愚痴です♪うふふ。 | 【栃木宇都宮】助産師・セラピスト&いのちと性のメッセンジャー 上田美和の和ごころひといき村

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「ここからいふ広場」主宰&「和ごころ助産院」院長 自然派助産師上田美和が宇都宮周辺の自然派育児の情報やイベント、妊娠出産や育児に役立つ情報を発信しています!

真夜中の投稿失礼いたします。

ある記事を「いいね」と思えず、心がサワサワして、自分が落ち着くための投稿です。


ただの愚痴です。


愚痴は聞きたくないな~という方は、読み飛ばして下さい。(とのことです)


未就学児のお母さんは、ひとりの人間ではなく「母」であれ!的な記事を読んで腹立だしくなりました。


それが、同じ女性の記事だったので、なおさら。


子どもの親で女性であるなら、それは「お母さん」という立場となるのでしょう。


でも、自分の喜びや、自分の価値観や、大切な「自分」を差し置いてまで、「お母さん」であるべきでしょうか?


それが
なぜ、育児放棄となるのでしょう?


子どもが傍にいてのネット活動は、私もいいとは思いません。


でも、自分が褒められたり、認めてもらえたり、という「自分」という部分は、なかなか欲深くできているのではないのでしょうか?


「子どものために」


という、自己犠牲が、その後の親子を苦しめる結果となることもあります。


たまたま、その人は、彼女の母親が認められ始めたことでのめり込んでしまった部分から、彼女の「お母さん」であることを取り戻すことが出来て、「あぁ、また、自分を(こどもを)みてくれるお母さんになった。」と、安心したのでしょう。


彼女にはそれが「よかった」という成功体験で。


でも、それは、押しつけるものではないと思います。


そのような「母であれ」「母たるもの」的な風潮が、今も昔も変りなく一部の女性を苦しめている現実を、もう少し見つめて欲しいなぁと思いました。


「自分」を大切にするお母さん。


「自分」を大切にせず、我慢しているお母さん。


他の人から「素敵ですね♪」と褒められるお母さん。


家族のために家の事をしても「ありがとう」の一つも言ってもらえず、不満だらけのお母さん。


自分が子どもの立場だったら?どうだろう?


未就学児であれ、中学生であれ、子どもはちゃんと見ています。


「大きくなったらでもいいじゃないか・・・。」


本当でしょうか?


「母」と「私」の部分は、上手にバランスを取る工夫は必要ですが、そのバランスは、他人軸でなくて、ましてや押しつけるようなものでもないように思います。


そのバランスは、その親子で違うと思うし、なにかが違えば、彼女のように、子どもからのサインが必ずあり、そこに気づく事が出来るような「母」を、サポートしてゆける社会にしたいと思った次第です。


長々と、愚痴をお読み下さり光栄です。


愚痴ついでに、「箱を開けるな!」と、言って、相手に箱を開けさせるような、最初のような発言もあまり好きじゃないな~とも思いました。


やっていることは同じなようでも、考え方は人それぞれで、想いもそれぞれ。


さぁ、今日も一日顔張って活きま~す♪