のぶろぐ -22ページ目

のぶろぐ

2015年1月、33歳にて世界一周の旅スタート!

デンマークのオーフスという町に移動。
また友達に会える!


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リトアニアで有名な観光地、十字架の丘。

ビルニュス→十字架の丘を観光→リガへ移動

これを1日で終わらせるという、けっこう忙しいスケジュールを組んでみた。


宿から歩いてバスターミナルへ行き、7:50のバスに乗ってシャウレイ(Siauliai)へ。

14ユーロ(約1,900円)

バルト三国は全体的に物価は安いが、バス代は高かったような気がする。


バスに揺られること約3時間半、

シャウレイのバスターミナルに到着した。


ここではバックパックを預かってくれる。(0.6ユーロ)

そして十字架の丘への時刻表と、シャウレイからリガまでの時刻表をもらい、予定を決めた。


十字架の丘へは12:15のバスに乗って行き、

14:03のバスで帰ってくることにした。


そしてリガへは16:15のバスに乗る。

完璧だ!


少しお腹が空いたので、軽くハンバーガーを食べて十字架の丘行きのバスに乗った。

降りるのはドマンタイ(Domantu)

シャウレイから15分ぐらいだった。


バス停からは周りに何もない道をひたすら歩く。


歩いて約15分ぐらいで、観光バスがたくさん停まっているところにお土産物屋さんがあった。


これをお土産に買っていく人もいれば、丘にある十字架にかける人もいるみたい。

そしてもう少し歩くと、十字架の丘が見えてきた。


ここには約50,000本の十字架があるらしい。



信仰心の高いリトアニア人はここに十字架を立てることで、愛国心やロシアへの抵抗を表現したのだそう。


それにしてもすごい数。


ここにはユダヤ教のマークがあったり、


キリスト像の姿もたくさん見えた。




観光客も十字架をかけているということは、今もなお増え続けているということか。。



とにかく圧倒される光景だった。


帰りはまたバス停まで歩き、予定通り14:03のバスに乗ってシャウレイに戻った。



そして16:15のバスに乗ろうとしたところで問題発生。

バスのインフォメーションでは、リガ行きのバスチケットはなく、運転手に直接払うように言われていた。

で、バスに行ってみると予約でいっぱいとの事。

どうやって予約するのか聞いてみると、「オンラインでできる」との回答。

しかもけっこう高圧的な態度にイラっとくる。


さて困った。

次のバスにするのはいいが、次のバスも予約でいっぱいとなるとリガにたどり着けない。

隣にいたポルトガル人のアントニオと一緒にどういうことだ!?ってバスのインフォメーションに聞くも、

窓口のおばちゃんは「運転手に払え、あとは知らん!」って感じの対応。。


高圧的な態度の運転手に不本意ながら何とかならんか相談すると、次のバスをぼくら2人分電話で予約を取ってくれた。


ふう、やれやれ。

それにしてもドイツからポーランドに行ったあたりから思ったことだが、一気にサービスのレベルが落ちた気がする。

それも以前の社会主義の流れが影響してるのかな。


結局アントニオとあーだこーだと、お互いの国や東欧諸国について話し合い、次のバスまでの2時間はあっという間に過ぎていった。

そして18:15のバスに乗った。運賃:11.5ユーロ(約1,600円)

音楽を聴いているといつの間にか国境を越えて、ラトビアの首都リガに20:30に到着した。


宿に着いておすすめのレストランを聞き、荷物を置いて1人で出かけた。

このLidoというレストランでは、ラトビア料理が食べられるらしい。


何種類もある料理の中から欲しいものを選べる。



この日は移動で疲れたので、美味しい飯とビールが格別に美味かった。


バスは1本逃したが、この日の移動はまずまず上手くいったと思う。

バルト三国は駆け足で一気に抜ける!

ゆっくり旅するのがいいのは分かっているけど、短期旅行でやってた過密スケジュールの旅もけっこう好きなのかも。




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デンマークは首都のコペンハーゲン。
ここのところ友達の家に泊まることが多かったけど、久しぶりのカウチサーフィンでここでも現地の人にお世話になってます。


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ワルシャワから夜行バスで約8時間。

リトアニアの首都ビルニュスに到着した。

正直、バルト三国はソビエト解体後に独立した国というぐらいの知識しかない。

夜行バス疲れもあったがあまり寝る気分にもなれなかったので、宿で少し休憩してから12時開始のフリーウォーキングツアーに参加した。



ここリトアニアもユダヤ人地区があった。


ここでも多くの人が虐殺された歴史を聞くことになる。


歴史についてはソビエトからの独立の話が中心だが、以前はドイツにも支配されていた時期もあったようだ。

ここはソビエトに支配されてから教会として使われることはなくなったとのこと。


でも創造力豊かなリトアニア人はこれを電波塔に使っているらしい。

面白い発想の転換ではある。


川を挟んだところにはウズピオというアートの街があり、この地区は議会が存在するのだとか。

左から、笑顔でいなければならない、車はスピードを出してはならない、アートを尊重しよう、車がスピードを出すと川に落ちるぞ、、


なんじゃそれ。

このレストランにお偉いさんが集まり、全ての議決が出されるらしい。


そして憲法の書かれたボードが各国の言葉で書かれていた。


そしてこのウズビオという国!?へ来た証にパスポートにスタンプを押してもらえるみたい。


もちろんこれらの話は全てジョークである。

それでもみんなで力を合わせてアートの街を作っていこうという気持ちは大きく伝わってきた。



ここはビルニュスでも特に有名な聖アンナ教会。



今回のフリーウォーキングツアーも楽しかったが、疲れがあるからか少し集中力に欠けてしまったかな。

ツアーを終えると高台にある塔まで歩いた。



そこからは町全体が見渡せる。


旧市街はきれいな茶色の屋根の家が並ぶが、反対側はけっこう都会。


その高台の前にはビルニュス大聖堂!


日曜日のこの日は自転車レースをやってた。毎週ではないらしいけど。


ここまで歩いたところでさすがに疲れを感じたので、一度宿に戻って昼寝した。


一時間強ぐらいて起き、同じ部屋のポーランド人のマルティンと話をした。

そして彼が前日に行ったバーに一緒に飲みに行くことに。


昼間に行ったアートの街ウズピオにそのお店はあった。


なかなかいい雰囲気でビールも美味い!


それにしてもこのお店、ぼくが高円寺で通い詰めたANTICA LOCANDAと同じような作りだ。


L字型のカウンターの後ろには2人で座れるテーブル席。


なんか落ち着く。。


マルティンからは色々な質問を受け、政治経済に加えて歴史についてもかなり話をした。


冷戦時代は社会主義国だったポーランドの人たちは、政治や歴史の話にかなり興味がある。
これはワルシャワで参加したフリーウォーキングツアーでも聞いていたこと。

こうやって実際に同年代の人と話してそういう会話になるのは、ぼくにとっては新鮮だ。

もっと日本のことも知ってそれを英語で説明できないといけない。

酔っ払いながらもそう思ってしまった。




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リアルタイムはスウェーデンからデンマークへ移動!
ここもまた物価が高い。。


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クラクフからバスで5時間。

ポーランドの首都ワルシャワに17時頃到着した。

初日は疲れからかあまり外出する気になれず、近くのレストランでディナーを済ませて早めに休んだ。


次の日参加したフリーウォーキングツアー。


ガイドの男性はユーモアたっぷりにポーランドの歴史や文化を教えてくれる。

これは期待できそうだ。

まずは王宮へ!


ポーランドはロシアだけではなく、スウェーデンやドイツに支配されていて、

この建物の内部はスウェーデン様式とドイツ様式が混じっているらしい。


メインの広場。


ワルシャワは第二次世界大戦で町の中心部はほぼ破壊され、その後建て替えられた建物がほとんどだそう。

この広場が壊滅的な状況になった時の写真を見せてもらったが、ほぼ何も残っていなかった。


ここは旧市街を囲んでいた城壁。


町中はヨーロッパのおしゃれな雰囲気で、


歩いているだけで楽しめる。


ノーベル物理学賞、ノーベル化学賞を取得したキュリー夫人。


名前はよく知っていたが、2つもノーベル賞を取った人だったのか。

しかも家族も多くのノーベル賞を取っているらしい。

ここの家庭での食卓での会話はどんなものなんだろうか。。


ここはユダヤ人の記念碑。


ポーランドは第二次世界大戦前、ヨーロッパの中でもユダヤ人の多い国だったらしい。


やはりここでもアウシュビッツの話題が出てくる。

様々な国を訪れて学んだ歴史がどんどん繋がっていくと、理解が深まっていい。


ポーランドでは戦争や歴史の話題は日常茶飯事のようだ。


それらを表した記念碑も多くあった。


この日もフリーウォーキングツアーで大いに勉強させてもらった。

そして中心広場へと帰ってきた。




ここで見つけたのは、中国が作った戦後70年を記念した内容の展示物。


なぜポーランドで中国が!?

って思った。

英語とポーランド語の並記だったので、ざっとその内容を読んでみた。

全部読んだ訳ではないが、内容はざっくり下記2つの事について書かれていた。

1.日本軍が大戦中にいかにアジアを支配したか。

2.中国がいかにユダヤ人を助けたか。


まあユダヤ人の多かったポーランドにおいて、その功績を強調したいのは分かる。
(どこまで本当かは知らないが)

ただそれに対して、侵略の歴史に触れるのはは日本軍のみ?
ナチスドイツを並列においた方が、良いのでは?
ユダヤ人を助けたのなら、日本人の有名な人もいるのだけど?


なかなか突っ込みどころ満載である。


それにしてもあの内容だと他国を支配したのは日本だけのように映ってしまう。

それを鵜呑みにする人はいないと思うが、改めて中国の歴史観を両国から遠いヨーロッパで認識することになった。


形式上は平和を訴えてはいるが。。



アウシュビッツに行って平和を望む思いは強くなったが、日本には隣国との領土問題はまだまだ残っている。

やはり政治家に任せっきりになるのではなく、ぼくらがその歴史を知って少しずつできることをやらなければ、真の解決は望めない。

それは歴史をよく知るヨーロッパの人たちから教えられた大切な教訓だ。




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本ブログの内容は英語ガイドの話を聞いて自分なりに考えたものです。

認識違いなどあれば申し訳ありません。



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ポーランドに行くなら絶対に行こうと思っていた場所、

アウシュビッツ強制収容所。

第二次世界大戦中にユダヤ人を中心に約130万人が虐殺された場所としてあまりにも有名だ。


クラクフからバスに乗ってアウシュビッツを目指した。


クラクフ⇄アウシュビッツ
往復で24ズウォティ(約850円)


約1時間半でアウシュビッツに到着した。

ガイドを頼む為に列に並んだのだが、ここには長い行列ができていた。


人々の負の歴史に対する関心が窺い知れる。


ぼくはアウシュビッツで唯一の日本人ガイド中谷さんにガイドをして頂くようメールを送っていたが、あいにく8月中はいっぱいとの回答が。

向こう2週間いっぱいと言われれば、諦めざるを得ない。

仕方なく英語ガイドをここではお願いした。
40ズウォティ(約1,400円)
※入場料は無料。


そして11:45スタートで博物館見学が始まった。

まずはドイツ語で書かれた、「働けば自由になれる」という意味の文字が。


敷地内はそれぞれの建物が計画的に作られたようにきれいに並んでいる。



まず向かったのは写真が展示された建物。

多くのユダヤ人がヨーロッパ全体からここへ連れられてきた。


列車から降りたら、強制的に連れてこられた人たちは労働力になるかどうかで、働くか死かの選別を簡単にされたという。



その後は人々が実際に使っていたものが展示されている部屋へ。



ものすごい数の靴やカバンだが、これで全てではないらしい。

子供のおもちゃ。


殺害に使われたガスの容器。


寝床やトイレも残されていた。



強制労働していた人の写真が。


連れてこられた日と亡くなった日がそこには書かれていた。

その間、平均して1~2ヶ月。

一番短い人では1日という人もいた。


展示室を見終わると、人々を一瞬にして大量に虐殺したガス室へ。


ここに多くの人がシャワーを浴びるからということで連れてこられ、ガスによって一度に多くの命が奪われた。


その横には焼却室。


ガス室の雰囲気は何とも表現しがたい。

もし自分が裸にされてこの中に他の多くの人と詰め込まれたら、、

そんな形で人生を終えるのは誰も望むはずがない。


約1時間半かけて第一アウシュビッツを見学し終えた。


少し休憩を挟んで、次は第二アウシュビッツであるビルケナウ強制収容所へ。


人々はこれに乗って連れてこられた。


ここにはたくさんのガス室があったようだが、ドイツが降伏する直前に証拠隠滅の為に、自らが破壊したようだ。



最後に訪れた場所は、小さい寝床一つ一つに6人もの人が寝ていた小屋。


正直、英語で聞くガイドの話は全てを理解するには難しかった。

でもぼくがここに来た理由は、ナチスドイツが行った非人道的な行為の詳細を知ることではなく、戦争の悲惨さと、戦争がここまで人を狂気にさせた史実を忘れない為だ。


歴史を知り自分の言葉で海外の人たちと意見交換できるようになりたい。

歴史をよく知るヨーロッパの人たちから感心させられ、良い刺激を受けてそう思えるようになった。


戦争を経験していないぼくらの世代はその歴史を伝えるだけではなく、それを踏まえてどのように世界平和を維持するべきかを考えるべきであり、そういう役割を担っているのだと思う。




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船で11時間かけてスウェーデンに入国。
ここでもまた友達にお世話になっている。
ありがたや、ありがたや~🎶


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ベルリンからポーランドのクラクフへ。

バスでは連日の飲み疲れからか体がだるく、音楽を聴きながらぐったりしていた。

寝たり起きたりを繰り返しながら、8時間かかってクラクフのバスターミナルに到着した。

移動中に少し体を休めたので、宿に荷物を置いて少し町歩きをした。


まずは町の中心部にあるクラクフ中央広場へ。

ここはたくさんのグッズ(土産物?)が売られていた。


なかなかどれもセンスが良くてかわいいものばかり。


ま、いつも通り買わないけど。


広場はその名の通り本当に広い。


ここクラクフは17世紀にワルシャワに移る前の首都。


古都であり、日本でいう京都みたいなものだそう。


ただ正直古都と言うには景観がきれいすぎて、ツーリスティックな町という印象だけど。


ざっくり広場を歩いたらオールドタウンの中にあるヴァヴェル城へ。


ここからは夕日がきれいに見えた。



あまり事前情報を調べずに来てしまったのがマズかったかな。

正直この日の町歩きはあまり楽しめなかった。
やっぱりヨーロッパは歴史を知らないと1人で歩くのは退屈だ。


日が暮れてからも、夜の町歩き。




夜の景色はさすがはヨーロッパといった感じ。


でも正直この町に来た主な理由は、次の日に予定していたアウシュビッツ強制収容所。

戦争の悲惨さを忘れない為に絶対に行く必要があると思っていたところだ。

負の遺産なので、楽しみというには少し違うし、気分はどちらかというと沈んでいたかも。

この日は早起きに備えて早めに休んだ。




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