本澤二郎の「日本の風景」(4997)

<市民運動の課題=大学の研究者と連携することが不可欠>

おそらく千葉県の市民運動の先駆者といえるような「小櫃川の水を守る会」の総会(11月25日)に初めて顔を出してみた。このようなことは政治ジャーナリストにとって初めてかもしれない。そこで確認できたことは、JR亀山駅の奥地・小櫃川の水源地に千葉県が認可(沼田知事)した恐ろしい東洋一の産廃場で、袖ヶ浦市の住民が測定した放射能が120マイクロシーベルトという通常の500倍以上の値が出た?そのことを本ブログで紹介したのだが、大変な間違いだった。深くお詫びしたい。「測定ミス」だった。測定器は放射線ではなく、電磁波を測定するためのものだった。「放射能測定器を注文したはずなのに」と住民の怒りはただ事ではない。業者のいたずらか、陰謀なのか?怖い時代を感じてしまった。

 

ここで指摘したい市民運動の課題は、大学の研究者との連携が不可欠ということである。特に科学問題で、逃げる役人相手の事案では、最も大事だ。彼らの生活は安定しているため、無報酬で協力してくれるだろう。今からでも遅くない。学者や研究者を巻き込んだ市民運動を強く求めたい。大失敗から学ぶしかない市民運動なのだから。

 

<放射能測定不可欠の房総半島=第二のフクシマ>

問題の産廃場には有毒廃棄物が投棄されている。既に1万トン以上のフクシマの核汚染ごみも投棄された、と毎日新聞が報じている。4年前に聞いて仰天した。だが、それでも住民は放射能測定をしていない不思議。小櫃川の汚染測定さえも。測定しても行政当局は数値を決して公表しないと住民は嘆く。市民も議会も事実確認のための測定と、それを公開させることについて無関心なのか?君津市も袖ヶ浦市と同じ対応というのだ。「地方創生」という永田町のおまじないは、まずいことは隠蔽して事実を伏せろだったのか。石破茂に聞いてみたい。

これでは血税で養っている役人に殺される国民ではないか。

 

2011年の311で福島県に隣接する栃木県にも放射能ごみが大量に降り注いだ。宇都宮市では大変な騒ぎとなった。それが今は静かになっているらしい。なんと宇都宮市の核汚染ごみが、君津市のこの産廃場に投棄されていた!小櫃川を守る会もそのことを確認している、との事実を総会で報告した。初めて知った事実に、改めて驚愕してしまった。なんということか、やはり房総半島は放射能まみれなのだ。地上に噴きだす放射能だけではない。大地や水も。房総半島は第二のフクシマに変貌している可能性を否定できない。

 

言いたくはないが、自身を含めて民度の低さに反吐が出る思いである。ここには識者・文化人と称する人々も生活している。やくざ系の政治屋・地方議員はともかく、館山や鴨川には多いと聞く。だが、彼らは放射能による被ばくについて無関心なのか。民主主義がまるで機能していない。野蛮国なのか。

 

<話し方は易しいようで難しい>

総会参加者も役員も老人ばかりだ。若者が少ない。女性も。組織として体をなしていない。マイクも使っているが、司会者という寺の坊さんを除いて、当方の耳によく発音が届いてこない。

 

余談だが、戦前の演説上手には永井柳太郎や斉藤隆夫がいた。戦後は海部俊樹がいた。海部を指名した時の理由を政治部長会との宴席で、隣り合わせた竹下登に聞いたことがある。「海部君は中央の辞達学会の弁論部だから、早稲田の雄弁会と違う」と笑いながら打ち明けたものだ。花井卓三教授が明治34年に創設、ことしで121年になるという。

 

総会の後に記念講演が行われた。すると会場は50席の椅子が不足した。役人の情報収集か?

研究者は立派な資料を用いて説明してくれたのだが、初めての者には産廃場の技術的欠陥を指摘してくれても、よく理解できない。加えて発音がいまいちはっきりしない。特に発言の主部と末尾がかすんでしまう。年配者の弱点であろうか。聞いている方は余計頭に入らないのに閉口した。

 

見事な研究成果を大衆に理解させる工夫が必要である。おしゃべりは北京の外交学院の日本語科の学生との講義が最後となった。もう5年ほど前になる。外国人に日本語を語る場合は、あいまいな表現は駄目だ。かすれた声では学生の耳に届かない。おしゃべりも甘くないことを市民運動の集まりに参加して気付かされた。

2023年11月27日記(反骨ジャーナリスト・日本記者クラブ会員)