「念を飛ばす」などを考えている人達は、普通に考えてもできそうにないことに挑もうとしていて、正常な判断ができるような状態ではないと言えます。「念を飛ばす」と言う言葉は、言葉だけが独り歩きをしていますが、実はその言葉が示す効果に関してははっきり言って全く意味のないものなのです。
「念は飛ばすものではない」ことは、秘術を習得された方は分かっています。そのメカニズムは全く異なったものなのです。思念伝達も波動修正もエネルギーを送る事でその影響が起こると考えておられる方々は結局は何もできない事になります。送るのではありません。念を飛ばすことができると思っているのは、はっきりと言って気のせいのレベルでしかないのです。
人間関係の中で念を飛ばすことは、喧嘩を売っているのと同じことと言えます。怖い顔をして相手をにらみつけることと同じことになります。念を飛ばす作業の中に、自身の怒りのエネルギーなどを相手にぶつける、と言ったイメージでしょうか!?
この行為を繰り返せば繰り返すほど、自身の心身内のエネルギーを消耗してしまうことになります。念を飛ばすことを普通にできると思っている人の殆どは、その行為の後で疲労が蓄積することになります。それは考え方そのものと方法が根本から間違っているからです。
疲労だけではなく、その人達の意識の中には邪気・邪念がどんどん増えていきます。邪気・邪念はその人達が持つ気のエネルギーに乗っかったとしたら、心身の病を引き起こす大きな原因にのなり得ます。そういう邪気・邪念を自らの中に進んで蓄積していることを知らないのです。蓄積すればする程、健康から遠のいてしますのです。
逆に、「念を飛ばす」と言っている人達は、普通の人達には念を飛ばす力がないことを知りません。「人を呪わば穴二つ」も同義と考えていただいて良いと思います。
人を呪おうとする人達は、相手に対してではなくその程度に応じて自身の中に邪気・邪念を蓄積し続けるのです。人を呪う心は、自分に返ってくると言うよりも、間違った考えや方法により、自らの中に邪気・邪念を蓄積して、自分自身を痛め続けてることになっています。
このように考えれば、ご自身の身の回りに起こっている災いが、誰かの「念飛ばし」等によって引き起こされていると考えたり、またそれを恐怖に感じることも必要ないという事です。運気が悪いのは、他力的な要素がないことを知って下さいね。(出典)