「日本の自動車の自給率。正解は1%未満なのである。
信じられない、ありえないという読者のブーイングが聞こえてきそうだ。
だが実際に、農水省の基準を準用すれば、日本の自動車自給率は1%未満としか言いようがないのである。日本人はほぼ100%、自動車を輸入に頼っていることになるのだ。」

これは、前回も取り上げた水澤 潤氏の「超円高社会 日本が変わる 」の一節です。



氏は続けます。

「日本の食料自給率の計算においては、たとえ国内で生産された畜産物でも、エサが輸入物であれば、それは外国産とみなすことになっている。
たとえばブタ肉。国内で生まれ、大きくなるまで育てたブタの肉でも、「エサの90%以上が輸入物だ」という理由によって、「国内産のブタ」に関する「食料自給率の数字」は、自給率9.7%という低い数字になるのだ。
もちろんこのほかに輸入ブタ肉が47%あるために、日本のブタ肉の自給率は、農水省方式でトータルすると、わずか5%となってしまうわけである。」


これについて、浅川 芳裕氏は「

日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率 」の中で、


「やはり国産の牛肉は美味しい」などと舌鼓を打ちながら我々が食べている肉は、大半が輸入飼料をエサにしている。
これは世界的に確立されているサプライチェーン(供給連鎖)のなかで、安くて高品質な飼料を日本が輸入できているおかげである。
もちろん海外に負けない高品質の飼料を安定的、かつ経済的に作れる農家が出てくれば、畜産農家も喜んでそちらを使うはずだ。地元の飼料を使った地元の畜産物のブランド化にも寄与するだろう。しかし、政府が税金を大量投入して無理やり国産飼料米を増産し、家畜に食べさせようとするのは理に適わない。

むしろ、輸入飼料をやめて無理やり増産した国産の飼料米を使うことは、畜産農家にとってリスクが高い。彼らはこれまで約二五○○億円をかけて、一六○○万トンの米国産トウモロコシを飼料として輸入してきた。仮に、国の補填で国産飼料米が米国産トウモロコシより安く提供されるようになったとしても、おそらく畜産農家がすぐに飼料米を使うことはないだろう。

なぜかといえば、飼料米を作る農家は作りたくて作っているわけではないからだ。畜産農家に頼まれて作っているわけでもない。国の減反政策に従い、補助金がもらえるから作っているのである。そのため、補助金が廃止されれば飼料米を作らなくなる公算が高い。」



さらに、「省益と天下り先の利益を追求」する農水省が、ビジネスを見誤っている証拠として、オランダを例に出しこんなことも述べられます。

「オランダは輸出が増えると同時に、輸入も増えている。人口が世界五八位の約一六六○万人しかいないにもかかわらず、輸入額は世界第七位である。
日本人の常識からすると、「国産が足りないから輸入する」のであり、「輸出するほど国内生産量が多いのに、なぜ大量に輸入する必要があるのか」と考えるだろう。実は、その発想自体が農業・食ビジネスの現実を見誤っている。
オランダは、質の良い原材料を海外から国際価格で輸入し、それを国内で加工して、製品として輸出している。端的にいえば、輸出するために輸入しているのだ。

日本のような食品加工技術が発達した先進国では、原料を国際価格で輸入できれば、加工産業が競争力を持てる。そして農産加工品が世界に輸出されれば、輸出向け商品の原料となる国産農産物の需要や競争力も引き出されるのだ。農家が直接農産物を輸出しなくても、海外に向けて市場が大きく広がるのである。
にもかかわらず国は、それでは食料安保が脅かされるといって産業のパイを国内に絞り、国産原料シェアを最大化しようとする。実際は第三章で述べた通り、コメや小麦、バター、砂糖などの利権構造を維持するために、国が輸入を取り仕切り高値で引き渡すという、輸出競争力を落とす仕組みを自ら作っているにすぎないのだ。
たとえば、国際的な品質評価に対して日本のお菓子の輸出が少ないのは、それらの原料が国際価格で買えないからである。工業界でいえば、日本だけが原油や鉄を他国の数倍の値段で買っているという、あり得ない話なのだ。
国際的に自給率が重要視されないのは、基本食料であっても互恵貿易が成立し、農業が加工産業に立脚しているからだ。それなのに日本は、「日本人だけが自給自足して生き残れればいい」ともとれる国粋主義的な政策によって、国民、農業、食産業界すべての実益が失われている。」


そして、

「コメに七七八パーセント、こんにゃく芋には一七○六パーセントなどと、非常識な超高関税を課している。」



しかし、現実は著書のタイトルにもあるとおり、日本は世界第五位の農業大国であり、

データでみても、それは明らかです。

「農業の実力を評価する世界標準は、メーカーである農家が作り出すマーケット規模である。国内の農業生産額はおよそ八兆円。これは世界五位、先進国に限れば米国に次ぐ二位である。この数字は農水省が発表しているもので、二○○一年以降、八兆円台を維持している。」

その理由は簡単で、著者いわく

「日本が農業大国である所以は、日本が経済大国だからという点に尽きる。」


加工産業としての日本の農業が、国内の巨大なマーケットに留まらず、国際マーケットのなかで、健全に競争をしていくことで、消費者も農家も得をすることが見えてきます。

浅川氏の著書の後半では、アジア諸国含め世界に打って出ている日本の農業経営者の事例も出てきます。


より付加価値を生むために、加工産業として世界の中で競争するというのは、どの産業にとっても重要だということが改めて分かります。

「円高。それは日本の国富が膨らむことを意味している。だから筆者には不思議で不思議でならないのだ。どうして日本では、国民みんなが「円安のほうがいい」と言うのだろうか。円高になると景気が悪くなる…と、みんながみんな、洗脳されているのだとしか思えない」


こう書くのは、水澤潤氏。著書は、「超円高社会 日本が変わる


氏は円高に対する日本国民が抱くネガティブなイメージが間違ったものであることを訴えかけます。


「円高になれば、輸出産業が苦しくなるのは事笑である。だが物事はすべて相対的なものである。輸出産業が苦しくなる時、内需産業は天国になる。

円安で利益が増える輸出産業界は、ご存じのように、巨大企業が中心だった。
逆に、円高によって利益が増える業界は、実は想像するよりもはるかに幅広い。
近所の八百屋さんもスーパーも、ハンバーガーショップの応員も、個人タクシーや長距離トラックの運転手も、建設会社の配筋工も、医師も看護師も介護士も、食堂やスナックのママさんまでも、みんな円高になれば利益が増える業種なのだ。なぜなら日本は、すでに内需主体の固なのだから、円高で輸入品が安くなれば、みんなが利益を得るのは当然なのである。

輸出産業は、たしかに大企業が多い。マスコミに多額の広告料を払っているのも輸出産業だ。だからマスコミは、常に円安待望派の一屑を持つ。

マスコミが意識しているのかどうかは不明だが、結果として「円高=悪」という消費者への洗脳工作が絶え間なく行われ続けているのである。」


そして、貿易立国・貿易依存国 日本というのも事実と異なることを説明します。


「日本の輸入額、輸出額がGDPに占める比率は、諸外国に比べて、とても低い」

「多くの人の常識とは正反対のこの単純な事笑。ぜひとも知っておいてほしいのだ。日本は、圧倒的に「内需によって経済が成り立っている国」なのである。」

詳しくは、上掲書 文中の図を参照ください。


この円高という現実を前に、不安定な通貨を実物に変えるため、ある人は東南アジアで不動産投資を始めました。また、ある人は憧れのヨーロッパに家を購入しました。

円高という事実の捉え方と視野を広げてみることで、選択肢は大きく広がります。未来に対して描くストーリーによって選択は人それぞれです。


「理性で考えた理想や目標は命に苦しみを与えます。だけど命から湧いてくる欲求に基づいて抱いた理想や目標は命を喜ばせます。」


これは、行徳哲雄氏と芳村思風氏の共著「いまこそ、感性は力 における芳村思風氏の発言。


芳村氏はこう説きます。


「理性的になればなるほど個性はなくなるのですから、理性的になればなるほど自分から遠ざかって自分を見失うんですね。これは実感として分かるのですけれど、本音とか、欲求とか、感情とか、そういうものが自分というものを表現する存在であり、欲求のない人間は自分の人生をつくれないということなんです。
実際問題、命の内から湧いてくるものがなければ、我々は行動しませんからね。そして行動しなければ何事も実現しません。まさに自分の人生を生きるということは、欲求に基づいてその思いを実現していくということなんです。それが自己実現の意味でしょう。」


理性と感性の対比し、両氏はこのような対話をされます。


行徳「現代人は苦しみから逃げすぎていますよ。苦しみから逃げるから、苦しみに追い掛けられるんです。大体、理性型の人間ですよ、逃げるのは。何かと言い訳をつくる。言い訳が多すぎます。
感性型の人間は相手に同化しますから、苦しくなったら苦しみます。悲しかったら思い切り泣けばいい、死ぬ時は死ねばいいんですよ。

『災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候』と良寛禅師も言っています。

芳村「理性で考えると「問題が出てこない道があるはずだ」「問題が出てくる道は間違った道だ」と思ってしまうんですね。だけど、人間は不完全だから問題が出てこない道はどこにもない。問題があることが正常で、ないことが異常そういう現実判断ができないと、問題を恐れずに向かっていくという生き方はなかなかできません。だから、逃げずに受けて立つことはリーダーの基本になるわけです。」


行徳哲雄氏はこんなことも伝えられます。


「江戸末期、九州の日田に江戸時代の儒学者廣瀬淡窓がつくった咸宜園(かんぎえん)という私塾がありました。大村益次郎や高野長英が学んだことで知られています。
「咸宜」というのは三千年近く前の中国の教えで、「ことごとくよろし」という意味です。不況だっていいじゃないか、浮気がばれたっていいじゃないか、と(笑)。徹底的な肯定の思想がベースにあるわけです。
だから、どんな人材でも来たらいいじゃないかというわけで、咸宜園には、身分性別に関係なく誰でも入門できたといいます。そのため全国から四千人もの人がやって来たそうです。こういう包容力というか、おおらかさというか、磊落(らいらく)さというか、これが感性の力ですよ。」


東北の被災という逃げようのない困難な現実に直面している日本に必要なのは、感性の復興による個の復活と力強く立ち向かう姿勢、そして徹底した肯定の思想です。