「トルシェ総裁が「財政健全化こそ持続的成長につながる」と発言したのに対して、菅直人首相は今年6月のG20(20カ国・地域首脳会議)で「強い経済、強い財政、強い社会保障」などと訳のわからないことを言っている。そもそも、この三つを同時に実現できるのだろうか。歴史を振り返って見ても、そんなことを実現できた政治家は世界を見渡しても誰一人としていない。実現不可能なことを平然と言ってしまうあたりが菅首相の恐ろしいところだ。」


これは、大前研一さんの新著「慧眼 <問題を解決する思考> (大前研一通信 特別保存版 Part.Ⅳ) 」に書かれている発言です。


そして、日本がとるべき道については、こう結論付けます。

「福祉を後回しにしても財政規律という選択になる」



そして、「税金を使わなくても社会を豊か」にする方法のヒントとして、イギリスのキャメロン首相の掲げる「ビッグソサエティー」構想について取り上げます。


「イギリスの与党・保守党+自由民主党の連立政権を率いるキャメロン首相は7月15日、「大きな政府(ビッグガバメント)」ではなく「大きな社会(ビッグソサエティー)」の建設を後押しする意向を明らかにした。これは社会政策の多くを、慈善団体や社会的起業家などにゆだねる構想である。具体的な手法として、民間銀行の休眠口座の資金を元手に、「ビッグ・ソサエティー・バンク」と名付けた銀行を創設することも発表した。
休眠口座とは、一定期間以上入出金のない銀行口座のこと。この残金を国への「寄付」とする法律をつくれば、かなりの額が集まるはずだ。これを資金に新しい銀行をつくり、社会政策を行う元手にするのだ。秀逸なアイデアである。キャメロン首相は選挙戦の頃からこのアイデアを出していたが、ここに来て大きく、かつ具体的に一歩踏み出した感じだ。税金を使わずに社会政策を充実させるアイデアを展開し、それを実行しようというキャメロン首相はただ者ではない。」


そして、こう続けます。


「菅直人首相も、休眠口座の活用を考えたらどうか。そして慈善団体や社会的起業家、非営利組織(NPO)などに限定しないで、「皆さんが社会活動に参画してください」と国民に呼びかけるのだ。キャメロン首相のやり方とは少し異なるが、公的な負担を減らすことができる。
この連載でも何度か取り上げているが、私は税金を使わずに経済のパイを拡大する方法や社会活動を活発にする方法を提案してきた。その中では社会活動に個人が参画していくアイデアが含まれる。
そのコンセプトを私は「グレートソサエティー」と呼んでいた。社会(ソサエティー)を各個人が参画してつくっていくという意識を定着させれば、「大きな政府」は必要なくなる。」




このあたりの仕組みづくりに関しては、ヨーロッパはやはり進んでいるようで、


私の個人的な好みですが、イギリスの経済学者トニー・アトキンソン氏が提案する「参加所得」というのもひとつの優れたアイデアだと思います。


これは、宮本 太郎著の「生活保障 排除しない社会へ (岩波新書) 」にあったものですが、


「「参加所得」とは、通常の就労に加えて、介護、育児、ボランティア活動などへの参加を条件として一八歳以上の市民に給付されるものである。退職年齢に達している、あるいは労災や障害が認定される場合も、給付の対象となる。アトキンソンは、税控除を全廃して財源を調達すれば、増税なしでも、すべての市民に週一八・二五ポンド(約二七○○円)の給付が実現できるとする。「参加所得」は、従来の所得保障に替えるものではなく、社会保険制度などを補完するものであるが、その導入で公的扶助の受給者を減らしていくことができるとされる。
社会参加型のベーシックインカムは、労働市場に見返りの大きな仕事が減少しているなかで、無償労働を活性化させて、地域のさまざまなニーズの解決につなげようとする試みでもある。」



「大きな社会」という構想は、各国(特に先進国)の財政難が生んだ素敵な副作用です。

社員の年収の社外公開と年収上限1000万円の会社


会社経営者で禅道を究めた井上暉堂 老師の著書「ビジネス止観力 」にその詳細は登場します。


「広島のメガネチェーン「メガネ21」は、稼いだ利益をその期のうちに社員にすべて配分してしまう。社員がボーナスで五○○万円もらうこともある半面、業績が悪ければそれなりしか出ません。価格が不明朗だった眼鏡の世界で、格安の商品を開発・販売し、高い業績を上げています。テレビ東京系の「カンブリア宮殿」で放映され、大きな反響を呼んだので、ご覧になった方も多いでしょう。
興味深いのは、社員の給与を社外にもすべて公開していること(企業サイトには、社長の言葉とともに年収も記されています)。そして、年収の上限は一○○○万円だそうです。
しかし、それだけで「夢がない」とうそぶく方は、年収額が即生活の豊かさのバロメーターである、という考え方にとらわれすぎている気がします。」


年収を豊かさのバロメーターにしないこと。


そもそも、日本では狩猟民族の仕事観とは異なる仕事観があります。

以前にブログでも取り上げました。


仕事の報酬は次の仕事  


巡礼としてのビジネス  




一方、「年収を豊かさのバロメーターにしない」ことを国家単位で実行する国があります。




それが、スウェーデンです。




スウェーデンが国家として仕組み化したのは、「同一賃金・同一労働」


これは、湯元 健治著の「スウェーデン・パラドックス 」に登場します。


「企業や産業が異なっても、ほぼ同じ水準の賃金が同職能・同職階・同勤続年数の従業員に支払われる。その企業の業績には関係ない。すると、高い利益をあげている産業や企業は給与の水準を業績に応じて引き上げる必要がなく得をする半面、利益があがっていない産業や企業は給与の支払いに苦労することになり、やがては倒産や廃業に追い込まれる。
つまり、業績が芳しくなく、生産性の低い産業や企業は整理・淘汰され、溢れた労働力をより生産性の高い産業や成長企業に移動させれば経済全体の生産性が向上し、経済成長につながる仕組みだ。そのような産業や企業は、大きな利益をあげているにもかかわらず賃金コストは他の企業・産業と同じであるから、内部留保を大きく貯めることができ、それを再投資・拡大再生産に回すことで、さらなる成長が期待でき、一雇用の拡大にもつながる。
では、整理・淘汰によって解雇された人々はどうなるかというと、失業手当の給付を受けながら求職活動を行うことになる。しかし、転職や再就職は本人の自助努力だけで容易にできるものではない。そのため、再教育や職業斡旋は国が責任を持って行うことになる。成長する産業や企業が求める引き手あまたの技能を持つ労働力には企業が殺到するため、放っておけば賃金が高騰しインフレにつながる恐れもある。しかし、国の支援のもとで失業者の再教育が行われ、業種や職能を超えた転職が容易となれば、円滑な構造転換が図られ、インフレの抑制にもつながる。
このように、賃金決定プロセスや国の労働市場政策、投資誘導政策などを総動員することで、低インフレ、低失業、高成長、そして公正な所得分配を同時に達成しようという経済モデルは、提案した2人の経済学者の名をとって「レーン・メードナー・モデル」といわれる。このモデルが実際にうまく機能したかどうかについては評価が分かれるところだ。インフレ抑制はあまり達成できなかったものの、産業の構造転換を円滑にすることによって経済の効率性や成長率の向上に大きく貢献したと考えられている。」



日本人の仕事観とも矛盾しないこの優れた仕組みと発想は、日本の社会保障制度改革のひとつの姿として、一考に値する内容ではないでしょうか。


先に取り上げた年収1000万円上限については、国家の財政難や医療福祉制度トータルで見ると賛否あるかもしれませんが、社外にそしてお客様に公開するという姿勢は、これまでにないおもしろい試みではないでしょうか。

「ベリーが言うように、もし我々が食べず、飲まず、また呼吸もせずに生きることを学んだのでないかぎり、脱農業社会などというものは存在しない」


ウェンデル・ベリーの環境思想―農的生活のすすめ ウェンデルベリー 著 まえがき より



グローバルな金融の荒波が押し寄せる中、ローカルな農的な生活の価値が改めて見直されています。


同著には、こんな一節も、


「ウィリァム・アレン・ホワイトによると、一九一二年において、「アメリカ合衆国で最高の評価額を有する郡は、カンザス州マリオン郡だった。……マリオン郡はたまたまアメリカ国内の他のどの郡より多くの一人あたり貯蓄を持っていた。……けれどもマリオン郡で富豪と評価された者は一人もいなかった。しかし刑務所と救貧院は事実上空っぽだった。大きな一人あたりの富は、それを働いて稼ぐ人々の間で実際に分配されていたのだ」という。もちろんこれは、しばしばジェファーソン派の夢と呼ばれるものの実現である。
しかし実際上これは、ジェファーソン派ばかりでなく、人間の歴史全体を通して経済的に圧迫された人々の夢である。またマリオン郡は農村地帯であるから、ホワイトは銀行預金についてだけ話していたのではない。
彼は、真の資本、すなわち使用可能な資産について話していたのだ。ホワイトが語っているような時代と夢は、いまはもう遠い昔である。今日の国家経済は、ますますグローバル経済になりつつあるが、もはや国土と国民の繁栄によって栄えるのではなく、国土と国民を搾取することによって栄えている。南北戦争は、田園地帯から自由に利益を搾りとりたいと願っていた鉄道や鉱山、木材産業の大物たちにとってアメリカを安全なところにした。いまでは彼らの産業と後継者たちの仕事はほぼ完結した。彼らはほぼ全住民から土地を奪い、相続権を取り上げ、都市経済の中へ移動させた。彼らは田園地帯の外観を傷つけ収奪した。そしていま、この巨大な企業組織は完全に土地から遊離し国際化して、「グローバリゼーション」「自由貿易」「世界新秩序」などの合い言葉のもとに全世界から利益を搾りとる動きを見せている。提案されているGATT(ガット)の改訂は、ひとえにこの搾取の推進を意図するものにほかならない。目的は単純、露骨に地球上の生産力を有するあらゆる土地の切れ端とすべての労働者を企業組織の支配下に置くことである。」


では、ローカリズムを実践するにはどうすればいいか。

それは、やはり、地域の雇用の問題になり、食料とエネルギーの自給という話に…


テクテクノロジー革命―非電化とスロービジネスが未来をひらく (ゆっくりノートブック) で、発明家の藤村 靖之
氏はおっしゃいます。


「長距離を運ぶためにはたくさんの車が必要で、車が走るための石油と道路が必要で、道路をつくるためにはまたエネルギーが必要なんです。こういうふうにしてそろって仲良く、経済を大きくしてきた。車をどうするんだという議論の前に、経済のありかたを変えることが先のような気がします。社会資本という言葉がありますが、お金を道路をつくることに注ぎこんで、そのための借金が膨大に残っている。
そんなものに使うのはやめて、新たに鉄道をつくりましようって言ったら、大喜びする人もいるかもしれない。また工事が生まれるから。でも、今の日本の借金だらけの経済を考えると現実的ではありません。だから、道路はそのままにして、交通量を少なくしてしまえばいい。それにはどうすればいいかというと、本来の唯一の課題である、地域レベルで環境と雇用を両立していくというところに戻るんですね。食料とエネルギーをローカルで生みだすほうに雇用を上手にシフトしていく。ついでに言えば、衣料品や材木から日用雑貨品に至るまで、なるべくローカル化していく。そうすると車の使用量は大きく減っていくんですね。ローカル化では国際競争力に勝てないという意見もあるけど、消費者との共感があれば話は変わってくる。」



そもそも、グローバルの罠の前に、消費の罠にはまっているということを、

先進国と途上国の関係は浮き彫りにします。


藤村さんは自身が関わるアフリカでの話をこう伝えます。

「たとえばナイジェリアにはすごいところがある。人口は日本より少し多いくらいですが、日本に重症のストレスを抱える人が3000万人いるそうだけど、ナイジェリアには私の推定では一人もいない。自殺する人もいないだろうし、学校でのいじめもないだろうし、登校拒否の子もいないだろう。人びとはいつも明るくて、陽気で、親切です。暖かいから1年中バナナがなっていて、失業率6割だからって飢え死にする人はほとんどいない。だから、ベースはこのままでいいんです。ただ、部分的に取りだすと不幸なことはある。その困っている部分だけを直すために、地域で産業化し、雇用を生みだし、困っている人を助ける。全体構造は変えないために、地域ベースで自立型持続型の産業をおこして、環境と雇用を両立させていくんです。そのためのビジネスモデルをプレゼントするのが、私がアフリカでやっていることです。
ナイジェリアで、イギリスの会社が新しく建設中の巨大なショッピングモールとホテルや会議場がある数億ドルのビッグプロジェクトを、現地の人が私に見せてくれました。イギリス人の責任者が自慢げに案内するのはわかるけれど、なぜ、私たちを迎えた人たちがそこへ連れてきたかったのかがわからなかった。どうも彼らは、そのプロジェクトを自慢したかったらしい。後で「お金は誰が出すんだ」と聞くと、全部イギリスの企業で、国際金融機関から借金して巨大なショッピングタウンをつくるんだそうです。誰がこんなものを買うのか、と聞くと、ナイジェリアの人にきまっているじゃないかと言うから、そのお金はどうやって稼ぐんだ、と聞いたんです。彼らは、私が説教しはじめていると感じて、だんだんしどろもどろになっていきました。
こういうふうにして、消費をあおり、そのためにより多くの収入を稼がないといけなくする。たぶんこのプロジェクトの脇では、いろんなものを製造する施設を移し、大企業が雇用を生みだすのかもしれない。新しい経済のシステムに乗っけようとしている。大企業は、これを借金でやるわけだから、借金を返して余りある利益をあげないといけない。こういうふうに、アフリカのいろんな国が経済支配され、ますます不幸になってきたんだ。それをなんとか別の選択肢を示していこうということで、我々は活動をしているのに、私たちのパートナーになった人たちでも、うっかりするととりこまれてしまいそうになるんです。

ビジネスのこわさというのは、もっと売れる、もっと儲かるという磁場に吸い寄せられるように動いていくことです。生産性の高い機械を導入すれば、人より安くつくって売ることができる。つまり市場を独占できるわけですね。市場を独占するというのは、その人にとってみれば、収入が増えて、欲望を満たせるかもしれないけれど、マーケットには限りがあるから、ほかの人の雇用をうばってしまう。機械で生産性を高めること自体は悪いことではないのだけど、生産性を高めすぎることがいいかというと、かえって高めないほうがいい場合もあるわけです。」



また、藤村さんは、先住民族と征服型民族、もしくは、競争を好むものと好まないものという別の視点も示されます。

「競争が好きな人ときらいな人が同居すると、必ず競争が好きな人が勝ってしまう。この問題のほうが大きい気がします。平和主義の先住民族は、征服型民族という競争主義者に、いともかんたんに征服されてしまう。競争が好きな人が武器と武力を磨いていくわけですから、武器と武力がきらいな人が、たちうちできるはずがない。では、こういう人たちが同居したときに、自分たちの平和を守っていけるシステムがほんとうに存在するかどうか。これはポイントのひとつだと思います。

私は可能性はあると思います。民主主義と情報が発達しているという前提の上ですがね。今、世の中を動かしているのは、政治よりもどちらかといえば経済ですね。経済を動かしているのは集合体ですが、あえて言えば、企業と言っていいでしょうね。大企業をはじめとして企業が一番怖いのは、消費者です。政治家が一番怖いのは、民主主義が発達していれば、選挙ですね。そうすると、女性と若者だけで、消費者の過半数、選挙民の過半数を得ているのだから、じつは経済と政治を支配できる可能性は残っている。つまり、消費者という立場の人が、安いものであればなんでも買う、消費をあおられれば、それに乗つかっていくというのではなく、知性をきちんと身につけて、生産形態を変えていくということです。消費者であり、選挙民であるということが同居して、民主主義が育っていくならば、可能性が残っていると思います。
競争の定義の中には、同じゴールに向かうということがあると思います。たとえば徒競走でも、同じゴールに向かわなかったら競争が成りたたない。これがまず大きな問題です。競争が好きな人ときらいな人がいるというのも大事な指摘だと思います。また、たとえば、一人の人間の人生でも、競争に向いている時期とそうでない時期がありますね。それから競争というのは、勝つ人がいたら、必ず負ける人がいるでしょう。障がいのある人や、いろんなハンディキャップをもった人もいる。こんなふうに競争にはいくつもの大きな問題がつきまとう。」