田久保伊東市長の学歴詐称騒ぎがだんだん大きくなってます。本人も引っ込みがつかなくなってしまったのかな。卒業証書らしき物をチラ見せしたとかしなかったとか。でも大学は除籍だった。もはや論理が完全に破綻しているのは明らかなのだが、なぜこんなことになったのか。現在ご本人が受けている批判とは少し違った視点で考えてみた。

大学を「除籍」になっていたことがわかった以上「卒業証書」は意味がないものとなりました。

田久保氏はこんなことを言ったが、これを他意なき言葉通りに受け取るならばどうか。例えば、どこかでこっそり手に入れたとか、知人からもらった(借りた?)とか、あるいは誰かから買ったとか。実際、メルカリでも出品されていたことが本当にあるようで。出品禁止ということを知らないのか分かっててやっているのか、時々自分の学位記を売りに出す人が本当にいるらしい。 ひょっとしたらそんなふうにして手に入れたのかもね。

ただ、大学には失礼だけど、学歴という視点だけ見た場合に、そこまで武器になるほどのブランド力はあるだろうかとは思うんよね。 自分の身近にも、田久保市長の“後輩”にあたる人がいるけれど、すごい!頭良い!なんて言われてるの見たことないし、本人がそれを誇らしく思ってるようにも見えないから。おそらく渦中の市長も、その程度の感覚はあったんじゃないかな。でも、市長になった以上、あるいは目指す以上、大学くらいは出たことにしておきたい、くらいの感覚だったんじゃないかなと思う。それこそ車の免許くらいは持ってたいなくらいの感覚で。

だから、とりあえず万が一の保険として他人の学位記を手に入れた、あるいは“作った”。結果的に全く保険になってないけども(笑)、仮にそうだとしたら、そのフィルターをかけて先ほどの発言の行間を読むと、「卒業証書(学位記)は、除籍ということがわかった以上、(せっかく手に入れたけど)意味がないものになりました」という論理が成り立つ。あくまでも仮説ですけどね。

さて、そして今、方々から叩かれ、非難を浴び続けていることに、何となく気の毒な感じはする。いや、もちろんルール違反を犯したことは悪いですよ。それはやってしまったことだから仕方がない。でも、そこの大学を中退したのか、卒業したのか、除籍になったのかが、選挙結果に影響を及ぼすとはどうしても考えられないわけで。いや、この方を擁護するつもりはサラサラありません。そもそも友達でもないし、人間性を知ってるわけじゃないからね。

そうではなくて、例えば誰かのプロフィールを見た時に、「◯◯大学☓☓学部卒業」と書かれているのを見て、これ、本当かなーとか、いや、本当は中退なんじゃね?とか、いちいち立ち止まって考えるだろうかってことです。それこそスルーでしょ。自分なら100%スルーです。

その、スルーするレベルの記述を、「怪文書」なる手紙まで送りつけて、「中退どころか除籍だ」と暴露した人がいるという事実。こんなこと、当人に対してよほどの恨みでもあるか、よほどの学歴オタクでもない限りやらないと思うんよ。

例えば、市長選で敗れたライバル候補とか(例えばですよ)、実は子供の頃、この方にいじめられていた同級生とか(繰り返しますが例えばです。私はこの方の人間性知りませんから)、どこで恨みを買っているのかわかりませんが、少なくとも、この人が市長になることに良い感情を持っていない誰かが存在することは確かでしょう。