本澤二郎の「日本の風景」(5032)

<震度7の能登半島11地震の本当の恐怖は第二のフクシマ化>

整理されている家の中が激しい揺れに耐えきれず、あっという間に散乱しごみの山と化し、人間は立っていることもできない。倒壊する住宅は数知れず、家々が黒煙を上げて燃えて、人々が逃げまどう道路は、地割れで寸断して車も走れない。1・2メートルの大津波に息をのむ。それが5メートルも、と気象庁は予報を出した。誰もが311東北巨大地震とそこで発生したフクシマの東電原子力発電所爆破の地獄を連想した。

原子力規制庁は必死になって「何も起きてない」と小さくラッパを吹く。嘘つき三昧の原子力マフィアの言い分を信じられるか。第二のフクシマは、ツネに起こりうる。

ふと房総半島の将来のことも不安になってきた。

 

<2024年1月1日は森喜朗ら神道「神の国」の祝日>

能登半島は石川県、清和会の古狸の森喜朗の地元である。五輪開催のための賄賂に血税である官房機密費をふんだんに使ったと自ら暴露して、森の顰蹙を買った知事の馳浩は、よく知らなかったが元レスラー。北海道の橋本聖子?も五輪選手。

 

差別ではないが、職業柄自身の運動能力に掛けて生きてきた人間は、概して地域や社会など全体のことを考えることが苦手とみられている。防災・医療・福祉・教育について十分な見識がない。森もその代表で自民党清和会の仲間から「サメの脳みそ」とのあだ名がついて久しい。永田町の住人であれば、だれもがそう呼んだりしている。

明治期の国家神道のもとで、全国のいたるところに神社が作られ、そこに地域住民が結集させられ、学校では教育勅語という「天皇のために、二つとない命を捧げる」ということが大和魂だと教え込まれて、実際にそのことで300万人以上の若者が死んでいった。

森友事件は、安倍夫妻を虜にした教育勅語にこそ国際社会は注目したものだが、肝心要の教育勅語についての議論はなされなかった。

 

何を言いたいのか。理解できる読者がいるのかどうか?数字の11である。東北大地震も11だったし、今回の能登半島地震も11である。11は森喜朗や安倍晋三ら自民党の神道カルト教団に凝っている輩たちの「最良の日」のはずである。天罰が落ちたのかどうかは、宗教を信じない者にとってどうでもよいことであるが、能登半島に建てられた無数の神社群は昼寝でもしていたものか?

 

とはいえ確かに人間は弱い動物。人は何かにすがろうとする。原始の時代は、大きな樹木や石や動物など何でもよかった。しかも、それらに生贄まで捧げた。人間の生贄は幼い女性が多かったというから信仰は恐ろしい。

いまでは賢い人間が「宗教だ」といって金集めの手段にしている。政治家にとって彼らは金のなる木だ。自民党の神道政治連盟や公明党の創価学会がその典型である。21世紀のいまも継続していることに驚くばかりだ。

人間精神が一向に進化していない証拠であろうか。政治とカネは、即政治と宗教でもある。双方の分離を貫徹する憲法についての理解と認識が、この国の為政者と呼ばれる人たちの最大の恥部・弱点である。無恥な凡人ジャーナリストは神社に行くと、その中身に興味を持ったりして、中をのぞいたりした。何もなかった。

もっとも靖国神社は「刀剣」だと誰かが明かしている。この程度の人間だから、戦争を起こす。戦争でぼろ儲けする死の商人はどこにでもいる。清和会の中には特に多い。女性議員も要注意だ。

 

<「今だけ自分だけ」の危うし日本丸の前途>

ここ数年の筆者の反省点は、女性は優しい、平和主義者だと信じて疑わなかったことである。間違いだと悟った。清和会の女性議員がしっかりと教えてくれた。岸田文雄も、そうであろう。自身の妻とは異質の女性議員の存在に驚いている一人に違いない。

ヒロシマ・ナガサキ・フクシマをしっかり理解している女性ばかりではない。特に自民党の女性議員に平和主義者は少ないか、まったくいない。平和憲法に期待する真剣な議員はいない。

 

岸田にしても情けない政治屋だと断じたい。一度名刺交換したことがある。穏健な父親を連想させる優しい感じをもった。「憲法は変えない」といい、さすがは宮澤喜一の薫陶を受けた人物だと信じてしまった。

ところが、今やってることは安倍晋三や高市早苗とそっくりだった。改憲ラッパを吹く、43兆円戦争準備を閣議決定した。亡くなった安倍や、高市にまでひれ伏していたのである。つまりは、それを条件に首相の座を手に入れた岸田は、人間として屑そのものといえる。

2024・11との因果関係は知る由もないが、それでも神道「神社本庁」に掛けているのかどうか。1月4日の伊勢神宮参拝は、政教分離違反であるが、どうするか。

岸田が真っ当な民主主義者であれば、能登半島の視察を勧めたい。43兆円を棚上げして貧困対策や防災に回すべきである。

 

<房総半島地震の備えは大丈夫か=袖ヶ浦・君津市の不安>

震度6の巨大地震が原発銀座の近くで発生すると、日本列島は沈むだろう。誰もが理解できる。まともな国であれば、すべての原発を廃炉にする必要があろう。もう原子力マフィアのナベツネも事実上いない。読売・産経も覚醒するしかない。電通も五輪疑獄で沈んだ。恐れることはない。

「もんじゅ西村謀殺事件」について、最高裁も忖度判決する必要も無くなってきている。20年も法廷闘争をしてきた西村トシ子さんの笑顔をみたい。経産省のマフィアは、裏金事件で失脚した。萩生田・西村は消えた。細田も安倍も亡くなった。

 

だが、房総半島の住民の不安は消えない。袖ヶ浦市林・高谷地区には、膨大なフクシマの核汚染ごみが不法投棄されている。30メートルの盛り土が崩壊すると、放射線の噴き上げは大きくなり、房総半島全域に拡大する。同じことが東洋一の君津市の水源地近くの産廃場にも。小櫃川の上流に噴き出してくるだろう。

現在判明した核汚染ごみの投棄場所は袖ヶ浦と君津だが、他の産廃場でも同様のことが起きている可能性を否定できない。千葉県は急ぎ産廃場の総点検が喫緊の課題である。

それにしても寝ても覚めても、目の前の放射能とそれを強行するやくざ系議員との攻防に神経をすり減らして生活する林地区住民の苦悩は計り知れない。千葉県民の覚醒を促すばかりだ。

2024年1月2日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)