トルコ料理は相変わらず美味しくて太りそうだ。。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ブログランキングに参加しています!
応援の1クリックをお願いします!!!
⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩

にほんブログ村
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ドブロヴニクからバスで3時間。
ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに到着。
この町についてはあまりよく知らなかったが、日本人もドブロヴニクのついでによく行く町らしい。
ちょうどサラエボに行く途中にあるので、寄ってみることにした。
モスタルに到着したのは19時頃。
とりあえず観光地の中心を歩くもほとんどレストランが開いていない。
さっと町中の写真だけ撮って、
スーパーで買った簡単なものだけ食べてこの日は眠りについた。
次の日は朝からきれいに晴れた!
まずは町を東西に分断しているしている川の西側から歩いてみた。
この辺りには1992~95年まで続いたボスニア紛争の爪あとがたくさん残っていた。
町中を歩くと至る所に写真のような廃墟がたくさんある。
そして壁には紛争の激しさを物語るたくさんの銃弾のあと。
日本人にとっては戦争は70年前の出来事だが、ボスニアの人にとってはわずか20年前の出来事なのだ。
ぼくが小学生~中学生ぐらいの出来事なので、何となくニュース見ていたのは覚えている。
けど正直、遠い国で起こっている戦いを他人事のように見ていたのだろう。
どのような戦いだったか、ここに来る前に勉強した時にはほとんど記憶になかったのだから。
その後、モスタルの象徴とも言える場所へ。
このスタリ・モルトという橋は1993年にボスニア紛争で破壊されている。
橋の横にはDon't forget '93の文字が。
この橋はユネスコの協力で2004年に再建されているのだそう。
そして2005年には世界遺産に登録されている。
アウシュビッツ強制収容所と同じように負の世界遺産の1つとも言われ、民族融和の象徴として語り継がれるべき場所となっている。
ちなみにそんな暗い話とは裏腹に、この辺りではパフォーマーの男性が橋の上から川へ飛び降りていた。
飛び降りる瞬間を撮りたかったけど、なかなか飛び込まずに観光客を焦らせていた。そしてぼくが油断している間に、歓声とともにバシャーンという音が!
仕方なく男性が岸に上がってきたところだけ撮った。
多くの人に拍手で迎えられていた。
そんな行為と同じように今では暗い過去と違って、この周りは完全に観光地。
お土産物屋さんもたくさん並んでいる。
なかなか見た目も美しいこの橋。
破壊されたままにしておくのはやっぱもったいない気はする。
お昼は宿で教えてもらったおすすめのレストランへ。
Hood houseというお店。
食べたのはロールキャベツのような見た目で、肉とご飯が包まれた、、何ていう名前だったかな。
これで12マルク(約840円)
ボスニアの物価にしては安くないが、観光地にしては安いほうなのかな。
味はなかなか良くて、付いてきたパンとソースの相性も良くて十分満足だ。
お腹いっぱいになったらもう少し町を歩いた。
モスタルの観光地はとても小さく、歩き回るには1日で十分すぎるほどだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ブログランキングに参加しています!
応援の1クリックをお願いします!!!
⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩
にほんブログ村
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ドブロヴニクからバスで3時間。
ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに到着。
この町についてはあまりよく知らなかったが、日本人もドブロヴニクのついでによく行く町らしい。
ちょうどサラエボに行く途中にあるので、寄ってみることにした。
モスタルに到着したのは19時頃。
とりあえず観光地の中心を歩くもほとんどレストランが開いていない。
さっと町中の写真だけ撮って、
スーパーで買った簡単なものだけ食べてこの日は眠りについた。
次の日は朝からきれいに晴れた!
まずは町を東西に分断しているしている川の西側から歩いてみた。
この辺りには1992~95年まで続いたボスニア紛争の爪あとがたくさん残っていた。
町中を歩くと至る所に写真のような廃墟がたくさんある。
そして壁には紛争の激しさを物語るたくさんの銃弾のあと。
日本人にとっては戦争は70年前の出来事だが、ボスニアの人にとってはわずか20年前の出来事なのだ。
ぼくが小学生~中学生ぐらいの出来事なので、何となくニュース見ていたのは覚えている。
けど正直、遠い国で起こっている戦いを他人事のように見ていたのだろう。
どのような戦いだったか、ここに来る前に勉強した時にはほとんど記憶になかったのだから。
その後、モスタルの象徴とも言える場所へ。
このスタリ・モルトという橋は1993年にボスニア紛争で破壊されている。
橋の横にはDon't forget '93の文字が。
この橋はユネスコの協力で2004年に再建されているのだそう。
そして2005年には世界遺産に登録されている。
アウシュビッツ強制収容所と同じように負の世界遺産の1つとも言われ、民族融和の象徴として語り継がれるべき場所となっている。
ちなみにそんな暗い話とは裏腹に、この辺りではパフォーマーの男性が橋の上から川へ飛び降りていた。
飛び降りる瞬間を撮りたかったけど、なかなか飛び込まずに観光客を焦らせていた。そしてぼくが油断している間に、歓声とともにバシャーンという音が!
仕方なく男性が岸に上がってきたところだけ撮った。
多くの人に拍手で迎えられていた。
そんな行為と同じように今では暗い過去と違って、この周りは完全に観光地。
お土産物屋さんもたくさん並んでいる。
なかなか見た目も美しいこの橋。
破壊されたままにしておくのはやっぱもったいない気はする。
お昼は宿で教えてもらったおすすめのレストランへ。
Hood houseというお店。
食べたのはロールキャベツのような見た目で、肉とご飯が包まれた、、何ていう名前だったかな。
これで12マルク(約840円)
ボスニアの物価にしては安くないが、観光地にしては安いほうなのかな。
味はなかなか良くて、付いてきたパンとソースの相性も良くて十分満足だ。
お腹いっぱいになったらもう少し町を歩いた。
ボスニア・ヘルツェゴビナは約半分がイスラム教徒なので、たくさんのモスクがある。
それに関しては他のヨーロッパ諸国と大きく違いがあって面白い。
モスタルの観光地はとても小さく、歩き回るには1日で十分すぎるほどだった。
どちらかと言うと観光地よりも廃墟や銃弾のあとが心に残ったモスタル。
同じ旧ユーゴスラビアのクロアチアはアドリア海沿いが美しく観光地化されていて、ここモスタルとはずいぶん印象が違う。
クロアチア紛争についてほとんど触れずにクロアチアを旅したのは失敗だったかも、と今になって少し後悔している。
ブログランキングに参加しています!
応援の1クリックをお願いします!!!
⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩

にほんブログ村
ブログランキングに参加しています!
応援の1クリックをお願いします!!!
⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩
にほんブログ村
























































































































