてても、ちっとも更新していないので「サイドストーリー」と言うタイトルはは取り下げました。最近のメイン記事はニコマスの紹介記事が9割を締めています。



 韓国のアイドル・ユニット"KARA"の「Pretty Girl」によるコラボPVです。個人的にはコメント非表示推奨です。理由は言わずもがな。

 誰がセンターのポジションに入っても全く遜色がありませんね。PVが凄いのかアイマスが凄いのかこれを作ったPが凄いのか、とにかく可愛く楽しい作品です。何気に雪歩がセンターを一度も取っていませんが、そこはそれ、一人の抜きは多いので良しとしましょう。
「春香の歌が上手く見える」とか「あずささんがイメクr……ゲフンゲフン」とか言う人がいたら、表に出て下さい。ほのが相手になります。
雨 1/3
雨 2/3


 そこまで一気に話した。途中、二回ほど吐いた。
 自分ことを話すのがこんなに精神的に辛いとは思いもしなかった。同時に、自分自身が本当に汚れた醜い生き物に思えた。
 耐えきれなかった私は、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。今まで騙していてすみませんでした。わたしは汚れています。あなたの彼女でいる資格はありません。このまま捨て去ってくれて構いません。ごめんなさい」
 そう言いながら、床に頭をこすりつけ泣き崩れた。

 そんな私への彼の言葉は、まったく意外な一言だった。
「だから?」
「え……?」
「いや、お前がなにか訳ありなのは解っていたよ。それも込みでオレはお前が好きになったんだ。だから今さらそんなこと言われてもなあ」
「許して……くれるの?」
「許すも許さないも、これまでのことがあっての今のお前だろ? そこに罪が含まれているなら、俺に預けてくれればいい。それでさ、お前は、なにも考えずに甘えてくれればいいんだよ。それが俺のしあわせなんだ」

 神様、ありがとうございます。彼に会わせてくれて。彼をこの世に産んでくれて。
 涙とゲロにまみれた顔を、私は目一杯、彼の胸に押しつけた。

 ザン、ザザン、ザン……。
 雨戸を雨音が不規則なリズムで叩いている。
 彼の寝息を聞きながら私は、このあり得ないしあわせが、またいつか壊れてしまわないだろうかという不安を懐き始めている。でもそれは、贅沢な悩みだ。彼の胸は、どんな雨も私を濡らすことは無いだろうから。

 それならこの雨でさえ、きっと暖かい。

   +    +    +    +    +

「ちょっと休憩」
 海岸線沿いにある公園で、彼は車を止めた。
 背伸びをしながら
「凄い夕焼け……」
と、わたし向かって言った。
 逆光になってわたしの目に映る彼は、まるで映画の一場面のようで。まるで別の世界にいる人のようで。
 しわあわせな一瞬一瞬が訪れる度に、同じだけわたしは、不安な、悲しい予感を懐いてしまう。

「手、出して」
 何ごとかと差し出した右手に彼は、
「違うよ、こっち」
 そう言って左手を掴んだ。そして、ジャケットのポケットから指輪を一つ取り出すと、
「一緒になろう」
そう言って、わたしの薬指に、そっとその指輪を通した。
 そうして、そのままわたしの左手を掴むと、クンッと引き寄せて、悲しいくらいに優しく抱き寄せた。
「大丈夫、全部オレが護るから。信じなくても良いから、傍にいろ」
 あふれかえった気持ちが涙になって、堰を切ってこぼれた。

 あなたが好き。
 大好き。

 大嫌い。

 大好き。
雨 1/2

 両親が教師だった私の家は厳格だった。いつも行儀を正すことを強いられ、教育者の娘らしくあれと教え込まれてきた。5歳離れた兄にもそれは同じで、自然、私の家はいつも静かだった。当然、勉強や成績もそれなりの成果を求められ、特に兄は常にトップであることを期待され、強要された。
 私が中学2年生になったとき、父は中学の教頭になり、兄は大学受験を迎えた。静かだった家はさらに静かになり、いつも緊張の糸が限界にまで張り詰めていたような気がした。

 発育の良かった私は、小学四年生の時に初潮を迎え、五年生に上がる頃には大人が付けるブラジャーでなければ生活ができなかった。だから学校はもちろん、街中でも不作法な視線に晒されることになった。それは仕方のないことかもしれないけれど、小学生にそれが受け入れられるはずもない。
 私は私で、そんなストレスを抱える毎日だった。

 それが背景といえば背景。

 10月のある日、私は兄に犯された。
 夜中、ドアを開ける音に目が覚めた。軽く身じろぎをしようとした刹那、突然に何かが私の上に覆い被さった。声を上げるまもなく口を封じられ、力任せに組み伏せられると、恐怖に体が硬直した私は抗うことも出来ず、暴漢のなすがままになった。
 荒い息づかいは聞いたことのない男のものだった。でも、布団の隙間から覗いた顔は、紛れもなく兄だった。悲しみと絶望から、私は考えることを止めた。
 箍が外れてしまった兄は、その日を境に狂い、それから毎晩、私を求めた。しかし、そんなことが家の中で起こっていることを気取られないはずはなく、ある日、現場を父に見つかってしまった。
 その時私は、心の底から助かったと思った。でも、父の口から出た言葉は信じられない一言だった。
「代われ」

 それからは地獄の日々だった。こんなことを相談できる誰かなんているはずはなく、居たとしてもそれを知る機会も知識もないし、なにより打ち明ける勇気なんてなかった。
 それでも何にでも限界はある。中学三年に上がった5月のある日、私は妊娠した。どちらの子供かはわからないけど、どちらかであることは間違いない。
 学校から帰ると母が待ちかまえていた。無断で私の部屋に入り、陽性を示した妊娠検査薬を見つけ出されたのだ。
 その日の内に病院に連れて行かれ、堕胎させられた。産みたいとは思わなかったけど、堕ろすことにも抵抗があった私の意志は全く無視された。
 家に帰ると家族会議が開かれた。潔癖でヒステリーな母は、誰の子供かと詰問した。本当のことを言えない私は黙るしかなかった。母は一方的に私を売春と決めつけ、そんな娘は家の娘ではないはずだと言い、家から出て行けと宣告した。鞄一つに入るだけの着替え、それと1万円ほどを握らされて。後から父が追いかけてきて「後で迎えに行くから」と3万円が入った封筒を握らせたが、それが父と交わした最後の会話だ。迎えに来て欲しくなんか無かったし、この先、会うこともない。なにより、あの家の敷居をまたぐことは、もうない。

 そうして途方に暮れた私は、生きるために体を売った。

 最初は駅のベンチで寝泊まりしながら客を取った。最初の客が若い私を気に入ったのか、一晩で10万円くれた。それで着替えを買いそろえ、出会い系で客を渡りながらホテル暮らしをするようになったので、思っていたほど過酷な状況ではなかった。なにより、お客はみんなやさしかった。それだけで家の何十倍、何百倍も居心地が良かった。
 一ヶ月もすると、裏の世界で私の名前は知れ渡るようになった。自分たちのシマを荒らすヤツが居る。それをヤクザが放っておくはずがなかった。

 いつものように客と待ち合わせていた私の目の前に、ワゴン車が横付けされた。扉が開いたかと思うと、逃げる間もなく、車の中に連れ込まれた。中には明らかにオーラの違う男達が居た。
 事務所に連れて行かれると、10人ほどの男達に私は輪姦された。後で聞いた話なのだけど、ヤクザの常套手段で相手の心を折るためにやることなのだそうだ。もちろん私も例に漏れず、見事に心を折られた。三日間軟禁状態で輪姦され続けた私は、最後にはもうどうにでもなれという気持ちになり、自分から積極的に快楽を求めるまでになっていた。
 心も体もボロボロだった。

 そこへ組長がやってくると、優しく風呂に入るように命じた。上がってくると、真新しい着替えが置いてあった。
「それを着たら、こっちの部屋に来なさい」
 組長の部屋は上品な洋室だった。
「そこに座りなさい」
 見たこともない豪華なソファーは、触ったこともない感触だった。一目で高価なものだとわかった。物怖じして座ることを躊躇う私に組長は、
「怖がることはない。もうなにもしないから」
と言った。
 座るとすぐにお茶と重箱に入ったお膳が運ばれてきた。
「お腹が空いただろう。食べなさい」
 状況が掴めないままも、空腹に克つことも出来ない私は、勧められるがままに箸を付けた。食べ終わると、またすぐに暖かい紅茶とケーキが運ばれてきた。そうして、
「食べながら聞きなさい。非道いことして悪かったね、お嬢ちゃん。でもな、俺達も通さなければならない筋ってもんがあるからな」
 そう言って私の隣に座り、優しく肩を抱き寄せた。組長の優しさにほだされた私は、その場で泣き崩れた。そうして、これまでの私の身上を全て話すと、「そうか、それは辛かったね」と言って頭を撫でてくれるのだった。
 もちろんこれもヤクザの手口だ。でもその時の私にはそれこそが救いだったのだと思う。

 それからそこの組でお客を取るようになった。軟禁状態に変わりはなく、許可無く外出することは出来なかったけど、お客の来ないときは時間を自由に使えたし、欲しいものもよっぽど高価なものでない限り、頼めば買ってもらえた。
 18歳になる頃、私は組長の女として囲われるようになった。事あるごとに「日頃から体を鍛えておけ」と命令されるのは鬱陶しかったけど、相手にする客も限定され、私はより自由であることを許されるまでになった。その自由時間を、私は勉強時間に充てた。中学もろくに行っていなかった私は、当然ながら学が全く無い。もし将来、一人で生きてゆくことになったらきっと困るに違いない。そんな素朴な動機からだった。誰にも言わず、知られることもなく、本をたくさん読んだ。そして私は、もし一人になったらと、あれこれ想像しては期待に胸をふくらませるのだった。

 その機会は、意外にもすぐにやってきた。

 組長が刑務所に入ることになった。何をやったのかは知らない。
 事務所は騒然となっていたらしいが、私のことを気にかける人間など誰もいなかったので、私がそのことを知るのは結構後になってからだ。護送される前日、組長は思い出したように私を呼び「悪いがマンションは引き払わせて貰う。もう維持できなくなったからな。お前ももう自由にして良い」そう言うと、生活費として30万円渡してくれた。

 状況が信じられない私は、しばらくは惚けていたと思う。こんな形で自由が訪れるとは思いもしなかった。途方に暮れるという不安はなかった。あの時とは違う。sexは生活の糧になる。それしかできないけど、それだけは自信がある。それを確信するのに十分な経験を積んだ私は、躊躇いなく風俗の扉を叩いた。


雨 3/3