本澤二郎の「日本の風景」(5025)

<天下に名をとどろかせた2023年千葉県房総半島12選挙区>

もう3年ほど前からか。「木更津レイプ殺人事件」など千葉県警と木更津署の腐敗問題を遠慮しながら取り上げてきたが、2023年の師走も終わりに近づいて見ると、その他の事件発覚も大っぴらになって、風光明媚と喧伝されてきた房総半島は、石川県の能登半島など軽くいなして、その名を天下に轟かせるようになっている。

今もYouTubeでは、安倍の側近中の側近の高市早苗の放送法がらみの恐ろしい闇を、徹底的に追及した小西洋之の活躍を見ることができる。一方で、消費税を引き上げて国民から叩かれてきた野田佳彦と安倍の仲など千葉県の政治家・政治屋の話題が次々と表面化してきた。千葉12区の話題も。

 

<君津に次いで袖ヶ浦水源地に埋設された核汚染ごみ事件>

しかし、人類や地球破壊の元凶である核汚染ごみが、袖ヶ浦市に不法投棄していた事実を暴いた、住民の不屈の戦いについて、これらを本ブログで数年に渡って執拗に報じられてきた点が、国政レベルでも注目されるようになってきた。快挙である。

真の敵は原子力マフィアに違いない。「もんじゅ西村謀殺事件」と共通している。こちらは遺族の西村トシ子さんが20年以上かけて、自殺に見せかけられた夫の遺品を返せ、なぜ隠すのかと執拗な闘争を原子力機構と繰り広げている。

また君津市の水源地に東洋一の、新井という産業廃棄物処理場に、311の宇都宮市に積もった膨大な核汚染ごみが埋設されていた事件に次いで、袖ヶ浦市林・高谷地区の水源地にもワコーエコテック(木更津市に本社)というやくざ系の産廃業者が、これまた森林法違反の上、大量の311のフクシマ核汚染ごみを大量に不法投棄されていたことが、地元の住民の調査で発覚し、いま業者は雲隠れしている。それをよいことに袖ヶ浦市も千葉県庁も、隠蔽に必死となっていることも判明してきた。

 

「水源地に核汚染ごみ埋設」などということは、人間であればいかに悪党でも手を出せないだろう。しかし、房総半島はやくざが跋扈する無法地帯で、警察も無力化している。水脈は半島の隅々にまで及んでいる。いずれ生き物は住めなくなるだろう。それでも利権・金目当ての悪魔人間が、半島に住み着いていたことを証明した。それでも本体のフクシマは、核汚染地帯として温存し、継続させられている。棄民そのものである。極右片肺内閣は、引き続き原発大国を推進している。

 

<文春にも報じられたやくざ系代議士の自民党の国対委員長>

房総半島には、やくざ代議士(浜田幸一)の倅と運転手が、衆参議員として現在も存在している。A級戦犯の岸信介内閣には、右翼暴力団の児玉誉士夫や笹川良一が政権の番犬を務めていたことは有名である。極右とやくざは一体関係にある。

最近、週刊文春の記事と写真によって2代目も父親の人脈を継承している事実が証明された。岸田内閣はその問題人物を防衛相に起用し、週刊誌が報じると、防衛相を更迭したものの、今回の清和会の事件で、なんと松野博一の後任官房長官に起用しようとした。結局のところ、問題の軍拡予算案を強行するために、こわもての国対委員長として起用した。「やくざの力で悪しき政策を強行する考えだ」と野党国対は戦々恐々としている。

 

<「防弾チョッキのひだかたけし(樋高剛)」が正義の挑戦!>

ハマコーにも大石千八や山村新治郎、渡辺一太郎、後藤田正晴ら天敵が沢山いた。目下、千葉12区の選挙区にも天敵が現れ、安房君津郡市の有権者を喜ばせている。

中選挙区制の時代には、反浜田の千葉三郎・水田三喜男・中村正三郎・森美秀がやくざを封じ込める布陣を敷いていた。自民党千葉県連内にも反やくざ系の議員も少なくない。

 

一躍、樋高剛に注目が集まっている。彼は防災と環境問題に明るい。既に小櫃川の水を守る会や袖ヶ浦の核汚染ごみ事件についても真相をつかんでいる。小沢一郎も側近を袖ヶ浦や君津に派遣して、やくざ退治の姿勢を見せている。

樋高面接の際、失礼ながら「防弾チョッキを着けて戦えるか」と詰問してみた。彼は「もちろん」と即答した。先日房総の最南端で5年ぶりに骨休めをしたとき、一般道を車で移動してみると、館山の千倉や鴨川の長狭などで樋高のポスターを目撃した。むろん、君津や木更津、袖ヶ浦などでも。樋高の駅前の「朝立ち」は早くも注目を集めているようだ。

 

<自民は神道氏子カルト教団+公明党創価学会カルト教団と対決>

自民党の支持率は急落している。30%を軽く割ってしまっている。公明党も池田大作が逝って、老人党員の足腰は極端に低下している。ただでさえ平和の党から戦争党に変節して、党員の不信は強まっている。自民党の本体は「神社本庁」の神の国という21世紀において原始をさらけ出しており、戦後教育を受けた市民を納得させることは不可能である。

ロシア・ウクライナ戦争もイスラエル・パレスチナ戦争も、いわば宗教戦争そのものである。人間の殺し合いを容認する残酷さが、宗教にまとわりついている。靖国神社の「英霊」とは、そうして殺害し、殺害された悲劇の若者を祀っている。

政治と宗教は、いま戦争と宗教といえるだろう。したがって、武器弾薬に狂奔する浜田に対して樋高に軍配が上がるだろうと思えてならない。

歴史は動く。房総半島にもようやく春の陽光(民主主義の再生)を感じ取ることができる。原子力マフィアの牙城である清和会崩壊も、国民は目の前に迫っていると感じられる。

2023年12月25日記(政治評論家)