8月15日に投稿したなう
晩ご飯を食べ終えた20時半頃、ここのとこよく聞こえる花火の音がした。またかと思ってチラッと外を見ると生駒の山の向こうに小さいながらも花火が見えた。どこの大会かわかんないけど、食後のんびり眺めさせてもらいました。やっぱ夏は花火やね^^
8/15 21:29
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奈良はやっぱ、いいなぁ
奈良に行ってきました。といってもお盆休みを利用して行ったのではなく、5月27日なんで随分前なんですが、書こうと思いながらずっとそのまま放置してしまっていました。
この日は天気予報では雨だったのですが、晴れてくれました。
行き先は『誕生!中国文明』の展示をやっていた奈良国立博物館。


JR奈良駅に13時すぎに到着し、博物館へ行く途中昼食を取りました。
駅からお店へ行くまでに…

せんとくんによくお目にかかりました。
一時期は「気持ち悪い」とか「仏様に鹿のツノなど失礼だ」なんて散々言われていたのに街中に浸透しているようでした。
新装して場所も移動していた餃子の王将で天津飯を食べて、そのまま博物館へ。

行く途中には

沢山の鹿がお出迎え

おとなしかったです。
博物館への略地図に従って進もうとするのですが、その地図通りなかなか行けません。
案内の看板を見ても県立美術館は沢山案内標識があるのに国立博物館のはありません。
それでもなんとか到着。

なんと立派な建物。

正面(?)はいつも締切のようなので反対側へ…

ここでも展示はしていてるらしいが、ここは『仏像館』らしい。
という事は中国文明をやってるのは別の建物か。
国立博物館というのはこの建物だけを言うのではないらしい。
隣にある現代的な建物へ…

またまた鹿がお出迎え。

チケットと同じ写真の建物!
遠くから見えているのに大きい建物のせいかなかなか入り口に近づけない。
到着後、じっくり拝観しました。
本当に展示の数が多くてかなり疲れました。
説明文を読んでいると、そのほとんどが推測の文章ばかりでした。
ようやく全部見終わって、ロービーのイスに座ってしっかり休憩して、そのまま帰ろうと思ったらチケットの上に『なら仏像館/青銅器館 招待券』というのがあるのに気が付き、さっきの建物でやっている事だとわかってその建物へ直行。
ここもすごく数多くの展示物があって見るのが大変でした。
拝観料(チケット代)と内容を比べても十分元がとれるほど充実したものでした。
見終わった後、せっかく奈良に来たのだからどこかで何か見ようと思い駅と反対方向へ歩き始めました。
すると『東大寺』が近くだとわかってそのまま東大寺へ向いました。
東大寺へ向かうと鹿の数が増えて行きました。

シーズン的に修学旅行の時期なのか、制服姿の中学生が沢山いました。
しかしこの写真の門の所へ来て急に雨が降ってきました。
折りたたみ傘をさしながら、修学旅行生が多いしみんな傘さしてるし、進みにくそうだし、博物館で疲れたし…と思い、残念ながらそのまま帰りました。
奈良に来ていつも思うのは以前にも書きましたが、いつ来てものんびりとした雰囲気があって、道も建物も何でも広々としていて、独特の風情を感じる事ができます。京都にはない独特の雰囲気、何度来てもいいなぁと思います。
今度来る時は遺跡の散策とかしてみたいです。
今回初めてチケット以外の画像をPhotoshopで補正してみました。
元画像は全て携帯で撮影したものですが、少しの補正できれいになるものですね。

この日は天気予報では雨だったのですが、晴れてくれました。
行き先は『誕生!中国文明』の展示をやっていた奈良国立博物館。


JR奈良駅に13時すぎに到着し、博物館へ行く途中昼食を取りました。
駅からお店へ行くまでに…

せんとくんによくお目にかかりました。
一時期は「気持ち悪い」とか「仏様に鹿のツノなど失礼だ」なんて散々言われていたのに街中に浸透しているようでした。
新装して場所も移動していた餃子の王将で天津飯を食べて、そのまま博物館へ。

行く途中には

沢山の鹿がお出迎え

おとなしかったです。
博物館への略地図に従って進もうとするのですが、その地図通りなかなか行けません。
案内の看板を見ても県立美術館は沢山案内標識があるのに国立博物館のはありません。
それでもなんとか到着。

なんと立派な建物。

正面(?)はいつも締切のようなので反対側へ…

ここでも展示はしていてるらしいが、ここは『仏像館』らしい。
という事は中国文明をやってるのは別の建物か。
国立博物館というのはこの建物だけを言うのではないらしい。
隣にある現代的な建物へ…

またまた鹿がお出迎え。

チケットと同じ写真の建物!
遠くから見えているのに大きい建物のせいかなかなか入り口に近づけない。
到着後、じっくり拝観しました。
本当に展示の数が多くてかなり疲れました。
説明文を読んでいると、そのほとんどが推測の文章ばかりでした。
ようやく全部見終わって、ロービーのイスに座ってしっかり休憩して、そのまま帰ろうと思ったらチケットの上に『なら仏像館/青銅器館 招待券』というのがあるのに気が付き、さっきの建物でやっている事だとわかってその建物へ直行。
ここもすごく数多くの展示物があって見るのが大変でした。
拝観料(チケット代)と内容を比べても十分元がとれるほど充実したものでした。
見終わった後、せっかく奈良に来たのだからどこかで何か見ようと思い駅と反対方向へ歩き始めました。
すると『東大寺』が近くだとわかってそのまま東大寺へ向いました。
東大寺へ向かうと鹿の数が増えて行きました。

シーズン的に修学旅行の時期なのか、制服姿の中学生が沢山いました。
しかしこの写真の門の所へ来て急に雨が降ってきました。
折りたたみ傘をさしながら、修学旅行生が多いしみんな傘さしてるし、進みにくそうだし、博物館で疲れたし…と思い、残念ながらそのまま帰りました。
奈良に来ていつも思うのは以前にも書きましたが、いつ来てものんびりとした雰囲気があって、道も建物も何でも広々としていて、独特の風情を感じる事ができます。京都にはない独特の雰囲気、何度来てもいいなぁと思います。
今度来る時は遺跡の散策とかしてみたいです。
今回初めてチケット以外の画像をPhotoshopで補正してみました。
元画像は全て携帯で撮影したものですが、少しの補正できれいになるものですね。

ステージを変える。
誰にでも影響を受けた音楽というのものがあると思います。
カッコイイと思った、
自然と涙が出てしまった、
感動した、
衝撃を受けた、
この曲を弾いてみたいと思った、
このグループ(あるいは個人アーティスト)の作品は買い続けよう、
などなど…。
自分の場合はなんといってもYMO(イエローマジックオーケストラ)。
小学生1年生の時に兄が友達から貸りてきたYMOのLPアルバムを聴いた時に、一体何を耳にしたのかわかりませんでした。
当時、家にはエレクトーンがあり、兄が習いに行っていました。自分が小学校と入学と同時に親が学校以外では家にずっといるだろうから習い事に行かせようと、エレクトーンに行かされました。反対しましたが、受け入れられず通う事になりました。
エレクトーン教室では、学校の音楽で扱うような曲が多く、つまらなかったです。当時流行っていた歌謡曲などもやりませんし、そういった曲を弾くことさえ禁止されていました。一昔前でいう『ロックは不良』に近かったのかもしれません。
同じ時期、ゲームセンターでテーブルゲームがブームになっていました。インベーダーゲームやギャラクシアン、ボスコニアン、トランキーライザーガン、パックマン、ドンキーコング、マリオブラザーズ、マリオブラザーズjr、次々と新しいゲームが世に出ていました。
当時ゲームセンターはどこも18禁で同じ年代というか小学生自体いませんでしたが、店員に注意されながらもよく行っていました。
YMOを聴いた時、電子音がエレクトーンとは全く違う、これはゲームセンターのゲームの音楽か?などと思いましたが、とりあえず曲の大部分をシンセサイザーという電子楽器で作っている事を知りました。
面白いし、カッコイイ、衝撃を受けました。
当時LPなんて小中学生が買えるものではなかったものの、当時はまだ普及していなかったラジカセを買ってくれていたので(それでも家族みんなで共用)、ラジオ番組表でYMOを探してテープに録音して聴いていました。それからYMOが散開(解散ではない)するまでの約6年間そういう事を続けていました。
歌謡界ではアイドルブームみたいなかんじだったので、YMOの事なんて知っている友達はいませんでした。
でも小学校4年の時に「YMO知ってる」という友達と出会いました。6年生まで同じクラスだったのですが、誰かが引越しなどをする時にする送別会ではいつも彼とYMOのバンドの真似をしていました。
高橋幸宏好きの彼はカンカンなどを集めてドラムセットを作り、坂本龍一好きの自分は彼の姉が持っていたポータサウンドをかりて、本番では先生のラジカセをかりてテープでYMOの曲を流してそれに合わせて演奏のようなマネをしていました。
エレクトーンは小学校4年の時に学校の方から放課後の行事と重なるならやめるように言われ、自分もなんとなくやっていただけだったのでやめました。
でもYMO友達の彼と真似事をするようになってから自分から進んで練習するようになりました。しかし、当時バンドスコアなんてものは手に入らないので結局のところ、練習はしてみるが耳コピもできないので、結局真似事の域は出ませんでした。
そうこうしているうちにYMOは散開します。『なんでだ。これから聴く音楽がなくなる』とまで思いました。散会後は坂本龍一のソロ活動の作品を聴き続けますが、やっぱりYMOの作品とは違う傾向のものがほとんどでした。
坂本龍一のソロを聴き続けながらも『YMOのようなグループが出てこないか』と探し続けていました。すると中学3年の時にラジオから『YMO+ロック』のような音楽が聴こえてきました。それがTMNETWORKでした。
その出会いから約1年後『GetWild』でブレイク。テレビ出演も見ました。狂ったようにノリノリでキーボードを弾く小室哲哉に魅了されました。YMOは音楽だけでしたが、TMはパフォーマンスもカッコイイ、これだと思いました。
高校に入ってからバイトをしてシンセサイザーを買い集めコンテストにも出ました。
しかしTMも大学生の時解散しました。
またYMOやTMの次を探していると、五十嵐充が率いるEveryLittleThing(ELT)のFeelMyHeartを何かで聴きました。
ベースになる音楽はシンク(コンピューターが演奏する部分)、TMの小室哲哉のように手弾きパートもしっかりとあり、さらに洋楽のポップやロックの要素もしっかりと入っていて『完璧だ!』と思いました。
しかしこのELTもまた五十嵐充が脱退して音楽が大きく変わって行きます。
いつもどうして自分がいいな、と思ったグループが消えたり、ソロになって全く違う音楽をするのかと残念だと思っていました。でもその長年の疑問が解消しました。最近、坂本龍一の自伝『音楽は自由にする』を読んでわかった気がしたのです。
この本にはYMO時代に苦悩や葛藤している彼の心境、他のメンバーとの確執など、一般人からは想像もつかなった事も書かれています。YMOをやめてやっと解放されたといった事も書いてありました。
自分が好きなアーティストだけが消えていくのではなく、ビートルズにしてもかぐや姫にしてもアリスにしてもゴダイゴにしても、多くの場合、ソロになる。グループ内の確執もある場合もあるし、自分がやりたいと思っている新たな活動をするために解消する事もある。
逆に同じグループで同じような事を続ける方がもっと大変。
同じ事を繰り返すのはかえってそれぞれの成長の妨げになる。
だから新しいステージへ旅立つ。
ゆえに解散は当然の成り行き。
これは音楽の世界に限った事ではないと思います。
同じ会社や職場に居座り続ける、異動さえない、それは楽かもしれないが成長は望めない。
大学や大学院にい続けるのもまた同じ。
自分は基本的に同じ場所にい続けるのが嫌なタイプです。
でも成長しているかと考えるとそれは疑問ですが、きっとしていると信じて新しい事に挑戦し続けたいと思っています。
カッコイイと思った、
自然と涙が出てしまった、
感動した、
衝撃を受けた、
この曲を弾いてみたいと思った、
このグループ(あるいは個人アーティスト)の作品は買い続けよう、
などなど…。
自分の場合はなんといってもYMO(イエローマジックオーケストラ)。
小学生1年生の時に兄が友達から貸りてきたYMOのLPアルバムを聴いた時に、一体何を耳にしたのかわかりませんでした。
当時、家にはエレクトーンがあり、兄が習いに行っていました。自分が小学校と入学と同時に親が学校以外では家にずっといるだろうから習い事に行かせようと、エレクトーンに行かされました。反対しましたが、受け入れられず通う事になりました。
エレクトーン教室では、学校の音楽で扱うような曲が多く、つまらなかったです。当時流行っていた歌謡曲などもやりませんし、そういった曲を弾くことさえ禁止されていました。一昔前でいう『ロックは不良』に近かったのかもしれません。
同じ時期、ゲームセンターでテーブルゲームがブームになっていました。インベーダーゲームやギャラクシアン、ボスコニアン、トランキーライザーガン、パックマン、ドンキーコング、マリオブラザーズ、マリオブラザーズjr、次々と新しいゲームが世に出ていました。
当時ゲームセンターはどこも18禁で同じ年代というか小学生自体いませんでしたが、店員に注意されながらもよく行っていました。
YMOを聴いた時、電子音がエレクトーンとは全く違う、これはゲームセンターのゲームの音楽か?などと思いましたが、とりあえず曲の大部分をシンセサイザーという電子楽器で作っている事を知りました。
面白いし、カッコイイ、衝撃を受けました。
当時LPなんて小中学生が買えるものではなかったものの、当時はまだ普及していなかったラジカセを買ってくれていたので(それでも家族みんなで共用)、ラジオ番組表でYMOを探してテープに録音して聴いていました。それからYMOが散開(解散ではない)するまでの約6年間そういう事を続けていました。
歌謡界ではアイドルブームみたいなかんじだったので、YMOの事なんて知っている友達はいませんでした。
でも小学校4年の時に「YMO知ってる」という友達と出会いました。6年生まで同じクラスだったのですが、誰かが引越しなどをする時にする送別会ではいつも彼とYMOのバンドの真似をしていました。
高橋幸宏好きの彼はカンカンなどを集めてドラムセットを作り、坂本龍一好きの自分は彼の姉が持っていたポータサウンドをかりて、本番では先生のラジカセをかりてテープでYMOの曲を流してそれに合わせて演奏のようなマネをしていました。
エレクトーンは小学校4年の時に学校の方から放課後の行事と重なるならやめるように言われ、自分もなんとなくやっていただけだったのでやめました。
でもYMO友達の彼と真似事をするようになってから自分から進んで練習するようになりました。しかし、当時バンドスコアなんてものは手に入らないので結局のところ、練習はしてみるが耳コピもできないので、結局真似事の域は出ませんでした。
そうこうしているうちにYMOは散開します。『なんでだ。これから聴く音楽がなくなる』とまで思いました。散会後は坂本龍一のソロ活動の作品を聴き続けますが、やっぱりYMOの作品とは違う傾向のものがほとんどでした。
坂本龍一のソロを聴き続けながらも『YMOのようなグループが出てこないか』と探し続けていました。すると中学3年の時にラジオから『YMO+ロック』のような音楽が聴こえてきました。それがTMNETWORKでした。
その出会いから約1年後『GetWild』でブレイク。テレビ出演も見ました。狂ったようにノリノリでキーボードを弾く小室哲哉に魅了されました。YMOは音楽だけでしたが、TMはパフォーマンスもカッコイイ、これだと思いました。
高校に入ってからバイトをしてシンセサイザーを買い集めコンテストにも出ました。
しかしTMも大学生の時解散しました。
またYMOやTMの次を探していると、五十嵐充が率いるEveryLittleThing(ELT)のFeelMyHeartを何かで聴きました。
ベースになる音楽はシンク(コンピューターが演奏する部分)、TMの小室哲哉のように手弾きパートもしっかりとあり、さらに洋楽のポップやロックの要素もしっかりと入っていて『完璧だ!』と思いました。
しかしこのELTもまた五十嵐充が脱退して音楽が大きく変わって行きます。
いつもどうして自分がいいな、と思ったグループが消えたり、ソロになって全く違う音楽をするのかと残念だと思っていました。でもその長年の疑問が解消しました。最近、坂本龍一の自伝『音楽は自由にする』を読んでわかった気がしたのです。
この本にはYMO時代に苦悩や葛藤している彼の心境、他のメンバーとの確執など、一般人からは想像もつかなった事も書かれています。YMOをやめてやっと解放されたといった事も書いてありました。
自分が好きなアーティストだけが消えていくのではなく、ビートルズにしてもかぐや姫にしてもアリスにしてもゴダイゴにしても、多くの場合、ソロになる。グループ内の確執もある場合もあるし、自分がやりたいと思っている新たな活動をするために解消する事もある。
逆に同じグループで同じような事を続ける方がもっと大変。
同じ事を繰り返すのはかえってそれぞれの成長の妨げになる。
だから新しいステージへ旅立つ。
ゆえに解散は当然の成り行き。
これは音楽の世界に限った事ではないと思います。
同じ会社や職場に居座り続ける、異動さえない、それは楽かもしれないが成長は望めない。
大学や大学院にい続けるのもまた同じ。
自分は基本的に同じ場所にい続けるのが嫌なタイプです。
でも成長しているかと考えるとそれは疑問ですが、きっとしていると信じて新しい事に挑戦し続けたいと思っています。
今は円安ですよ?
円高が続き、当然それにつられ全面大幅株安。
日銀の新たな金融緩和政策、極左政府が為替介入、共同歩調を取った事は市場にインパクトを与えたものの2円程度の円安。
そして今日も円高が進み、株はさらに下落。
日本の経済・産業の将来が心配されます。
ただちょっと意外な解説に接しました。
それを下記の表にしてみました。
円高が深刻だった95年4月と今年の6月の比較です。
日銀の新たな金融緩和政策、極左政府が為替介入、共同歩調を取った事は市場にインパクトを与えたものの2円程度の円安。
そして今日も円高が進み、株はさらに下落。
日本の経済・産業の将来が心配されます。
ただちょっと意外な解説に接しました。
それを下記の表にしてみました。
円高が深刻だった95年4月と今年の6月の比較です。
| 為替 | 95年4月 | 11年6月 |
|---|---|---|
| ドル円レート (月平均) | 83.7円 | 80.5円 |
| 日本から見た 米国物価 | 100 | 150 【5割アップ】 |
| 実質ドル円レート (月平均) | 83.7円 | 120.7円 |
しかし、アメリカの物価は95年と比べると今は5割も上がっています。
つまりアメリカから見ると日本の物は安く見える、つまりまるで『円安ドル高』です。
本当は日本の製品は5割増で売ってもよかった、でもアメリカの物価を考慮せず16年前と同じ値段で売って損をしているというのです。
なるほどなぁ、と思いました。
為替はなるほど、と思えても株の下げはかなり深刻です。
どちらにしても今の現状は楽観視できないと思います。
8月3日に投稿したなう
今朝は5時に目がさめて、そのままサンドイッチを作った。おかげでもう眠たい。やっぱサンドイッチは大変や。
8/3 22:09
仕事はポシャったけど、その知人のおじさんは色んなスキルや人生経験豊富で何となく豪快さもあり、さらには明るいキャラで好きだった。これからの人生の良き師匠に相応しい人だと思ってた。仕事がダメになっても大人としてのお付き合いはできると思ってただけに全て過去形なのが残念。
8/3 22:09
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8月2日に投稿したなう
7月27日WEB製作の仕事を個人として初めて受注。これまで2度ほどヒアリングして納期や値段交渉も29日に合意。しかし3日後の早朝思いつきのようにキャンセルされた。手付けや前金などを取っておくべきだった。知人という事もあり堅苦しい契約書は作らなかった。全ては自分の落ち度。
8/2 22:07
悪い出来事も『良かった』と心の中でつぶやき気持ちを切り替える。『良かった、自分の未熟さがわかって』『良かった、いい加減な人の仕事を受けずに済んで』『良かった、新しい事を始めやすい』いい勉強をさせてもらいました。思いつきで『やっぱりお願い』と大金を積まれてもやらない。
8/2 22:08
タイミングよくiTunesから流れて来た曲はZARDの『負けないで』。まだ負けてませんよ^^
8/2 22:16
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