雀が一羽、街路樹の根元でひっそりと死んでいた。行き過ぎる人や車に紛れたその光景は、なぜかとても静かなものに見えた。
吐き出した息が淡く空気に溶け込む。
わたしはその場を離れることが出来ない。それがなぜだか分からないまま。
披露宴が始まるまでの数分をわたしは、列席者で埋まる控え室から離れて、会場の中庭に備えてあったベンチに座って、満開に咲き乱れる桜の木を見ながら時間を潰していた。
「美由起」
香奈恵が姿の見えないわたしを心配してか、探しに来てくれたみたい。
「桜、きれいだね」
わたしの視線を追っていたのだろう。そう言う香奈恵にわたしは、
「そうね。晴れて良かったわ」
と、軽くこたえた。
「美由起は桜嫌いなのよね」
「話したことあったっけ?」
「合宿の時に」
「いつの?」
「一回の時よ」
思いだした。
「よくそんな昔のこと。もう十年も前じゃない」
「まだ九年よ」
「どっちにしたってもうオバサンだわ」
「なーに言ってんのよ」
そう言ってわたし達は声を上げて笑った。あの頃のように。
「まるで昨日のことのよう」
そう、色んなことが鮮やかに思い出された。
わけも分からないまま香奈恵に引っ張られて、いつの間にかわたしの名前が書かれた入部届が置かれた机を挟んで、恥ずかしさで話を切り出せずに俯くだけのわたしに、そっと微笑んでくれたあの人の笑顔まで。
「先に行ってるね」
そう言って腰を上げた香奈恵にわたしは、
「本当はね、嫌いじゃないの」
と声をかけていた。香奈恵は足を止めて、肩で振り返った。
「ん?」
「桜」
見上げた空は、どこまでも青かった。
「そっか」
香奈恵の後ろ姿を桜が覆った。
「新郎新婦の入場です」
照明に照らし出されて、薄桃色のカラードレスに身を包んだ新婦と手を取り合い、その人が入場口に佇んでいた。
人伝に似合いの二人と聞いた通り。二人は静かに、穏やかに微笑みをたたえていた。
香奈恵の隣で、わたしとは反対の席に座っている友人が、体を少しだけ寄せて、「美由起に少し似てるね」
とささやいている。
香奈恵の「そうかな」という声は、やがて拍手の音にかき消された。
二次会が終わって、香奈恵達とは駅で別れた。
お化粧を落として普段着に着替えたわたしは、しばらくベッドに横たわったままでいた。
天井のベージュ、カーテンのアイボリー、紅褐色のクローゼット、薄水色の花瓶。変わらないいつもの景色。そこに彼の笑顔が見当たらない。もう何年も前のことなのに、わたしの目はその姿を探している。その時わたしはきっと、なにか一つの形をそこに描こうとしていたのだと思う。欠けてしまったパズルのピースを探すように。
朝、テーブルの上に出しっぱなしにしていたアルバムに、桜の花びらが落ちていたことに気が付いた。着替えた時に衣裳からこぼれ落ちたのだろう。それをしばらく玩んだあとわたしは、写真を一つ一つ、アルバムから外していった。
小さな火が日差しの中に揺らめいている。
気が付くと、涙が次々とこぼれ落ちていた。それを手のひらに受けた時に、やっと分かった。
ああ、そうか。泣きたかったんだ、ずっと。
わたしは声を上げて泣いた。
煙が空に一筋、どこまでも高く昇ってゆく。
やがて全てが消えてしまう頃にはもう、涙は乾いているだろう。
さようなら。
あなたに出会えて、しあわせでした。
巣立ちを終えた鳥が一羽、一つ鳴いて春の空に舞い上がっていった。