本澤二郎の「日本の風景」(5043)

<恐ろしや武装部隊の集団戦争神社・初の靖国参拝の愚挙>

驚いた!腰を抜かすほどである。法治の根幹である日本国憲法を破壊する自衛隊幹部らの集団参拝が目の前で起きた。映像も出している。公然と憲法に違反する確信犯である。21世紀のクーデターなのか。一番驚いたのは、ワシントンのリベラリストたちではないだろうか。飼い主に牙を向ける武装部隊に対して、与野党から声が聞こえない。戦前の2・26事件を連想する老人も少なくないだろう。

A級戦犯の岸内閣の孫が育て上げてきた「成果」なのか。自衛隊の最高指揮官である岸田文雄の内閣総辞職に相当するだろう。厳格な処分がいつ行われるのか。自公政権のなれの果てか、安倍・清和会の巧妙な救済策の一環?だとすれば、これまた日本国の将来にとって由々しい一大事。衣を脱いだ神社本庁・統一教会・日本会議の極右勢力の動向と国際社会・東アジアの反応の行方も気になる。

「政治とカネ」に加えて、足元の武装勢力の反乱を二度と起こさせない覚悟が不可欠だろう。

 

<政治と宗教の分離違反=国家神道復活目前を許すな>

岸の孫は、何かにつけて自衛隊のイベントに顔を出して、威勢の良い話をしながら、暗に「決起」を促してきた。中国敵視政策と台湾有事を叫んで、外交に無知な米国大統領の不動産屋をたきつけてきたことは、まだ目新しい。

米中対決に持ち込んだことに、ワシントンの産軍複合体・死の商人は、安倍の貢献に感謝したという。

平和憲法を尊重し、擁護する義務を放棄した内閣と霞が関は、戦後の日本政治史上、最悪と言っていい。民主主義を真っ向から否定したもので、主権者は断固として支持しない。

大事なことは、憲法は戦前の国家神道を武器にした侵略戦争の愚を二度と繰り返させないために、公務員など公人による特定宗教参拝を禁じている。いわゆる政教分離は近代憲法の大原則で、20条でわかりやすく規定している。

ヒトラーやムッソリーニと三国同盟を結んで、世界を敵に回したヒロヒトの天皇の軍隊は、国家神道という原始のカルト教信仰で固めていたことから、敗戦後の国際社会では、靖国神社を戦争神社として忌み嫌っている。東アジア諸国民のみならず、特に欧米のリベラリストの警戒心は根強い。

外務省の正統派外交官は、こうした事情をよく知っている。外交官出身の元宏池会会長の加藤紘一は、このことに特に敏感だった。それゆえに清和会の森喜朗が「日本は神の国」と叫ぶや、森打倒に走った。

自民党と神道政治連盟、公明党と創価学会は、政教一致であって政教分離に違反している。天皇や首相の神社参拝も20条違反である。むろん、私人としての神社信仰は自由である。

 

<平和憲法踏みにじる確信犯の決起にA級戦犯内閣の野望か>

今回の自衛隊幹部らの公用車を利用した大胆不敵な参拝は、公人としての参拝であって、憲法に真っ向から違反した確信犯である。それを承知で敢行した点に、悪意に満ちた野望が見て取れるだろう。

「軍靴の音」どころではない。昨日は「耳元で軍靴の轟音が響く」と進歩的な法律家は、恐怖で震えていた。

能登半島地震の自衛隊の対応と安倍・清和会の裏金疑惑に水を差そうというのであろうか。許しがたい愚挙である。泉下の岸や安倍が笑い転げているのだろうか。

 

<安倍・清和会の隠し玉登場に怯えるだけの国民でいいのか>

日本国民は憲法を信頼している。戦争に断固として反対である。死の商人に屈しない。憲法の平和主義に賛同している。国家の愚かすぎる為政者のために命を差し出すような日本国民はいない。

軍靴の響きに怯えるだけではない。はいつくばっても国会を包囲する護憲の戦いに挑戦するだろう。政府は、自衛隊を災害救助隊として信頼していることに気付くべきだろう。

 

<議会と政府・司法は正義を貫徹し、憲法違反を封じ込めよ!>

命は一つしかない。唯一の宝だ。生きてこそ人間である。人生は一度しかない。二度とない。日本国憲法はそれを保障した世界の憲法である。国民は三権の監視を強めるしかない。

2024年1月13日記(日本記者クラブ会員)